003
「信長殿、待ってくださーい!」
後ろから蘭丸が両手に荷物を抱えて走ってきた。信長は一切疲労感を出さずに、前へ前へと歩いていたため、いつの間にか二人の間に距離が出来てしまっていた。だから、蘭丸は血相を抱えて走っているという訳だ。未だに会話が覚束ない関係だからこそ、本当に置いて行かれると危機感を感じているのだろうか。
「遅いぞ蘭丸」
後ろを振り返り、思わず威喝した。暑さと果しなく続く道のりに、信長自身も苛立ちを隠せないでいた。遅れてやってくる蘭丸に檄を飛ばしてしまったのだ。
「すみません。信長殿の歩くスピードが早すぎて、しかも荷物が重いし」
そう言った蘭丸は重さに耐えかねたのか、両手に持った荷物を地面に置いた。それは荷物を置いた瞬間に砂煙が舞う程の重さだった。
「荷物持ちを志願したのはお前だろう」
「すみましぇん」
涙ながらに訴えていた。それを見ていると、胸が締め付けられる罪悪感に似た感覚を覚えたため、信長は荷物を持ってあげた。
「やれやれ、世話の焼ける奴だ」
信長は荷物から音楽機器とイヤホンを取り出して、イヤホンを両耳に付けた。それから両手に荷物を持ったまま歩き始めたのだ。後ろから蘭丸が「ハッハッ」と息遣いをしながら歩いてくるのも苛立ちの要因になっているため、好きな音楽でも聞いてリラックスをしようと思ったのだ。ところが、
「信長殿。何を聞いているのですか?」
好奇心旺盛の蘭丸は信長が何を聞いているのか知りたいらしい。信長は「ハア」と大きく溜め息をして、イヤホンを取り外した。そして、再び後ろを振り向く。
「洋楽だよ」
「へー。洋楽が好きなんですか?」
蘭丸は無垢な眼差しを此方に向けている。それを見ていると、イライラしているからと言って、声を荒げるのは得策ではないなと思う信長であった。
「そうだよ。悪いか」
信長はぶっきらぼうに答えた。
「いえ。別に、なんで洋楽を聞いてるのかなと思って」
「日本の曲もいいが、洋楽は特に魂が震えるのさ」
そう言って、再度イヤホンを装着した信長は歩き始めた。バーテンダーに混血の村があると教わり、其処に向かって、ひたすら北に進んでいる。まさに果てしない道のりだ。あまりの長さに、本当に存在するのかと疑問に思う程。
「信長殿、前!」
暑さと疲労でうつむきがちになっていた頃、唐突に信長を呼ぶ声が聞こえた。信長はその声に答えるようにして、額から汗を垂らしながら顔を上に向けた。
「あれは」
すると、目の前に洋風の建物が立ち並ぶ村が見えた。一瞬、混血の村かと思ったが、それにしては到着が早すぎる。この村は恐らく、バーテンダーに指定された村とは違う村だろう。しかし、既に疲労が蓄積していたため、信長はこの村で一休みしようと決心した。
「ここで休憩しませんか? 僕もうフラフラです」
蘭丸も同じ意見の様だ。全身に汗をびっしょりとかいて、自慢のモヒカンも生気を失って、ヘロヘロになっている。
「よし。まずは宿屋を探すか」
二人は村の入り口に一歩踏み込んだ。そこは建物こそ多いが、人の気配がまったくしない。まるでゴーストタウンのような不気味な気配に、横にいる蘭丸は戸惑いを隠せないのか、信長の服をがっちりと掴んでブルブルと震えていた。
「だ、だれもいませんね」
「おいおい。まだ夕方だぞ」
建物はあれど人はいない。不思議な光景だった。
「なにかあったのでしょうか」
「さあな。誰かに聞いてみないと分からん」
信長は誰かいないのかと思って、更に進んだ。すると、目の前に明かりのついた建物を発見した。看板には英語で『宿』と書かれているので、宿泊施設で間違いないだろう。
「やりました。人がいそうです!」
笑顔を取り戻した蘭丸は、喜びいさんで宿屋の扉を開けた。その瞬間、ひんやりとした空気が流れ込むと、二人の目の前には、しわくちゃで青白い顔の老人がランプを持って立っていた。
「いらっしゃい」
生気のない声だ。さっきまで地獄でも見ていたかのような細々とした声音。
「うわあああ! 出たあああ!」
しかし、突然の声に驚いた蘭丸は叫び倒していた。ただでさえ村の雰囲気に飲みこまれていたので、老人の飛び入り参加に肝を冷した様子だ。隣で見ていて哀れに思う程、怖がっている。
「失礼な奴じゃの、わしは幽霊じゃないぞ。ちゃんと肉がついておる」
そう言って、ランプで自身の顔を照らした。肉がついていると言っても、ほんの多少だった。骨と皮しかないようなものだ。
「へ?」
蘭丸は老人の顔を良く見た。そして、ホッとした顔を浮かべて胸を撫で下ろしている。
「わしは宿屋のオーナーじゃ。ようこそ悪夢の村へ」
しゃがれた声だ。しゃがれた声で言っていた。
「悪夢の村だと。どういうことだ?」
信長は目を細めて、問いただした。この村には何故人の気配がしないのかと。すると、宿屋のオーナーは二人を奥に手招きした。
「立ち話はなんじゃ。椅子に座って話さんか?」
信長と蘭丸は顔を見合せると、同じタイミングで頷いた。そんな二人の様子を見ていた老人はニヤリと笑い、腰を丸めて奥へと進んで行った。二人は老人の歩くスペースに歩幅をあわせてついて行くのだった。