第141話 悲しき再会
2つの風が混ざり、すぐに別れた。
風と表現したが、それは姿が見えなかったからだ。
微かな空気の流れが、少しだけ教えてくれた。
「まあ…」
一陣の風はアルテミアになり、嬉しそうに微笑んだ。
「合格だ」
そう言うと、消えた体のそばに、ぼおっと突っ立てるような僕がいた。
別に、ぼおっとしているわけではない。
風の流れを少し変えただけだ。
力が抜け、いや力が入らない…というより、必要ないのだ。
「よかった…」
アルテミアの合格の声に、安堵の息を吐いた瞬間、僕はやっと体の緊張感を知った。
「まだまだだけどな…。自らの血の循環を意識しろ。指先までな。すると、疲れている場所やコリが分かる。そうすれば、負担をかけている場所がわかる。体を球のように思えば、万遍無く力を力を発揮できる」
子供の頃、ティアナに言われたことをアルテミアは思い出していた。
「だが…」
ピアスの中から、アルテミアは嬉しさを抑えながら、
「強くなった」
照れたように言った。
「あ、ありがとう…」
訓練中と違い、僕は顔を真っ赤にして、喜んだ。
「!?」
そんな幸せな空気を切り裂くように、唐突にこちらに近づいていく巨大な魔力を、僕は察知した。
それは、信じられないことに、僕の知ってる人物…いや魔神達だった。
魔神の上…女神だ。
しかし、二人の女神はアルテミアに負け、後に能力を彼女に奪われたはずだ。
だから、アルテミアは今接近してくる女神の力を手にしていた。
「赤星…。変われ」
アルテミアの言葉に頷くと、僕は呟くように言った。
「モード・チェンジ」
「お久しぶりね」
仁王立ちのように、地面に足をつけて立つアルテミアの前に、ネーナとマリーが降り立った。
「お姉様…」
アルテミアは、二人の魔力を探った。前より、数段上がっている。
「お姉様なんて…あんたに、言われなくないわ」
ネーナは、鉤爪を伸ばし、
「あたし達がいない間…調子に乗ってるらしいわね」
マリーは腕を組んだ。
「あたし達が復活したからには、あんたの好きにはさせないわ」
「今ここで、殺してあげてもよくてよ」
炎と氷が交わることなく、おかしな空気を周囲に漂わせていた。
「オリジナルの…お姉様ではないわね」
アルテミアは、違和感を感じていた。
マリーはアルテミアの質問に笑い、
「肉体は新しく創って貰ったが、魂は前と同じよ」
「そして、魔力も上がっているわ。昔のあたし達と同じだと思ったら、すぐに死ぬわよ」
「そういうことか…」
アルテミアは、復活させたライの狙いがわかった。乗ってやるのは癪だが、アルテミアも知りたかった。
アルテミアは、冷ややかな笑みを浮かべながら、二人の女神に言い放った。
「死んでも簡単に、復活できるんでしたら…」
アルテミアは見下すように、
「安いものですよね。お姉様方の命なんて」
最後はプッと吹き出した。
「貴様!」
怒りで頭に血が昇った二人の前で、笑みを絶やさずにアルテミアは言った。
「モード・チェンジ」
僕に変わったのを見て、さらに女神達はキレた。
「こんな人間のガキに!」
「何ができる!」
ネーナとマリーは、女神の一撃の体勢に入る。
しかし、そんな二人を冷たく見つめる僕は、心の中で念じた。
(技の発動を否定する)
すると、ネーナとマリーは技を出す前に、体の自由を奪われた。
「な!」
動けなくなったネーナとマリーの目に、赤く光る赤星の瞳が映った。
「なんだ…この魔力は」
唖然とする女神達に、僕は何も言わず、2つの拳をそれぞれの鳩尾に叩き込んだ。
「気を巡らせろ!」
ピアスからのアルテミアの指示。
僕が拳をねじ込むと、ネーナとマリーの体が小刻みに震えだし、数秒で塵を化した。
「あらゆる物体が、原子が結合してできているのならば…その結合を解けばいい」
塵となった二人の女神。
僕が拳を抜き、手のひらを上に広げると、塵が舞い、まるで小型の竜巻となっていた。
「不死のバンパイアは、塵になっても復活する。だったら、吸収すればいい」
アルテミアは言葉が言い終わる寸前、僕が拳を握るとその中に、竜巻は吸収されていった。
「チッ」
アルテミアは舌打ちした。
「遊んでやがる」
魔王ライは、僕の能力を測る為だけに、女神を復活させたのだ。
それだけの為に。
女神を一瞬で倒したことにより、僕の強さは計り知れなくなっていた。
しかし、まだ僕に致命的な弱点があることを、アルテミアは教えてくれなかった。
かつて、大苦戦した女神達に、一瞬で勝ったことで、
(本当に…強くなった!)
