ある真実
事件当時、重要参考人である下坂正史と一緒に仕事していたと言う宮沢志乃が勝小田署まで出頭してきた。小川は彼女を取調室まで案内した。
「私が言ったということは絶対口外しないでいただけますね?」
「もちろんです。警察はあなたに危害が及ばないよう、全力を尽くします」
宮沢の供述の内容は次のようなものであった。
その日、メンバーは朝早く6時に集合した。引越しの時間はお客さんの都合で様々なので、このような早出も珍しくはないと言う。
樫本家に到着したのは朝6時半から7時の間であった。ドアホンの呼び鈴を鳴らすと、依頼主である樫本泰邦が出てきた。そして引越しセンターのメンバー全員に家の中に入るように命じた。家の中には樫本一人だけで他の家族はいなかった。全員が家の中に入ると樫本が言った。
「朝早くからご苦労さん。実は折り入って君たちに頼みがある。君たちのトラックを置いていって欲しい。そして夕方6時になったら公共交通機関を使って〝引越し先〟へ行ってほしい。その時には君たちのトラックを到着させておくので、それに乗って会社に帰ってくれ。これはその口止め料だ。絶対に口外しないように」
そう言って樫本はメンバー全員に一人20万円ずつ渡した。すると下坂が質問した。
「トラックは何のために使うのですか?」
すると樫本は低いトーンで脅し気味に言った。
「君たちはそんなことは知らなくてもいい。知らないほうが身のためだ」
それを聞いた宮沢は怖くなり、関わりたくないと思ったがもう後の祭りである。樫本の言うことに従うよりほかなかった。引越しのメンバーはそこで一旦解散し、夕方6時に本来の引越し先に集合した。そこには会社のトラックが横付けされていた。樫本から車の鍵を返してもらった後、そのままメンバー全員帰社した。
「樫本が何を企んでいたのかまではわからないですか?」
話を一通り聞いた小川が訊ねた。
「そこまではわかりません。とにかく何も質問することさえ許されないような空気でしたから」
「そうですか。正直にお話いただいてありがとうございました。捜査ご協力感謝します」
そう言って小川は宮沢を署の出口まで送っていった。
†
次の日、小川はマリエッタを連れて東条コード株式会社の入口にやって来た。宮沢の話を聞いていると、樫本の不可解な行動は彼自身だけでなく、組織ぐるみで企てられたのではないかと思えたのである。もちろん樫本本人に聞いても口は割らないであろうから、誰か正直に話してくれそうな社員を見つけて話を聞こうという目論見である。その“正直者” の判定をマリエッタにしてもらおうと小川は思ったのだ。
「私は外見だけではお人柄まではわかりかねますが……」
マリエッタは少し迷惑そうに言う。
「でも、今までの経験でこういうタイプの人は正直だった、あるいは嘘つきだったというのはあるでしょう」
そう小川が半ばあてずっぽうで言った。
「そうですね……あの人はどうでしょう」
マリエッタが指差したのは若い男性だった。茶髪で若干チャラい印象だ。愛社精神もなさそうだし、考えもなしにペラペラ喋ってくれそうだ。マリエッタのナイスチョイスだ。その男が会社に入ろうとする手前で声をかけた。
「すみません、警察の者ですがちょっとお話しよろしいですか?」
小川が話しかけるとその男は首をコクッと下げて言った。
「警察……っていうかなんでシスターさんが一緒なんですか」
男はマリエッタを見ると少し口角を上げた。
「彼女は一種のプロファイラーでして……。ところで〇月〇日なんですが、お宅の会社で何か特別なことはありませんでしたか?」
〇月〇日とは無論事件のあった日である。
「ちょっと待って下さい、手帳を見てみます……えーと、ああその日は税務調査のあった日ですね」
男がそう言うと小川は思わず声がひっくり返った。
「税務調査!?」
†
そのまま小川とマリエッタは東条コードの社屋に入った。
「樫本総務部長をお願いします」
小川が言うと受付の女性社員が答えた。
「アポイントメントはお持ちでしょうか」
小川は警察手帳を見せていった。
「警察の者ですとお伝えください」
樫本は小川たちを会議室に通した。
「今度は一体何なのですか。この前お話はしたはずですが」
樫本は明らかに迷惑そうだった。小川はかまわず切り出した。
「実は聞き込みをしておりましたら、樫本さんの引越しについての奇妙な証言が取れましてね……引越しのトラックが来たのに全然荷物を詰め込む気配がない。そしてそのままどこかへ行ってしまったと近所の方が証言してくれたんですよ。これは一体どういうことなんですか。説明していただけますか?」
ハッタリだった。しかし樫本へのジャブとしては効果てきめんだった。
「そ、それは……」樫本が狼狽しているところにさらに止めを刺した。
「そして〇月〇日はこの会社に対して税務調査が行われたと言うじゃないですか。この二つを合わせれば素人でも何が裏で行われたか想像がつきます」
「……」
樫本は観念したというように黙りこくってしまった。
「樫本さん、我々が知りたいと思っているのは殺人犯のアリバイについてです。会社の不正については興味ありません。もし正直にお話いただけるならば、その内容をリークしないと約束します」
樫本はしばらくうつむいて黙っていた。しかしやがて顔を上げて小川に言った。
「本当に約束して下さいますね?」樫本は念を押した。
「はい。もちろんです」
小川がはっきりと答えた。すると樫本はこのように話した。
殺人事件のあった日の2週間ほど前、税理士から樫本に連絡があった。税務調査が入るので事前に打ち合わせたいと。税務調査の日程は事件の前日と当日の2日間。樫本は社長の命令で脱税を一手に担っていた。社長に相談したところ何とか証拠を隠蔽せよということだった。証拠となる裏帳簿や現金は一旦倉庫にしまっておいた。1日目はそれでごまかせるが、2日目はさすがに調査の手が入る恐れがある。それで樫本家の引越しを装い、丸一日引越しトラックに脱税の証拠となる物を載せて走り回っていたというわけである。引越し先には樫本の実家を指定した。調べたらすぐにわかりそうなトリックではあるが、税務調査を一時的に欺くには充分だったようだ。
「下坂さんとしては、偶然にアリバイができてしまったわけですね」
東条コードの社屋を出ると、そうマリエッタが言った。
「でもこれで下坂のアリバイが崩れた。もう一度下坂に当たろう」
こうして小川たちはもう一度下坂にアタックをかけることになったのだった。