第109話 懸念
「うぎゃぎゃああ!」
断末魔の叫びを上げる…もと人だった者に、
「死ねえええ!」
次元刀を突き刺し、ねじ込む神野真也。
蝉のような顔をした化け物は、両手を切断され、額の真ん中を次元刀で刺され…もう虫の息だ。
神野の右腕が赤く、数倍に膨れ上がり、次元刀に力を込める。
神野の腕は、恋人だった沙知絵の腕を移植されていた。
人でなくなる前に、沙知絵は神野を化け物と戦えるように、自らの腕を取り付け、化け物と戦う武器である…次元刀を抜けるようにしたのだ。
(だけど…)
その戦いを見ていた沢村明菜は、顔を背けた。
化け物と戦う神野の姿は、自ら進んで、戦いを楽しんでいるように見えた。
もう心も体も、化け物になったはずの沙知絵を見つけだし、神野は次元刀で斬ることが、目的であった…はずだ。
だけど、戦いを重ねるたびに、彼はその目的から外れていっているように、明菜には感じられた。
戦いに取り憑かれている。
しかし…その思いは、当の本人の方が感じていた。
もう息をしなくなった化け物を、馬乗りになり…何度も突いた後、神野は次元刀を抜き、立ち上がった。
その瞬間、少しふらついたが、何とか歩きだす。
汗が、額に流れ…鼓動が激しくなる。
「沢村さん…」
ずっと顔を背けていた明菜は、神野の呼ぶ声に、顔を向けた。
汗だくの神野が、少し無理して笑っていた。
「神野さん…」
明菜は、そんな神野に変な陰を感じた。
神野は、次元刀を明菜の腹に差し込む。
鞘に戻るように、次元刀は明菜の体の中に納まった。
「フゥ………」
長いため息をついた後、神野は自らの右肩を押さえ、
「侵食は…肉体より早く…精神に及んで来ている…」
神野は、顔を伏せ…明菜に見えないように、唇を噛み締めた。
「多分…もう保たない…」
神野はいずれ…精神も崩壊することを、確信していた。
化け物と化した人間を斬る度に、自分の人の部分もなくなっていくように感じていた。
「は、早く…沙知絵を見つけないと…」
神野は、緊張を解き…右腕の興奮を鎮めようとした刹那、右腕は逆に膨れ上がり、はち切れそうなほどの血管を浮き彫りにした。
「うおおおっ!」
状況を確認するより速く、神野は再び明菜から、次元刀を抜刀すると、後ろに向け、横凪ぎに刀を振るった。
回転する剣と、神野の体。
斬り裂いたはずの次元刀は、女の体をまるで水を斬った如く、大した感覚もなく…擦り抜けた。
確かに、胸から下を斬り裂いたはずが…。
「いきなり…斬り付けるなんて…野蛮ね」
次元刀に斬られた女は、神野にウィンクした。
(次元刀が…通じない?)
心の中で、ショックを受けながらも、神野は女から離れ、後ろにいる明菜を守る。
神野の全身に、緊張が走る。
明菜は、神野の肩ごしに見える女に見覚えがあった。
「あ、あなたは…」
明菜の体にも、緊張が走る。無意識に、足が小刻みに震えていた。
だけど、目だけは精一杯の虚勢を張る。
それが、わかったのか…女は含み笑いをもらし、
「お久しぶりね。沢村明菜」
女は神野を通り越して、明菜を見た。
「春奈さん…………いえ」
明菜は、女を睨み、
「リンネ…」
「リンネ…?」
明菜の震えるような口調に、神野はまじまじと目の前に立つ女を、眺めた。
切れ長の目に、薄い唇。
純和風美人に見えるリンネは、その身から漂う…異様な気を察することができない者には、華奢な人間にしか見えなかった。
「何の用なの!」
明菜は怯むことなく、リンネを見据えた。
リンネは強がる明菜に、クスッと笑うと、
「警戒しなくても…今は、あなた達の敵ではないわ」
と言い、二人にまたウィンクした。
「敵じゃ…ない…?」
明菜は、リンネの言葉に息を飲んだ。
そんなことを言われたくらいで、気を許すことなんてできなかった。
ある意味、この世界の誰よりも、彼女が危険だった。
警戒心を解かない明菜を、リンネは無視して、神野の全身を目で確認した。
明らかに、彼のものではない右腕に、リンネは心の中で、ほくそ笑んだ。
そして、真っ直ぐに神野の目を見つめ、
「あなたが…沙知絵の彼氏ね」
「!?」
リンネの口から出た…思いもよらない言葉に、明菜と神野の表情が強ばる。
「間違い…ないようね」
二人の様子を見て、リンネは頷いた。
「どうして…それを知っている!」
神野は次元刀を突き出し、そのまま突進する。
しかし、リンネの体は炎のように揺らぎ、神野は突きの体勢のまま、リンネの体を突き抜けた。
