第130話 十字架の刻印
結界の中で、昼と夜しかない空。
雲もない。
そんな空を、人々は三百年見てきた。
そして、ついに運命の日は来た。
雷が、空に走ったのだ。それは、まるで空にヒビが入るかのようだった。
実際には、結界にヒビが入ったのだろう。
それを見た人類は…希望を捨てた。
その時から人々は、子供をつくらなくなった。
「リョウ!」
島の外れにある崖の近くの最先端の村。十字架の岬から、一番離れていた。
さらに奥の崖から、リョウは海を眺めていた。
海は、見えるが…入ることはできない。
海岸線までしか、結界は張っていないのだ。
だから、リョウは近くにいても、海の香りも魚の味も知らなかった。
リョウ・カスバ。
14歳。
ラストチルドレンといわれる…最後の子供達の1人。
彼らは、15歳までは生きられない。
「リョウ!」
結界の向こうを眺めるリョウに、近づいてくる者がいた。
「また…海を見てるの?」
リョウの隣に立ち、海ではなく、リョウの横顔を見つめる少女。
フレア・ピアソラ。
14歳。
リョウの幼なじみであり、リョウとほぼ同じ時間に生まれた。
確か…1分も違わない。
「相変わらずだな」
少し遅れて、相葉俊介がやってきた。
リョウを入れた三人が…ラストチルドレンだった。
希望のない未来に、生まれた子供達。
「な〜んにも、ないのによ…海なんて!それなのに、入ることができないんだぜ」
俊介は崖の端から、下を見下ろした。崖にではなく、張り巡らした結界に波が当たり、跳ね返っているのが、わかった。
「生まれてこの方…魔物なんて、見たことないよな」
吸い込まれそうな感覚を、首を振って振りほどいた俊介は、端から少し離れた。
「そうよね…」
フレアが頷いた。
事実…雷が走ってから、島の人々は、魔物を見たことがなかった。
それまでは、毎日のように、魔物が出現してたらしい。
リョウの母であるサーシャが、語ってくれた。
いつも海を見ると、巨大な黒い影が、数体…島を囲み、じっとこちらを監視するように見ていたと…。
空には、ドラゴンの群れが定期的に、飛んでいるのが…結界の上に、見えたらしい。
しかし、結界にヒビが入った時から、魔物はこの島に近づかなくなった。
ある者は、もう魔物は攻めてこないといい…ある者は、最後の繁栄を味合わせ、さらなる絶望を与える為と言った。
だが…楽天的になれなかったのは、結界が張られて守られているという事実と……減っていく人口だった。
三百年前から、人類は増えてはいなかった。
逆に、半分近くに減っていた。
理由は、この島で生産できる食料の絶対数と、集めれた時の人類の殆んどが、高齢者であったということだろう。
戦えた若い者達は、殺されていたからだ。
「もう夕方になるよ…」
フレアの言葉に、リョウは頷き、海に背を向けた。
(どうして…)
リョウは歩きだす前に、天を見上げた。
(なぜ…海は果てまで見えるのに……空は、見えないだろ…)
空は、結界が太いと言われていた。
何でも、魔王の力は空から降ってくるらしい。
伝説では、夜になると…星というものが、輝いているらしい。
昼は、太陽だけ見えた。
結界が、保護フィルターになっているのか…燃えている惑星を見ることが、できた。
(太陽は、守り神なんじゃよ)
この島で、一番年寄りだった大統領が、学校に講演に来た時、言っていた。
(太陽……)
リョウは、何か心に引っ掛かっていた。それが、なぜ引っ掛かるのかは、わからなかった。
「いくぞ。リョウ」
俊介は、先に歩きだした。
フレアは、リョウが歩きだすのを待っていた。
「早くしないと、夜が来るよ。夜は…危ないよ」
フレアは、足を止めてしまったリョウを少し急かした。
「夜なんて…」
リョウは、イラッとしてしまった。
大体、結界で守られた島に、夜だからといって何があるというのだ。
襲うとしたら、人しかいない。
(いや…襲うかもしれない)
リョウは、考えを改めた。
結界が消えるといわれる期限を、一年切った頃から、島は絶望とともに、ある種の興奮状態にはいっていた。
リョウ達よりも、少し上の二十歳くらいの若者は、魔物と戦うことを決意していた。
剣を練習する者。銃を持つ者。
魔法は使えなかった。
力を貸す聖霊や妖精は、いなかったからだ。
残った科学というものに、すがりついていたが…まったく、鉱物資源がない島にあるのは……島に避難していた人々が、持ってきた鉄屑だけだった。
島は、地下水が湧いたし…大きな湖が中央にあった。そして、三百年前は、殆んどが木々に覆われていた。
それを切り開き、家をつくり、畑を作った。
三百年なんて、あっという間だったのかもしれない。
崖から、五百メートルほど坂を下ると、リョウ達の村に辿り着く。
人口三百人程の村は、この島にある十ヶ所あるコミュニティーの中では、一番小さかった。
村の入口にある広場は、夕飯時だと言うのに、何十人もの若者が剣を持ち、稽古に励んでいた。
