第140話 ほしいのは、あなた
研究所の廊下を歩くジェーンは、視線の向こうに佇むジャスティンの姿に気付いた。
突き当たりは、広大な倉庫と繋がっており、周囲を囲む手摺りに、ジャスティンはもたれていた。
(ジャスティン)
優しげな目を向けるジャスティンに、ジェーンは駆け寄ろうとした。
しかし、ジャスティンに近付く度に、開けていく視界が、遠くでは見えなかったものを露にした。
「ジャスティン…」
ジャスティンが、視線を向けている人物。
ジェーンは、足を止めた。
ブロンドの髪を束ね、白衣を着た長身の女。
その美しさは、嫉妬すら馬鹿らしい。
(ティアナ・アートウッド)
美貌と強さ…天才的な頭脳を有する勇者。
ジャスティンは、ティアナの話をただ聞いていた。
ジェーンは足を止め、ジャスティン達に背を向けた。そして、来た道を戻っていく。
(あたしには…向けてくれない瞳)
そんな瞳を向けても、ジャスティンが報われることはない。
(ティアナ…)
サイキッカーであるジェーンでも、ジャスティンの心を読むことができない。
それほど、落ち着いており、隙がない。
なのに、ティアナと二人の時は、ジャスティンはほんの少しだが、隙を見せた。
その報われない思いを、切ない心を。
ジェーンには、堪えられなかった。
ジャスティンの悲しい気持ちよりも、それに気付かないティアナに。
(何が勇者よ!何が…最高の戦士よ!)
ジェーンは、勝手に流れた涙さえ気付かずに、廊下を走りだした。
「うん?」
前方の角から、姿を見せたクラークとジェーンはすれ違った。
クラークは涙に気付いたが、興味はなかった。
ただジェーンが走ってきた方を見て、鼻を鳴らした。
その数ヶ月後、ジェーンは研究所内から失踪した。
「ただいま」
挨拶を呟くようにいうと、カレンは家のドアを開けた。
アートウッド家にいた時は小さいながらも、屋敷に住んでいた。しかし、養子にだされた家は、小さな一軒家だった。
狭く感じた家も住み慣れれば、大した違和感もない。
「おかえりなさい。少し遅かったわね」
母親となった女が、二階に上がるカレンの足音に気付き、顔を出した。
もう何年もたつとはいえ、他人である。まだ親子の間は、ぎこちなかった。
一応、父さん母さんと呼んではいるが、その理由は…そう呼んだ時の養父母の嬉しそうな顔が、忘れられないからだ。
育ててもらっているのだから、それくらいは当然。
どこか冷めた子供だったのだろう。それは、今も変わらない。
「ふう」
少し息を吐いた。ここは、少なくとも、少しは息抜きができる場所だった。
それなのに、先程現れたサイキッカーが、カレンには気になった。
(アステカ王国…。伝説の国といわれているが、確かに存在する)
学校の図書館に資料がなかったので、カレンは中央図書館までテレポートした。
そして、一部の関係者しか入れない奥の蔵書まで、忍び込んだ。
カレンのレベルを止めることのできるセキュリティは、存在しない。
コンピューターを狂わせながら、正常にし、監視カメラには夢を見させた。
そこで見た資料によると、サイキッカーとは…精神力を力に変えることのできる人類とあった。
魔力を使わずに、力を発揮できる能力はまさに、理想的である。しかし、その分、脳への負担が激しく、精神の発達に伴い、肉体は一般の人間よりも劣り、身体能力は下がっていく。
脳を酷使している為に、直感力や予知に長けているが…老化は早い。
寿命は、普通の人間の半分と言われている。
その為、一部の王族の中には、精神をダウンロードして生きている者もいるらしい。
「サイキッカーか…」
まだ剣を合わせた訳ではないので、実力はわからなかった。
カレンはベッドに横になった。
ベッドと机以外、何もないシンプルな部屋。
(これさえあればいい)
カレンは、胸の十字架を握り締めた。
