第121話 儚く
「人の命は…儚いです。我らの命に比べましたら…その短さは、一瞬…」
命ある…と感じられるものがない…無機質の城。
その城の最北部にある牢獄のような…四角い浮遊する物体の中に、空牙とカイオウはいた。
物体の中から、唯一外を見れる丸い窓から、空牙は外を眺めていた。
魔界といわれる世界……。何もない世界。
空気は棲んでいたが…王であるレイが、生きているものを否定していた為…砂と岩しかない。
草木を生やすことを、禁じていた。
「生とは、奪うものである!我以外に、生はなく…我以外に生きる価値なし!我以外の者は、我の為に、消費される物である!」
レイの言葉は、絶対だった。
「ならば!」
空牙は、カイオウを見た。
カイオウはすぐに、頭を下げた。
そんなカイオウを見下ろしながら、
「ならば…なぜ、人を生かしている……」
空牙の言葉に、カイオウはこたえる。
「恐れながら…申し上げます。我ら…魔とは違い…人には、絶望があります」
「絶望……?」
空牙は、眉をひそめた。
「はい」
カイオウはゆっくりと、頭を上げ、
「絶望…。それは、無力…つまり、弱さの果てにあります。王は、人の絶望こそ…最高の味だと申しております」
カイオウは、目を細め、
「生きたいのに…生きれない。その殺那の絶望こそ、美味だと…」
レイにとって…人はそれぞれ違う味が楽しめる…食料でしかない。
「ならば!」
空牙は、カイオウを睨んだ。
「この世界の人間で、いいだろう!わざわざ…別の世界に行かなくても!」
「そ、それは…」
カイオウは言葉なく…その場で跪いた。
「あの世界には…特別な人間がいるからよ…」
突然、カイオウの後ろに、1人の女がテレポートしてきた。
「フン」
空牙は、その女を見て鼻を鳴らすと、視線をそらした。
「こ、これは…これは…」
カイオウは跪きながら、後方に移動した。
死の女神…デティーテェ。
レイの作り出した…最強の女神だった。
デティーテェは口元に冷笑を浮かべながら、空牙に近づくと、顔を背けていた空牙の顎に手をかけ、無理矢理自分の方に向かせた。
「なんて態度なのかしら?魔王レイの娘にして…跡取り。そして、一応あんたの姉であるあたしに対して…何?」
空牙は、デティーテェを見ない。
デティーテェはそんな空牙に、顔をしかめると、顎から手を離し、突き放した。
少しふらついた空牙は…思わず、デティーテェを睨んだ。
デティーテェは冷笑から、嘲りに表情を変えた。
「やる気?この家畜臭い…くそガキが!」
デティーテェの目が赤く光り、空牙を射ぬく。
しかし、空牙は体勢を整えると、微動だにせず…デティーテェの瞳を見る。
その瞬間、デティーテェは後退った。
「な!」
絶句するデティーテェの姿が変わろうとした時、立ち上がったカイオウが素早く、間に割って入った。
「…で、デティーテェ様は…何用で?」
カイオウはじっと、デティーテェの目を見た。
「く…くっ!」
デティーテェは顔を背けると、カイオウと空牙に背を向けた。
「お、王からの…ご命令よ…」
デティーテェは、肩を震わせながら、
「もう一度…あの世界に行けと!そして…ある人間を連れて来いと」
「ある人間?」
空牙は、デティーテェの背中を睨みながら、きいた。
「そうよ!」
デティーテェは強がりながらも…震えていた。
その震えは、怒りではなかった……恐怖だ。
空牙の底にある…恐ろしい力…。
魔神であるデティーテェの直感が、告げていた。
(こいつを…刺激するな)
と…。
しかし、デティーテェはその恐怖を、悟られてはいけないと思っていた。
怒りに、演出しないといけなかった。
「魔王のご命令よ!あの世界で、樽を探せと…」
「樽?」
空牙には、意味がわからない。
「生命の樽よ」
デティーテェは、空牙に命令を伝えていたが…その言葉の意味を、彼女自身も理解してはいなかった。
「生命の…樽?」
空牙は、要件を伝えるとテレポートして消えたデティーテェがいた空間を睨みながら、その言葉を繰り返していた。
そんな空牙の横顔を心配そうに、見つめていたカイオウは、はっとして…頭を下げると、彼もまたテレポートした。
しばらく…虚空を睨んでいた空牙は、ゆっくりと手を前に突き出した。
すると、空間にノブのようなものが現れた。
空牙はノブを掴み、一気に引くと、そのまま扉の形に開いた空間に、飛び込んだ。
何もない草むらに、着地した空牙は、急いで周りを確認した。
「あれから…どれくらい経った…」
空を見上げても、戦闘機は飛んでいない。焼け野原だった世界は…人工の建物が立ち並んでいた。
前に来たときには、あり得ないほどの大きな煙突から、煙が吐き出されていた。
空牙はもう一度、空を見た。
「空が…黒い…?」
空牙は、右の手の平を下にかざし、軽く振った。
すると、空牙の服は…学生服へと変わった。
この国のいいところは、近代なら…この学生服というやつで、どこでも通用するということだった。あまりデザインも変わらないし…。
空牙にとっては、ありがたかった。
草むらを歩き、しっかりとアスファルトで舗装されている地面の感触を、確認した。
(土を殺して…作った道か…)
