前世餅の少女が願うこと
私の前世は餅だった。
年末から年始にかけて、床の間に飾られる鏡餅。それが私だった。
餅である私の本懐は、美味しく食べてもらうこと。
お雑煮でもお汁粉でもいい。来る鏡開きの日に備え、私は密かに万全のコンディションを整え、その日を迎えた。
だが、ああなんということか。鏡開きの日から一日が過ぎ二日が過ぎ、それでも私が食べられることはなかった。
そして、ある日「ああ、そういえばまだ飾りっぱなしだったわね」という残酷な言葉と共に、あっさりと廃棄されてしまったのだ。
その他のゴミと共に焼餅になりながら、私は自らの運命を嘆いた。
ああ、せめて食べずに焼かれるなら焼かれるで、どんど焼きならばまだよかったのに。こんな形で灰にされては死んでも死にきれない。
そう嘆きながら、私は願った。
もし、生まれ変わることが出来たなら……今度こそ、美味しく食べてもらいたいと。
* * * * * * *
そして、私は生まれ変わった。
元の世界とは異なる世界の、とある王国の片隅にある小さな村で、リース・ケークという名の人間の少女として。
最初、人の身に生まれ変わったのだと気付いた時は大いに驚いたし混乱したが、15年もの月日が経つともうすっかり慣れた。
しかし、慣れてもなお変わらぬ願いがある。
それは、前世からの願い。そう、美味しく食べてもらいたいという願いだ。
しかし、人の身に生まれ変わってしまった以上、その願いが叶う可能性は極めて低かった。
残念ながら私が生まれた村では食人の習慣はなく、王国の法においても禁忌とされているらしいのだ。
満たされぬ思いを抱えたまま、今日も今日とて農作業の手伝いを終えて家に帰る途中……ふと、その話が耳に飛び込んできた。
「どうする? 西の山に棲むドラゴンとの約束の日まで、あと2日しかないぞ?」
「早く生贄となる娘を選ばなくては……もう運を天に任せ、くじで決めるしかないのでは?」
「しかし……」
「迷っている場合か? 4年前、供物を断った隣の村が焼き払われたのを忘れたのか?」
村の大人達が集まって、何やら深刻そうに話し合いをしていた。
「一体、何の話?」
「……リースは気にしなくていい」
隣の父を見上げると、父は硬い表情でそう言った。
しかし、私は引くことなく何度もせっつき、父から話を聞き出した。
なんでも、この一帯の村は、毎年持ち回りで西の山に棲むドラゴンに供物を捧げているらしい。
供物の内容は、野菜や穀物に、キラキラした貴金属。そして……若い娘。
重い口調で語る父の前で……私は密かに、「これだ!」と思った。
そうだ、なにも人間にこだわる必要はない。人間が食べてくれないなら、魔獣に食べてもらえばいいのだ。
一気に目の前が開けた心地がした。
私はその足で話し合いをしていた大人達の元へと向かうと、自ら供物に立候補した。
大人達もまさか人身御供に自ら名乗り出る者がいるとは思っていなかったのか、とても驚き混乱した様子だったが、最終的には「自分からやると言っている者がいるなら」ということで受け入れられた。
そして、2日後の早朝。
私は今まで着たことのない綺麗な衣装を着せられ、村の入り口に来ていた。
家族には反対されると思ったので、何も告げていない。ただ、置手紙だけ残して黙って出てきた。
「リース、行くな! 君が犠牲になる必要なんてない!!」
これで、もう誰も私を止める者などいない……と思っていたのだが、幼馴染である村長の息子が何やら騒がしい。
周りの大人達に取り押さえられながら、さっきから必死に私を制止しようとしている。
「くそっ! 放せ! 放せよ!! リース! リースぅぅーーー!!」
必死に叫ぶ彼に、私は安心させるように晴れやかな笑みを向ける。
そんなに心配する必要はない。私は今人生の絶頂を迎えているのだ。
遂に、私の願いが叶う。この衣装もなかなかいい。橙を思わせる鮮やかな髪飾りに、この腰の赤いリボンなどさながら御幣のようではないか。
「どうか、お幸せに」
私は今最高に幸せなのだ。皆にもそのおすそ分けをしたいほどに。
晴れやかな笑みと共に告げた心からの言葉に、誰もが絶句した。
それまで必死に叫んでいた村長の息子も、大きく目を見開いて固まった。
「……行くぞ」
「はい」
まるで恥じ入るかのように顔を伏せて、低い声で促してくる付添人に、私は頷き歩き始めた。
「リース!! 行くなぁぁぁーーーー!!!」
背後ではまだ幼馴染の彼が叫び続けていたが、私はもう振り返ることはなかった。
* * * * * * *
「……ここで待っていろ」
「はい」
「……じゃあな」
短く別れを告げると、ここまで供物を運んで来た大人達は逃げるように山を下りて行った。
それを見送り、岩場の中でそこだけ祭壇のように平地になっている場所で待つこと1時間ほど。
不意に地面に巨大な影が落ち、見上げると体長5メートルほどの真っ赤なドラゴンが舞い降りてくるところだった。
「ようこそおいでくださいました。どうぞ、美味しく召し上がってくださいね?」
私は満面の笑みと共にそれを迎えると、自らその前に進み出た。
そんな私を、ドラゴンは金色の瞳でじっと見詰めると、おもむろにその巨大な手で私を掴み、ガバッと大きく口を開いた。
「え?」
いや……ちょっと、待って? え? まさか丸かじり? このまま?
