第10話 モード・チェンジ
ヨーロッパ大陸のギリシャにある――魔法管理局。そこに、アメリカの壊滅の知らせが入ったのは、すぐのことだった。世界中にばらまかれた監視用の式神達が、情報を伝えてきたのだ。
「アメリカは、最大のポイント保有国。それが、陥落したとなれば…我々の戦力も落ちることになる」
どれくらい広いかわからない…真っ暗な空間に、青白く光る球体が8つ。
その球の正体は、白色の球状の椅子。それに、腰掛ける8人の賢者。全員、白いフードを頭から被っており…性別、年齢、表情はわからない。
「使われなかったポイントは、式神に回収させておる」
「核を使っただと」
「あの国は、魔物との戦い方を知らん!空母など…人が集まってるだけで、何の効果もない」
「この世界は、人だけの世ではない。大量破壊兵器は、人自身を殺すだけだ」
球体は、ゆっくりと無軌道に、暗闇の中を飛び回る。
「今の世に、必要なのは…人そのもののレベルが、上がることじゃ」
「来るべき…最後の聖戦の為に…」
「預言者は、何と申しておる」
「わからぬと…」
「なぜじゃ」
「それは…人ならざる者なれば…人の力を超えておる」
「アメリカなど、なくなってもよいが…」
「その者がいなければ…」
「だが、やつは裏切り者の娘ぞ!」
「我ら安定者の使命を忘れ!この世の理を、乱した者」
「しかし!その乱れが…我ら人類の望み」
「まだ望みとは、決まっておらぬ」
「今、しばらく…我ら安定者は、ただ傍観するのみ」
「あやつが、敵になったなら…」
「魔王は、何を考えておるのだ…」
「ライはかしこい。我らの考えなど…お見通しだろ」
「いざとなれば…」
「人間など…」
「我らは安定者」
「世界が安定していれば…」
「それでよい」
「世界の」
「我らの」
「安定の為」
「永久に安定であれ」
光は消えた。
そして…闇だけが残った。
掃除のおばさんにコッテリと怒られた後、僕は清掃会社の事務所内で、ユニフォームから私服に着替えていた。
最初の頃は、パジャマだったけど…寝た時の姿で、この世界に来ることがわかってからは、デニムをはいて、Tシャツなど動きやすい格好で寝ていた。
着替えてから、ロッカールームを出て、タイムカードを押す為に、僕は事務室に向かった。タイムカードは、そこで押すことになっているからだ。
僕が、カードを手に取ると、
「お疲れ様です」
後ろから、透き通った声がした。
少し緊張しながら、僕が振り向くと、横に4つ並ぶディスクの一番入り口寄りに座る少女が、微笑んでいた。
「お、お疲れ様でした」
僕は緊張しながら、少女に挨拶した。
三橋奈津子。僕より少し年上で、このおっさんやおばさん臭い会社において、唯一の癒やしキャラだった。ショートカットに、おっとりとした話し方は、本当に和んだ。
僕は少し奈津子さんに、憧れを抱くようになっていた。深々と頭を下げると、僕は少し慌てて、事務室を出た。
ドアを閉め、廊下の壁にもたれ、激しい鼓動を刻む胸を押さえていると、先程僕を注意したおばさんが前を通った。
「フン!浮かれおってからに…」
おばさんはギロッと僕を睨むと、ドアを開け、事務室内に消えた。
僕はドアに向けて、軽く舌を出すと、廊下を歩き出した。
給料は日払いだから、デニムの後ろポケットから出したカードに、ポイントが加算されていた。残高を見て、行きの船代くらいはできたことに気づいた。
だけど、肝心の僕自身のレベルがまだ、低い。
「よし!」
カードをポケットに戻すと、僕はある場所へと急いだ。
それは、街を少し離れた草原。何もなく、見晴らしの良い空間で、モンスターの数、距離を確認した。
「スライムか…」
一番近い魔物に、僕は近づく。
「ファイヤー・ロープ!」
離れた位置より、対象物めがけて、炎でできたロープを投げた。絡みついた相手を、炎で焼き尽くすのだ。水蒸気が上がり、スライムが消滅した。
(ポイント、ゲット)
3ポイントが加算されるけど、スライムではレベルが上がらない。
かと言って、これ以上街を離れると、モンスターの強さが半端じゃなくなる。
僕はジレンマの中、頭を抱えた。
その時、凄まじい地響きが、草原を震わした。振動は、僕の足も震えさした。
カードが、警告のアラームを鳴らす。今の僕では、勝てない敵が接近していると。
「キェェェー!」
甲高い奇声を発しながら現れたのは、恐竜だ。
「T…レックス…!?」
それは明らかに、よく映画とかで見るTレックス…そのものだった。噛み合わせの悪い口から流れる涎がこぼれ、地面を溶かした。
