第102話 木漏
太平洋の赤道近くにある…小さな島。
木々が生い茂る緑の島を、ただ青い海が囲っていた。
綺麗な島だが、砂浜がなかった。
まるで、空中庭園のように、海から突き出したような島は、人の浸入を拒んでいた。
自由に入れるものは、空を飛べる者だけである。
翼なき者は、入れない。
緑に覆われた島の中央に、穴が開いていた。
水が溜まり、泉のようになっていた。
もしかしたら、火山が地殻変動で、海底から突き出し…火口に、水が溜まったのかもしれない。
今は、ただ…静かで、のどかな島だ。
泉は、澄んでいるが…底は見えなかった。
風に揺れる水面の下から、黒い影が上昇してくる。
水面から飛び出した影は、水しぶきを上げながら、太陽に向かってジャンプした。
もし、人がいたなら…人魚と勘違いしただろう。
事実は…その影の下半身は、魚の尻尾だった。
「ここは…気持ちいいわ」
影は、また水面に飛び込むと、顔を出した。
マーメイドモード。
アルテミアの水属性の戦闘スタイルだった。
顔を出した後は、普通の人型に戻り、アルテミアは水面に浮かんだ。
空を見ていると、ひたすら青く…太陽が近い。何とかしたら掴めそうに思えた。
しばらく浮かんでいると、アルテミアの回りに、渡り鳥達が羽を安めに、泉に降り立った。
アルテミアは気を押さえて、風と一体化する。
鳥の鳴き声…木々の揺れる音…自然の音は、すべて心地よかった。
そんな静寂を破るように、場違いな電子音が、泉に響いた。
驚いた鳥達が、一斉に飛び上がる。
アルテミアは、携帯を取り出した。
そして、その文面を見て、鼻を鳴らした。
「やれやれ…」
アルテミアは携帯をしまった。
「どうしたの?」
僕の質問に、アルテミアは空を見上げながら、
「いつものやつだ」
少し呆れたようなアルテミアの口調に、僕はため息をついた。
「どうして…何だろ?」
「調子に乗ってるんだろ」
アルテミアは、雲一つない空を睨んだ。
ここ最近…携帯に来るメールの内容が、変わってきていた。
前は、化け物に狙われているが、圧倒的に多かった。
そして、化け物になったから、殺してくれになり………今は、
(化け物になったから、あなたと戦いたい。倒せるものなら、やってみろ)
と挑戦的な内容が多い。
「どう思う?赤星」
アルテミアの質問に、ピアスから少し悩んだ僕の声が、聞こえてきた。
「つまり…化け物となった自分を、肯定しはじめていると…」
アルテミアは、太陽を見つめながら、
「力に溺れ初めている」
ここ数日のメールは、こんな感じばかりだった。
「あたし達を、誘きだそうとしているな」
アルテミアは、唇を噛み締め、
「舐められたものだ…」
「でも、誰が?」
僕の脳裏に、橋の下で会った男や、黒ずくめの男達…そして、ギラやサラ…リンネが浮かんだ。
ブルーワールドの他の…魔神かもしれない。
僕達はまだ…騎士団長を残し、ほとんどの魔神が、ブルーワールドに帰ったことを知らない。
「サラ達が、携帯を使って、あたし達を呼び出すことは、考えられない」
アルテミアは水面から起き上がり、爪先で水の上に立った。
顎に手をあて、考え込む。
そして、おもむろに口を開いた。
「赤星…」
「え?何?」
「魔獣因子って、何だ?」
アルテミアの問いに、僕は少し驚いた。
「そ、それは…」
僕も説明する為に、考え込んだ。
「魔獣因子は…人の未来なのか?」
アルテミアは、首を捻った。
魔獣因子。
かつて、ブルーワールドにて存在した…魔物と戦う為に、結成された魔法防衛軍。
そこの最高機関の安定者の1人であったクラーク・マインド・パーカーは、語っていた。
魔獣因子とは、僕が生まれた実世界にしか存在しないもの。
安定者の1人でありながら、安定者の地位を捨てた蘭丸は、僕らにこう言った。
(数多くの異世界を渡ったが…人が支配者として、君臨しているのは、ここしかない)
クラークは、言葉を続けた。
(魔物がいないと、思うか?お前達の世界にも、魔物の存在らしきものは、残っている…つまり!)
クラークの姿が、人間ではなくなる。
(本当は、魔物として存在するはずだった人々!彼らの遺伝子には、その種が残されているが…余程のことがない限り…眠っている遺伝子が、目覚めることはない!)
