「追放系」を考える~ストレスレスの視点から~
頁を開いていただきありがとうございます。
普段は「なろう」の片隅で、のんびり異世界召喚ものを連載させていただいているものです。
今回は、ここ最近のトレンド「追放系」について、「なろう内でのトレンドの推移」も少し踏まえて考えてみた内容を綴らせていただこうかと思います。
あくまでも「私個人がぼんやり考えたこと」です。特に統計などは取っていない、たいへんあいまいな私見です。いやいや違うだろ、こういう考え方だってあるだろ? と思われる方もたくさんいらっしゃるかと思います。なに今更そんな当たり前のこと、なんてお考えになる方もおられるかもしれません。
また今回は「チート」「最強」という要素については敢えて触れない方向で話を展開させていただいております。図式をよりわかりやすくしたい、というのがその理由です。
よろしければ、皆さまのご意見も聞かせていただけたらと思います。
色んな思考回路を知りたい。
さてはて、長い前置きをすみません。
ここ最近の(主にハイファンタジージャンルの)トレンド「追放系」。日間ランキングにも相当数、「タイトルあらすじからしてそうだろうなあ」という作品がランクインしていますね。
私個人はそこまで、まだこの系統の作品を読みこめておりません。
が、個人的に面白いなあと思うことがあります。それは「同じ世界のうちでの」「別の場所への追放」のパターンがほとんどを占めていること。
これってつまり最序盤が「主人公はその世界の人間で」「しかし何らかの(だいたいは大変に理不尽で盲目的な)理由をもって、もと在った場所からの離脱を余儀なくされる」という構図になるんですよね。そしてまあそこから「どんでん返し」がプラスにもマイナスにもはじまってゆく、というのが、このトレンドの黄金パターンであるわけですが…。
なぜ私がこの図を「面白い」と思うのか。
のんびり「なろう」に6年ほどお世話になっている人間の戯言として、どうぞ、以下、お付き合いください。
私が「なろう」を初めて知り、ユーザー登録を行ったころ(だいたい今から6-7年ほど前)のトレンドは、圧倒的に「異世界召喚」(からのチート)でした。
昔から強い一大人気ジャンルですね。私も物心つくくらいのころからずっと好きです。
そして、こと「ファンタジーを書く/読む」際、異世界召喚には、「完全ファンタジー世界の物語」にはないアドバンテージがあります。
それは「主人公の礎が、読者(≒現代日本に住む我々)と基本的に同じであること」です。
「いただきます」「ごちそうさま」は好感度ageの鉄板ネタですが、これ、完全ファンタジー世界で同じようなネタを創り出そうとするとすごく大変です。よほどうまく書かないと、ものすごく単調になるうえに無駄に(と言わざるを得ない感満載で)文章量を食います。なぜって「そういう風習がある」「どういう考え方をしている」「と昔からみんなで言い伝えてきたのだ」と、はっきり示さなければならないから。
あと我々の現代社会には、海千山千にいろいろな国由来のカタカナ語・外来語が、日常生活に完全密着・同化したかたちで溢れかえっています。また所謂「若者言葉」もあります。プレッシャー、タイプ、ブロック、ヤバい、マズい、などなどなどなど。
このような言葉を一切封じて文章を書こうとすると、すぐ「うわっめんどくさ」ってなると思います。それこそ「めんどくせぇ」もアウトです。アウトもだめです。これだけでも「言い換えて別の言葉にする」というのが、いかに文章量を食うか、回りくどいか、そのような印象を与えてしまいやすいかということが分かっていただけるかと思います。
実際、かなり執筆作業としても時間がかかります。自分の語彙を増やす絶好のチャンス…好機にはなりますがそれはちょっと置いといて。
なろうの最大の長所は、誰でも簡単に、そのひとの描いた小説世界にアクセスできることです。どの小説にもワンクリック・ワンタッチでアクセスできることです。
そんな中で、「単調な説明だけのための文章」が並んでいたらどうなるか?
