第118話 鎮静
突然、再び姿を現した原子力発電所に…レスキュー部隊や、電力会社の社員が突入したのは、数分後のことだった。
発電所内を確認したが、従業員は一人も…いや、人間は一人もいなかった。
故障箇所もなく、ただ…三機あった原発は、活動を休止していた。
埃一つない建物内は、ただ不気味だった。
報道機関も駆け付けたが…従業員失踪事件として、しばらく社会を騒がすことになっていた。
人の命は戻ってこないが、電力は戻ってきた。
すぐに、電力会社は新たな社員を増援し、各機能チェック後…1日もかからずに、活動を再開することになった。
ここで、何があったのかは……普通の人間には、理解できるはずがなかった。
「人は…変わらないのかもしれませんね…」
いつものように、訪れるお客を温かく…笑顔を出迎えるマスターは、いつもの如く…コーヒーをいれていた。
「例え…姿形…人間でなくなろうとも」
独特の香りを発するコーヒーを、ゆっくりとカップに注ぐと、マスターはカウンターに座る仁志の前に置いた。
「ありがとうございます」
仁志は頭を下げると、コーヒーを飲んだ。
その様子を優しく眺めながら、マスターは言葉を続けた。
「他人と違うこと…自分らしくといいながら…違ってしまうと、差別の対象となる。そして、差別された者は、差別した者を憎み、恨む…負の連鎖ともいうべきもの…」
マスターは、自分のカップにコーヒーを注いだ。香りを確かめると、カップに口をつけた。
「我々は、進化した。そして、人より優れていると…思っていたが、そうではないのかもしれない…」
「ぼ、僕は……」
仁志はカップをカウンターに置くと、おもむろに口を開いた。
「いじめられたり…生まれや出身で、差別されたこともありました…。それは、つい最近まで、続きましたが……」
マスターはカップを置き、仁志の言葉を待つ。
仁志は一生懸命考えながら、言葉を選ぶ。
「なくなるとか…なくそうとかじゃなくて……誰かが、その連鎖をせき止めなければなりません」
マスターは、目を細めた。
「差別やいじめを受けても…我慢…じゃなくて、堪えることのできる…心の強さ。自分の受けた痛みを、他人に返すのではなくて…自分の中で…消化できる強さ」
「だが……それでは、差別はなくならないのではないですか?差別する者は、差別し続けるでしょう…」
「だけど!」
仁志は、カップの中のコーヒーを見つめ、
「僕は…そんな人間でありたい!僕が…すべてを受けとめて…すべての傷つける言葉をせき止めたい」
仁志の思いに、マスターは微笑み…そして、悲しげな表情を浮かべた。
「今回…我々は、君のようなものだけの世界を作る為…。君達を傷つける…人間というものを、排除しょうとした…。しかし…」
マスターは、天井を見つめた。
「しかし…我々は、守るといいながら…人間に対して…差別しただけかもしれない」
そう言うと、マスターは仁志を見つめ、
「教えてほしい!君のような者が、どうしたら…幸せに生きれる世界をつくれるのだ!どうしたら…人は、成長し…強くなれるのだ!」
少し興奮気味のマスターの質問に、仁志は答えを持っていなかった。
「わかりません。ただ…僕は…僕だけは、そうしたいだけです」
仁志は、マスターに笑いかけ、
「他人は、わかりません。僕は、そうありたいだけです」
仁志はカップを持ち、コーヒーを飲み干した。そして、
「幸せならありますよ」
空になったカップを、マスターに見せた。
「こんなおいしいコーヒーを、出してくれる店がある。今、この時を…僕は、幸せに生きています」
マスターは言葉を失った。
「人の幸せは、気分で変わります。こんなおいしいコーヒーを飲んだら…誰だって、幸せになります」
「あ、ありがとう…」
マスターは、お礼を口にした。
「もしかしたら…人はもっと…単純なのかもしれませんね」
マスターが、仁志におかわりを入れていると、木造の扉が開き、新規のお客が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
マスターは笑顔で、お客を出迎えた。
ここに来れる……普通の人でないお客。
彼らに、ひとときの安らぎを与える為に。
「ここは…」
意識を取り戻した時、僕は懐かしい空間にいた。
「教室?」
木造の机が、縦に五列並び…僕は、ちょうど真ん中にいた。
小学校か、中学校かはわからないが…普通の学校であったことは理解できた。
グランド側の窓から、眩しい光が飛び込んできた。
その赤い光に目を細めると、僕は黒板の上にある柱時計を見た。6時前だった。
(確か…僕が意識を失ったのは、昼過ぎのはずだ)
僕の脳裏に、バイラの言葉がよみがえる。
しかし、僕は頭を振って、その言葉をかき消した。
言われなくても、わかっていた。
(だけど…あの場合は、仕方ない…)
アルテミアを責めるよりも、また肝心な時に、助けられなかった…自分自身の腑甲斐なさに、僕は唇を噛み締めた。