その様子を尻目に、三人は広場を通り過ぎていく。
少し前を歩いていた俊介が、速度を緩め、リョウの耳元に囁いた。
「無駄な努力だろ…。こんなくらいで、勝てるなら…こんな島に逃げこまなかっただろ…」
俊介の言うことは、もっともだが……剣を握る人々の気持ちも理解できた。
何もしないで、殺されたくないのだ。
「じゃあ!またな」
俊介の家は、村の入口にあった。
リョウとフレアの家は、一番奥にあった。
村を真っ二つに分ける中央の大通りを、二人は真っすぐに歩いていく。
「じゃあ…おやすみなさい」
フレアの家は、リョウの家の斜め前にあった。
家の中に入るまで、見送ったリョウは、自分の家に向かった。
木製のドアを開けると、すぐに母の笑顔が迎えてくれた。
「おかえりなさい」
エメラルドグリーンの髪を束ね、食事の準備をしているサーシャは、リョウに微笑んだ。
「おかえり」
サーシャの向こうから、父親の声がした。
木製のテーブルに、木製のシンプルな椅子。父親は、再生紙でできた新聞を広げ、何の飾りもない椅子の上に、座っていた。
「ただいま…」
リョウは、少し驚いた。
今日は、やけに父親の帰りが早かったからだ。
人類生存計画に携わっている父親は、ここ数年…毎日帰りが遅かった。
こんなに早く家にいるのは、初めてかもしれない。
父親の名は、ロバート。
知的で、落ち着いた雰囲気を醸し出すロバートを、リョウは好きだった。
周りの冷めた大人や、苛立つ大人達が多い中…父ロバートの落ち着きは、どこか安心させた。
(もしかしたら…政府は、生き残れる秘術でもあるのではないのか?)
そんな希望を抱かせるくらい…ロバートは落ち着いていた。
「……」
挨拶の後、無言で父の前に座ったリョウ。
ロバートは新聞を折り畳むと、まっすぐにリョウの顔を見つめた。
「今日…早く帰ってきたのは…理由がある」
俯いて、テーブルに並べられた食器をただ…ぼおっと見ていたリョウは、突然の父の話にびくっと驚き、顔を上げた。
真剣に、リョウを見つめるロバートの視線は、突き刺さるのではないかと思う程、リョウを射ぬいていた。
息子を見る目じゃない。
とっさにそう感じたが、その感覚を掘り下げる間は、なかった。
すぐに、父は衝撃的な事実を述べたからだ。
「もう…管理局に行かなくてよくなったよ……。人類生存計画は、なくなったからね」
「え」
リョウは目を見開いて、父を見た。
ロバートは少し…深呼吸をすると、リョウに向かって話を続けた。
「どうやっても…生き残る術はない。新たな結界を張る研究もされていたが…魔神クラスの攻撃には、一撃と保たない。逃げる場所も…ない」
ロバートの話は、絶望的だった。
リョウの後ろでは、サーシャが包丁で、野菜を切っていた。
まな板に、リズムよい音が家に響いていた。
しばらく、二人の間に無言が続く。
「我々…人類には、戦う力も…守る力も…ない。ただ…運命の日に、すべてを委ねるしかない」
そう言った…自分の言葉に、肩を落としたロバート。
「そんなことはないよ!」
リョウは思わず、テーブルを叩いて立ち上がった。
少し興奮気味に、リョウは言葉を吐き出した。
「人間は負けないよ!!大昔は、勇者とかがいて、剣一つで、魔王の城に攻め込んだ人だっているんでしょ?」
「ホワイトナイツか…」
「そんな人達がまた、現れて…」
「無理だ!」
リョウの話の途中で、ロバートは遮った。リョウを睨むように見ると、
「昔は…人々は、何年も何年も魔物と戦い!修行をし、経験を重ねて…勇者になったのだ!今のこの島に、魔物と戦った経験のある者など、いない!」
ロバートの言葉に、凍り付くリョウ。
「じゃあ……どうしたらいいの?父さん…。僕達は、殺されるの?」
ロバートは顔を背けて、震える声で言った。
「魔物に殺されるか……その前に、自決するか……」
「いやだよ!そんなの!僕は、そんなの絶対嫌だよ!」
リョウは叫んだ。
「リョウ…」
ロバートの目に、涙が浮かんでいた。
「みんな…死ぬなんて、嫌だよ!父さんや母さん…フレアや、俊介……みんな、死ぬなんて、絶対嫌だ!」
「父さんも、みんなを助けたかったんだ…」
ロバートは震えながら、言葉を絞りだした。
「だったら…どうして、僕を産んだよ!ラストチルドレンって、影で言われ……死ぬ為に、生まれてきたみたいじゃないか!!」
リョウの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。14年間、生きて来た…思いが、爆発していた。
ラストチルドレン…。最後に産まれた子供。自分達の下の子供はいない。
年上ばかりで…みんな生気がなくて、リョウ達を見るだけで、泣く者もいた。
見知らぬおばあさんが、すがりつき…泣いた。
寿命で、死んでいくおじいさんが、リョウ達を見て…拝みながら、息を引き取っていった。
(僕らは何なんだ!ただ…滅んでいくしかない…人間の象徴なのか!)
