1.9 初夜
部屋で荷物の整理を終えてから三十分ほど経つと、アリスから夕食の呼び出しがかかった。
翠玉亭は一階に小さなラウンジを構えており、夕食を頼んだ場合はここで食べるらしい。
結弦はラウンジへ移動し、空いている席に座る。
「ご主人様、今日の献立は山菜と耳目鶏のシチューに山岳鱈の焼き物となります。僭越ながら私もご用意のお手伝いをさせていただきました」
アリスが厨房から料理の配膳をしつつ、夕食のメニューについて説明する。
結弦はそんな健気に働くアリスの姿を微笑ましく眺めながら、初めて見る料理の観察をする。
マーテルから聞いた話、まず耳目鶏とやらはこの地域の主要な家畜のようで、大体どの家庭でも三日に一度は出てくる食材だと言う。
次に山岳鱈というのは名前の通りで、標高の高い山奥に生息する川魚の一種で、貿易が盛んなこの街ではたまに魚屋で並んでいるみたいだ。
結弦がぼーっとしている間に配膳は終わり、アリスとマーテルの三人で夕食を食べ始める。
それは終始二人の思い出話が交わされる晩餐で、おっさん達と食べる飯とは違う温かみのある時間だった。
♢
「ご主人様、この後はどうされますか?」
「そうだな……ここ三日間をずっと移動に費やしてきたからな。――そろそろベトつく身体をなんとかしたい」
「わかりました。――では、おば様にお湯と桶を貰ってきます。申し訳ございませんが銀貨を一枚ほどいただけませんでしょうか?」
話によるとこの世界での水はとても貴重らしい。まぁ蛇口を捻ってすぐにお風呂といかないのは当然か。――文明レベル的に無理がある。
「わかった。ちょうどいい機会だからアリスにはお小遣いも兼ねていくらか渡しておこうか」
「えっ!?」
「昼間一緒に歩いて分かるとは思うが、俺は浪費癖があるから細かい買い物なんかは任せようと思う。――上手くやりくりして余った金は好きに使ってくれていいから」
頬をかきながらアリスにスィード金貨を五枚ほど渡す。――すると、今日何度目か分からない驚きと呆れの目が向けられた。
「今日一日で嫌と言うほど見せ付けられましたが、やはりご主人様は変わっておられますね。だんだん自分の方に問題があるのかと思ってきました。――いえ、そろそろ考えるのはやめます」
アリスは相変わらず忙しく表情を変化させる。――そして最後は考えるのを諦めたのか、ジトっとした目をしながら言いつけ通りに女将さんの元へと向かった。
♢
本日最大のイベントが訪れた。
「ではご主人様、服をお脱ぎになってください」
「ほわぃ?」
帰ってきたアリスは早速トンデモ発言をする。――さっきの仕返しだろうか。
「今日は色々なことがあり時間も遅くなってしまいました。ベッドに移ってからの夜伽でも構いませんが時間的に睡眠への支障をきたす恐れがありますので、身体を拭きつつ、本日のご奉仕をさせていただこうと思います」
「アリスサン? アリスサン? あなたは何を言っているのでしょうか?」
「いえ、だから本日のお勤めをさせていただこうと……初めてなので色々と汚してしまうかもしれませんので、ちょうどよろしいかと」
「俺がアリスと…?」
「はい、端的に申せば……『言わんでよろしい!』」
うぉぉ! やはりというか何というか……正直、奴隷なんだしそういうのも期待してなかったと言えば嘘になるが、今日初めて会った子だぞ? ……普通にダメだろう。
それに手を出せばただのロリコンでしかない。二度目の人生とはいえ元日本人として、失ってはならない矜持というものがある。そう、矜持だ! ――断じて俺はロリコンに目覚めたりはしない!