椅子から立ち上がると、まだふらつく体で、僕はグランド側の窓に向かった。
そこから見える景色は、明らかに山奥だった。
「廃校か…」
少し草の生えたグランドに、夕陽に照らされても、くすんでいる校舎。
ふっと僕は…グランドの真ん中に立つ人影に、目が行った。
数秒前まで、いなかったはずだ。
まるで、陽炎のように揺らめく…女の後ろ姿に、僕は見覚えがあった。
僕は、目の前の窓を開けると、そのまま助走もつけずに、ジャンプ力だけで窓をくぐり…飛び降りると、グランドの手前に着地した。
そして、ゆっくりとその女の背中目指して、歩いていく。
「あなたなのか……僕をここまで連れてきたのは…」
女は、山と山の間に消えていく夕陽を眺めているようだった。
「何の目的です!」
僕は、何もこたえない背中を凝視した。
無言のままでいようとする女に、僕は名前を出すことにした。
「炎の騎士団長……リンネ」
「....」
「僕を助けてくれたのですか?」
僕は、振り返らない背中に問い掛けた。
少しの間があって、リンネの肩が小刻みに、震えているのたがはっきりと、わかった。
「リンネ……さん?」
僕は、眉を寄せた。
「フフフ…」
リンネは、笑いを堪えていた。
そして、少しだけ…振り向いた。
「あなたは……」
「単なる……きまぐれよ。あなたを助けたのは…」
リンネの切れ長の瞳は、僕を見てなかった。
口元にだけ…少しの笑みを浮かべ、
「ブルーワルードで会いましょう」
そう言うと、リンネは陽炎のように、消えた。
数キロ先まで、テレポートしたリンネは、沈む夕陽の最後の輝きを見つめながら、呟いた。
「女はきまぐれ…。だけど…きまぐれでないなら…それは、愛」
リンネは苦笑すると、夕陽に笑いかけた。
「そうよね……沙知絵…」
リンネは、沈む夕陽に呼応するかのように……この世界をあとにした。
リンネが去った後、僕はグランドの真ん中で、少し立ちすくんでいた。
もう夕陽は沈む…。
夜が来る。
学校だけが、廃校というわけでなく、その周りの民家にも、人はいなかった。
「過疎…の町か…」
灯りのまったくない空間で、僕は深呼吸をした。
空気がうまい。
だけど…それと、これとは違う。
(人は…ここには、住まない…)
「赤星……」
アルテミアの声がした。少し沈んだ口調が、僕には悲しかった。思わず、目をつぶった。
「あたしが、体を取り戻したら…あたしを殺せ…」
アルテミアの言葉に、僕の瞳から…涙が溢れた。
「あたしの命でしか…償えない…」
僕は、首を横に振った。
「ほ、ほ…本当は、僕がやらなければいけなかったんだ……。僕がやれなかったから…」
「あたしは…お前の妹を…」
「そんなこと言ったら!」
僕は、アルテミアの言葉を遮った。
「僕は……ティアナさんを殺している!」
僕の両目からとめどもなく…涙が流れた。
「ぼ、僕だって…殺しているんだ!」
僕の嗚咽のような叫びに、アルテミアは黙り込んだ。
「あ、あれは…」
アルテミアは何とか…言葉を絞り出そうとした。
「あ、あれは……脱け殻だった…。お母様では…なかった…」
アルテミアの言葉を、僕は首を振って、否定した。
そして、その場で崩れ落ちると…号泣した。
アルテミアはもう…何も言わなかった。
「アルテミア……」
僕は、地面を見つめながら、
「辛いよ……戦うことが…辛いよ」
僕は初めて……恐怖とは違うものを、戦いで感じていた。
自分が殺される…死ぬとかではない。
ただ…ただ…辛いのだ。
「赤星…」
アルテミアには、慰める言葉が見つからなかった。
霧の中…ビルとビルの一角にある喫茶店の前に、美奈子はいた。
なぜ来たのか…わからない。
今…語る言葉もない。
ただ…店が営業できてるのか、気になっただけかもしれない。
美奈子は、ため息をついた。
一人の学生服を着た男の子が、キョロキョロしながら、美奈子を追い越して、店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
マスターの声が、扉の向こうから聞こえてきた。
その声を聞くと、美奈子はなぜか安心した。
くるっと身を翻すと、美奈子は喫茶店に背を向けて、歩きだした。
これからも…人ではなくなる者は、現れるだろう。
人の世界に、妬みや嫉妬…差別があるかぎり…。
だけど…。
美奈子は、手を握り締めた。
すると、銃が握られた。
(何が…正しくて…何が悪いのかは、わからない。だけど…あたしは、あたしの信念で戦う)
いずれ…新たなる指導者が生まれ…彼らを率いるかもしれない。
もしかしたら…美奈子が…。
未来はわからない。
(だけど…今は!)
百メートル程歩いて、振り返ると……喫茶店は消えていた。
周りは、いつもの町の喧騒に戻る。
耳元で、車のクラクションや、どこからか流れてくるBGM。
「うるさい世界…」
美奈子は舌打ちすると、足を速めた。
もう銃は持っていない。
美奈子はただ…喧騒をかわすように、歩き続けた。