自分の強さに、僕は素直に喜んでいたからだ。
そんな時、後ろから声をかけられた。
振り返ると、女が1人いた。
「赤星浩一様ですね。あなたをお迎えに来ました」
女は跪いた。
「どうか…私とともに、アステカ王国へ。我が主が待っております」
「アステカ王国?」
その聞いたことのない国が、僕のこれからを変えることとなった。
「ジェーン様の容体は!」
ソリッドの怒声が、手術室に響き渡った。
ただの能力の使い過ぎと思っていたら、違った。
「あの男との再会が、これ程の負担を与えるとは…」
それは、ソリッドにも予想外だった。
ジャスティンと会っただけなのに、ジェーンは今までの無理が一気に噴き出したかのように、いきなり衰弱しだした。
手術室で、おろおろと狼狽える医師達を、ソリッドは一喝した。
「心配するな!ダウンロードの為の依り代は、確保している」
「しかし…」
ソリッドの言葉を、主治医が否定した。
「どうしたのだ?」
普段は言い返さない従順な主治医が、今回は口を挟んだ。
何かあると思うのが、普通だ。
主治医はただ震えながらも、今の状況を伝えた。
「ジェーン様は、ダウンロードを拒否しております」
「何!?」
ソリッドは耳を疑った。
「なぜだ?肉体も若返る!力も今の肉体よりは、強力になるというのに!」
「そうなのですが…今の肉体、今の姿でないと…あの人がわからなくなるからと申しておりまして」
ジェーンの言葉を聞いて、ソリッドは顔をしかめた。
「何ということだ」
唇を噛み締め、拳を握り締めると、ソリッドは主治医を睨みつけ、
「強引にダウンロードをしろ!」
「む、無理です!」
主治医はさらに狼狽え、
「衰えているとはいえ、王です!我々の力だけでは、抑えられません」
「だったら、我も行く!」
ソリッドは主治医を連れて、テレポートした。
手術室に入ると、凄まじいばかりの超能力の嵐が吹き荒れ、ソリッドと主治医は壁に磔になった。
「クッ」
ソリッドは予想以上の力に驚き、テレパシーで援軍を呼んだ。
「あたしは、この姿でいいの!」
絶叫するジェーンを抑えられたのに、王国の戦士のほとんど全員の力を結晶させなければならなかった。
(恐るべし)
ソリッドは、数百人の念動力でやっと治まったジェーンを見た。
ジェーンは手術台の上で、今は静かに横になっていた。
「アステカ王国?」
その聞き慣れない単語に、僕は訝しげに眉を寄せた。
「は、はい」
女はなぜか、僕を恐れていた。真っすぐに立ってはいるが、背中が小刻みに震えていることに、僕は気付いた。
(これが…赤星浩一)
先程の二人の女神達を一瞬で葬った力を、まじまじと見せ付けられた女は、警戒せざる得なかった。
しかし、命令は絶対である。
女は唾を飲み込むと、一歩僕に近づき、跪いた。
「我が名は、カルマ。あなた様を、我が主ジェーン・アステカの前にお連れすることが、我が使命です。どうか、我とともに、アステカ王国へ」
カルマは頭を下げ、そのまま僕の返事を待つ。
でも、僕はどうしていいのかわからない。いきなり現れて、まったく聞いたことのない国に、のこのこついていくのもおかしい。
目の前で、跪くカルマの気を探ってみても、魔力は感じない。
(だけど…)
妙なノイズのような違和感があった。人間には違いないと思うが。
「アステカ王国か…」
今まで沈黙を守っていたアルテミアが、僕だけに聞こえるように話しだした。
「超能力の持った人間の集まりと聞いているが…」
「超能力?」
僕の頭に浮かんだイメージをアルテミアは読み取り、
「その力だ」
「超能力…」
実際、この世界に来てから、超能力みたいな力を使ってきたから、今更何が現われても、戸惑わない。