「Tレックスと…ちょっと違うかな…」
僕は後ろに下がりながら、Tレックスの口から、炎が吐かれていることを確認した。
「くそ!」
僕はカードを指で挟み、魔法を使おうとした。
「どうして…こんな所に…竜が…」
僕の後ろから、声がした。僕が振り返ると、青ざめた顔をした奈津子が立っていた。
「どうして…」
驚く僕に、奈津子は震えながら、こたえた。
「赤星くんの…忘れ物…」
奈津子の右手には、僕の着替えが入った鞄があった。
「奈津子さん…」
(わざわざ持って来なくても、よかったのに…こんな危ないところに)
と言おうとしたら、奈津子が叫んだ。
「危ない!」
振り返った僕の目の前に、炎が迫った。
「ガード!」
僕が叫ぶと、前方にバリアが張られた。
「くっ!」
しかし、バリアはすぐに破壊された。凄い攻撃力だ。
僕は、Tレックスもどきに注意しながら、奈津子に叫んだ。
「僕に構わず、逃げて!」
「赤…星さ、ん…」
どうしょうか悩んでいると、か細いが後から聞こえてきた。
「どうした…!?」
僕は振り返り、絶句した。いつのまにか、僕の周りに、魔物が5匹…出現していた。
僕は信じられない光景に、目を疑った。
「あ…か…ほ、しくん…逃げて…」
巨大なカラスの翼と、鋭い嘴を持った魔物。同じ姿をした魔物の一匹の右手が、奈津子の胸を貫いていた。
「逃げて…」
奈津子の口から、血が流れ…そのまま彼女は、絶命した。
「奈津子さん!」
走り寄ろうとする僕を邪魔するように、Tレックスもどきがまた火を吐いた。
「うおおっ!」
僕は炎を避けながら、
「よくも!奈津子さんを!」
炎の鞭を出そうとした。
しかし、出ない。
「ポイントが足りない!?」
ありえないことに、僕は絶句した。
「こんなやつが…」
魔物は奈津子から腕を引っこ抜くと、向かってくる僕を見て鼻で笑った。
「本当に、女神の半身なのか?」
そばの仲間に、訊いた。
「反応はでている」
「ケッ」
奈津子を殺した魔物が、翼を広げた。
「殺すなよ。生きて連れてくることが、命令だ」
「わかってる」
魔物が翼を羽ばたかせると、突風が起こり、僕は地面に転がった。
そして、Tレックスもどきの足にぶつかった。
「殺すなといっただろ…」
呆れる魔物に、奈津子を殺した魔物が肩をすくめた。
「あんなに、脆いとは」
「うわあああ!」
倒れた僕の目の前に、Tレックスもどきの口が迫る。鋭い牙が、恐怖を煽る。吐く息が臭い。
思わず、目を瞑った僕の耳元に、爆音が響いた。
奇声を発しながら、Tレックスもどきの巨体が吹っ飛んだ。
「ミサイル!」
驚く魔物達にも、ミサイルは降り注いだ。
「何者だ」
魔物達は飛び上がり、ミサイルを避けた。
しかし、ミサイルは追尾型だ。
「チッ」
魔物は舌打ちすると、空中で旋回しながら、手から電撃を放ち、ミサイルを破壊した。
ミサイルは、倒れたTレックスもどきにも降り注ぎ、爆発した。
爆風で、僕は目が開けられない。
追いかけてきたすべてのミサイルを破壊し、地面に降り立った魔物達は、草原の向こうを睨んだ。
街とは、反対方向…魔物テリトリーから、硝煙の匂いとともに、こちらに歩いてくる……1人の男。黒い上下のスーツに、サングラス。スーツの上に、装着されたミサイル・アーマー。米軍が着けていたのと、同じタイプだ。
「ファイヤー…」
男は呟くように言うと、左手と背中のミサイルポットが開いた。
再び魔物達が、ミサイルに格闘している隙に、僕は奈津子のもとへ走った。
抱き上げ、もう冷たくなった体を抱き締めた。
「畜生…」
僕は、回復系魔法を使おうとしたけど、ポイントが足りない。
「どうして…」
抱き締める僕の服に、奈津子の赤い血がつく。止めどもなく、流れる涙を拭うことなく、泣き続けた。
「どうして…彼女が死ななくちゃ…ならないんだ…」
「それは、君のせいだ」
「え?…」
僕が顔を上げると、いつのまにか男がそばに立っていた。
男は僕を見ないで、魔物達を見据えながら、言葉を続けた。
「彼女が死んだのは、君のせいだ。君が弱いからだ」
あまりにもストレートな男の言葉が、僕の心を切り裂いた。情け容赦もない。
確かにそうだが、見も知らない人に言われることではない。
顔を上げ、涙を流しながら睨む僕を、男は無視して、呟くように言った。
「コールド・スリープ」
奈津子の体が光に包まれ、血が止まり、服の汚れが消えた。
驚く僕を、やっと男は見た。
