幻惑
わたしにとって理想の美しさを持つそのひとは、とてもはかなげで、その存在は、あやうかった。
怖かった。
わたしの好きなそのひとは、美しくて、とても、透き通っていた。
たくさんの表情を浮かべるその顔には――大きな瞳とハリのある頬には、陽の色が透けているようだった。
よく動くその細い指は、長く、細く、それでいて骨ばってはおらず、指先には血管の色が透けていた。
ほとんどの時間を笑顔に費やすその口角はひきつることなくやわらかに伸び、血の色の透けるくちびるに、白い歯はよく映えた。
あまりにもじぶんと違うそのひとが、おなじ世界に足をつけているのかわからなかった。
引き締まった丸いふくらはぎの下には骨の形が透けるようにはっきりとわかる細いくるぶし、折れそうな足首、やわらかなかかと、不自然なほどにまっすぐのびたつま先まで、全てが曲線の足。
そのあゆみは重力を感じさせず、胴をかくす布地は音もなくふくらむ。
長い髪は動きに合わせて空をすべり、陽を風を透過する。
そのひとは、笑った。
かしいだ陽を背にかくすように、引き締まった長い腕を広げて。
四季をとわず剥きだしのその首は細く、呼吸に合わせて喉が動いた。
大きなその両の手は、細い首を包んで余りある。
筋張った手首には蒼い血管が脈打ち、陽の光がその白を際立たせる。
木々のざわめきのようなその不思議な声はここちよく鼓膜を振動させ、どこまでも澄んだ音がわたしを支配する。
存在を縁取る陽光は血のような色で、逆光でもその表情はうかがえる。
やがて伸ばされた指先がわたしに触れ、その温度に鳥肌が立つ。
笑みを消すことのないはずのその顔を、もうわたしは見ることができない。
同じ世界に存在していることを実感しても、そのひとがこの世界を離れてしまう瞬間がいまこのときにでも訪れるのではないかと、わたしは怖ろしくてたまらない。
「大丈夫」
たとえ、なんどそう言われようとも。
「心配しないで」
わたしはそれを、信用できない。
わたしの好きなそのひとは、美しくて、とても、透き通っていたし。
そのきれいな両の手は、しばしばくびを、包んでいたから。
その手に力が込められることのないよう、わたしは祈ることしかできないけれど。