しかし、前に跪く女を超能力者として監察してみると、
(…確かに、今まであった人物とは異質か)
精神波というか…脳波が違うのだ。ノイズの原因は、これだった。
(僕らと違う…いや、普段使わない部分の脳を使っている)
無意識に赤く輝いた瞳が、カルマをスキャンする。
カルマは頭を下げながら、自分が探られていることに気付いた。
できるかぎり心の無にし、必要以上の情報を与えることを防ごうとした。
「アルテミア…」
僕の瞳がもとに戻り、
「僕は、この世界のすべてを知りたい。だから、行ってみるよ」
「お前がそう言うなら、好きにしろ」
アルテミアはフッと笑った。
僕はカルマの方に体を向けて、了承した。
「行きましょう。あなたの国へ」
僕の返事に、カルマは顔を上げ、笑顔を見せてから、再び頭を下げると、ゆっくりと立ち上がった。
「では早速ですが…失礼します」
カルマは僕に近づくと、腕を首に絡めてきた。
「え!」
離れていた時はわからなかった豊満な胸が、僕の胸に当たった。
僕の思考を読んだのか、アルテミアの怒気が直接脳に響いた。
「ち、ちがう!」
と弁解する暇もなく、僕とカルマはテレポートした。
次に、テレポートアウトした時、僕はカルマの胸ぐらいで、慌ててる場合ではなくなった。
何もない玉座の間に、降り立った僕とカルマ。
カルマはすぐに僕から離れ、後ろに下がると、静かに跪いた。
「そなたが、有名な赤の王ですか?」
五段くらい上にある玉座に座り、僕を見下ろす人物を見た時、僕は目を疑った。
「な!?」
それは、あり得ない顔…姿だった。
「馬鹿な」
そっくりな別人とか思った。
だが、違う。
声が、気が、そして容姿が…すべてが、似っているのレベルを超えていた。
「明菜!!」
僕は、絶叫した。
「そういう意味です。赤の王よ」
後ろに控えたカルマが、表情を隠しながら言った。
「お、お前ら!明菜を王にしたのか!」
僕は振り返り、カルマを見た。
「違います!」
玉座に座っていた明菜が立ち上がり、僕を冷たい目で見下ろしながら、
「この体の脳を支配しました。故に今、この体の支配者は、わたくし…ジェーン・アステカです」
明菜の黒い眼球の色が違う。淡い茶色になっていた。
「明菜に何をした!」
僕は、明菜の姿をしたジェーンに叫んだ。
「新しい依り代にしただけです」
ジェーンは、明菜の顔で笑った。
「貴様あああ!」
僕は、ジェーンに向かってジャンプした。
「ジェーン様!」
飛び掛かる僕の背後から、攻撃しょうとするカルマの背中を、チェンジ・ザ・ハートが飛んできて、激しく殴打した。
「なに!」
背中をくの字に曲げ、倒れるカルマの脇から、チェンジ・ザ・ハートは飛んできて、僕は手で掴んだ。
ライトニングソードになったチェンジ・ザ・ハートを、ジェーンに向かって、振り上げる。
「フン」
ジェーンは両手を僕に向け、サイコキネッシスを発動させたが、ライトニングソードは念力をも斬り裂く。
「貴様!」
怒りで我を忘れた僕は、ジェーンをそのまま斬り裂こうとする。
「こうちゃん」
ジェーンの瞳が、黒くなり…哀しげな表情を浮かべる明菜の顔になる。
「あき――なっ!」
その表情に、心を許した瞬間、僕の体は自由を失い、空中で磔になると、そのまま意識を失った。
「フフフ」
ジェーンは笑った。
ライトニングソードが、床に落ちた。
「あなたの弱点は、わかっていた。その優しさ!精神の弱さよ!」
空中で両手を広げられ、まるでイエスの如くうなだれて浮かぶ僕を、ジェーンはゆっくりで念動力で、そばまで手繰り寄せる。
「あなたは、これから…我がアステカ王国の尖兵として、働いて貰います。魔王を倒すまでね」