ええ、そうです。確実にかなりの人が、飽きてブラウザバックしてしまうわけですね。
完全な異世界ファンタジーをその世界のキャラクターのみを登場人物として描く場合、当然ながら作者はその「独自」の世界観をあらかじめ設定し、またその設定をベースとして、キャラクターの思考回路を組み立てていく必要があります。
世界が違えば、太陽は西からのぼるかもしれない。象が支えている平らな陸地があるかもしれない。神様が、精霊が、悪魔が、天使が、人の手の届くところに、実在するものとして連綿と世界との関係性を綴り続けて居るかもしれない。
そんな中に、「私たちとまったく同じ思考回路」は存在するわけがありません。
もちろん善を善と言い、悪を悪と断じ、英雄に憧れ強さを目指し、優しさに救われときには足を掬われるという「こころ」はあるでしょう。それでも「仔細」まで同じになるはずがない。そもそも我々とて、昔の「青」を現在は「緑」と形容したりするのです。思考回路なんて、同じ世界であっても時代とともに変遷していくのが当たり前のものです。
と、ごちゃごちゃ面倒くさいことを言ってきましたが、要するに異世界召喚って「ラク」なのです。
読者と作者の「共通認識」「暗黙の了解」の領域を増やすことで、長くなりがちな設定説明を大幅に短縮できるのです。
さらには異世界召喚で「現代日本人」を主人公に据えれば、作者が描くのは「主人公≒我々の価値観から見たその世界」になります。
知っていることが大凡同じなら、知らないこともまた大凡同じです。つまりはツッコミしほうだいです。結婚の証が目玉の交換とかどういうことだよ意味分かんねえよ痛いよ死ぬの!?みたいな。
まあこれはちょっと極端ですけれども。どんな世界だよと私も言いたくなりますけれども。でも大体そういうことです。
しかし所謂「召喚チートテンプレ」とも言われるように、召喚モノにはやはり欠点、というより、根本的なシステム上避けて通れない難所があります。
主人公は、ひとりで召喚されます。
つまり周囲に、彼あるいは彼女という人間を知る相手は誰もいない。その名前にどんな願いがあり、その心にどんな夢があり、そのためにどうして、どうなって、どう曲がったり捻じったり後ろ向いたり前向いたりしてきたのか、主人公以外の誰も知らないのです。
主人公は、それまで当たり前に手にしていた全部を手放して、いちから、その世界における自分の存在を創出しなければなりません。彼/彼女には、いわゆる「絶対の味方」がいません。無条件に信じてくれる相手はなく、何も疑わずに信じられる相手もいません。
すべて、自分ひとりの力で、構築していかなければならないのです。
もちろんこれこそが異世界召喚ものの醍醐味、でもあります。苦悩からの解放、紆余曲折を経ての友情、愛情、そのほかいろいろ。読み応えのあるお話は、いつだって何度読み返しても目頭を熱くさせてくれます。
ですがそのためにはやはり「苦悩」を描かねばならない。
そしてこの「ねばならない」こそ、「なろう」ではブラウザバックの原因となるのです。
先ほども少し述べましたが、「なろう」には本当にたくさんの小説があり、さらには今日このときにも、またどなたかが新しい小説を投稿されています。
興味を持てばワンクリックで小説まで辿りつけます。様式も基本的に統一されているので、突然背景色やフォントが変わって驚くこともありません。文字化けも基本しません。
とても簡単です。
とても便利です。
だからこそ読者は、いや、きっと作者も。
「ストレスレス」の、追求を始めるのではないかと思うのです。
異世界召喚が溢れ出してからしばらくして、その変化形「クラス召喚」「複数召喚」がトレンドに現れました。
この形式の優れた点は、まず「学校のクラス」という、「仲良くなれないのに一緒の枠にはめられている」未熟な人間が詰められた「争いが起きやすい」場と人物をベースに置くことで、物語の山谷が、そこだけでも非常に作りやすくなることです。
それこそ陽キャ陰キャ、クラスのボスザル、リーダー、いつでもどこでも主導権を握ろうとする男子/女子。
適当に並べてみるだけでも、もう物語ができてきますね。
「主人公のみの召喚」からのストレス軽減、という視点でも見ていきましょう。この形式では、主人公ははじめから「ひとり」ではありません。また、同じ思考回路を持つ人間が同じ世界にいることが最初から断定されているため、登場人物に「同じ感想」をより抱かせやすくなります。
しかもその説明も省略できます。だって「同じ世界のひと」だから、と。
また「主人公のもともと=クラス内カースト」を描くことで、自動的に物語開始時点の主人公の立ち位置も描けてしまう、というのも「わかりやすい」ポイントですね。
なにをどうするのか、どうしたいのかを序盤で示す。
読者を引き付けるには大変重要なテクニックだと思います。
そうしてまたしばらくして。今度トレンドを席巻したのは「異世界転生」でした。
私はとある理由から、基本的にこのジャンルに手を出しません。が、トレンドの変遷、ストレスレス、という視点からはすごくよくわかるよ…そうだよね…と思いながら眺めておりました。
異世界転生が、どうストレスレスなのか。
まず「現代から転生」させることで、思考のベースを我々に準拠させることができます。異世界召喚と同じ利点です。
そのうえ「転生」にすることで、主人公をその世界における「異物」でなくすことができるのです。
これは特に赤ん坊への転生で顕著ですね。「あらあらこの子は変わった子ねえ」。これは大変強力な、とんでもない魔法の言葉です。
その世界でのベース、信じるもの、信じるひと、理解してくれる相手を、かなり簡単に構築することができるのです。主人公の「視点の差異」は保ったままに。
主人公が(少なくとも肉体的には)その世界の存在であり、幼い時からその世界のルールに従って生きてきたものである。
これは「転生」の基本的なベースです。もちろんこれを敢えて崩していくお話もあると思いますが、まあ今は横に置いておきましょう。
つまり何が便利って、その世界での主人公の「周囲」の固めやすさが段違いなのです。
あらかじめ「まったく違う」と分かっているものに、最初から一切の裏表なく好意的に接することができる人間はほとんどいません。皆無とはさすがに言いませんが、そんな聖人君子は探す方が大変です。
でも「知っている相手の子ども」なら?「昔から付き合ってきた変人のアイツ」なら?
