第101話 涙雨
シトシト…と雨が降っていた。
赤い雨。
いや、違うな。
あの日は、雨だったけども…。
今は、違うな。
見上げた空を見つめながら…頬に涙が流れた。
それは、悲しいからではなく、嬉しいからだ。
今の自分を悪魔というなら、そう呼べばいい。
今なら、少しはわかる。
残虐な犯罪者の気持ちが…。
許されなくても、満たされている。
今の自分は…。
後悔はない。
いや、どうして…後悔なんかしなければいけないのだ。
この世界で、どうして…後悔が必要なんだ。
あの日……宮島勝は、死んだはずだった。
遺書も書いて、学校の屋上から、飛び降りたはずだった。
塀をこえ、飛び降りた時…覚えているのは…近づく地面と、激しい音だけだった。
過去のオーバーラップも、何もなかった。
夜の学校に忍び込み、屋上までいく途中の方が、気持ち悪かった。
人型にへこんだコンクリートの地面から、立ち上がると、血が出ていない自分と…肌の色が、おかしいことに気付いた。
いや、色より固さが気になった。
弾力はあるが、あきらかに…今までよりは、固い。
顔を確認しようと、手で触ったとき、鼻が飛び降りる前より高くなっていた。
(フゥ)
しばらく…どうしたものかとその場で、胡坐をかいて、考え込んだ。
ちらっと上を見上げたが、屋上は三階の上だ。地面のコンクリートまで、遮るものもない。
5分程考えた後、宮島は立ち上がった。
考えても、仕方のないことだった。
結果として、宮島は死ねなかったのだ。
仕方なく、宮島は立ち上がると、もう一度屋上へと向かった。
途中、非常灯に照らされた窓ガラスで、顔を確認したが……見慣れた自分の顔しか、映らない。
少し安堵した自分が、嫌だが…決意を新たに、屋上へと階段を上った。
だけど…人は一度、冷静になると……一気に冷めてしまうものだ。
再び飛び降りる前に、風に飛ばされないように靴で止めていた遺書が気になってしまった。
宮島は、改めて遺書を読んでみた。
数分後、宮島は大笑いした。
内容は、いじめの告発だった。
自分をいじめていた相手の名前が、書いていた。
「こんなもの…公開されるかよ!」
だけど、どうしたらよかったのか。
相手の親にも送ったり、ネットに書き込んだり、警察も送り付けたら、よかったのか。
どれも、効果があるものか。
自分が死んでも、効果なんてあるはずがない。
宮島は、遺書を握り潰した。
そして、破り捨てた遺書を、さっきまでの自分の代わりに、屋上から投げ捨てた。
屋上からひらひらと舞いながら、風によってばらばらになって落ちていく紙切れに、宮島は自分を重ねた。
(そうだ…)
自分は死んだのだ。
ここにいる自分は、死体。
そして、今動いている自分は…自分ではない。
(ゾンビ…じゃないな)
宮島は頭をかいた。
あれほど…死にたいと思うくらいに、追い詰められていた気持ちが、落ち着いていた。
拳を握り締めると、力が溢れた。
拳を見つめていると、その上に…雨が降ってきた。
「雨…」
見上げた宮島は、目をつぶり…降りだした雨を、全身で感じながら、やがて…にやりと笑った。
そして、その場で胡坐をかくと、どしゃ降りになってきた雨を気にせずに、ただしばらく座り続けた。
朝が来るまで。
数時間後…朝日は昇ったみたいだが…分厚い雲が、邪魔をしていた。
どしゃ降りの雨は、いっこうに止む気配を見せず…学校が活動を始める時間が来ても、止むことはなかった。
激しい雨が、宮島の飛び降りでできた穴を、目立たなくしていた。
下から、登校してきた生徒達の声が聞こえ、数分後アナウンスが響いた。
(本日は、大雨の為…全校朝礼は、体育館にて行います)
宮島は、そのアナウンスを聞いて、数分後…ゆっくりと立ち上がった。
そして、雨に打たれながら、全生徒が体育館に入るのを待つ。
体育館という閉鎖した空間に、人が集まる。
宮島は興奮状態として、体を震わせた。
そう…報復が始まるのだ。
体育館に向かう宮島。
一歩一歩…地面を踏みしめる度に、宮島の体から、力が溢れて来るのがわかった。
目が一瞬、ぐるぐる回ったような目眩を感じたけど、すぐに安定した。
さらに、視界が広がり、視力が上がったように思えた。
体育館の扉が、やけに小さく感じ、ノブを回した瞬間、ぐしゃと潰れてしまった。
普段は、簡単にくぐれる入り口が、屈まないと入れない。
体育館に、宮島が入った途端、ステージに上がってマイクの前にいた校長は、目を点にして、挨拶を止めた。
何度も目をこすり、確認する。
「ウオオオ!」
なぜか、宮島の口から雄叫びが発せられた。
自分でもわからなかったが、興奮していたのだ。
多くの人間を見て。
(あいつらは、どこだ?)