ジェーンは微笑みながら、僕の頬に手を伸ばそうとした。
その時、うなだれていた僕は顔を上げ、瞳を血よりも赤く輝かせた。
「モード・チェンジ」
口が動き、そこから発せられた声は、僕の声ではなかった。
「!?」
ジェーンは目を見開き、思わず後退った。
僕の左手の薬指にはめられた指輪から、光が溢れた。
「クッ」
ジェーンはもろに、光の洗礼を浴びた。
「ジェーン様!」
カルマはとっさに、ジェーンと赤星の間にテレポートした。
その瞬間、弓なりに曲がったしなやかな右足が、カルマのこめかみにヒットした。
ふっ飛び床に転がるカルマを見ようともせず、光の中から現れたのは、アルテミアだった。
「て、天空の女神…」
カルマは、脳が揺れて立ち上がれなくなり、超能力を発動もできない。
「天空の女神だと!」
ジェーンは眩しさで、目が開けられない。
適当に、前方にサイコキネッシスを発動したが、アルテミアはもう後ろにいた。
「卑劣な真似を」
アルテミアの表情は、怒りに満ち溢れていた。右手を突き出すと、ライトニングソードが飛んできて、今度は槍になる。
「あたしと融合しているかぎりは、てめえらの好きにはさせない!」
アルテミアは槍を一振りすると、脇に挟んだ。
まだ目が見えず、狼狽えているジェーンの横顔を、アルテミアは見た。
(明菜…)
赤星を想う同士だが、
(許せ)
アルテミアは女神の一撃の体勢に入った。
「ジェーン様!」
カルマが手を伸ばす。
その時突然、アルテミアの左側の壁の真ん中が爆発したかのように、吹っ飛んで穴が空いた。
「すまないが…こいつを殺さす訳にはいかない。あたしのかわいい後輩だからな」
壁に空いた穴から、1人の女が玉座の間に入ってきた。
黒いスーツ姿で、真珠のような色をした無数の銃口を持つ特殊な銃を、アルテミアに突き出して入ってきたのは、中山美奈子だった。
「テラ…いつのまに牢屋から」
やっと立ち上がれたカルマは、手を美奈子に向けた。
とっさに銃口の向きを、カルマに変えてしまった美奈子の前に、アルテミアがいた。
「え?」
「一度退くぞ」
アルテミアは美奈子を抱き上げると翼を広げ、衝撃波を放ちながら、天井を突き破り、上空へと飛び上がった。
「逃がさない」
視力を取り戻したジェーンは、天井から落ちてくる瓦礫をサイコキネッシスで止めると、追いかけようとしたが、
「お待ち下さい!」
カルマが止めた。
「天空の女神と、テラ。我々だけでは勝てません」
カルマの言い分は、もっともだった。
ジェーンは追跡するのを、やめた。
「それに、我々にはジェーンの新しいお体がございます。赤の王は必ず、またここに現れるでしょう」
「わかった」
ジェーンは頷いたが、下唇を噛み締め、
「だが…天空の女神から分離しなければ、我々の仲間にいれるのは、難しい…。どうしたものか?」
アルテミアは天井を次々と突き破り、飛び出た先は海だった。
(海底か)
いきなり海中に入ったアルテミアはともかく、美奈子の息が続くはずがない。
口を塞ぎ、何とか溺れないようにしている美奈子に気付き、アルテミアは、六枚の翼を広げた。そして、翼で体をラクビーボール状に包むと、回転し…予想だにしない動きで、海中を流れ星のように猛スピードで進んでいった。
ただし、落ちるではなく、上昇だ。
深さはわからなかったが、翼で包む瞬間、眼下に海溝が広がっているのが見えた。
アルテミアは海中から飛び出すと、六枚の翼を広げた。
真上にある月に照らされて、広げた勢いで飛び散った水滴がキラキラ輝いていた。
アルテミアは月を見上げた後、抱き抱えている美奈子の様子をチェックした。