「だって…」
リンネは、神野と明菜の間に立つ。
「今…あたしは、沙知絵とともにいるから…」
「な!」
明菜と神野は絶句した。
「あなたの彼女とともにいるのよ」
リンネは神野を見て、クスッと笑った。
「沙知絵は、どこだあ!」
神野はジャンプし、リンネの頭上から次元刀を振り落とす。
「せっかちな男ね」
リンネの髪が逆立ち、神野の全身に絡み付くと、自由を奪った。
神野はそのまま、空中で固定され、動けなくなる。
「神野さん!」
心配して、前に出ようとする明菜に、リンネは軽く微笑み、
「心配しなくていいわ。殺す気なら、とっくに殺してるから…」
リンネの瞳の奥に一瞬ちらついた…殺気に、明菜は息を飲んだ。
明菜は足を止めたが、決して後退ることはしなかった。胸をぎゅっと握り締め、リンネを見据えた。
「フン」
そんな明菜に…リンネは軽く鼻を鳴らすと、神野を縛り付けたまま、明菜に近づいた。
「もう1人…行動をともにしている女が、いるはず」
「もう1人……?」
「そうよ…。もう1人いるはずよ」
リンネは、明菜を見据えた。
その瞬間、初めて…明菜は一歩下がった。
その様子に、リンネは心の中で、ほくそ笑んだ。
そして、足を止め、ゆっくりと両手を組むと、
「別に…その女も、どうこうしょうという訳じゃないわ。ただ…」
「ただ……?」
明菜は、唾を飲み込んだ。
そんな明菜を嬉しそうに、数秒…眺めた後、リンネは言葉を続けた。
「その女に…近々、電話があるはず」
「電話?」
明菜は眉をひそめた。
「そう…」
リンネは頷き、
「その電話が…あなた方に告げるわ。沙知絵の行き先と……」
リンネは、明菜の目を見つめ、
「赤星浩一が来るべき場所をね」
「赤星浩一……こうちゃん…」
思いもよらない言葉に、明菜は目を見開き…動きが止まった。
「沙知絵の…居場所…」
リンネの髪に絡まれて、空中で身動きできない神野が呟いた。
リンネのそんな二人の反応に、満足気に頷くと、
「電話を楽しみにすることね」
微笑みながら、テレポートし…その場から消えた。
空中で突然解放された神野は、何とか転けることなく、着地した。
「沙知絵…」
しかし、着地するとすぐに、両膝を地面につけ、崩れ落ちた。
「神野さん…」
明菜は近づこうとしたけど…神野の雰囲気は、それを拒否していた。
そばで、ただ…見守る。
しばらく…神野は、声を出さずに泣いていた。
その嗚咽が終わるまで…明菜はただ見守っていた。
数分後…神野は自ら立ち上がると、大きく深呼吸をして、右手に握った次元刀を横凪ぎに、一振りした。
衝撃波が、空気を切り裂く。
その鋭さを確認した後、神野は明菜の方を見た。
「今の女には、次元刀が通じなかった…。あの女は、何者だ?」
神野の問いに、明菜はこたえた。
「彼女は…リンネ。異世界の魔神…。向こうの世界で…魔王に次ぐ者です」
「なるほど…」
神野は頷くと、明菜に近づき、次元刀を明菜の中に納めた。
「彼女が本気になれば…この国くらいは簡単に…滅ぼせます」
明菜の真剣な瞳に、神野は考え込んだ。
「だとしたら…それ程の者が、どうして…沙知絵といるんだ……?」
「わかりません…。最初に会った時は……あたしの剣で、時空を越えれるから…やつらに、渡ることを懸念してましたけど…」
神野のしばらく黙り込み…おもむろに口を開いた。
「やつらとは…」
「多分…」
明菜が言葉にする前に、神野の自分の右腕を触り、
「こいつらか」
明菜は頷いた。
「だったら…どうして…」
二人が考え込んだ時、二人に駆け寄ってくる人物がいた。
はっとして、神野と明菜が構えるが……。
「どうした?何かあったのか?」
近づいてきたのは、中山美奈子だった。
「部長……」
明菜が緊張を解くと、神野は逆に…美奈子を凝視した。
「もう一人に……電話…」
それは、明らかに……美奈子のことだろう。
(知ってる者から、電話が入るのか……それとも……)
ここで、神野も明菜も勘違いをしてしまった。
リンネの言うように、電話は入ることになる。しかし、それは…用がある人物に直接かかることではなかった。
「電話がかかってくる?」
明菜から、リンネと会った内容を聞いた美奈子は、訝しげに首を捻った。
「…ということは、向こうの誰かが…あたしの番号を知っていると…」
美奈子は、自らの黒い携帯を見つめながら、記憶を辿った。
「リンネは…あたし達の劇団に潜り込んでいたんですから…部長の番号を知ってるんじゃないんですか?」
