第12話 陰謀の花
「なぜ!お目通りが、叶わぬ!」
巨大な石の回廊。
まるでトンネルのように長く、先が見えない廊下を…マリーは歩いていた。
「只今、ライ様は…誰にも、会う気はないとのことで、御座いまして…」
マリーの少し後ろで、焦りながら歩く魔物。
背は150センチくらいで、小柄。そして、蛙の顔をしていた。
「あたしは、娘よ。父に会うのになぜ、許しがいる!」
蛙の魔物を振り切って、奥へ進もうとするマリー。
「私が、王に叱られます」
脂汗を流しながら、懇願する蛙。
「知るか!」
マリーの苛立ちが頂点に達した時、前方の地面から、何が滲み出てきた。
それは…すぐに形を成し、巨大な影と化した。
すべての光を、飲み込むブラックホール。それが、人の形をしたもの。
「ラル…」
マリーは苦々しく、その影を睨んだ。
魔王の側近中の側近……光喰いのラルだった。
「今…王は、瞑想中です。例え…女神であろうと、ここを通す訳には、いきません」
ラルの射抜くような視線に、マリーは舌打ちした。
マリーは足を止め、ラルと対峙した。
マリーの額に、汗が滲み…流れた。
手を上げようとするが、ラルのプレッシャーで動けない。
「チッ」
マリーは舌打ちすると、ラルに背を向け、来た方向に戻っていった。
「今回は、退いてあげる」
「マリー様!」
蛙の魔物は、去っていくマリーの背中に、深々と頭を下げた。
ラルも軽く頭を下げるが…無表情で、目だけは鋭く、マリーの背中を見送っていた。
拳を握り締め、屈辱に耐えながら歩くマリー。
何の飾りもない…ただ、真っ直ぐな通路を抜けると、マリーは渡り廊下に出た。
そこだけは、数多くの花が飾られていて、魔王の居城の中では、珍しい場所だった。
アルテミアの母親は、花が好きだった。
彼女が生きている時は、城中に花が溢れていた。
渡り廊下で足を止め、少し物思いにふけっていると、マリーの上空から笑い声が聞こえた。
マリーがまた、軽く舌打ちした。
「この様子じゃ〜無理だったみたいね」
蝙蝠の羽根を広げたネーナが、空から下りてきた。
渡り廊下に下り立つとすぐに、いつものメイド姿に猫耳に変わた。
「今、やつと戦う理由がないわ」
「理由ねえ」
ネーナは、馬鹿にしたような表情で、にやっと笑った。
「フン!」
マリーは腕を組み、軽くネーナを睨んだ。
何と言われようが、ラルは別格だった。
女神と言えど、無傷ではすまない。
「まあ〜あのラルが、相手じゃ〜仕方がないかあ」
さらなる笑みを抑えながら、ネーナは両手を頭の後ろに回し、マリーに背を向けた。
「クッ!」
マリーは限界だった。気高い性格が、これ以上の侮辱を許さなかった。
マリーの手から、鋭い氷柱がネーナの背中を狙った。
「まったく〜」
呆れながら、頭に回していたネーナの腕から鈎爪が伸び、襲い来る氷柱を破壊した。
「これを、ラルにやったらよかったんじゃない?」
くるりと半転し、ネーナはマリーに構えた。
「あんたとは、姉妹といえ!」
マリーは次々に氷柱をつくり、針の束のように、ネーナに投げつけた。
「ライバル同士!」
ネーナの鈎爪が炎を纏い、腕を回転させると、炎の蛇となり、氷柱を噛み砕いた。
「いずれは、どちらかが!」
マリーの手に、氷の細長いサーベルが現れた。
「王になり!どちらかが!」
ネーナは炎の蛇を身に纏い、氷柱を打ち壊すと、マリーへと突進した。
「消滅する!」
鈎爪とサーベルが、激しく火花と、霙を撒き散らした。
渡り廊下に咲く花たちは、燃え…そして、凍った。
「だけど!お父様は!」
「未だに、あの裏切り者を気にしておられる!」
マリーの絶叫が、渡り廊下に木霊した。
「あの家畜とのハーフを!」
マリーの手にあるサーベルは…砕け散り、全身から雪が噴き出したかと思うと、マリーを中心として、吹雪が起こった。
花は…凍りつきながら、空中に舞い上がり、ガラス細工のように、粉々になって消えていく。
渡り廊下も凍りつき…吹雪でまったく、視界が見えなくなった。
「どうしてなのよ!」
マリーの叫びが終わると、吹雪も止んだ。
「まあ〜仕方ないんじゃないの。あいつは、あたし達とは違うんだから」
吹雪が止んだ後…平気な顔で、ネーナが腕を組んで立っていた。
まったく、凍ってもいない。
ネーナは鈎爪で、空気をかくように、一回転した。
あっという間に、氷は溶け、水蒸気が渡り廊下に沸きあがった。
マリーはネーナを睨み、
「あたし達は所詮、あいつの代わりなのよ」
「そうかしら?」
ネーナは、意見が違うらしい。
「あいつは、資格を捨てたのよ」
「フン!信じられるものか」
マリーは、ぐちゃぐちゃになった花壇を、足で踏みつけた。
生えていた花だけでなく、土も凍った。
「だから!必要なのよ!あれが…」