(外傷はないか…)
美奈子は、気を失っていた。
どうやら、海底からここまで上がってくるあまりのスピードに気を失ったみたいだ。
人はあまりに衝撃的なことがあると、自らの自衛本能で、気を失うことがあるらしいが…。
今回は、違った。
「寝てるのか?」
どうやら、アルテミアに助けられ、安堵したようだ。緊張の糸が切れたが、真相のようだ。
「しばらく寝てなかったようだな」
何日捕まったのは知らないが、その間寝ていないようだ。
明菜を助けだすことはできなかったが、可能性はできた。
無防備に寝る美奈子の顔を見つめながら、アルテミアはある疑問が気になった。
(どうやって、この世界に来たんだ)
美奈子や明菜に、時空をこえることができるとは思わなかった。
確かに、明菜の次元刀は空間を切り裂けるが、この時空がどこにあるか、わかるはずがない。
(誰か手引きしたか?)
アルテミアは、翼をはばたかせると、その場から離れた。
(それに…テラ?)
アルテミアは、美奈子が部屋に会われた瞬間、そう呼ばれたことを覚えていた。
(テラとは…あのテラなのか?)
アルテミアはまだ、テラが二人いたことを知らなかった。
アステカ王国がある海域から離れ、アルテミアは一気に南下すると赤道をこえ、南半球のある無人島に降り立った。
海岸のそばに生える椰子の実の下に、美奈子を横たえると、アルテミアは波の狭間に1人立ち、日が落ちた真っ黒になった海を見つめていた。
月に照らされて、後ろにある島の緑より、海面が明るいことに、アルテミアは少し口元を緩めた。
綺麗とか、可笑しいと思える心の余裕が、何より可笑しかった。
だけで、そんな余裕を自分に与えてくれた存在は、今…。
アルテミアは振り返った。
「目覚めたか?」
後ろに立つ自分に、笑いかけた。
「アルテミア…」
なぜこんなところにいるのかという疑問よりも、僕はここにいる理由に、唇を噛み締めた。
「僕は…」
「赤星」
アルテミアは、僕に微笑みかけた。
「明菜を見て…動揺して」
「赤星…」
「また、精神攻撃にやられた…」
僕は悔しくて情けなくて、涙もでなかった。
(僕は…世界を、あんな結果にさせるわけにはいかないのに)
目をつぶると、瞼の裏に滅ぶ人間の姿が浮かぶ。
後悔と懺悔に苛まれている僕から、アルテミアは海へと視線を戻すと、
「目や耳…脳へと直接影響を与える攻撃を、得意とする者は多い」
アルテミアは、言葉を続けた。
「しかし…それは、あたし達バンパイアもそうだ。最近、血を吸ってないがな」
苦笑すると、アルテミアは振り向き、僕に全身を晒した。
月光に照らされて、アルテミアは輝いて見えた。
「お前は、そんな攻撃は嫌いだろうな。誰かを支配するなんて、お前は嫌いだろうな」
「アルテミア…」
「だけど…こんなにショックを受けても、どんなに汚い手を使われても、お前はそんな力を返さなければならない」
アルテミアの瞳が赤く光る。
「この解放状態こそが、あたし達の力が使える状態だけでなく、瞳からの攻撃を防ぐこともできる。これからは、つねに戦う時は、この状態になることだ」
アルテミアの赤い瞳が、僕を射ぬく。その瞬間、僕の全身は硬直し、動かなくなった。
「瞳は脳に近く…その情報をつねに、脳に与えている。だからこそ、そこから攻撃を与えれば、脳が神経等に送る信号を遮断したり、幻を見せることが、可能性だ」
「アルテミア!」
僕は、動かない指を何とか動かそうとするが、まったく動かない。
「だが…所詮、外的要因だ。体の仕組み…神経すらも意識しろ!お前の心が強ければ、呪縛は簡単に解ける」
アルテミアの言葉をきき、僕は心を意識した。
(強く!)
