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第122話 脆く

「どうされました?」


梓達が乗っている一般車両とは違う…豪華な客室で、1人腰掛けている少女。その真横の通路で、跪いていた男は、顔を上げた。


少し驚いた目を、主である少女に向けてしまった。理由は、簡単だった。


少女が、笑っていたからだ。


口に手を当てながら、クスクス笑う少女のあどけなさに、男は見惚れている自分に気付き、慌てて顔を逸らした。


「別に…大したことじゃないから…」


腰まである長い黒髪が揺れた。少女が少し落ちてきた前髪をかきあげると、利発そうなおでこが姿を見せた。そして徐に今度は、口元を緩めた。


「ただ…あまりにも、呑気だから…」


少女の瞳に、赤い陰が落ちる。


「それは…仕方ないかと…」


男が何か言おうとしたのを、少女はかきあげていた手で制した。


少女の人差し指が、男の口をふさいだ。


「誰が…聞いてるか。わからん」


少女の射すような視線に、男は口を閉じた。


「やつらは…13年前の爆弾で、死んだと思ってるからな」


少女は、座席に座りなおすと、大きくもたれかかった。


「あの爆弾には、大きな3つの意味があった」


少女は自分の言葉に、一度鼻を鳴らすと、目を細めた。


「一つは大義名分の…戦争を終わらすこと…。そして、終わらせない為。二つ目は、明らかな実験。白人ではない日本人を使った人体実験。これには、少なからず人種差別がある」


電車はまた…トンネルに入った。反射的に、窓を見た少女は、自らの広いおでこをちらっと確認した。


「最後は……多分、落とした者達も、気付いてないが…日本人…いや、八百万の神…つまり、あたし達をあぶりだし…殺す目的。そして、あの土地に、生まれたであろう…あの方を、目覚める前に、抹殺する為」


男は黙って、少女の話を聞いている。


「しかし!やつらは、確証が取れていなかった!本当に…殺せたのどうかもな。それに、その土地である…確信もなかった」


少女は、フンと鼻を鳴らすと、座席に座りなおし、


「だから…第二候補の土地にも、落とした…」


また窓に視線を移した。


目の前には…ただ海が、広がっていた。


「しかし……あれほどの人間を殺すとは…」


男は、ぼそっと呟いた。


「それも人だ。窃盗…詐欺…殺人……その程度で、恐ろしい世界だといいながら…戦争は、殺した方より、殺されたものが悪いのさ。負ける者がな」


少女は、席を立つと、ちらりと、跪く男を見下ろした。


「お前は……我らの力を使ったら、戦争に勝てたと思っていたのか?」


少女の質問に、男は微動だに動かずに、こたえることはない。


「ナチスは…それを期待していたがな…」


少女は、男の横を擦り抜けていく。


「金髪碧眼のアリーア人種は、神から送られた賜物…だから、優等な白人が、有色人種を支配しなければならない。その思想をもつナチスが、なぜ日本人と組んだのか?」


少女はにやりと笑い、


「それは、神がここにいたからだ!いずれ…優れた者だけの遺伝子を、人工授精によって…超人をつくる?……アハハハ!」


程無くして、大笑いした。


「超人?人を超えたもの?…それは、我々のことか?愚かな!」


少女の細長い眉が、跳ね上がった。少女は、座席の間の通路を歩きだす。


「しかし…」


途中で、足を止め、


「一番愚かなのは…日本人だ。我々は、気付かなかった。ナチスの思想に、一番感銘し…つながっていたのは、アメリカだった」


少女は振り返り、跪く男の横顔を見た。


「つまり…この国に、味方などいなかったのさ」


男は、顔を少女に向けた。


二つの視線が絡み合い…数秒後、男はおもむろに、口を開いた。


「…で、どちらに行かれるのですか?」


男の言葉に、少女は拍子抜けし、思わず大声を張り上げた。


「トイレだ!」


「しかし……それでも、やめることは、できなかった」


男は、少女がトイレにいったことを確認すると…少しため息をついた。


結局…あの戦争は、仕掛けてはいけなかった。


いや…仕方なかったのだろうか…。


人ではない力を持つ者達は、人として、戦いに参加した。


確かに、レーザーなどない時代は、彼らの五感の鋭さを利用し、零戦などの目視戦闘や、ジャングルなどの視界の悪い場所では、活躍できた。


だが…人は恐ろしかった。


すぐさま…それらに対抗する兵器を作り出したのだ。


(人は、戦争の中で進化するのか?)