ただもう少し年齢的に成熟していてくれたら……とも思ったりしてしまう男の子な結弦だった。
「いや、そういうのはいい。勘違いさせてしまったのは申し訳ないが、俺はアリスに持ち前の頭の良さを活かした旅のサポートをお願いしたいだけなんだ」
「やはり私のような子供体型ではご主人様に満足していただけませんか……」
「いや、年齢の割にアリスは十分育っていると思う……ってそうではない。――のだがどう説明したものか。とりあえずアリスが成人するまではそういうのはするつもりはない」
「そうですか。――では三年後に精一杯ご奉仕させていただきますので、それまでは我慢します」
――この世界での成人は十四歳なのか。想像以上に若いな。
お互い顔を上気させつつも結弦はなんとかアリスを説得し、なんとか三年の猶予を作った。――まぁ先伸ばししただけで何の解決にもなっていない………
その後、一戦交えた甲斐もあり、夜伽は無くなった……のだが、アリスに湯浴みは別と訳のわからん理屈を押し通され、結局は身体の隅々までキレイにお世話されてしまった。――誓って言うが、手は出していないのでギリギリセーフということにしてください。
お互いにお湯を掛け合い、身体を洗う。
特に大したイベントでも無いはずなのに本日、一番のエキサイトした時間であった。
♢
お互い身を清めた後、本来一勝負する気満々だったアリスをベッドの上に座らせ、俺も向かいに座る。
アリスはというと、ちょっぴり期待した目で俺を見つめてきたので予め釘をさしておく。
「昼間も言ったが、俺はこの地方の常識に疎い。だから寝るまでの少しの間、アリスに色々と話を聞いておきたい」
「そういうことですか。――いえ、わかりました。答えられる範囲でお付き合いいたします」
「まずは仕事についてだ。俺は一応冒険者という事で通しているが、実際には故郷からここまで歩いてきただけで仕事は一切していない。このままだといつかは路銀が尽きる。――何か良い仕事に心当たりはないか?」
まぁ本当の所、お金に困ることは当分無い。どちらかと言うとこの職業のあり方が自分の想像している通りなのか確かめておきたい。
「そうですね。――ご主人様なら存じているかと思いますが、冒険者というのであれば冒険者ギルドの方で仕事を回してもらうのが普通です。それ以外だとダンジョンに潜り、財宝を見つけてそれを換金する手もあります。また旅という点でしたら、行く先々の地域で生態調査を並行して行い、ギルドに報告して報酬を得るという事も可能です」
ふむふむ……前者二つは予想通りだが、生態調査なんてのもあるんだな。――フィリアの頼みにも適しているし長期的な収入としては悪くない。
「そうか、ではとりあえず明日以降は冒険者ギルドで仕事を受けようと思う。――ただ、俺はこの地方の様々な所を見て回りたい。なので適当に稼いだら次の街に移動する。生態調査もこの時に行えれば行う」
「わかりました。では明日は冒険者ギルドの方に顔を出しましょう。ちなみにご主人様は冒険者カードをお持ちですか?」
インテリジェンスカードみたいなものだろうか?
「いや、持ってない」
「ではそれも発行する必要がありますね。仕事の受注には冒険者カードのランクが重要になります。インテリジェンスカードさえあれば登録はすぐに出来ますので時間はとりません」
なるほど、覚えておこう。
「わかった。次にアリスは昼間、初級魔法が使えると言っていたがどうやって覚えたのかもう少し詳しく教えてくれ」
「はい。――私は幼少期に通っていた学び舎で、教養と称して魔法に触れ合う機会がありました。基本的には魔導書を一冊読み切り、頭に内容を思い浮かべつつ詠唱するというものです。こなす工程は少ないのですが、そこそこ分厚い本を読むのは小さい私たちには結構大変でしたし、何より読んだからと言って皆が魔法が使えるとは限りません。――ちなみに魔法は平均的に読了した者の内、二割程度が使えるようになると言われています」
やはり魔法を覚えるには魔導書を入手し、理解する必要があるみたいだ。ただ、二割とは随分と苦労損になりそうな確率だな。
まぁアリスには速読スキルもあったし元々向いていたのだろう。
いつかは試してみたいが、可能性が可能性だけに優先度は高くする必要はないか。
その後、アリスにこの周辺の魔物やダンジョンについての話を聞いた。
「そろそろ時間も遅いし寝るか」
「はい……本当に夜伽の方はよいので?」
「かまわない。ただベッドは一つしかないから一緒には寝てもらうがいいか?」
「ありがとうございます。久しくベッドで寝る機会など無かったので……とてもうれしいです♪」
『では失礼します』そう言ってアリスは掛布団の中に潜り込んできた。
疲れていた為か、結弦とアリスはあっさりと夢の世界に旅立っていく。
そして結弦は三日ぶりに彼女と出会うこととなる。