心の強さとはなんだ。
それは、負けないことだ。
(心は負けない)
例え肉体が滅び、能力が圧倒的に上で、殺されたとしても、心が負けなければ…いいんだ。
「うおおお!」
雄叫びとともに、僕の全身に電流が走り、アルテミアの呪縛を跳ね返した。
体が自由になった瞬間、僕は両膝を砂浜に落とした。僕の膝を、波が打った。
アルテミアは僕の前に立ち、少し見下ろした後、ゆっくりと腰を下ろした。
「赤星…」
アルテミアは僕の顔を覗き込み、優しく微笑んだ。
「あたしは、お前の優しさが好きだ」
「アルテミア!?」
アルテミアが口にするはずがない単語を聞いて、僕は驚いた。
アルテミアは気にせずに、微笑んだまま、言葉を続けた。
「戦場で優しい…そんなやつはすぐに、命を落とす。甘過ぎる。お前は、そう言われて来た。だけど、お前は誰よりも優しく…涙を流し、力無き時から、生き残ってきた」
アルテミアは手を伸ばし、僕の頬に触れた。
「死にかけても…その度に強くなり、お前はお前の道を貫いてきた。お前は、強くなった」
「ア、アルテミア」
「お前はお前らしく、強くなれ。優しさは、お前の武器だ」
「…」
「お前がさらに強くなるまで…あたしが、そばにいてやるから…。お前は、その優しさと甘さを捨てるな」
「アルテミア」
僕は、アルテミアが始めてみせる表情に、嬉しさよりも切なさを感じた。
あれ程、強かったアルテミアを守りたく思う自分が悲しかった。
たった独りで戦ってきたアルテミアを、守れるようになりたい。
僕はそう願ってきた。
だけど、アルテミアと同じくらい強くなったのに、まだ僕は、アルテミアに守られている。
こんなに切なく、優しい表情をするようになったアルテミアに、僕はまだ助けられている。
(アルテミア…)
頬に触れているアルテミアの手に、僕の手を重ねた。
そして、アルテミアの手を握った。
「アルテミア…僕は」
口を開いた僕の後ろに、誰かが立った。
「いい雰囲気のところ、すまない」
アルテミアと僕はその声にさっと離れると、信じらないスピードで立ち上がり、互いに背を向けた。
その二人の様子を見ても、別に気にせずに、美奈子は腕を組み、地平線の向こうに視線を移した。
「ここはどこだ?明菜のいる場所からどれくらい離れてるの?」
久々に会ったというのに、挨拶もなく、美奈子はきいてきた。
僕は答えらない。
慌てふためいていると、アルテミアの体が揺らめき、消えた。
「赤星、変われ」
ピアスから、アルテミアの声がした。
僕が頷くと、光を放ちながらアルテミアに変わった。
美奈子は、地平線を見ていたから、光の直撃で目をやられることはなかった。
「結構離れているわ。あなたの能力では、いけないと思うわ」
「…」
美奈子は、地平線を睨んだ。
「テラ…と言われていたけど、あなたの持っていた銃からは、物凄い力を感じたけど、あなたの体からは、力を感じない」
「フッ」
美奈子は笑うと、自分の手の平を見つめ、
「テラの力を、武器に集約したからな。だけど、それで人に戻れたのかは、わからない。それに」
また地平線に目を移し、
「力を捨てなければ、明菜を助けられたのかもしれないし…今、飛んで助けにいけたのかもしれない」
美奈子はぎゅと、拳を握り締めた。悔しそうに、顔をしかめ、
「あたしが、誘わなければ…明菜は、この世界に来ることはなかったのに」
美奈子の苦悩を、そばで見つめながら、アルテミアは疑問を口にした。