「あいつはそういうもの」。良くも悪くも、そういうレッテルが大変張りやすくなるのです。
説明も省略できるのです。「だってそういうふうにここで生きてきた」から。
そしてこの変形が「乙女ゲー転生」。これの優れた点は「あらかじめ決まったストーリーがある」と明言されていること。ほぼイコールで言い換えると、その「定められたストーリー」では、主人公が大抵ひどい目に遭うことが確定していること、ですね。
つまり転生した瞬間から、主人公には設定がありバックグラウンドがあり、「ナアナアに生きた先の未来」まで確定している。であれば足掻かねば…!生きねば死にたくねええ!となるのは、大抵の人間の当然の論理であろうと思います。
「実際に相手キャラが婚約破棄する乙女ゲー」って寡聞にして一個も存じ上げないので、これも「うん筋はとってもよくわかる」と思いながら、いつものんびり眺めております。…というか実際の乙女ゲーでそこまで我の強い女子キャラ作ったらプレイヤーから総スカン喰らって大変なことに以下略
そして転生における「ストレス」は、上に述べた「ベース構築作業」です。
生まれたばかりの嬰児が「まともに動いてしゃべっていい」年齢まで(釣り合わない中身をもって)どう生きるか。どう省略するか、と言い換えてもいいかもしれません。
それでも、どんなに簡単に過ぎたとしても「めんどくせーな」って思っちゃう方、実は結構いらっしゃったりするんではないでしょうか。
逆にあっさり通過しすぎても「そんなに何もないのに何でおまえそんな家族大好きだよ」「なんでおまえみたいなの普通に受け入れてるんだよ変人の巣窟かよ」などとなってしまいかねないのも厄介なところですね。
閑話休題。
ここまで来てようやっと、トレンド「追放系」が登場します。たいへんお待たせしました。
冒頭で私は、追放系の面白いところを「同じ世界のうちでの」「別の場所への追放」のパターンがほとんどを占めていることだと申しました。物語の最序盤が「主人公はその世界の人間で」「しかし何らかの(だいたいは大変に理不尽で盲目的な)理由をもって、もと在った場所からの離脱を余儀なくされる」という構図になるところ、と。
「追放系」において、主人公はおおよそ「その世界の人間」です。
ですが同時に「誰も知らないところに」「理不尽に」放逐される。
ストレスレス視点で言い換えましょう。これなら、主人公をあえてその世界に融け込ませる作業をする必要がありません。「世界を二つ」描く必要もありません。ままならない幼少期をどたばた積み上げる必要もありません。また同時に「知らないところに吹っ飛ばされる」ので、必然的に読者と主人公の知識レベルが同等になるのです。
さらに放逐、という理不尽をぶち込むことで、この「理不尽」「不条理」つまり(主人公にとっての)悪をいつか見返す、という、大変に明瞭な目標も生まれます。
なによりも「スピーディーなわかりやすさ」が求められるこの「なろう」において、なんて理にかなったトレンド変遷だろう。
心底から私は感心しました。「ざまあ」「分かりやすいスカッと要素」も組み込まれているところが本当にまさに「変遷」だなあと思います。
そして何が面白いって、「ストレスレス」を追求した先で、ファンタジー世界を描くのに「異世界≒現代日本」が必要なくなったこと。
視点が読者と近いことこそがストロングポイントであったはずの「異世界」が、事ここに至って完全に消えてしまったわけです。それでも読者を「同じような視点」で引っ張るためのネタ、感覚の確保は十分であるわけです。
いやはや、視点、思考回路を近づけるための手段も色々あるもんですね。
まったく面白いものです。次はどんなものが、どんなふうに台頭してくるのでしょう。
以上、つらつらと思うままに書き綴ってしまいました。
少しでも皆様のお暇つぶしに、貢献できたのであれば幸いです。