第98話 優男
人が…社会的動物だとしたら、この世界を生き抜く為に、強さがいる。
勝ち組と負け組というが…金を得るだけが…勝ちなのだろうか。
(まあ…お金のない私が言うのは、何ですが…)
量販店の品だしの仕事をしている浅田仁志は、ふっと幸せについて考えていた。
金を得て、何でも買えるようになれば…しあわせになるのだろうか。
何でも買える…何でも買うということは……本当に、ほしいものがないというではないのだろうか。
満たされた者が、何でも欲しがるのだろうか。
勝ち組、負け組…それは、満たされない者の慰め合いのように、感じていた。
心が、穏やかならいいじゃないか。
仁志は、贅沢を望んでいなかった。ただ起きた時、朝の空気を楽しみ、日々変わる季節に気付き、ただ一生懸命に働き、食べるものをおいしく感じる。それだけでよかった。
だが、周囲の人々には、仁志は何の目的もなく、退屈な人間に見えた。
穏やか性格も、ただ暗いだけに感じた。
そんな仁志を、弱い人間は、格好のターゲットとした。
つまり、不満の捌け口としたのだ。
「トロいような〜さっさと、並べろよ!」
上司の言葉は、冷たい。
「はあ〜」
仁志の隣にいる先輩は、ため息をついた。
「どうして、お前と一緒なんだよ」
品だしは、お客と直接接客することが、少ない。したといても、安い商品の対応や、売り場の場所説明ぐらいだ。
つまり、接客に向かないと判断された者が、回される部署だった。
仁志の隣りにいる先輩は最近、この部署に移動となったばかりだった。
「たくよ!お前と、俺は違うんだよ」
人は自分よりも、下の者をつくり、そこにせめてもの安らぎを見いだす。
こいつもよりも上だ。
それが、明らかにわかるレベルで…自分を慰めたいと思った時、人は冷たくなる。
「まったく鈍いな!」
裏に回ると、
「おい!ジュース買ってこいよ!」
さすがに大人だから、金は出すが…自分の分だけだ。
仁志は、先輩の店員から金を渡されて、外まで買いに行く。
「おい!灰皿!」
ジュースを渡す仁志の後ろから、別の先輩が声をかけた。
灰皿の場所は、その先輩の後ろだ。
人は、誰かを捌け口にする。
それでも、仁志はそれもまた…人間社会での仕事と考えていた。
仕事を円滑に回す為の。
別に、目立った失敗もしていない。そつなく仕事をしていた。
「浅田…お前、ボーナスカットね。理由はわかるだろ?」
経費削減を上から命じられた店長は、一番楽な方法を取った。
「大した仕事もしてないんだから」
不満も言わず、やめない人間を選んだのだ。
(贅沢をしなければ…大丈夫)
仁志は、文句も言わずに、店長に頭を下げた。
店内に出ていると、お客さんの数が減っていて、売上も落ちているのもわかっていた。
店がなくなり、仕事を失うよりはよかった。
働ける場所がある。
それだけで、幸せだ。
仁志は、また仕事場に戻る。
新しい商品を並べ、在庫管理もいなければいけない。
お客と接客して、高額商品を売ることはなかったが、自分が並べてレイアウトした商品が売れて、減っていくことは、単純に嬉しかった。
それだけで、働く喜びを感じることができた。
一生懸命商品を並べていると、仁志の前に誰かが立った。
しゃがんでいた仁志は、お客さんが商品の場所をききに来たと思い、
「はい」
慌てて立ち上がろうとした。
すると、驚いたことに…お客と思われる男は、仁志の前にさっと跪いたのだ。
「毎日…ご苦労様です」
男は、頭を下げた。
「え…お、お客様…」
戸惑う仁志に、男は微笑みかけ、
「こんなに…心が弱く…狭い人間に囲まれて…堪え続けるあなたの素晴らしさに、感動しました」
男は、深々と頭を下げた。
「や、やめて下さい」
男の行動の意味がわからず、慌てている仁志の様子に気付き、他の店員達が近づいてくる。
その中で、一番慌てて、男と仁志の間に割って入ったのは、店長だった。
「申し訳ございません。お客様…。何かこの者が、ご迷惑を」
腰を屈め、愛想笑いを浮かべる店長に、男はゆっくりと立ち上がった。
店長も立ち上がる。
「迷惑は…」
男は微笑みながら、店長を見た。