自分をいじめていた相手を探そうと…思った。
それから、宮島には記憶がなかった。
意識を取り戻したのは、数分後だ。
「ヒイイ」
声にならない悲鳴を上げて、尻餅をついた校長の様子に気付き…全校生徒が振り返った時、悪夢は始まった。
入り口の前にいたのは、5メートルを越す大男だった。
それも、一つ目の化け物。
生徒がパニックになるのに、数秒かかった。
あまりにも信じられないものを見ると、人は頭で考えてしまう。
その思考の遅れが、逃げるタイミングを逸した。
ひとっ飛びで、生徒達の列の真ん中に降り立った化け物は、力任せに両拳を振り回し、数人の生徒の頭蓋骨を粉砕した。
「うわあああ!」
一人の男子生徒の悲鳴が、スイッチとなった。
化け物から逃げ惑う生徒。
化け物は、真っ先に逃げる者を標的にした。
体育館の側面にある扉のノブを一番最初に掴んだ生徒は、後ろから飛び蹴りをくらい、背骨が折れた。
「きゃああ!」
女生徒の悲鳴が虚しく響き、圧倒的な力による殺戮は続いた。
「あっ」
数分後、意識を取り戻した宮島は、周りに転がる死体を見ても、別段…驚くことはなかった。
手に、担任の生首を持っていてもだ。
記憶がなくても、自分がやった確信はあった。
生臭い血の匂いも、別に気にならなかった。
死体は、体育館だけではなかった。
グランドや近くの校舎の廊下にも、死体は転がっていた。
そのほとんどが、力任せに引き千切られていた。
宮島は、担任の生首を投げ捨てた。
無残な死体を見ても、宮島には何の恐怖も、感情も、感慨もわかなかった。まして、後悔などするはずがなかった。
(だけど)
肝心の宮島をいじめていた生徒が、見つからない。
三人いたはずだ。
「チッ」
軽く舌打ちすると、宮島は一人一人をまるで物のように、蹴りながら探していく。
十人目でやっと、一人見つけた。
首が回転しており、絶命している一人目の顔を、宮島は何度も踏みつけた。
それを二人目…三人目と続けていく。
三人目を思いっきり、踏み付けていると…そばで動く者が目に入った。
それは…死体に隠れるように、床に顔をつけ、耳を塞いで、震えていた二人の生徒。
二人は、死体に隠れているのではなかった。
その場で、腰を抜かしたのだ。
それから、彼らは殺戮が終わるまでずっと、ただ怯えていたのだ。
「新田くんに…遠山くん?」
宮島の呟くような声が、静寂が支配するようになった体育館に響いた。
その声に、新田が顔を上げた。
「や、やっぱり…み、み、宮島くん……なの…?」
顔を上げた新田と、宮島の視線が合う。
宮島は、二人を知っていた。
同じいじめられる側の人間だった。
(だから…殺さなかったのか?)
宮島は、自分自身に嫌悪感を覚えた。
ガタガタと震えている新田と遠山は、顔を上げ…周りの惨劇に、また声にならない悲鳴を上げると頭を抱え、また床に顔をつけて、怯えだした。
「ば、化け物が…」
震えてながらも、口を動かす新田。
遠山は、何とか顔を上げ、宮島を見上げた。
「み、宮島くんは……大丈夫だったの?ば、ば…化け物は?」
遠山の言葉に、宮島は自分の体の変化に気付いた。
(暴れている時は…俺とは、わからないのか?)