「一つ気になっていた。今のあなたには、時空を越える力はなさそうだ。明菜にも…次元刀があったとしても、この世界への道を正確に繋げることは、不可能のはず」
美奈子は、アルテミアに顔を向けた。何とも言えない表情していた。
それは、怒りとも…困惑とも、後悔のようにも見えた。
「リンネだ…。リンネと名乗った魔神が、あたし達を連れてきた」
「リンネ!?」
アルテミアは眉を寄せた。
「そうだ。リンネだ!」
美奈子の口調が強くなる。
「リンネ…。しかし、リンネがどうして二人を?」
アルテミアには、理由がわからなかった。
「赤星。お前が、あたし達を呼んでいると…」
美奈子は、アルテミアを見た。
「僕…?」
黙って話をきいていた僕は、驚いた。
「赤星…変わろう」
今度は、アルテミアから僕に姿が変わった。
「どうして…」
訳がわからない僕を見て、美奈子は自嘲気味に笑った。
「今なら…わかる。それが罠だったとな」
美奈子は再び、地平線の向こうに目をやり、
「この世界に関して、あたし達は、無知過ぎた。魔法が使えるだけでなく、普通に魔物がいて…意識を乗っ取られることもある」
美奈子の瞳に、うっすらと涙が浮かんだが、それは悔し涙だ。認識の甘かった自分自身への。
「あの超能力者の女が、言いやがった。明菜は、我々に近いと…特殊なサイキッカーだと!我らの王の素材にちょうどいいとな!」
美奈子の怒りに呼応したかのように、銃が手の中に現れた。
美奈子は銃を握り締めると、銃口を地平線の向こうに突きだした。
「今は、こんな銃より、飛んでいく力がほしい」
美奈子は銃を、砂浜に叩きつけた。
「美奈子さん…」
僕は唾を飲み込むと、美奈子に近づこうとした。
「今行って、どうするつもりだ?」
ピアスからのアルテミアの声が、僕を止めた。
「アルテミア」
僕は足を止めた。
「今、明菜に会っても、あいつをもとに戻すことは、できない」
アルテミアの言葉に、僕は唖然となった。
「あれは、脳に情報をくわえたとか、暗示をかけたとかのレベルではない。脳に刻まれた皺…記憶そのものが、書き替えられた。まるで、別の脳と入れ替えたようになっていたぞ」
「だったら、どうしたらいい?」
「今はわからない。やつらの仲間から情報を聞き出さないと…。だが、やつらの国にいる人間の数を、脱出しながら探ったのだが…」
アルテミアは、身に感じた違和感を思い出していた。
「ほんの数人を除いて…意識が一つしかないだ。まるで、意識を共用する一つの生物のような…個人を感じなかったんだ」
アルテミアの感じたもの。
それが、アステカ王国が動きだした理由であることと、理解できるのは、まだ先の話である。
「とにかく…今は落ち着いて、作戦を練りましょう」
「わ、わかった」
美奈子は渋々頷いた。
僕だって…今すぐ飛んでいきたいが、明菜を取り戻す方法がわからないし、明菜を乗っ取ったジェーンは、精神攻撃を得意とする。
今すぐに、アステカ王国に行くのを諦めた僕と違い、美奈子は納得できない。
「赤星浩一!あたしを、連れていけ!今すぐに!」
凄む美奈子に、僕は首を横に振った。
「今は、無理です。少し休んで、対策をたててから」
「そんな悠長なことを言ってる場合か」
銃口を僕に向ける美奈子に、僕はあたふたしてしまう。
(ど、どうしょう…)
僕は、美奈子が苦手だった。
どこか、昔のアルテミアに似ていた。
断りにくいが、美奈子に従ったら、アルテミアに怒られる。
(折角、アルテミアが優しいのに…)
僕は両手を上げながらも、何とか断る術を考えていた。