マリーは、凍り付いた土から花を抜き取ると、握り潰した。
ネーナは、肩をすくめて見せた。
「でも…今、どこにあるのか、わからないんでしょ」
マリーは、手のひらをネーナに向け、潰した花を見せた。
眉をひそめたネーナに、マリーはクスッと笑ってみせた。
「最後に持っていたのは、家畜はずよ」
「だけど…アルテミアは、持ってなかったでしょ?持っていたなら…お父様との戦いで、使ったはず」
ネーナは、首を捻った。
「アルテミアは、持っていないわ」
「じゃあ…誰が?」
「それは…わからない」
マリーは、花を投げ捨てた。
「だけど…お父様は、知ってるはず!なぜなら」
ネーナは腕を組み、マリーを上目遣いで見つめた。
マリーは、両手を広げた。
「あれは…お父様の唯一の弱点」
「フッ」
ネーナは、うっすら笑った。
「お父様を殺せる武器…」
マリーは、渡り廊下の鉄の手摺りを、拳で叩き潰した。破片が、地面に落下していく。
渡り廊下の下は、100メートル程の深さがある谷になっていた。破片は、谷底に流れる川に落ち、水飛沫が上がった。
だけど、渡り廊下まで届かない。
「ヴァンパイア・キラー…」
マリーは口調は強く、言葉を絞り出すように言ったが、声は小さかった。
「如何いたしましょうか?」
ラルは、何もない空間に跪いていた。
「ほおっておけ」
球体の部屋。上も下も、右も左も…感覚がない空間に浮かぶ…玉座。
そこに座っているのは、魔王ライであった。
闇の中…表情も、姿もわからない。
佇んでいても、伝わる魔力が…重力のように、この空間に入ったすべての者に、干渉していた。
「しかし…女神達が、探している物は…」
「ヴァンパイア・キラーか?」
ラルの言葉を遮り、ライがうっすら笑いながらこたえた。
ラルは目を見開き、さらに頭を下げた。
「は!その通りで、御座います」
「ククク…」
ライの嬉しそうな笑い声が、聞こえてきた。
思わず顔を上げたラルに、ライはこたえた。
「心配しなくてよい…。今はまだ、ヴァンパイア・キラーは…存在していない」
「存在?」
「あれは…お主らが、思っているようなものではない」
そう言ってから、ライは大笑いをした。
「あやつらでは、ヴァンパイア・キラーを手にすることはできん!ハハハハハ!」
ラルは頭を下げ、ただ深々と跪いた。
「ましてや、今のアルテミアでは、たどり着くこともできぬわ!」
一瞬…暗闇に、ライの赤い眼光が光った。
不気味な程。
ヴァンパイア・キラー。
それは、魔王の王位が変わる時に使われる。
不死の存在である…先代のヴァンパイアを殺し、新たな魔王になる為の王位継承者にのみ、使用することができるもの。
故に、代々その時代の王が、保管しているはずだが…。
「ティアナ…」
ライは、呟いた。
その呟きが聞こえたのか、どうか…。
ラルは今一度、頭を下げると、ライのいる空間から闇と同化するように消えた。
ライは、そっと目を瞑った。
ティアナ…。
ライの妻であり、アルテミアの母。
もうこの世には、いない。
人間である彼女は、アルテミアやサーシャのように、精神だけを別の体に残すことを拒否した。
「人としての生は、短いわ。でも、だからこそ…人は一生懸命に生き、子孫を残すの」
ティアナの腕の中で、幸せそうに眠る赤ん坊。
「俺には、わからんよ」
ライの言葉に、ティアナは微笑んだ。
「あなたも、わかるわ」
ティアナは、ライに近づき、そっと赤ん坊を渡した。
ライの腕の中で、今にも壊れそうな一つの命。
「何と…ひ弱なことか…。これで、生きてゆけるのか?」
ライの素直な疑問に、ティアナはさらに微笑んだ。
「大丈夫よ」
「赤ん坊とは…かくも弱い存在なのか?人はなぜ、このように脆く生まれる。我ら魔族も…あらゆる生き物も、これよりは強い…」
ライは…自らが今、抱いている存在が信じられなかった。
ティアナは、すやすや眠る赤ん坊の頭を、やさしく撫でた。
「それは、人が成長する生き物だから…。心も、体も…」
いい夢でも、見ているのか…赤ん坊は、腕の中で寝返りをうった。
「1人では、生きれないと知り…周りに感謝する。大人になって、赤ん坊に触れて、また大切なことを学び、成長する」
「学び…成長する?」
ライの疑問に、ティアナは苦笑した。
「そうよ」
ティアナは、ライの目をじっと見つめた。
「あなたも今…学んで、成長しているわ」
「俺が…?」
ティアナは、ライに優しく口づけようとした。
その時…赤ん坊が起き、泣き出した。
「どうしたの?アルテミア」
ティアナは口づけを止め、アルテミアをライの腕からゆっくりと離した。優しく抱きしめ…あやしだした。
「アルテミア…」
「アルテミア…」
ライは、目をゆっくり開いた。
今は、ティアナも娘をいない…空間をただ見つめた。