そして、
「お前の方だ!」
男は右足を上げ、まるで鞭のようにしならせると、再び床に足をつけた。
すると、店長の首がスライドした。
「店長…」
屈んでいた仁志の目の前に、店長の首が転がった。
まだ見えてるか…パクパクと口を動かしていた。
男は、腕を真っすぐに突き出し、店内にいる店員やお客を指差した。
「醜い人間どもが…」
女のお客が転がる首を見て、悲鳴を上げようとした刹那、男は移動し、女の首にスネを叩き込んだ。
まるで達磨落としのように、女の首だけが飛んでいく。
「人間の悲鳴は、不快だ…。無言で死ね」
男は、黒いコートを羽織っていたが、すぐに脱ぎ捨てた。
すると、男の右足が露になった。
鋭い鎌がついた…義足。
「さあ…今日で、終わりだ。お前達に、未来は来ない!今から、未来を殺すからな」
男は、両手を広げた。
その瞬間、五人の男女が店内に飛び込んできた。
皆…赤いコートを羽織っていたが、すぐに脱ぎ捨てると、各々の体を見せ付けた。
五人とも、手足のどれかが、義足や義手だ。
「殺せ!」
男の号令に、五人男女は、店内やいた人々に、襲いかかる。
「きゃ―!」
人々の叫びと、店内の棚やショーケースが倒れ、仁志が並べていた商品も床に転がる。
逃げる人々が、次々に殺されていく。
「や、やめて下さい!」
仁志は、命令した…目の前の男に、詰め寄った。
「どうしてですか?」
男は、目を丸くした。
「こ、これは…い、いけないことだから…」
口籠もる仁志に、男は顔を近付け、
「その割には…あなたは、心が痛んでいない」
にこっと微笑んだ。
「え?」
仁志は、自分の胸をぎゅっと押さえた。
痛んではいない。
そのことに気付き、仁志は自分に愕然とした。
「何をしてる!」
仁志のいる店は、ショッピングセンターの一角にあった。
誰かが通報したのか、警備員が走ってくる。
「佐々木…」
男はそばで、仁志の先輩を殺したばかりの女に声をかけた。
女は頷くと前に出て、左手を突き出した。
すると、左手の指先からレーザーが放たれ、近づいてくる警備員を切り裂いた。
そして、レーザーはショッピングセンターの壁も、破壊した。
唖然とする仁志に、男は話し掛けた。
「我々は、あなたのような方々を守る為に、存在します」
男は、仁志の背中を軽く押し、前に促した。
他の二人も、指先からレーザーを店内で発射した。
店内に、火が上がった。
スプリンクラーが作動したが、レーザーは天井をも切り裂いた。
「さあ…行きましょう」
仁志は、男に促され、ゆっくりと店内から出た。
これから、何があるかわからないが…仁志の足が、自然と動いていた。
「山根様…」
仁志を促して、出ていく山根に、佐々木が声をかけた。
「指示どおり、警備室のモニターと、記録テープ類は破壊しました」
「有無」
山根は頷き、
「後は…任せた」
「は!」
佐々木は、敬礼した。
1人店内に残る佐々木を残して、仁志と山根…後に四人が続く。
「あの人は…?」
振り返り、1人残る佐々木を、仁志は不安げに見つめた。
「我々…実行部隊は、進化した者達の中でも、安定できなかった…不安定な存在の集まりです。人の未来を殺し…進化した者を、守る」
進路の邪魔になる人々を蹴散らしながら、山根は話し出した。
「我々は…あなた方と違い…不安定な為に、未来をあなた方とともに、生きることはできない」
燃え上がり、人々の死体が転がる店の前に佇む佐々木は、駆けつけた警官達に、笑いかけた。
「動くな」
警官はすぐに、銃を向けた。
その瞬間、佐々木は義手につけていた爆弾を起爆させた。
周囲三百メートルは、跡形もなくふっ飛んだ。
警官達も、起爆させた佐々木本人も……肉片も残らずに、消え去った。
「我々はまだ…証拠を残すわけにはいきません」
山根は、仁志に話を聞かせていた。
暗く落ち込んでいる仁志に、山根は微笑みかけた。
「今…殺したのは50人くらいです。あなたの価値は、心の弱い人間の50人以上…。それに…人は、50億もいる。今、死んだ数など…微々たるものだ…」
山根は、仁志に微笑んだ。
「さあ…行きましょう。新しい世界へ」