第111話 遊戯
すべてが、終わる…。
いや、終わらせなければならないのだ。
一階の奥にある仏壇の前に立つ…赤星綾子。
四畳程の和室に、ひっそりと置かれた仏壇に飾られた…慰霊碑。その横にある写真は、綾子の祖母のものだった。
綾子に祖母の記憶はない。
兄である浩一は、思い出があるらしいが……。
綾子は無表情で、写真を見下ろしていた。
「綾子!」
台所の方から、母親の声が聞こえてきた。
綾子は、仏壇に背を向けると、ゆっくりと歩きだした。
「今度の休みなんだけど…」
台所で、料理の用意をしている母親は、忙しく手を動かしながら、背中越しに話し掛けていた。
「志紀のおばさんから、券を貰ったから…一緒に、温泉でもいかない?」
「温泉?」
台所に入ってきた綾子は、テーブルに並べられた食器類を見つめた。
「どうかしら?」
「そうね………」
綾子は、母親の背中を見つめた。
綾子の目が赤く光る。
「折角だから…行きましょうよ」
久しぶりに母親の声が、明るい。
「………」
綾子の目が、母親をスキャンする。
(やはり…人間…)
綾子の母親は、人間だった……。進化する種もない。
「行きましょうよ。予定ないんでしょ」
「そうね……」
綾子の右手が、赤く光った。
視線が冷たく…母親の背中を射ぬく。
(こいつは……ただの人間。いずれ、滅ぶ人間……。だとしたら……せめて、あたしの手で…)
綾子の右手が炎に包まれ…剣のような形になる。
綾子は、右手を振り上げた。
「ねえ…綾子?」
手を止めて、振り返った母親……。
「綾子?」
そこには、誰もいなかった。
母親は首を傾げ、
「綾子!」
と、家中に響くように叫んだけど……返事はなかった。
しーんと静まり返る家に、母親はまた首を傾げると、台所から廊下に出た。
「綾子!」
やはり返事はない。家の中にいる気配もない。
「どこにいったのかしら?」
「いらっしゃいませ」
勢い良く開いた扉が普段より、うるさく鈴を鳴らした。
そして、バタンと音を立てて閉まった扉。
マスターが経営する喫茶店に入ってきたのは、綾子だった。
綾子の姿を認め、店にいたお客が全員立ち上がり、頭を下げた。
カウンターの中で、マスターも頭を下げていた。
「ごきげんよう……我等が女神よ」
マスターの言葉に、鼻を鳴らした綾子に、コーヒーを出そうとしたが、
「いらないわ」
綾子は断った。
そして、カウンターにも座らずに、綾子はじっとマスターを見上げると……突然、カウンターを叩いた。
「あなたの力で…あたしの記憶を消して!あたしから、家族の記憶を!」
突然の綾子の言葉にも、マスターは動じることなく、いつもの冷静な口調で話しだした。
「それは…できません…」
「なぜだ!」
間髪いれずに、綾子はきいた。
「私の力は…あなた様に通用しません。それに…」
マスターは、頭を下げ、
「あなた様の記憶は…我らの武器でありますれば……。赤星浩一を、排除する為にも……あなた様の記憶を消す訳には、いきません」
「あたしは…!」
綾子はカウンターの上で、拳を握り締めながら、マスターを睨み、
「赤星浩一は、殺せる!だけど…」
「女神よ…」
マスターは綾子の言葉を、意図的に止めた。
一瞬、周りのお客を確認してから…マスターは笑顔を、綾子に向けた。
「赤星浩一は、あなた様でないと、排除できません。他の人間どもは勝手に、滅びましょう。何ならば…」
「ならぬ!」
綾子の両目が赤く光り、マスターの全身を射ぬいた。
マスターの体に、衝撃が走る。
少しふらつくマスター。
綾子は、そのままマスターを睨み続けた。
「…わ、わかりました…」
マスターは、綾子の視線から逃れる為に、深々と頭を下げ…自らの視線を外した。
