アリバイの裏側
下坂正史は御木本陸運の引越し部門である、ミキリク引越センター勝小田営業所でアルバイトをしていた。他の学生バイトよりも年齢が高く経験も多いことからリーダー的な役割を担っていた。そのリーダーシップには数年に及ぶ教師の経験が役立っていた。
小川とマリエッタはミキリク引越センター勝小田営業所を訪問した。応対したのは配送課の加藤課長という40歳くらいの男性だった。
「ええ……その日ですと……下坂は樫本様のお引越しにリーダーとして行っています。その時のメンバーは下坂以外に水口卓也、宮沢志乃……いずれも大学生ですね。あと運転手の野崎一郎です」
「念のためお聞きしますが、その日引越しが行われたのは間違いないですか? 天候や依頼主の都合でキャンセルになったりということはありませんでしたか?」
「最終的にお客様の印鑑もいただいておりますし、その日に引越し業務が行われたのは間違いありません」
小川はマリエッタの方を向いたが無反応だ。少なくとも加藤課長は嘘を言っていないのだ。
「その時のメンバーはここにいますか?」
「みんな出てますね……。戻ってくるのは夕方5時ごろと思いますけど。それまで待ちますか?」
加藤課長は腕組し、あごに手をあてて言った。
「一旦外で野暮用を済ませてからまた来ます。もしメンバーが戻ってきたら僕が行くまで足止めしておいて下さい」
そう言って小川とマリエッタは営業所を後にした。
†
営業所の近所にあった昔ながらの喫茶店で、小川はコーヒーを、マリエッタはトマトジュースを注文した。
「少し整理しておきたいんですけど……」
小川はコーヒーを一口飲んで言った。「今迄3人の人に当たってきましたが、それぞれの印象はどうですか?」
マリエッタが答えるまでには少し間があった。彼女自身がまず頭の中で整理しているようだった。
「3人の中で一番魂の呻きが大きかったのは松島さんでした。でもその内容は警察や世間に対する怒りのようなものばかりで、何か隠し事をしているというようには見受けられませんでした」
マリエッタは一旦言葉を切って、考えを巡らせながら話し続けた。「それにこの前もちょっと言いましたけど、松下さんには現実の……生身の女の子に接触して行動するということは難しいと思います。その彼が家宅侵入という危険を冒してまで女の子を殺害するというのはハードルが高すぎるように思います」
小川は今聞いた話を、自分の頭の中に上書き保存するかのように思い巡らせてから、先の話を促した。
「下坂はどうですか?」
「下坂さんは……被害者の佐々木裕子ちゃんについて話している時は魂の呻きはありませんでした。ところが、話が事件当時のアリバイのことになると、途端に内面的な動揺が聞こえて来ました」
「やはり、そこに何らかの不審な点があるのは間違いなさそうですね」
小川は続けて質問した。「では、被害者の母親である佐々木秀美についてはいかがでしょうか?」
小川が聞くと、マリエッタは難問に答えるかのように考え込んで言った。
「秀美さんからは魂の呻きが聞こえませんでした。普通、刑事から質問されれば、何を聞かれるのだろうかと多少は不安になるはずですが、彼女は全く平然としていました」
怪しい点なし、か。しかしそのことが小川の刑事の勘に妙に引っかかっていたのである。
そろそろ時間が来たので、小川は伝票を持って席を立った。
「ここは僕が持ちますから……」
小川が言うとマリエッタは軽くお辞儀をして言った。
「感謝します……」
†
小川とマリエッタが営業所に戻ってみると水口卓也、宮沢志乃そして野崎一郎の3人は既に現場から帰ってきていた。
加藤から話は聞いていたようで、声を掛けると彼らはすぐに集まってきた。会議室に移動し、全員着席すると小川が話を切り出した。
「みなさんからは1度お話しを聞いていますが、こちらの事情で改めてお聞きすることになりました」
小川は下坂のアリバイについて彼らに尋ねた。しかしみな口を揃えて下坂は一緒だったの一点張りである。
彼らの内、誰かが隠し事をしているという確信のもと、小川は切り札を出した。
「実はこちらのシスターさんには心の中を読み取る能力があります。その能力を使って下坂さんの取調べを行った時に不審な点が出て来ましたので、こうして伺っているのです」
小川は言い終わると3人の表情を観察した。男性2人はバカバカしい、と言った表情で薄笑いを浮かべている。しかし唯一の女性である宮沢志乃だけは明らかに動揺していた。
「宮沢さん……何かお心当たりがありますか?」
小川は宮沢を突いてみた。
「い、いいえ。何もありません」
宮沢はギクッとした様子を見せながらも頑なに否認した。マリエッタの方を見ると、横に軽く首を振っている。隠し事しているのだ。すると水口が割り込んできて言った。
「今日、宮沢は仕事でミスをしてチーフにこっ酷く叱られましてね、それで動揺しているのですよ」
何故水口が庇うのか。疑問に思ったが、ここは一旦引き返すことにした。
「そうですか、今日のところはもう結構です。みなさん、お疲れのところご協力ありがとうございました」
小川がそう言うや否や、みな部屋を出て行った。小川は最後に出ようとした宮沢だけ引き止めて言った。
「……もし何か思い出したら、こちらにご連絡下さい」
そう言って小川は宮沢に名刺を渡した。さらに小川は念のため、その時の依頼主である樫本という人物の連絡先を加藤課長から聞いておいた。