予想外の事態に固まる私を、ドラゴンはそのまま口に放り込もうとする。
その瞬間、私は急激に気持ちが冷めていくのを感じた。期待を盛大に裏切られ、キラキラと輝いていた瞳がスンっと単色になるのが自分でも分かった。
これはない。ないわ~。
私はただ食べられたいわけではない。美味しく食べられたいのだ。
いや、まあ所詮魔獣だし? いくら知性が高いドラゴンとはいえ、料理という概念があるとは思ってなかったよ?
まあ、正直期待してなかったと言えば嘘になるけど、素材の味そのままって言うんならそれはそれでありだと思ってたよ?
でもさぁ、包装すら剥がさないってどうよ? 若い娘とか指定してるからてっきりグルメなのかと思ってたのにガッカリだよ。
そんな私の内心などお構いなしに、ドラゴンは私を口へと運ぶと、私の肩口にその巨大な牙を突き立てた。
しかし、その鋭い牙は私の自慢である白いもち肌に傷1つ付けることは出来ない。
戸惑ったような声を漏らすドラゴンに、私は口の中から静かに語り掛けた。
「知らないのか? 冷えた餅は……固くなるのだよ」
淡々と言いながら私は内に秘めた力を解放すると、力尽くで拘束を解き、地面に降り立った。
「ふぅ……まったく、期待外れだ。お前は、もういい」
折られた指とひびの入った牙に戸惑うドラゴンを前に、私はゆっくりと腰を落とすと、ギリギリと拳を引き絞った。
そして、がら空きのドラゴンの胴体目掛けて……全力で打ち込む!!
「食らうがいい……“冷えた餅はもはや鈍器”!!!」
その一撃はドラゴンの鱗を容赦なく割り砕き、その浸透した衝撃で内臓を破壊した。
ドラゴンの口から大量の血が吐き出され、その巨体がゆっくりと地面に沈む。
「はぁ……虚しい」
これからどうしようか。
萎えた気持ちのままぼんやりとそんなことを考える私の視界に、その他の供物である食料や貴金属が映った。
(そうだ……別れはもう済ませたし、このまま旅に出るのもいいかもしれない)
探しに行くのだ。私のことを美味しく食べてくれる相手を。
「よし、そうしよう」
そう声に出して宣言すると、私はその他の供物を道中の食料と路銀にして、まだ見ぬ町へと旅に出ることにした。
* * * * * * *
「はあぁ……」
王都にほど近い、とある大きな町の酒場で、私は溜息を吐いていた。
あれからいくつもの町を回り、私を美味しく食べてくれる相手を探したが、ずっと空振りが続いていた。
人間に食べてもらうのはもう諦めているが、魔獣でも人間を料理するような種族はいないらしい。
詰んだ。まあ、魔獣の中でも特に高い知性を持つと言われるドラゴンですらあれだったのだから、そこまで期待はしていなかったが……はあ、なんで私は人間なんかに生まれ変わってしまったのだろうか。
「ヒヒヒッ、少しいいかい?」
「?」
突然かけられた妙に甲高い声に顔を上げると、そこには黒いローブで全身を隠した怪しい老婆がいた。
私の返事を待つことなく正面の席に座ると、グッと身を乗り出して顔を覗き込んでくる。
「聞いたよ。あんた、自分を食べてくれる生き物を探してるんだって?」
「えぇ……まあ。でも、人間を美味しく食べてくれる魔獣は見付からなくて……」
沈んだ声でそう告げると、老婆は我が意を得たりとばかりにニヤリとした笑みを浮かべた。
「たしかに、魔獣ならそうだろうねぇ……でも、アタシには心当たりがあるよ」
「え!? 本当ですか!!」
予想外の言葉に興奮して立ち上がると、老婆は笑みを深めて席を立った。
「おいで。あんたの願いを叶えてあげよう」
* * * * * * *