「異世界から来た君は…本当は、強い。それなのに、心が弱い君は、戦うことを恐れている。だから、こんなレベルなんだ。そんなざまじゃ…誰も、助けられない」
「本当は…僕が…強い?」
僕の呟くような問いに、男は無言で頷く。
「貴様!さっきから邪魔しやがって」
ミサイルを破壊した魔物達が、僕達に向かってきた。
男は手を広げ、念じた。
すると、男の前に、ドーム状の結界ができた。勢いあまった魔物一匹が、結界にぶつかり、弾き飛ばされた。
「結界?」
他の魔物の手から、電撃が放たれるが、結界に弾かれた。
「くそ…」
魔物は舌打ちした。
「君は…アルテミアに選ばれ、時空をこえられる程の戦士だ」
男は結界を張りながら、話し続けた。
「本来ならば、こんな使い魔如きに、手こずりはしないはずだ」
僕はカードを見、一応確認するけど、大したことない。
「で、でも…」
「君に、カードの表示は意味がない」
魔物の攻撃は、続いていた。
「どうした!こうやって、ずっとここにいるつもりか!亀のように!攻撃しないのかよ」
奈津子を殺した魔物が、吠えた。
「ミサイルは、もうなくなったようだな」
魔物達の挑発に、男はフッと笑った。
「攻撃できないのか!」
魔物は顔を結界に寄せ、嘴でを突き、挑発した。
男は右手で結界を張りながら、左肩をすくめた。
「攻撃系の魔力は、すべてあげたんでね。それが、禁呪の魔法を使った…俺の対価さ」
男は、結界を張っている右手を下ろした。
「あとは、君の問題だ!」
そして、左手を真横に突き出した。薬指に輝く指輪。
「そ、それは!」
僕の驚きの声をかき消すように、男が叫んだ。
「モード・チェンジ!」
結界が消えた瞬間、眩いエメラルドグリーンの光が辺りを照らし、男が着けていたアーマーが、弾き飛ばされた。
魔物達は眩しさに、目を細めながらも、飛んできたアーマーを避ける。
「何だ!?」
エメラルドグリーンの光は…やがて形を持ち、髪の毛へと変わっていく。
光が止んだ時、僕の前に立っていたのは、1人の少女。綺麗なエメラルドグリーンの髪に、エメラルドグリーンの瞳。黒い鎧を身に纏い…その肩当てに、黙の一文字。
それは、1ヶ月前…天空の騎士団と戦い、命を散らしたはずの…ブラックサイエンス隊のサーシャ……その人だった。
「女あ?」
奈津子を殺した魔物が、いきなり現れたサーシャに首を捻りながら、無防備に近づいた。
サーシャは魔物に、一瞬だけ微笑むと、右手を額に当て、左手を突き出した。
「サイエントボム」
「はあ?」
魔物がサーシャに近づいた瞬間、魔物の全身が、雑巾を捻るように歪んだ。
「クラッシュ」
サーシャは呟いた。
「貴様!」
魔物が千切れると同時に、もう一匹が空中から、サーシャに突っ込んできた。
「装着」
サーシャの体が、一回転した。風が切る音とともに、魔物の体が両断された。サーシャの右手に装着されたドラゴンキラーが、魔物の血で染まった。
サーシャは残る3匹を目で威嚇しながら、ドラゴンキラーを軽く一振りすると、血は綺麗にとれた。
ゾクゾクする程、美しいサーシャの仕草に、魔物達は後退った。
奈津子の亡骸を抱き締めながら、唖然としている僕に、サーシャはチラッと一瞥をくれると、残る3匹に向って構えた。
「参る」
サーシャは腰を少し下ろし、力を溜めると、一瞬にして風になった。
「せめて、あやつだけでも連れていかねば」
3匹は、空に飛び立った。
「無空陣」
サーシャは3匹より、速く上昇気流を起こすと、空に飛び上がった。
自分達より、上空にいるサーシャに3匹は驚き、恐れを感じた。
「我々…天空の騎士団より…」
「速い」
呆気にとられる魔物に向かって、ドラゴンキラーを下に向けたサーシャが落ちて来た。
「しかし!」
一匹が翼を広げ、上昇した。
「我らにも、意地がある!」
サーシャのドラゴンキラーが、魔物の胸に突き刺さった。
だが、魔物は刺されたまま、サーシャの両肩を掴んだ。
「チッ」
サーシャは、舌打ちした。
「今のうちに、やつを」
残りの2匹が空中で旋回し、僕に向かってきた。
「少年!」
サーシャが叫ぶ。
僕は…静かに、奈津子を地面に寝かせた。
(僕が強いか…わからない。実際…戦いにはむいてないし、臆病だ)
僕は、上空から迫り来る二匹を睨んだ。
(だけど、今は…戦わなくちゃならないんだ)
魔物から視線を外さずに、僕は左手を上にかざした。
(指輪はないし、アルテミアもいないけども…変われるなら)
「モード・チェンジ!」
僕は大空に向かって、全力で叫んだ。
(変われ!)
自分自身。
強い意志を込めて、僕はぎゅっと左手を握り締めた。