「!?」
十字架のペンダントを握り締めていたカレンは、突然の殺気にベッドから起き上がった。
まるで、耳から耳へ、脳を突き破ったような殺気が、辺りを震わしていた。
「な、なんだ…」
その気を感じた瞬間、カレンは窓から飛び出し、隣の家のベランダに足をかけると、大きく空にジャンプした。
その瞬間、前方に広がる町に巨大な火柱が立ち上り、周囲の家屋を一瞬で消滅させた。
火柱の太さは、数キロはあり、やがて…巨大な竜へと姿を変えた。
「きええええ!」
竜は咆哮を上げると、開けた口から無数の竜を吐き出した。
「サラマンダー!?」
カレンはペンダントの中心にある赤い碑石に、手を触れた。
すると、中からピュアハートが召喚され、カレンはそれを握り締めた。
家屋の屋根を飛びながら、カレンはサラマンダーに近づいていく。
しかし、火柱に近付くにつれ、カレンの足は絡まり、ついには屋根から落ちた。
着地できたが、足が震えていた。
「こ、こんな…プレッシャー」
感じたことがなかった。
隣町は、数秒で燃え尽き、ただのすす焼けた野原に変わった。
サラマンダーは、360度に展開し、次の町へと牙を立てた。
カレンの方にも、サラマンダーが向かってきた。
炎の口を開け、近づいてくるサラマンダーを一刀両断しょうとしたが、カレンは斬れなかった。
いや、体が動かなかったのだ。
カレンは、サラマンダーの向こう…火柱の中から、ゆっくりと歩いてくる人物に、目を見張った。
その人物は、メイドのコスプレをした女だった。
猫耳をつけ、両手に鉤爪を装備した女。
にこにこしながら、近づいて来る敵を見て、カレンは生まれて初めての恐怖を感じた。
その恐怖は、カレンの心と動きを奪った。
普通ならば、すぐに死んでいただろう。
しかし、カレンとは逆に、その手に握られたピュアハートは興奮し、刃を震わせた。
カレンは、右腕だけが激しく揺れていることに気付いた。その動きは、あまりにも激しい為、カレンの思考を再び動かすことになった。
(斬れ)
と命じたはずだったカレンの体は、思考とは逆に、後ろへと走りだしていた。
先程カレンの横を通り過ぎたサラマンダーは、カレンの住む町を燃やし尽くしていた。
逃げるカレンは、自分の家が燃えているのを見て、やっと意識が体とシンクロした。
「お母さん!お父さん!」
カレンは、ブラックカードを取り出すと、炎に包まれた家の中に、テレポートした。
すべてが燃え尽きようとしている家の中で、夕食が並んでいたであろうキッチンのそばで、母親と父親は倒れていた。
「お母さん!」
母親を抱き起こすカレンに、炎に包まれている父親が言った。
「なぜ、戻ってきた!早く…逃げろ…」
それが最後の言葉となり、父親は灰と化した。
「可憐……。これを…」
母親は、何かを持っていた。革のケースだ。
「ここに…あなたを導く…道が…」
母親は、ケースを無理矢理カレンに押しつけると、手に隠し持っていた魔法の棒をカレンに向けた。
「あたしの娘…生きて…」
灰になる寸前、母親の手から光が出ると、その光はカレンを包み、強制的にどこかへ飛ばした。
「お母さん!!!」
カレンの絶叫も虚しく、強制的に飛ばされた場所は、町から遠く離れた島――西表島だった。
自然の美しい砂浜に、降り立ったカレンは砂浜に、崩れ落ちた。
サラサラな砂を握り締め、嗚咽のような声を上げて泣き叫ぶカレンを、慰める者はいなかった。
ただ母親に最後に渡されたケースが、押し寄せる波に打たれていた。
「あたしは、また…守れなかった」
ブラックカードを確認し、再び町に戻ろうとしたが、足が震えていた。
両親の死のショックと同じくらいに、先程の魔物の恐怖が、体にこびりついていた。
それを拭おうとするが、すぐには拭えない。
立ち上がろうとして足がもつれ、倒れたカレンの指先に、ケースがあった。