老婆に連れられてやって来たのは、スラム街にある古びた屋敷だった。
中に入ると、広間に老婆と同じ黒いローブを着た人間が大勢集まっており、その中心に床に書かれた巨大な魔法陣があった。
促されるままその魔法陣の中央に立つと、周囲を囲んだローブの集団が一斉に怪しげな呪文を唱え始める。
その呪文に合わせて魔法陣が紫色の輝きを放ち、やがてどこからか黒い霧が発生し始めた。
霧はどんどんとその量を増し、魔法陣が一際強い輝きを放つと同時に収束すると、空中に漆黒の影を生み出した。
『ふむ……人間に呼ばれるのは何百年ぶりのことか』
そこに現れたのは、漆黒の翼に爛々と輝く赤い瞳を持った悪魔だった。
その悪魔に向かって、集団の中から一歩進みだした老婆が跪く。
「偉大なる魔界の七王が一柱、ベルゼブブ様。どうか我らの願いをお聞き届けください」
『ほう……我が魔王であると知って召喚したのか。さてさて、こうして人間界に顕現するのも随分と久しぶりのこと。願いを聞くのもやぶさかではないが……』
そこで、その真紅の瞳が私を捉えた。
『この娘が我への生贄か?』
「はい、若く美しい生娘でございます。ベルゼブブ様のお気に召すかと」
『ほう……たしかに、なかなかに上質な魂の気配がする。ふむ、して願いは?』
「……王家に呪いを。この国の王に連なる全ての者に災いを!!」
老婆が怨嗟に満ちた叫びを上げると、悪魔が酷薄な笑みを浮かべた。
『……よかろう。ならば、この娘の魂を対価として契約を成そうではないか』
「おお、ありがた──」
「ちょっと待った」
そこで、私は遂に我慢できなくなって話に割り込んだ。
『……なんだ? 哀れな娘よ』
「ちょっと確認したいんだけど……あなた、ベルゼブブだっけ? あなたが食べるのって、私の魂だけ? 肉体は食べないの?」
予想外の質問だったのか、宙に浮かぶ悪魔がゆっくりと目を瞬かせる。
『……そうだが? 我ら悪魔にとっては人間の魂のみが唯一無二の価値を持っている。その容れ物になど興味はない』
「……あっそぉ」
私はがっくりと肩を落とすと、魔法陣の外にいる老婆を振り返って言った。
「ごめん、お婆ちゃん。これ、私が思ってたのと違う」
眉をハの字にし、情けない声でそう言う私に、老婆は歯を剥き出しにして笑った。
「クヒヒッ、もう遅いよ。こっちはあんたの意思なんて知ったことじゃない。さあ、観念しな!!」
その叫びに応じるように悪魔が私に右手を向けると、私の周囲をどす黒い霧が包み込み始める。
「はぁ……」
これはない。ないわ~。
魂だけって、なにそれ? これだったらまだドラゴンの方がマシだった。
『さあ、その魂を差し出すがいい……』
そう言って凶悪な笑みを浮かべる悪魔を前に……私は、内に秘めたる力を解放した。
『ぬ……!?』
私の全身から放たれた光が、私を取り巻く黒い霧を掻き消す。
悪魔が驚愕の声を上げ、周囲の人垣からどよめきが上がった。
『貴様、なんだ、その力は……!?』
「……鏡餅が、どんな役目を果たすものか知っているか?」
『な、なに……?』
「鏡餅は……年神が宿る場所。魂の拠り所とされている」
私はスッと視線を上げると、動揺に揺れる真紅の瞳を真っ直ぐ見詰めて言った。
「つまり、そういうことだ」
『……ど、どういうことだ?』
「フッ……」
分からない、か。まあいい。
私は全身から放たれる神気を右手に集中させると、その手を悪魔へと向けた。
「食らうがいい……“神宿りし一撃”!!!」
『グ、ガァァァァーーーー!!!』
私の放った神の一撃は、悪魔を一瞬で消し飛ばし、余波だけで周囲の人間を昏倒させた。