たった数年の戦争で、人は確かに進化した。


戦後…世界を豊かにした技術のすべてが、戦争の恩恵により、生まれ出たものだ。


「くだらんな…」


いつのまにか、座席に座っていた少女に、男はまた頭を下げた。


別に驚いてもいない。


少女は足を組み、少しツンとした顔を、男に向けた。


男はまた、頭を下げた。


「おかえりなさいませ…(サトリ)様」


悟響子は有無と頷くと、男の顔を真っ直ぐに見据えた。


「そんな進化など…何も生み出さない。作っても、壊すだけだ…」 


響子の能力は、人の心を読むことができた。


「生活に身につかない進化など…」


響子は、右手を突き出し、指で銃の形をつくると、男の額に当てた。


性眼(さがめ)…貴様は、人になりすぎている。そんなつまらんものは、普段はいらないはずだ…。人は、外敵を排除し、食物連鎖の頂点に立ったのだからな」


響子はフッと笑うと、指を二席向こうの電球に向けた。


破裂音とともに、電球は砕け散った。


「されど…悟様」


何か言おうとする性眼に、響子はまた指先を向けた。


「だが、武器を売り…それで、生きている者がいる!そいつらは、武器を作り…さらに売る為に、戦争を起こす」


響子は、にこっと笑った。


「ある意味…共食いだ…」


「悟様…」


響子は、指の形を解いた。


そして、座席にもたれながら、天井を見た。


「お前の言いたいことは、わかっている。我々がいるというのだろ?」


響子は首を上に向けながら、目だけで性眼を見た。


性眼は、また頭を下げた。


「我々は…人類の敵とは、判断されていない」


響子は、きっぱりと言い切った。そして、天井を睨んだ。


「なぜなら、我々を認知してしまうと、自分達の立場が悪くなるからな………!?」


響子ははっとして、電車の窓を開けた。


そして、顔を出すと、空を見た。


「気のせいか…」


空には、雲しかなかった。


響子は顔を引っ込め、窓を閉めた。


「一瞬…殺気を感じたのだが……やつらの…」


響子は、座席に座りなおすと、何気に額を拭った。


「!?」


汗をびっしょりとかいていた。


響子は、汗のついた手を見ながら、わなわなと震え出した。


「や、やはりいた…」


目を見開き、少し怯えているように見える響子の様子に気付いた性眼は、立ち上がった。


「待て!性眼!」


全身から、異様な気を発しだした性眼を、響子が制した。


「やつは、もういない」


響子は深呼吸すると、全身の緊張を取り去っていく。


「それに…気付いていたならば、こちらが攻撃を受けたはずだ」


冷静になった響子は、口元を緩めた。


「やつらは、対象をわかっていない!しかし」


響子は、気になっていた。


そいつが向かった方角は、響子が乗る電車と同じである。


(やつらの中にいる…予知能力者が気付いたか?)


響子は、下唇を噛み締めた。


「悟様…」


立ち上がりながら、指示を待つ性眼に、響子は目を閉じた。


「心配するな。やつらは、もうあの爆弾を使わない。一度に殺すより…じわじわと通常兵器を使った方が…儲かるからな」





昭和20年8月15日…日本の降伏より、六年後の昭和26年9月8日サンフランシスコ講和条約が調印された。…条約発効の翌年…昭和27年4月28日に、日本は占領から解放された。


その間にあった朝鮮戦争(昭和25年6月25日より昭和28年7月27日)により、日本は国連軍の補給基地とより、その戦争による特需によって、敗戦から復興する力を得たのだ。


有名な話がある。トラックなどの車が塗装もせずに、羽が生えた鳥みたいに、アメリカ軍に飛んでいき、中国も値段など関係なく、よこせ、よこせと催促していたと…。


兵器ではないが…日本は、戦争している両陣営から、儲けていたのだ。


梓達が旅立った時代は、高度経済成長に向けて、日本が…東洋の奇跡といわれた時期に突入する前夜祭のような時期だった。


そんな時代……それは、日本が日本でなくなる時代ともいわれた。






「雨か……」


ヒトヒトと降りしきる雨を、店の窓から眺めていた男は、ふうと息を吐いた。


いきなり、客足が途切れたと思ったら…雨だなんて。


男は、またため息をついた。


店をこの地に移転してから、十数年が経った。


じっと、窓に当たる雨を見つめてしまう。


昔は別に…雨だからといって、気分を害することはなかったが……。


あの日…窓に流れる黒い液体……そう黒い雨を見た時から、男は雨が嫌いになっていた。


(この汚れた世界では……雨は、汚れ過ぎている)