クラークは、ブルーワールドの生まれではなく…もしかしたら、僕と同じ…この世界の出身者かもしれなかった。
僕は、ブルーワールドでの死闘の続く日々で…自然と覚醒した。
クラークによって、異世界に呼ばれた舞子達は、無限の魔力を使うことができるブラックカードによって、魔獣因子を目覚めさせられた。
僕はブルーワールドで、クラークと戦った。
(魔獣因子が目覚め…例え、人でなくなったとしても!力に溺れることなく、人の心を持ち続けることが…できるならば…)
クラークの体に、僕はライトニングソードを突き刺した。
(その者は、人である)
クラークは、僕にブルーワールドに住む人の未来を託して、死んだ。
そのことを説明すると…アルテミアは、フッと笑った。
「だとしたら…魔獣因子は、人の進化じゃないだろ?」
「え?」
アルテミアの言葉に、僕は唖然とした。
「そうだろ?それは、もともと一部の人間の中に、組み込まれていたんだから。ただ…何かのきっかけで、遺伝子が目覚め、先祖帰りしただけだろ?」
アルテミアはまた、背中から倒れるように水面に落ちると、仰向けになった。
「人の未来と言うのは…やつらの嘘だ」
アルテミアはまた、太陽を見つめた。
「だけど…社会や学校で虐げられている人達の中から、目覚めているのが、多いのはどうして?」
アルテミアは即答した。
「それは、滅びない為だろ」
先程まで雲一つなかったのに…アルテミアが見ていた太陽が、分厚い雲に隠された。影が、泉を覆う。
「遺伝子を残していく為には…目立たない方が、いいからな。強い遺伝子が残るというが…強すぎる遺伝子は、葬られる」
アルテミアは、雲を睨み、
「でも…個人差はあるだろうけど。遺伝子が、行動を100%決めるわけでは、ないしな」
クラークに呼ばれた五人は、おとなしいとは、言えなかった。
「もし…その因子が、強引に進化だというなら…。それだけで、どうする?」
「どういう意味?」
「人が、猿から進化した時、人の仲間は何人いた?人は、どうやって、この世界に君臨できた」
アルテミアも口にしながらも、考え込んでいた。
「あたしの世界では、人間は君臨していないけど…。何か特別な力が…必要だ」
アルテミアは、両手を天に向けた。
「この世界に…君臨する為には、膨大な時間も必要なはず」
「でも…メールも増えてし…」
「たかが…数十件だけ。何億もいる人々に、取って代わることは、不可能だろ」
アルテミアは立ち上がり、翼を広げた。
「だが…魔物が、つねにいない世界で、知人が魔物になれば…混乱は起こる」
「混乱に乗じて、行動を起こすと?」
「違うな!混乱は…表面上だけだ!支配するなら、地下に潜る」
アルテミアは、太陽に向かって飛び立った。
「…で、どうなさいますか?」
カウンターに座る綾子の前に、コーヒーが置かれた。
小さな喫茶店の中、綾子はくつろいでいた。
そんな綾子を、マスターは見つめていた。
「…」
マスターの質問に、綾子はすぐには答えなかった。
カップから漂う香りを楽しんだ後、綾子はため息とともに口を開いた。
「何もしないわ」
そう言うと、カップを口に運ぶ。
「まだ…目覚めた者も少ないし…」
「もう一度…カードを送りますか?今度は、世界中に向けて…」
マスターの言葉を、綾子は遮った。
「まずは、この国だけでいいわ。種を持ってる者は、この国が一番多いし…」
綾子は、カップを置いた。そして、カウンターに頬杖をつき、
「それに、言葉が通じない。目覚めたのに、言葉が通じないなんて…神って、残酷よねえ」
テレパシーを使っても、言葉をこえて感じ合うにしても、時間がかかる。
「まあ…」
マスターは、新しいコーヒーを入れながら、
「この国は、八百万の神々がいると、言いますし…」
綾子に微笑んだ。
綾子は肩をすくめると、カウンターから立ち上がった。
そして、扉に向かって、歩き出した。
「綾子様」
マスターは、コーヒーを入れる手を止めた。
綾子は、扉の前で足を止め、
「八百万でも…足りないわ」
自虐的に笑うと、扉を開け、
「力がいる。もっと恐ろしい力が」
綾子は、扉の向こうに消えた。
マスターは、その後ろ姿を見送りながら、呟いた。
「その力は……この国をまた、汚すことになる…」
マスターは、コーヒーを入れ終わると、
「だが…我々は、止まらない」
マスターは入れたコーヒーを、一口で飲み干した。
そのマスターの脳裏に、真っ赤な空が映る。
空が燃えているのだ。
「地獄は…つくられる…か…。人間によって」
マスターは空のカップを、カウンターに置いた。
「そして…今度は…」