「はぁ……虚しい」
またしても期待を裏切られたことにがっくりと肩を落とす。
そこへ、突然鎧甲冑を身に着けた騎士らしき人達が一斉に駆け込んできた。
そして、部屋の端で倒れるローブの集団を見て困惑した様子を見せ、その視線がただ1人無事な私に集まる。
ああ……なんか、面倒なことになりそうな予感。
* * * * * * *
その予感は正しかった。
私は王家に仇なす危険な魔術結社を壊滅させた功労者として、王都に召集された。
どこから情報が漏れたのか、なぜか故郷で竜殺しを成したことまで知られており、私は一躍英雄として祭り上げられてしまったのだ。
綺麗なドレスを着せられ、王家主催のパーティーに主役として放り込まれた私は、群がる貴族達の相手にげんなりしていた。
「はあ……」
隙を見計らってバルコニーに逃げ出した私は、王城の庭園を見下ろしながら溜息を吐いた。
「お疲れのようですね、英雄殿」
背後から掛けられた声に振り返ると、そこにいたのはこの国の王子。たしか……第三王子だったかな? 名前も紹介された気がするけど、よく覚えていない。
「……ええ、あまりこういった場は慣れないので。それと、その英雄殿という呼び方はやめていただけますか?」
「おや、名誉なことだと思いますが……では、リース殿とお呼びしましょうか」
肩を竦めながら、王子は慣れた所作でするりと私の横に並ぶ。
「名誉……私は、そういったことには興味はありませんので」
「そうなのですか? 多くの人が求めるものだと思いますが……そう言えば、騎士爵を与えるという話も断ったとか?」
「ええ、地位も名誉も私にとってはどうでもいいものです。私の願いは、たった1つ……でも、それは人間には叶えられないものですから」
「ほう……? 興味深いですね。その願いとやら、お聞かせいただいても?」
「構いませんが……別に、そんなに大したことではないんです。ただ、美味しく食べてもらいたいというだけで……」
私がそう言うと、王子はゆっくりと瞬きをし、ぐっと顔を寄せてきた。
赤い唇が弧を描き、その美しい顔に妖しい笑みが浮かぶ。
「なんだ、そんなことですか……では、わたくしがその願いを叶えて差し上げましょう」
「え……!?」
「こちらへ……」
腰に手を回され、私はその距離感の近さを少し気にしながらも、先導されるままにホールを抜け、城の廊下を進んだ。
胸の奥から、驚きと同時に期待がふつふつと湧き上がってくる。
食人は法律で禁止されていたはずだが……そうか、盲点だった。王族ならば、法に縛られない行動がある程度許されているのかもしれない。
てっきり、人間に食べてもらうという願いはもう叶わないと思っていたが……これは嬉しい誤算だ。
魔獣でもいいと妥協はしたが、やはり、魔獣と人間どちらがいいかと問われれば迷いなく人間だと答える。
食べられることなく捨てられてしまったという前世の未練。これを完全に解消するためには、やはり人間に食べてもらわなければ。
(まさか、嫌々参加したパーティーでこんなご褒美がもらえるなんて……っ!!)
これだけで、王城に来た甲斐がある。
期待に胸を躍らせる私。しかし、予想に反して連れ込まれたのは……食堂でも厨房でもなく、寝室だった。……あれ?
首を傾げる私。その後ろで王子が部屋の鍵を閉めると、妖しい笑みを浮かべたままこちらに近付いてきた。
「あの……部屋が汚れてしまうと思うのですが」
「うん? 構わないよ? シーツは取り換えればいい」
構わないらしい……本当にいいの? 結構凄惨な状態になると思うんだけど? というか、なんか馴れ馴れしくない?