空牙は、アスファルトの道が嫌いだった。なぜなら、人間に都合がいいだけだからだ。
遠くの方から、車のクラクションの音が聞こえてきて…子供の笑い声も聞こえてきた。
(戦争は…終わったのか…)
空牙は、前に来た時の…国全体のピリピリした雰囲気が、なくなっていることに気付いた。
しかし、空牙は、異様な建造物に目を奪われていた。
剥き出しの骨組みに…立ってるのが、おかしな建物。
そして、その周りに残る…異様な悪意の跡。
「そうか…」
空牙は、その建造物から目を逸らした。
「しかし…この近くには、ないな…」
空牙は、人の目では捉えられない程の高速で動いていた。
空牙には、人が止まって見えた。
すれ違いながら、空牙は人の服装や…健康状態をチェックしていた。
若い女の首筋を、擦るように触れ…血を指先につけた。
空牙は、血を舐めた。血にはいろんな情報が、溢れていた。
明らかに、栄養状態もよくなっている。
空牙は、空に向かって、ジャンプした。
歩いていた中年の男は、いきなり目の前のアスファルトが破裂したことに、目を丸くした。
雲の下まで、一瞬で到達した空牙は、広がる島国の地形を観察した。
「おかしい…」
いつもなら、開けたところの近くに、目的のものはあるはずだった。
それが、見当たらない。
いや、空牙は気付かなかったのだ。
対象が移動していることに…。
「強い気は……数人感じるが……目覚めてないな…?」
空牙は、仕方なく…空中でしばらく…気を探ることにした。
「生命の樽…」
空牙の想像が、正しければ…すぐに見つかるはずだった。
しかし…見つからない。
「いぶりだすか?」
空牙の右手が、スパークした。電気が発生し、それを上空の曇にかざすと…すぐに雷雲ができ…雷鳴をあらゆる場所に、落とすことができる。
雷を落とそうとした…空牙の脳裏に…ある1人の女が、よみがえった。
空牙と…本田と…その女…。笑い合う三人。
「くそ!」
空牙は、雷雲に送った電気をすべて…吸い取った。
「小百合…」
その女の名前は、覚えていた。
本田の婚約者だった。
「あれから……何年…たっている…」
空牙は、さらに高度を上げ…移動しながら、気を探ることにした。
町を破壊する気には、なれなかったのだ。
「梓…。窓から顔を出すのは、やめて頂戴」
母親の注意に、梓は素直に従った。
「はあ〜い」
窓から顔を引っ込めると、きちんと座席に座り直した。対面式のシートの前に、母親と弟が座っていた。
住み慣れた町を離れ…梓は、叔父のいる都会に、引っ越していた。
いくら復興したとはいえ…梓の住む町は…まだまだ戦争の傷跡を、色濃く残していた。
もう一度、去っていく風景を見ようとした梓に、母親はため息をつきながら、
「そんなに…あの町がいいかねえ〜。あたしは、ごめんだよ」
梓が生ま育った町に、嫁いできた母親の…知り合い達は、たった一発の悪意で、皆…殺された。
悪意…。それは、敗戦の報い…なのだろうか。
いや、違う。
人は、戦争でしか…優劣を決めれない生き物なら…。
「滅んだらいい…」
「え?」
梓は耳ではなく、頭に直接響くような声に、思わず席を立った。
キョロキョロ周りを見回しても、近くには誰もいない。
真後ろの席を覗き込んでも、誰もいなかった。
「何やってるの!梓!女の子が、お行儀の悪い!」
母親の叱咤に、梓は慌てて行儀よく座りなおした。
「おじさんの家に行ったら…お世話になるんですから、普段から…女の子らしくするのですよ。ご飯を頂くときは…」
母親の小言が始まった。
梓はしおらしくしながらも、母親の話なんて聞いていなかった。
だって、世界は変わってきているのに……。
敗戦から、世界でも類を見ない早さで復興した日本は……一つの壁を作ろうとしていた。
戦争の記憶を根強く持つ者と……その記憶がなく、日本が復興していく興奮という景気に煽られた…子供達。
弟が中学生になるのを機にして、母親は爪痕の残る土地を、後にしていた。
本当ならば、もっと早く出ていくべきだったが…看護師であった母親が、あの土地を離れられるのに…十年以上の月日が、かかってしまったのだ。
今年で、中学を卒業する梓の就職に関しても、母親は考えていた。
いなかよりは、都会がいいと。
梓は、ため息をついた。
あと一年で、卒業なら…せめて、生まれた土地で過ごしたかった。
友達も、みんな…残してきた。
(あと…一年かあ……)
トンネルに入った電車の窓に、映る自分の顔を見つめた。
少し淋しそうだ。
そんな表情を映すトンネルは、すぐに終わり…梓の瞳に、見知らぬ風景が映る。
梓は、自分の席と反対側の窓を見た。
梓の生まれた町とつながっている海が、広がっている。
海の色は、いっしょだけど…向こうに見える島の風景が違った。
(この海も見えないところに…あたしは、行くんだ…)
梓は初めて…感傷に浸ってしまった。
梓はもう…風景を見るのをやめた。
真っ直ぐに視線を正した。
周りは変わっていく。
(…だけど、あたしは)
梓は、軽く下唇を噛んだ。
まだ目的地には、つかない。
梓は、時の流れのいうものを感じながら…ただ電車に揺られ続けた。