空の涙なんてものではない。空の排出物である。


「そうだな…。雨の中では、歩かない方がいい」


男は、雨の日にお客が入らなくても、仕方ないがないと思っていた。


(雨は…体に悪いからな)



「ありゃあ〜雨か…」


窓側の席に座っていたお客が、外を眺めていた。


「でも…大して降ってないし…濡れてもいいかな」


席を立ち、出ていこうとするお客は、傘を持っていなかった。


「まあ〜いいか」


お金を渡し、扉に手をかけたお客に、


「どうぞ」


後ろから、傘が差し出された。


「体に…悪いですから」


にこっと笑う男に、お客は傘を受け取りながら、言った。


「やさしいねえ〜マスターは…」


傘を差し、出ていくお客を見送ったマスターは、誰もいなくなった店内に入ったはずだった。


「え」


少し素っ頓狂な声を上げた後、すぐにマスターは笑顔になり、


「いらっしゃいませ」


と頭を下げた。


どこから入ったか…わからない学生服の男の子が、立っていた。


「俺を見ても驚かないとは…。あんた…やはり、人間じゃないな。魔か?」


六席のカウンター。四人掛けのテーブル席が、二つ。


決して広いとはいえない店内の真ん中に、空牙は立っていた。


「魔……?それは、どういう意味でしょうか…」


マスターは、空牙の横を通ると、カウンターの席を引き、座るように促した。


「フン」


空牙は鼻を鳴らすと、カウンター席に座った。


マスターは、カウンター内に入り、


「ご注文は?」


空牙に訊いた。


空牙はカウンターで、右腕を置くと、


「コーヒーを。多分、それが…この店の売りだろ?」


カウンター内は、少し高くなっているのか…さっきより大きく見えるマスターを見上げ、微笑んだ。


「なぜなら、一番匂いがいい…」


「ほお〜それはそれは…ありがとうございます」


マスターは、軽く頭を下げた。


コーヒーを入れる用意をしだすマスターに、空牙は言葉を続けた。


「だから…わかるんだ」


空牙は、口元に笑みを浮かべながら、マスターの瞳の奥を覗いた。


「この世界の魔は、人と交ざり合ってるからなのか…あまり匂いがしない。だけど…あんたからは、周りよりも強い匂いを感じた…」


「そうですか…」


マスターは、コーヒーを入れることに集中していたからか…空牙の視線をまともに、見ていなかった。


コーヒーを入れ終え、空牙の前に置く時、マスターはその視線の鋭さに気付き、思わず動けなくなった。


「あなたは……」


マスターは、絶句した。


空牙から漂う雰囲気に、マスターは、今まで会ったどんな者よりも、圧倒的な力を感じた。


「あなたは…何者ですか?」


空牙は、前に置かれたカップを手に取った。


匂いを楽しむと、ゆっくりとコーヒーを飲む。


そして、空牙はマスターに微笑んだ。


「俺は…バンパイアだ」


「バンパイア……?」


マスターは、カウンターの向こうの空牙をじっと見つめた。


「そう…」


空牙はもう一口飲むと、一気に飲み干し、


「この世界では…吸血鬼と言った方がいいのかな?」


空になったカップを、マスターに差し出した。


マスターは、そのカップを受け取りながら、空牙を凝視した。


「……だとしましたら…時間がおかしいのでは?それとも…雨が降ってるからですかね…」


マスターはカップを置くと、新しいカップにコーヒーを注いだ。


空牙はフッと笑い、 


「そうか…。この世界のバンパイアは、日光が苦手だったな…」


前に出されたコーヒーを見つめた。