疑問に思う私をよそに、王子は今度は正面から私の腰に手を回すと、甘い声で囁きかけてくる。
「リース……とても綺麗だ……」
そして、その口をゆっくりと私に近付けてくる。んん~~?
「ちょっと待った」
「むぐっ」
パッと手を割り込ませ、その接近を阻止する。
そして、口を塞がれたまま目をパチパチさせる王子に尋ねた。
「……包装は?」
そう問い掛けながら手を放すと、少し目を見開いた王子がクスリと笑みをこぼした。
「ふふっ、見かけによらず……積極的なんだね?」
「うん? 積極的っていうか……」
普通、包装は外してから食べるものだと思うんだけど?
何か噛み合わないものを感じながら周囲を見回し、首を傾げる。
「……あの、私を食べるんですよね?」
「そうだよ?」
「……食器は?」
「……は?」
完全に呆けた表情をする王子に、私の中で違和感が極まる。薄々感付いていたが、やっぱりなんか違うっぽい。
「私としては、きちんと料理をして、全身無駄なく美味しく食べてもらいたいのですが?」
「は……んん!? まさか、食べるって物理的に!?」
「それ以外にどういう意味が?」
「ん、な……そ、そんなことするわけないだろ!!」
その瞬間、完全に気持ちが冷めた。
王子の腕を抜けると、すたすたと出口に向かう。
「ま、待ちたまぶへぇっ!!?」
「あ……」
伸ばされる手を振り払ったら、勢い余って顔面に裏拳を叩き込んでしまった。
王子が奇怪な声を上げ、鼻血を撒き散らしながらベッドへと吹き飛ぶ。
「……ま、いいか」
私は冷めきった目でそれを見送ると、構わず外に出た。
すると、いきなり周囲を兵士に囲まれる。
「待て! 貴様、殿下に何をした!」
「隊長! 殿下が、血を吹いて倒れています!」
「なに!?」
部屋に駆け込んだ兵士の叫びに、剣を構えた兵士が血相を変えるが……どうでもいい。
構わずその横をすり抜けようとしたら、ガシッと腕を掴まれた。
「待て、逃がすと思うか?」
「……」
構わず、そのまま前に進む。
兵士は必死に踏ん張るも、私の力に抗うことは出来ず、ずりずりと引きずられる。
「ま、待て! このっ、待てというに!!」
そして、とうとうその手に握った剣を私の腕に振り下ろす、が……すっかり冷めきった今の私に、そんなものが通用するはずもない。
「な、なんだ!? 刃が、通らん……!?」
「はぁ……」
私は小さく溜息を吐くと……身の内に秘めた力を解放した。
「餅によって、最も多くの命を奪われた生き物とは何か……分かるか?」
いつの間にか廊下を埋め尽くすほどに増えた兵士達を見回しながら、そう問い掛ける。
「動物? 魔獣? 否、答えは……人間だ」
そして、右手の指をパチンと鳴らしながら、静かに唱える。
「食らうがいい……“祝日に舞い降りし災禍”」
途端、兵士達が一斉にその場に倒れた。
「ぐっ、苦しい……っ!」
「い、息、が……!」
「ぐ、かはっ!」
呼吸困難を起こす兵士達の間を悠々と通り抜け、廊下の先へと向かう。
「案ずるな。命を奪うつもりは無い」
廊下の端まで行ったところでもう一度指を鳴らして力を解除し、他の兵士も同じように適当にあしらいながら、城門へと向かう。
「はぁ……私を美味しく食べてくれる相手は、どこにいるんだろう」
私は星空を見上げてそう呟くと、まだ見ぬその相手を探して、静かに夜の王都へと足を踏み出した。
これが、後に餅の聖女と呼ばれる少女の長い旅の始まりだった。
彼女はその身に宿す神の力と謎の餅パワーを発揮し、訪れた地で様々な奇跡をもたらした。
時に魔獣の群れを討伐し、時に野盗を鎮圧し、その傍らで餅米の栽培を普及させて飢餓に苦しむ人々を救う。
各地で多くの人々を救い、放浪を続ける彼女の目的は、極一部の人間以外誰も知らない。
そして、その旅の果てに彼女の願いが叶い、美味しく食べてもらえるのかどうかは、神すらも知らないことなのだ。
誤字きっかけの無茶振りと悪ノリから生まれた狂気の短編第一弾はこちら
『いわしの聖女が家にやって来た』
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