明菜の言葉に、美奈子は首を振り、
「前の携帯は、劇団の連絡用でもあったからな…。あたしが、しばらく脱退するんだったらって…劇団専用に名義を変えて、店に置いてある」
美奈子は今の携帯を、明菜に示し、
「こいつは、最近新しくしたから…お前ら以外知らないはずだ。化け物とやり合ってるんだから、知らないやつに、迷惑はかけれないからな」
「だったら…店にかかってくるんじゃ…」
明菜の言葉を、美奈子は遮った。
「あいつが…そんな間違いを起こさないだろうな…」
美奈子の脳裏に、不敵に笑うリンネの姿がよみがえる。
「だったら…」
「やつらは、人間じゃない…。我々の考えなんて…通用しない」
神野は、美奈子の携帯を見つめながら、口を開いた。
「いつまで…携帯が鳴った場合…すぐに出よう」
神野の言葉に、明菜と美奈子は頷いた。
その時、唐突に携帯が鳴った。
明菜はびくっとした。
三人の間に、緊張が走る。
美奈子は、携帯に出ようとしたけど……携帯が鳴っていない。
美奈子の携帯ではなかった。
美奈子は無言の携帯から顔を上げ、二人を見た。
はっとして、明菜が携帯を探す。
神野は、携帯を持っていない。
デニムのポケットから、出てきた明菜の携帯は輝いていた。
慌てて、明菜はディスプレイに表示された名前を確認した。
「綾子ちゃん…」
「綾子ちゃん…!?」
いきなり、かかってきた相手を知り…驚き戸惑ってしまう明菜に、美奈子は叫んだ。
「明菜!深呼吸しろ」
美奈子の舞台現場のような指示に、明菜ははっとして、すぐに一度…不器用な深呼吸をした。
「落ち着いて、出ろ!」
明菜は頷くと、電話に出た。
(綾子…)
美奈子には、聞き覚えがあった。
神野は目をつぶり…心を落ち着けている。
「はい…」
明菜は返事をした後、ただはいはいと頷き…最後に…明菜は目を細めた。
「わかったわ…」
そして、携帯を切った。
「明菜…」
完全に切れたことを確認すると、美奈子は明菜に詰め寄った。
明菜は一度、息を吐いた後、美奈子を見た。
「大した話じゃ…なかったです…」
明菜は、内容を説明する前に、美奈子に言わなければいけないことがあったことを、思い出した。
「部長…。あたし…数日前に、幼なじみにあったんです。近所の年下の…女の子」
ここで明菜は一度、言葉を切ると…今かかってきた携帯に目を落とし、
「その女の子は…あたしの一番仲が良かった幼なじみの…妹…」
ぎゅっと携帯を握り締め、
「……………赤星浩一の妹です」
「赤星浩一…」
美奈子は、名前を反復した。
「赤星浩一………」
神野は、ゆっくりと目を開けた。
「はい」
明菜は頷いた。
美奈子は少し、考え込んだ後…明菜の携帯に目をやり、
「さっきの電話の内容は?」
ときいた。
「ただ………もうすぐパーティーの準備が始まるから…あたし達を招待すると……。きちんと日時が決まったら…また電話すると…。それだけです」
「パーティーか…」
美奈子は腕を組み、今の電話のタイミングを考えた。
(赤星浩一の……妹…)
それだけで……その妹が、一連の出来事に無関係とは、思えなかった。
「まあ……いい」
美奈子は呟くように言うと、明菜を見つめ、
「とにかく…次の電話を待ちましょう。多分…それが…」
そして、神野を見、
「決戦の時よ…」
「決戦の時……」
明菜はぎゅっと、携帯をまた握り締めた。
神野はその言葉に、わなわなと体を震わせると突然、その場で土下座した。
「神野さん!?」
驚く二人に、神野はさらに頭を下げ、
「すまない…。こんな危険なことに、巻き込んでしまって」
額を地面につける神野の前に、明菜はしゃがみ込み、
「顔を上げて下さい。これは…神野さんのせいじゃなくて……もともとあたしの運命なんです」
「運命……」
顔を上げた神野に、明菜は微笑み、
「多分…生まれた時から、決まっていた…運命…」
明菜の頭に、赤星浩一の姿がプレイバックする。
懐かしげに、目を細める明菜を…神野は目を見開いて、見つめた。
「あたしは……」
美奈子は腕を組んで、二人の横に立った。
「知らないで、すませられないたちなんでな」
美奈子は、顔を上げた二人にウィンクした。
そして、美奈子は空を見上げた。
「この空の下で…何が起こってるのか…。そして、起こさない為には、どうすればいいのか…。あたし達は、見極めなければいけない」
美奈子の言葉に、明菜と神野は頷いた。