4・太陽
「あの“異世界”ってやつ、弱いくせにしつこいわね」
用事も済んだし、家に帰ってしまおう。
買い物袋を両手に持ち、混み始めた商店街を歩く。コーヒーショップやドラッグストアを通りすがりにのぞいたが、中は普通だった。
賑やかな通りを逸れて、横道に入る。空き店舗と民家に挟まれた道は、風が通り抜けて寒い。りん子は上着の前をかき合わせた。
道の途中に自動販売機があった。見たことのない、太陽のマークのホットコーヒーが売っている。りん子はポケットから小銭を出した。
ボタンを押し、缶が出てきたのを確かめ、取り出し口を開けると、そこは異世界だった。
反射的に手を引っ込めたが、遅かった。砂色の熱気がわき上がったかと思うと、小さな太陽が跳ねて飛び出し、指先に噛みついた。
「痛っ!」
尖った歯が指に食い込む。りん子は腕を振り回した。振れば振るほど太陽は歯を食いしばり、くわえ込もうとする。まるで般若のような形相だ。
「離して!」
「離すもんですか。せっかく見つけたおもちゃですもの」
太陽は口のすき間を動かして言った。青黒くふちどられた目が意地悪そうに笑う。
「昔はもっと素敵なおもちゃを持っていたわ。月のナイフと風の鞠。あの子たちはどこへ行ってしまったのかしら」
焦げつくような痛みが指先から肩まで走る。りん子は太陽を塀に叩きつけ、こすり落とそうとしたが、一向に離れない。
「強情な奴ね。ゆるキャラのニセモノみたいな顔してるくせに」
「そっちだって、萌えアニメの猿真似みたいな髪型してるくせに」
「何ですって!」
りん子はツーサイドアップの髪を揺らし、太陽を睨みつけた。
太陽は口元にしわを寄せ、ぎりぎりと歯を立てる。このままでは食いちぎられてしまう。
りん子は自分の拳と太陽の大きさを見比べた。そして意を決し、口を大きく開ける。火の粉を散らしてわめく太陽を、ばくりと口に入れ、飲み込んでしまった。あまりの熱さに、しばらく動けなかった。
目を閉じると、まぶたの裏に太陽が見えた。
広い空に、太陽はぽつんと浮かんでいた。
太陽はいつも一人だった。絶えず目をぎらつかせているので、小鳥たちは怖がって近づけない。口笛と一緒に炎を吐き出すので、雲も寄りつかない。話し相手を探そうとしても、自分の熱と光で何も見えなくなってしまう。
あまりに退屈で、太陽は夜の空から月を盗み、削ってナイフにした。
海から風を盗み、丸めて鞠にした。
太陽は、月を使って風をずたずたに切り刻んだり、風を投げつけて月をへし折ったり、思いのままに遊んだ。それでも太陽のそばは温かいので、月と風は文句を言わなかった。満足した太陽はますます大きく膨れた。
ある日、太陽の周りで追いかけ合っていた月と風が、通りかかった飛行機に足を引っ掛けてしまった。月と風は転び、太陽に頭をぶつけた。月の尖ったところが太陽の鼻を突き、風は太陽の喉元を撫でた。太陽は我慢できず、大きなくしゃみをした。
月と風は弾け飛び、空に美しい花を咲かせた。花はしばらく空に貼り付いていたが、何日かすると消えてしまった。
太陽は月と風を探して、空をぐるぐる回った。探して探して、ようやく見つけたのは、月から来た一枚の葉書だけだった。
<姉さん、お元気ですか。こちらは寒くておでんがおいしいです。ちくわとちくわぶは両方好きなので選べません。たまごも好きです。>
太陽は今日も一人、空を回り続けている。
りん子はゆっくり目を開けた。
『無茶しおって……』
あの低い声が、またどこかからか聞こえた。りん子は喉をさすり、無茶はそっちよ、と言った。甘いミルクコーヒーの後味が、ようやく舌に染みてくる。
「一体何がしたいのよ。鬱陶しいにも程があるわ」
『私は転生する。ただただ転生する』
「あのねえ、異世界転生の意味間違ってるわよ。世界が転生してどうするの」
『知らぬ』
出てきなさい、とりん子は叫んだが、誰も出てこない。何しろ相手は人間ではなく世界なのだ。
もしかして、と考える。
異世界にもいろいろあって、絶えず冒険者が訪れる人気スポットもあれば、人っ子ひとりいない、さびれきったところもあるのだろうか。
そこで手を変え品を変え、冒険者の気を引き、あわよくば本や映画の舞台になろうとしているのかもしれない。
「でも私だって、そんなへっぽこな世界はイヤだもんね」