「真の闇は…日光に照らされても消えることは…ないさ」


空牙は、照明に照らされても、消えない黒い液体を見つめながら、カップを口に近付けた。


「味を…変えたか……」


空牙は、少し驚いた。旨くなっている。


「このようなお味の方が…お好みだと思いまして…」


マスターは、先程のカップを洗いながら、こたえた。


空牙は一口だけ飲むと、カウンターに置き……ゆっくりと顔を上げ、マスターの顔を見た。


「あんたは、人間じゃないな?魔……この国の言葉でいうなら、鬼か…妖怪か…」


マスターは、カップを拭きながら、


「我々は…人と違って、個々の身体的特徴は違います故に…どの言葉が、適切なのかはわかりませんが…鬼では、ありませんね」


空牙の顔を見据え、ゆっくりと微笑んだ。


「鬼とは…もと人だった者。人が変化した者ですから」 


マスターの言葉に、空牙は笑った。


「だが…ここ最近、会った人間の中には、変化する者がいたが……あれは、鬼になるというより、目覚めたという感じだったが…」


「あなた…様は…」


マスターは、空牙をじっと見つめた。


空牙は、軽く肩をすくめると、


「まあ……どちらでもいいがな…」


ゆっくりと、カウンターから立ち上がり、マスターに顔を近付けた。


「ああ…」


マスターの全身が、震えた。持っていたカップが落ちた。


「俺の質問にだけ…こたえろ」


空牙の瞳が赤く光った。


「はい…」


マスターは、素直に頷いた。





「おい!コーヒーをくれ」


「……」


「おい!聞いてるのか!!」


イラついたように、カウンターを叩いた響子の怒気に、マスターは、我に返った。


「な…何!?」


意識を取り戻したマスターは、キョロキョロとカウンター席を確認した。


「どうした?」


カウンターには、響子しかいない。


その後ろに、性眼が立っていた。


「悟り…?……か」


マスターは意識を取り戻し、店内に目を走らせた。


彼女達以外いない。


「馬鹿な…」


夢でも見たのかと…マスターは思った。


ちらっと確認した外は、カンカンに晴れていた。


「雨……は…」


マスターの言葉に、カウンターを指先で叩きながら、響子は首を傾げた。


「雨……?我々は、数時間前に着いたが…雨など降っていなかったぞ」


「馬鹿な…」


マスターはカウンターから出て、扉を開けて、外に出た。


周りの家屋や、道路を見ても、雨が降っていた形跡がない。


「あっ!マスター」


店前で立ちすくむマスターに、さっき傘を渡したお客が、走り寄ってきた。


「昨日は、ありがとうございました。助かりました」


お客は、マスターに傘を差し出した。


「昨日……」


マスターは傘を受け取りながら、呟いた。


お客は、笑顔をマスターに向け、


「今日は、ちょっと…店に寄れないので…また来ます」


頭を下げると、そのまま来た道を走り去っていった。


マスターは、お客の背中を見送った後…店内に戻った。


傘をぼおっと見つめるマスターに、響子が言った。


「どうした?狐につままれたような顔をして」


と言った後、響子は苦笑した。


「それは可笑しいか?かつて、妖怪の王といわれた…お前がな」


響子の嘲りに、マスターは肩で軽く笑うと、


「昔のことだ…。今は、しがない喫茶店の店主だ」


カウンター内に、戻った。


すると、カウンターの下に、割れたカップが転がっていた。


マスターはしゃがむと、割れたカップの破片を掴んだ。


(我から…1日も、意識を奪うとは……一体、何者だ?)


