漠然な不安と幻の安心
その日は講習を終えて佳はのんびりと駅まで歩いていた。次の練習は明日木曜日。そんな事を考えると佳は電車に乗るとちょうど人がいない時間帯らしく貸し切り状態だった。
座席に座るとふとスマホを開いてLINEを確認した。なんとなくそんな気分になったからだ。すると小杉から新着のメッセージが一つ届いていた。
『明日練習はいつも通り。サボるなよ(笑)』
誰がサボるかよ。佳は心の中で毒吐くと返信としてとりあえず『了解。』と短く返すと。はあ、とため息をついた。
実際自分にも分からなかった。先輩の言った人間関係がどんな風に壊れているのかが。まるで氷の様にジワジワと溶ける様に消えて行くのか?はたまた風船が割れる様に一気に弾け飛ぶものなのか?
誰もいない車内で佳は座席に寝っ転がる。マナー違反だがこの時の佳は漠然とした不安感が支配してそんな事に気付かなかった。
「…。」
どうすればいいのだろう。僕の中に選択肢が二つある。一つはあの2人に対して何らかのアクションを起こす事。まだどんなアクションを起こすかは考えていないけど…。
そしてもう一つは…。
「気付かないフリ…。」
おそらくこの選択肢が正解なのだろう。と佳は考える。何故なら下手に自分が手を出してしまったのなら今の上手く行っている関係が完璧に壊れる。まったく機械に詳しくない人が少しだけ壊れた機械をドライバーで直そうとする様な物だ。
「…。
ま、明日考えりゃいいか?」
佳はいつの間にかに近付いていた家の最寄り駅に気付いて制服を整えると押しボタン式の電車の自動ドアを開けた。
次の日の放課後。佳は帰りのホームルームが終わった瞬間に教室を駆け出していた。佳が急いでいる理由はさっさとコートに行ってサーブ練習をしたいから。たった一つの為だけに走る。
外に出て自転車にまたがると全速力で3キロの距離を20分で走る。
坂を下り、森を抜けた場所にそのテニスコートはある。コートは4面で火曜日と木曜日はソフトテニス部が使い、月曜日、水曜日、金曜日は硬式が使い。土日は分割で使っていた。
さて佳はさっそくコートに着くとボールとカゴを出し、ネットを上げると小さなサッカー用のミニコーンをサービスコート (テニスのサーブを入れる場所)の右隅に置くと僕は反対側のコートに行く。
「今日は…3球かな?」
まず佳は3球ボールを持つとフラットサーブ (野球で言うとストレート。速いサーブ。)でコーンに向かって打つ。1球目はサービスコートに入るがコーンのわずかに手前でバウンドした。
2球目はサービスコートには入らずコーンの奥の方にボールは飛んでいく。
「…。」
3球目を打つ前に軽くボールを手前で2、3回バウンドさせて神経を集中させる。
そしてボールをトスしてサーブを放つ。見事な直線を描いてコーンに直接当たった。
「ふー…。」
「相変わらず見事だね。」
そういきなり言われて後ろを振り返る。すると後ろには現部長の小杉が立っていた。佳はクスッと笑って小杉に足元に置いていたボールを投げ渡す。
「ねえ。少し…勝負しない?」
「勝負?」
そう言って黙って佳はラケットをまるで曲芸師の様に手の甲で回すとニコッと笑ってボールを持ち替えた。すると小杉もニヤッと笑って。
「いいぜ。…後輩やりんが来る前に…ワンポイントのみで。 (ワンポイント=1点)」
小杉が反対側のコートの対角線状に立つとボールを2球軽く打ってきた。
「サーブはやるよ。」
「…お気遣いどうも。」
佳は打ってきたボール2球を受け取ると1球はポケットの中にしまう。そして小杉はどちらかと言うとサービスコート左側に構える。佳はそれを見てムッとした顔になる。
「ねえ。小杉。僕がリバースサーブ (バウンドすると右に逃げるサーブ)を打てるのしってるよね?」
「ああ、もちろん。」
もちろん聞いたのは形だけのフェイク。実際には佳と小杉の間で読み合いが始まっている。
佳はいつもの動作…ルーティーンで僕を2、3回ボールをつくと。サーブを放った。
「…りゃ!」
ただしリバースサーブではなくスライスサーブ 。(左側に曲がるサーブ)ボールはサービスコートの左後ろ端でバウンドして左に曲がる。佳は裏をかいたつもりだった。しかし小杉はスプリットステップで左側に飛んでいた。
「はっ!」
スライスサーブは逆を突けばサービスエースも取れるが読まれると絶好球だ。小杉特有の強烈なフォアハンドストロークがクロス (対角線上)に叩き込まれる。
「よっと。」
しかし佳も読んでいる。クロスに来るボールをショートボレーでバウンドする前に無人の右側に打ち込む。そしてさらに佳はネットに詰める。
小杉は右側に行ったボールを取るために全力でボールを追いかけバックハンドストロークの形になる。
右か…?左か…?
佳は小杉がボールを放つ瞬間にどちらかに飛ぶつもりだった。そしてバックハンドストロークを撃つ瞬間に佳は右に飛んだ。
「…は!」
そして小杉は球速のあるストロークを右に打った。
…ただしそのボールは普通のショットではなく。ロブボール (頭を前にいるプレーヤーの頭を越す山なりのボール)だった。
「あっ⁉︎」
佳が気付いた時にはボールはエンドライン右端に入って、奥のフェンスに当たっていた。
「俺の勝ちだな。」
「む…。」
佳はしばらくそのままでいたが少し俯いてから笑顔で小杉のところに行く。
「クッソ!惜しかったなぁ〜。あと少しだったのに。」
「無理してロブボールを打ったからな。普通のショットじゃお前にやられていたからな。」
佳はボレーに関しては部内一の実力。おそらく体制の崩れた小杉のショットではいくらストロークが得意と言っても佳に取っては絶好球だっただろう。だから小杉は安定性の悪いミスする可能性のあるストロークで賭けに出た。
「ま、ここで決めてくるのは流石だね。素直に負けを認めるよ。」
佳はそう言って首をすくめると不意に後ろから声をかけられた。
「2人とも!放課後いきなり決闘?」
「…わあ!って…。
…りん。」
するといつの間にかりんと共に他の部員が部室前にいた。佳と小杉ははあ、とため息を吐いて。
小杉は部長として指示を出す。
「よし!打ってない方々は準備体操がてら乱打!」
「「「「「「「おお‼︎」」」」」」」
そう言ってコートに散らばる部員達。この時の僕は先輩の言葉も忘れて。この光景を見てまだこの部活が壊れるなんて思ってもいなかった。
だけど…この時から少しずつ歯車が狂い出していた。