「母さん…」
カレンは、ケースを手にして、引き寄せた。
そして、最後の母親のメッセージを読むこととなる。
カレンが住んでいた都市は、炎の竜の攻撃により、人が建物が、動植物が…差別されることなく、灰と化した。
半径数百キロにおけるすべてのものが、なくなったのだ。
その速さ、約2分。
その2分で、約三十万の人間が死滅した。
遠くの海など、肉眼で見えるほど何もなくなった焼け野原に、一人立つ猫耳の女。
「キャハハハ」
まだ焼けた臭いが漂う土地の上で、女は楽しそうに笑った。
「あんた…やりすぎじゃないの?」
猫耳の女の前に、空中から1人の女が降りてきた。
青い髪を束ねた女は、細身で折れそうなウェストをしているが、その雰囲気は氷のように冷たい。
青い髪の女は、両手に凍り付いた四人の女をまるで紙袋のように、指先で引っ掛けて持っていた。
「灰にしたら…食べれないじゃない」
青い髪の女は、凍り付いた四人の内一人を、猫耳に投げた。
猫耳は、鉤爪で凍り付いた女を串刺しにした。すると、氷が溶け…意識を取り戻した女が痛みの為に、絶叫した。
「フン」
猫耳は、泣き叫ぶ女の首筋に噛み付き、血をすすった。
数秒で干物のようになった女を投げ捨てると、猫耳は青い髪の女を睨み、
「人など腐るほどいる!今は…」
猫耳の背中から、蝙の羽が二枚飛び出した。
「アルテミアを殺すことが、先決だ」
「そうね」
青い髪の女も、持っていた三人を捨てた。凍り付いた三人は、まるで硝子細工のように、地面にぶつかると、粉々に砕けた。
「お父様に、復活したあたし達の力を見せなくちゃならないわ」
青い髪の女も、蝙の羽を広げた。
猫耳の女は、炎の女神ネーナ。
青い髪の女は、水の女神マリー。
二人は空中に浮かび上がり、
「アルテミアの居場所はわかるわ」
「姉妹ですもの」
二人の女神の両目が、赤く光ると…まるで流星のように一瞬で、日本から離れた。
「母さん…」
ケースを開けたカレンは、その中にあった手紙を読んでいた。
その手紙は、最近書かれたものではなく、カレンが養子に来て、程なく書かれていた。
内容は…。
養父母はもともと、アートウッド家に使える魔術師であったこと。
いずれ、別れが来ることを予言していた。
そして、その時が来たとき…会わなければならない人がいると……。
古い文字の下に、最近書かれたメッセージがあった。
(カレン様。あなたのお力が、目覚めてきており、その力を試す為に、奥様からお譲りになられたピュアハートを、使っていることを、私達は知っておりました)
「母さん」
カレンは、手紙を持つ手が震えた。
(だけど…ピュアハートは諸刃の剣。扱い方を間違うと、あなたの身をも滅ぼします。だから、あなたは会わなければならない。ピュアハートを正しく扱うために。あなたを私達に託したお方に…)
手紙の最後には、その人物の名が書かれていた。
「ジャスティン・ゲイ……?」
その名前に、カレンは絶句した。
勿論知っていた。
ホワイトナイツの1人。
おばであるティアナ・アートウッドとともに戦った…伝説の勇者である。
(あなたの持つカードと、あの方の持つカードは、繋がっています。あなたが、この場所に来た時、あの方が迎えに来ます)
手紙を読み終わった瞬間、顔を上げ、振り返ったカレンの目の前に、男が立っていた。
まるで、気配を感じさせることなく。
「君が…カレンか?」
男は、優しくカレンを見つめ、
「最後に会った時は、まだ小さかったのにな」
カレンは、その人物を知っていた。
忘れていた記憶が、甦ってくる。
「封印が解けたかな?君の記憶は、少しいじっていたからね」
男はカレンに手を伸ばし、
「ジャスティン・ゲイだ。よろしく」
握手を求めた。
カレンは、差し出しかけた腕をおさめた。
キッとジャスティンを睨み、