マスターの脳裏に、空牙の姿が浮かび上がった。


「まあ…いい…。狼王(ロウオウ)よ」


響子は、カウンター内に戻ったマスターに、話しかけた。


「狼王…昔の名だ…。今は、犬塚でいい」


マスターは、割れたグラスをゴミ箱に捨てると、自嘲気味に笑った。


それを聞き、響子は腹をかかけて、笑った。


「狼が、犬になったか!ハハハハ」


「そうかもしれんな…。牙を、立てることもなくなった…」


マスターは、コーヒーを入れると、響子の前に出した。


性眼は、丁重に断った。


響子は、コーヒーを飲むと、


「そうだな…。狼が、こんな美味いコーヒーを入れれる訳がないか」


その言葉に、マスターはフッと笑った。


「…いい意味で、とらえておくよ」


しばらく、コーヒーを楽しむ響子と、マスターの間に、無言の時間が流れた。


響子は、空になったカップをカウンターに置くと、おもむろに口を開いた。


「我々を…統括する王。我々の神が、やつらに狙われている」


「神……?」


マスターは訝しげに、響子を見つめ、


「今の状況で、目醒めるはずがあるまいて…」


「そう。ここ百年は、神は目醒めていないわ。我々が、人と交ざると決めてから…」


響子は目を細め…物思いに入った。


マスターは、性眼が飲まなかったコーヒーを口に運んだ。


「そうか……もうそんなに経ったのか…」


クスッと笑った響子の前にも、新しいコーヒーが出された。


「我ら…二人以外にはいない。人と交ざらずに、純粋な体を守っているのは」


「お前の場合は、その能力を残す為……。我は、単なるきまぐれだ…」


マスターは、自分の入れたコーヒーの味を確かめながら、飲み干していく。


「仕方あるまい…。我の能力…心を読むは、最初は皆憧れるが……最後は、いつも精神が崩壊してしまう」


「心の中など…覗くものではない」


マスターは、カップを流し台に入れた。


響子は、カップを置くと、


「話がそれたな…戻すぞ…。神もきまぐれだ。なぜかこのタイミングで、神はこの世界に、降りられたのだ」


マスターをじっと見つめた。


「まるで…この世界を変えろとでも…いいたいように…」


響子の言葉に、マスターは苦笑した。


「この国は、つい最近…壊れたばかりだ」


「人と交ざった我らの仲間も…ほとんどが死んだ」


響子は、唇を噛み締めた。


日本にいた魔は、人とともに生きることを決めた。


彼らは、人に化けるのではなく…一度、人の腹に入り…再び生まれることで、人の肉体を得たのだ。


転生とは少し違ったが、彼らは、人から生まれることにより、人の社会で生きていく覚悟を決めた。


だが…交わることのできない種もいた…。彼らは、人里を離れた。


交わることのできた者にも、誤算はあった。


生まれた子供に、そのまま記憶や能力をトレースしょうとしたが……人の心は、予想外だった。


大部分の魔は、人の心の奥底に、自らのすべてを封印されることとなった。


人は、赤ん坊だった頃の記憶をほとんど持つことはない。


赤ん坊の頃…何を考えていたのか…伝えたり、残すことはできない。


こうして、魔は…消えていた。人の心の奥に。


それを引き出すことができたのが、響子であった。


響子が、伯爵として…戦前君臨できたのは、その能力故だった。


さらに、響子は自らの眷属が産んだ赤ん坊に、取り憑くことができた。


今の体も、自分のオリジナルではない。


「その神を…奴らが狙っている?なぜだ?」


マスターは、響子にきいた。


「やつらは…中途半端だからよ」


響子は、マスターから視線を外し、カウンターの上で片膝をつき、頭を支えながら、


「食物連鎖の頂点に立つ人間を、捕食する立場にいながら…活動する時間が限られている」


マスターは眉をひそめた。今の言葉…似たような話をしたような気がしていた。


響子は、マスターの様子に気付かずに、言葉を続けた。


「やつらは…我らの神の力を奪うことで…活動時間を増やすことができる…」


「バンパイア……か」


マスターは、思い出した。


空牙の不敵な笑みとともに…。


「そう…バンパイア。人類と同じ姿をしながら…人ではない者…。いや、もしかしたら、最初の神が模したのは、人間でなく…バンパイアかもしれない」


「もしくは…人が、神を模した創られたならば…神とは、バンパイア自身かもしれない」


響子の言葉の後に、続けたマスターの言葉に、響子は苦笑した。


「狼王よ…。日光の下に立てない神などいるのか?」


「だから…彼らもまた…完璧ではない。世界に溢れる神の多さを知れば知る程…神は、真の意味ではいないのでは、ないかと思うよ」


「なるほど…絶対的な神なら、1人で構わないと…」


響子は頷きながら、カウンターから立ち上がった。


そして、マスターの顔をじっと見つめると…、


「お前の心は、読めないが……考えてることはわかる」


響子は、マスターに背を向けた。


「我らだけで、何とかしょう…。邪魔したな」


響子が歩き出すと、性眼が前に出て、カウンターにコーヒー代を置いた。


木造の扉を開けて、去っていく響子を見つめながら、マスターは少し目をつぶった。


(この国の平和を願ってきた。この国の人々の安全を……しかし……)


マスターは目を開け、


「私の愛した人達は、帰ってこなかった」


扉の上の柱に貼られた…数多くの写真を見つめた。


皆が笑い、店の前で…帰還後のコーヒーを飲みに来ることを約束し…戦地に向かった。


それから十年以上…誰も帰って来なかった。


若者が死に絶え…生き残った年寄りと、生きる為にアメリカに媚びてきた者達が教える社会に……日本はなかった。


マスターの瞳から、一筋の涙が流れた。


「我は今……彼の地にいるのか?」





今日は、お客が来そうにない。


マスターは、店を閉めることにした。


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