「余計なことは、するなよ!」
綾子はもう一度、マスターに言い放つと、カウンターから離れた。
そして、背を向けて…扉へと歩いていく。
「女神。どこへ…」
マスターは顔を上げると、綾子の背中に声をかけた。
綾子は、振り返ることなく、
「行くぞ…あたしは」
扉に手の平をつけた。そして、歯を食いしばった。
「すべてを終わらせる為に!」
綾子は、手の平からの気を放つと、吹き飛ばされたかのように、勢い良く扉が開いた。
外の世界を軽く睨んでから、綾子は店から飛び出した。
すると、1人のお客が席を立った。
そのまま出ていこうとする男の客に、マスターの鋭い声が飛んだ。
「殺すな!女神のご命令だ。直接手をかけなくても、いずれ近々…皆、処分される。それにだ…」
マスターは、拳の形でへこんだカウンターを見つめながら、
「戦いが始まる。戦える者は、すべて…女神に後に続け」
ゆっくりと顔を上げると、端から端…店内にいるお客の顔を1人1人確認し、叫んだ。
「我らの世界にする為の…第一歩!誰にも、邪魔はさせるな!」
マスターの激に、店内にいたお客の雰囲気が変わる。
人とは違う…匂い。
「は!」
一斉に、声を上げ、全員が立ち上がった。
マスターは頷くと、
「行け」
いつもより、低い声で命じた。
「は!」
次々に、店内から飛び出していくお客を見送りながら、マスターはカウンターから出た。
そして、扉を開き…店を出ると、扉の表側にかけてあったプレートを……クローズに変えた。
その文字を見ながら、フッと笑い…目をつぶると、歩きだそうとしたマスターに…誰かが声をかけてきた。
「今日は、終わりなんですか?」
その声にはっとして、マスターは目を開いた。
そこにいた者は…。
「女神…」
思わず呟いたマスターの前に、美奈子が立っていた。
聞こえなかったのか…美奈子はにこっと笑いかけると、マスターに近づいていく。
「…」
マスターは、目を見開いたまま…扉の前から動けずにいた。
美奈子は微笑んだまま、マスターの目の前で止まった。
「本当は…」
美奈子は、喫茶店を見上げた。古風なレンガ造りの外装は、コンクリートだらけの町で、目立つはずだった。
「三人で来たかったのですけど……」
美奈子は、視線をマスターに戻し、
「どうしてか…」
「…ウ」
美奈子の視線の鋭さに、マスターの全身に緊張が走る。
美奈子はまた微笑み、
「二人には、ここが見えないようなんでよ。気配は、感じるようですけど…」
「……」
マスターは再び目をつぶると…やがて、自嘲気味に笑った。
「それに……」
美奈子は、マスターの変化に気付きながらも、一番気になることを言葉にした。
「女神とは…何です?」
「!?」
マスターは目を見開け、真っ直ぐに美奈子の方に顔を向けた。それから、少し下を向きながら、口を開いた。
「私達が言う女神とは……我らを率いる者。率いる力を持つ…他とは、違う力を持つ存在のことです」
「それが…赤星綾子ですね」
マスターの説明に、美奈子は質問した。
一瞬、マスターの目に動揺が走るが…すぐに、彼は平常に戻る。
「そうです。……そして」
マスターは、ゆっくりと膝を折り、
「あなた様もまた……女神です」
その場で、跪いた。
「女神…テラよ」
深々と頭を下げるマスターの動きを、目だけで追いながら…美奈子の顔から、笑みが消えた。
「綾子様…そして、あなた様。この世界は、二人の女神を誕生させたのです。理由は、わかりませんが…」
美奈子は一度、軽く深呼吸をすると、
「あたしに、そのような力はないわ。だけど、あなたがいう力があると仮定して……女神とは何?あなた達の目的は、何?……あたしには、あなた達の真意がわからない」