だから、リョウは人がいるところが、嫌だった。
哀れみ…泣くだけの象徴なら…僕らなんていらない。
誰もいないところで、人がいない場所を見てる方が、よかった。
結界を飛び出したら…少しは自由になり…死さえ、自分で選べたことになるのだろうか。
「僕は、こんな運命なんか嫌だ!この島から、出たい!無理かもしれないけど…戦って、勇者になって…魔王を倒したい!」
非力で、弱々しい体だけど、せめて…戦いたかった。
勇気だけでも持って。
「僕は、勇者になりたい!」
リョウのその願いを聞いて、台所にいたサーシャは、嬉しそうに頷いた。
それは、リョウの前にいるロバートも、そうだった。
ロバートは息子の願いに、黙って座ると、目をつぶり…腕を組んだ。
しばらくして、目を開けると、
「リョウ…座りなさい」
リョウの顔を見据えた。
先程とは違い…あまりにも澄んだその瞳に、リョウはただ頷き、椅子に座った。
ロバートはリョウを、優しく見つめながら、
「十字架の刻印…の昔話を知ってるね」
リョウが頷いたのを確認して、ロバートはきいた。
「だったら…お前は、天空の女神の名前を覚えているか?」
ロバートは、リョウの瞳の奥を覗くように、少し顔を近付けた。
リョウは思わず、身を反らし、
「あの話には、天空の女神としか…書かれていないよ…。名前なんて…知らないよ」
リョウの言葉に、ロバートは肩を落とし、椅子に座りなおすと、ため息をついた。
「女神には…名前があった。しかし……それは、なぜか…失われている…」
ロバートは再び、リョウを見ると、
「それだけではない。もっと大切な…もっと大切なことを…我々は、忘れている」
リョウには、ロバートが自分を見つめながら、なぜか…遠くの方を見つめているように思えた。
「私達は、長年の研究で…先祖が残してくれた記録から…一つのキーワードを見つけることが、できた…」
「キーワード?」
ロバートは頷き、
「それは…バンパイアキラー」
「バンパイアキラー…」
「そうだ!それは、魔王を倒すことができる…唯一の武器らしい…」
「それは、どこにあるの!」
興奮して、立ち上がったリョウに、ロバートは微笑みながら、首を横に振った。
「わからん…」
その答えに、リョウは崩れるように、椅子に座った。
「なあんだ…」
やっと見つけた希望だったのに…。その希望は、すぐになくなった。
残念そうに落ち込むリョウに、ロバートは咳払いをすると、少しの希望を与えた。
「アテはある…。多分だが…いや、もしかしたら……だが」
ロバートの言葉に、リョウは息を飲んだ。
「岬に突き刺さっている…女神の剣だ…」
「女神の剣!?」
それは、天空の女神がこの島に、結界を張るときに、始点として突き刺したといわれる剣だった。
十字架のような形をした…その剣は、三百年の時を経ても新品のようで、まるで墓碑のように突き刺さっていた。
「だけど…剣を抜いたら…結界が消えちゃうんじゃないの?」
リョウのもっともな意見を、ロバートは首を横に振って、否定した。
「管理局が調べたところ…あれから、結界が発生していないことが、わかっている」
「え」
「あの剣を突き刺した瞬間、女神は消滅したという…それは、まるで…誰かに剣を託すようだったと…述べる者もいる」
「誰か…見てたの?女神の最後を」
ロバートは頷き、
「剣の防人がな…」
「防人…?」
リョウは、きいたことがなかった。
「いるんだよ。岬の近くに、剣を三百年守ってる家系が…」
リョウは息を飲み、
「だったら…その人達が言ってたんだね!剣が、バンパイアキラーだって!」
「いや…」
ロバートは即座に、否定した。
「だったら…誰が!」
「確かめられないんだよ…。剣が抜けないから…」
ロバートはため息をつき、
「どんな力自慢も…機械を使っても抜けないんだよ。大して、深く刺さってる訳でもないのに…」
ロバートは、頭を抱えた。
「どうしてなの?」
「科学的には、あり得ない。異常な魔力が、守っているとしか思えない…」
「だったら…どうした、抜けるんだよ!」
困ったような顔をするリョウを、ロバートはちらっと見ると、口元を緩めた。勿論…リョウにはわからないように。
「防人のいうことには…剣は待ってるらしい…。自分を抜ける…勇者を」
「勇者……」
リョウは無意識に、ロバートの言葉を反復した。
勇者。
その言葉が、リョウを決意させることになる。
旅立ちの日は、近い。