「一つ気になったのだけど、封印って何?」
「ほう」
睨むカレンを、ジャスティンは感心したように頷くと、
「なるほど…封印は解けていないが、自力で力だけは解放してるのか?それは」
カレンの胸に光るペンダントを見つめ、
「ピュアハートのお陰か…。封印まで食らうのか。さすが、超A級のアイテムだけのことはある」
カレンは立ち上がり、スカートについた砂を払った。
「封印って何?」
カレンは、こたえないジャスティンに一歩近づき、プレッシャーを与える。
しかし、ジャスティンはどこ吹く風で、平然としながら、
「思い出さないなら、それがいい」
と言うと、カレンに背を向けた。
「ちょっと!」
カレンは驚き、ジャスティンの後を追おうとする。
「忘れ物だ」
ジャスティンは歩きながら、カレンの方を見ないで、
「あのケースには、アートウッド家の印が入っている」
「え?」
慌てて、カレンは波にさらわれようにしているケースを掴んだ。
手紙を置いていた布を取ると、中には、純白の鎧が入っていた。
「その日本の学生服では、戦えない。きちんとした服が必要だ」
「純白の鎧…」
思い出すのは、ティアナの姿だ。
「奥の小屋で、着替えよう」
ジャスティンは海岸から、真っ暗な森の中に、何の戸惑いもなく、普通に入っていった。
「ちょっと!待ちなさいよ!それよりも、封印って何よ!」
カレンはケースを閉め、取っ手を引っ掴むと、急いでジャスティンの後を追った。
速いと思っていたカレンの瞬歩より、普通に歩くジャスティンの方が速かった。
「どうして?」
人の中では、最強クラスだと自負していたカレンは、ジャスティンに驚いていた。
(上には上がいる)
先程の猫耳の化け物のそうだが、カレンは自分の弱さを実感していた。
養父母の敵を取る為にも、カレンはさらに強くならなければならないと、ひしひしと感じていた。
「え?」
ただジャスティンの後ろをついて歩いていただけなのに、いつのまにか、カレンは島を抜けていた。
反対側の崖まで出てきたカレンは、茂みを抜けて、突然足元がないことに気付いた。
ジャスティンは、空中を歩いていた。
「お、奥って…」
カレンは落ちる前に、ブラックカードを発動させた。
ジャスティンは前を向いたまま、プッと少し吹き出し、
「奥の小屋と言っただけで、島の中とは言ってない」
「あのさあ〜!」
カレンは浮遊魔法を使い、数メートル下は海という空中を歩き、ジャスティンにつかつかと近づこうとした時、いきなり背筋に悪寒が走った。
「な!」
空中で凍り付いたカレンの頭を、ジャスティンが押さえつけ、腕力だけで浮遊魔法を無理矢理破ると、二人はそのまま直角に、海へ落ちた。
ジャスティンは海中に潜ると同時に、ブラックカードを発動させ、二人を包む結界を作り、さらに数キロテレポートした。
ジャスティン達が落ちた場所が一瞬で、凍り付いた。
「あれは…」
カレンは結界の中で、震えながらも、上空を通り過ぎていく2つの影を睨んだ。
「気を放つな」
ジャスティンも上空を見つめながら、
「あいつらには、かなわない」
「あ、あいつらは、一体…」
怒りと憎しみを噛み締めながら、カレンはすぐに通り過ぎた2つの影の後を追った。
「気にも掛けていないか…虫けらなど」
ジャスティンは笑うと、ブラックカードを握り締めた。
「あいつらは…一体…」
2つの影の気を感じなくなっても、震えはカレンからしばらく消えなかった。
「女神だ…」
「女神!?」
思わずカレンの声が、上ずった。
「一体…どこへ…」
「奴らを倒せる者のところさ」
ジャスティンは、肩をすくめ、
「意地だな…。神々のプライド」
「神々のプライド…」
カレンは十字架のペンダントを握り締めると、呼吸を整え、震えを止めた。
そして、心に誓った。
(いつか、神を超える)
と、情けない自分に言い聞かすように。