美奈子の言葉に、マスターは跪いたまま、おもむろに話しだした。
「目的……意味?そんなものは、単純です。誰もが、どんな生物もが、無意識にせよ……その為に存在しています」
美奈子は黙り込んだ。ただ…マスターの言葉を待つ。
マスターは、顔を上げた。美奈子を見上げ、じっと瞳を見据える。
少し間を開けた後、
「生きる為です」
「生きる為?」
美奈子は、眉を寄せた。
「そうです。生きる為です」
当然とばかりに言い放つマスターに、美奈子は今まで抑えていた怒りを、露にした。
「その為に、多くの人を殺したの?どうしてだ?あんたらも、人間だっただろ!化け物になる前は!」
美奈子の怒りにも、マスターは取り乱すことなく…あくまでも冷静にこたえた。
「それも、生きる為です。我々は、人の社会で、迫害され…いや、ただ…不満の捌け口にされるだけの…弱い存在。だからこそ、生き残る為に、できることは…自ら、滅びるか…殺してでも、生き残っていくかしかなかったのです」
「滅びるか…殺してでも生き残る?何の罪もない人々を殺してか!」
「何の罪もない?」
美奈子の言葉に、マスターは立ち上がった。
美奈子を見下ろす長身に、唖然となった。
興奮している為か…さっきより、背が高くなっている。
「人とは…何の罪もない者を、平気で殺してきた…生き物ではないのですか?」
マスターの瞳が、妖しく淀んでいく。
「今までの戦争で…殺された人々に、罪はありましたか?戦争だけではない!差別や、迫害…侵略された人々に、罪はありましたか?」
マスターの迫力に押され、美奈子は何も言えなくなる。
「今の世に溢れるいじめや…格差による差別…。それらを受けている人々に、罪はありますか?」
「そ、それは…」
美奈子は、何も言い返せない。
「いじめや、差別…虐殺する人間は…攻める理由と、相手の否を作りたがる!理由をね!」
マスターは、美奈子をじっと見つめた。
「そんな者達に…我々の理由が、必要ですか?」
マスターは、美奈子に悲しげに微笑んだ。
「理由だと」
美奈子は唇を噛み締め、きっとマスターを睨んだ。
「人を殺してるのに、理由なんているか!殺したら、いけない!駄目だ!それしかあるか!」
美奈子の叫びに、マスターはせせら笑った。
「あなた達は、今の…ぬるま湯の国に育ったから、わからないのですよ。不正や汚職がはびこりながらも…綺麗事しか言わない国で!」
美奈子はそんなマスターに、食って掛かる。
「綺麗事で、何が悪い!人を殺すことに比べたら…」
「綺麗事の国では、弱き者は救えない!なぜなら、綺麗事を言う人間もまた…弱き者から搾取しているからです!」
「だったら…社会の構造を!」
「あなたは…変わると思いますか?人は、この世界に君臨してから、変わっていないのに…。ただ綺麗事を、口にする要領の良さを、身につけただけです」
「そんなことは…ない!」
美奈子は、ただマスターを睨み続ける。
マスターはフッとまた笑うと、
「我々は、もう…人ではなくなりました。それは、弱き者が強くなる為の力と…そんな醜い人でなくなったという安心を与えてくれた。人ではないという…安心」
マスターは歩きだした。
「我々をいじめ…虐待する…人間とは違うのだという…安らぎ。根本から、彼らとは違う!だから、彼らは我々にあのような仕打ちを平気で、できるのだと!」
マスターは、美奈子の横を通り過ぎる。
「だけど…我々の仲間のほとんどは、心を痛めてますよ。人を殺すことにね。だけど…」
マスターは、虚空を見つめ、
「世界を変える為です。心汚き…人間から、弱き者…弱き…すべての生き物を守る為に…。我々は、人を滅ぼさなければならないのです!」