小動物のように、床の上で丸くなっている二人を見ていると、宮島は妙な切なさを感じていた。
(これが…昨日までの俺…)
あまりにも弱く…脆く見えるものを…守るか…それとも、いじめるかは…人によって、違う。
だけど、宮島はいじめていた三人の行動が、少し理解できた。
しかし、だからといって、三人を肯定することはない。
(三人は、殺してもよかったけど…)
宮島は、拳を握り締めた。
(弱いままでは、いけない)
宮島の全身から発せられた気に、新田と遠山は本能的にびくっと、体を震わせた。
その時、宮島の後ろから拍手が聞こえてきた。
宮島が、振り返ろうとすると、四方から拍手がわき起こった。
「素晴らしい!」
そう言いながら、宮島に近づいてくるのは、全身黒ずくめの男。
さらに囲むように、四人の黒ずくめの男女が、体育館の上から飛び降りると、宮島に向かって再び拍手をし出す。
「君のこの行動!この強さ!」
後ろから近づいてきた男は拍手を止め、両手を広げた。
残りの四人は、拍手を強める。
「これほど…殺したのに、君の心に、ブレはない!そう!」
男は、黒のサングラスをしていた。片手でサングラスを外すと、裸眼で宮島をじっと見つめた後、深々と頭を下げた。
「あなたは、目覚められた!人から、進化したのです」
「進化?」
宮島の問いに、男は顔を上げた。
「あなたは、人という劣等生物ではなくなったのです」
黒ずくめの男は、山根だった。
山根は微笑み、
「あなたに相応しい世界へ導く為…私は、ここに来ました」
山根は、血だらけの床に跪き、右手を差し出した。
「俺は……そうなのか…」
自分の行動を肯定された宮島は、恍惚の表情を浮かべ、山根の手に触れようとした。
しかし、山根は触れる寸前、手を引いた。
「!?」
目を見開き、驚く宮島に、山根は跪きながら…上目遣いで少し顔を上げ、
「その前に…あなたには、やめることがありましょう」
山根は視線を、宮島から…新田と遠山に向け、睨むように二人を見た。
宮島も振り返る。
そこには、訳がわからずに、ただ怯えるだけの二人がいた。
「か、彼らは…」
宮島が何か言おうとしたが、山根は声を張り上げ、体育館に響くように言った。
「あそこいるのは、弱さに慣れてしまった者達!時間がたち、やり過ごせば、無事に過ごせると思っている者達!」
「あの二人は…俺のとも…」
山根はまた、言葉を遮った。
「友達ではございません!友達ならば、どうして…死を選択するにまで追い詰められたあなたを…助けなかった?」
「そ、それは…」
「彼らもいじめられながらも…優越を付けていたのですよ!あいつより、ましだ!あいつが、矢面に立っていれば…自分達が、助かると!」
山根の射ぬくような視線に、新田と遠山は息が詰まり、声が出ない。
宮島はゆっくりと顔を、新田と遠山に向けた。
宮島の頭に、いじめられた日々がよみがえる。
(そういえば…)
三人でいても、殴られてるのは、いつも宮島だけだった。
助けてくれたことなどない。
と思うと、宮島の心の奥底から、怒りがこみあげてきた。
その様子を見ながら、山根はにやりと笑った。
その笑みは、新田と遠山を見ている宮島には、見えない。
「さあ!あなたはもう…この生物とは、違う!過去の弱さを、殺すのです」
山根は、楽しそうに笑った。
断末魔の声とともに、数秒で新たな死骸が、2つ増えた。
激しく肩で息をし、涙が少しだけ…宮島の瞳から溢れた。
しかし、それが人としての最後の涙だった。
「おめでとう!」
山根は立ち上がり、拍手する。
他の四人も拍手をする。
山根は拍手をしながら、宮島に近づくと、目の前に回った。
今度は立ったまま、宮島に右手を差し出す。
「さあ…行きましょう!」
宮島も頷き、血まみれの右手を差し出した。
だけど、それに気付き、自分の服で拭おうとしたのを、山根は止めた。
宮島の腕をつかむと、血まみれの手を、両手で握り締めた。
「同志よ」
強く握り締めると、山根は宮島を促す。
「さあ!未来へと!あなたが、いるべき場所へ、お連れします」
「ありがとう」
宮島は頭を下げ、笑顔になると、五人に囲まれながら、歩きだした。
もう…宮島の頭からは、いじめた三人のことも、新田と遠山のことも…ただ殺戮した生徒達のことも、消えていた。
今の宮島には、どうでもいいことであった。
どしゃ降りの雨の中、宮島は歩きだす。
激しい雨は、校門を抜ける頃には、宮島の体についた血を、ほとんど洗い流し落としていた。
数時間後、学校に遅れてきた生徒の通報により、駆け付けた警察は、犯人の逃走経路を追ったが、校門の近くから、ばったりと消えていた。
もしその時、警察が近くにあった十階建てのマンションの屋上の手摺りの端を、調べたなら…ほんの少しの血痕を、見つけたかもしれない。
体育館をメインに、そこらじゅうに散らばった死体達は、部分がバラバラに飛び散っており、誰のものか判断するのは、容易ではなかった。
その中に、宮島の体がないことに気付くことも。
校舎から飛び降りた跡は見つかり…宮島の血痕が少し残っていたことから…彼もまた、死んだとされた。
あまりにもひどい…どしゃ降りが、正確な捜査を少し曇らせてしまったのだ。
 