美奈子は動けない。
「人の世界が…よくなることなどありませんよ」
マスターは、悲しげに虚空に微笑んだ。
「そ、そんなことは…」
美奈子は何とか体を動かし、マスターの方に振り向いた。
「女神……」
マスターは足を止め、
「あなたが目覚めないのは……まだ、人を信じているからかもしれませんね」
ゆっくりと振り返り、
「あなたの思いは、素晴らしい。私もまた…昔は…」
マスターは悲しい目で、美奈子を見つめながら、話そうとした。
その時、マスターの死角から、次元刀を突き出した神野が飛び込んできた。
「!?」
それは、美奈子も予想しなかったことだった。
次元刀が、マスターの首筋に刺さると思われた瞬間、マスターは右手を上げ、次元刀を受けとめた。
次元刀は、マスターの手の平を貫通した。
マスターはそれでも、視線を美奈子から外さずに、
「しかし、人は希望を裏切る存在です。運命のせいにして」
マスターが軽く腕を振ると、
「何!?」
神野は吹っ飛んだ。
次元刀はまだ、突き刺さっていたが、マスターは平然と手から抜くと、左手で刃を握り締めた。それから、美奈子に近付き、刀を差し出した。
「一つだけ……私が、本人からきいた話をしましょう」
美奈子は、次元刀を受け取ることに躊躇う。
そんな美奈子に、マスターは微笑むと、言葉を続けた。
「毎日いじめられていた少年が、救われたのは……いじめていた人達を、殺した時だけですよ」
「そ、そんなことは…」
「いじめた者は、理解できないし…いじめられなかった者もまた…理解できません。いじめられた当事者でないと…」
美奈子が受け取らないとわかると、マスターは…歩道に倒れている神野に向けて、剣を投げた。
地面に叩きつけられた衝撃で、なかなか動けない神野の足スレスレに、次元刀は突き刺さった。
「それ程……苦しいのですよ」
そう言うと、マスターは美奈子に背を向けて、ゆっくりと歩きだした。
愕然としてしまった美奈子は、マスターの背中が見えなくなるまで、見送ってしまった。
見えなくなり…崩れ落ちそうになる体を何とか踏張り、美奈子は、マスターの消えた方向を、気丈に睨み付けた。
「そんなこと……正しい訳がないわ!」
「部長!」
美奈子の立つ空間の色が、変わっていく。
いつもの…普段通い慣れた街並みに、戻る。
駆け寄ってくる明菜の姿を認めると、いきなり力が抜けた。
倒れそうになる美奈子を、慌てて明菜が支えた。
「すまない……」
美奈子は、緊張が解けたからか…普段以上の疲れに襲われていた。
「部長……。何があったんですか?」
明菜の言葉に、美奈子は自嘲気味に軽く笑うと、
「何もない……いや、何もできなかった…………」
「部長……」
明菜は、美奈子の瞳が涙で滲んでいることに気付いた。
倒れていた神野が、やっと立ち上がった。
地面に突き刺さった次元刀に手をかけ、引き抜いた。
「あたしは……この世界が好きだ…」
美奈子は、マスターの去った方を見つめながら、
「確かに……最高じゃないけど…」
ゆっくりと、美奈子を支えてくれている明菜に顔を向け、
「お前達は、最高だ」
「え」
明菜は、突然の言葉に驚いてしまった。
「そんな存在がいるからこそ……人は、この世界で、生きていけるんだ」
美奈子は視線を、神野の右腕に向け、何度も頷いた。
明菜は、美奈子の視線を追いながら、彼女が口にした言葉の意味を考えていた。
何があったかは、わからないけど…それが、この戦いの根本を示していることを、何となく理解していた。
だからこそ……明菜には、今の日々が切なかった。
悲しすぎると感じていた。
そんな時、明菜の携帯が鳴った。
始まりを告げる合図が、高らかに…三人の間に鳴り響いた。