第一夜
星の降る夜、私は家から少し離れたとある墓地に来ていた。この墓地には、若くして亡くなった人々の遺骨が埋められている。私は墓地の一番奥、蒼井幸助と書かれたお墓に用があった。用がある、という言い方では悪事をはたらくみたいに聞こえてしまうかもしれないが、そうではない。私はこのお墓に供えられた花の水の入れかえをやりに来たのだ。これは、元六年二組の皆で名前順にやっていて、今日が私の当番の日だった。
正直、私はここには来たくはなかった。来たら、思い出してしまうから。忘れようとしたことも、思い出したくないものも。
「私が蒼井君を―――――――っ」
やめよう。ここで独り言を言うのは、少し恥ずかしい。まあ、こんな夜中に墓地に来る人なんて滅多にいないだろう。
なんだか、やっぱり寂しいな。誰もいない中、一人で花の水を入れかえるなんて。あ、そうだ。早く終わらせて帰ってしまえばいいのだ。最初からそうすべきだった。しんみりしている暇があれば、さっさと終わらせて帰ってしまおう。
私は、お墓に来る前に取ってきておいた水の入った桶と柄杓で花に水をやった。そして、手を合わせて目を閉じた。
あら、すぐ帰るのではなかったのかな、と自分に疑問を抱いた私は…。
ある衝動に駆られた。
星の降る夜、私は病院から抜け出した。もちろん、こっそり。誰にも何も言わずに。だって、今日はあの子が来る日。今日だけはあの子に会える。
私はせかせかと病院からとある墓地へと早歩きで向かった。私はずっと病室から見ていた。あの子がいつ墓地に来るものか、と。あの子が来たら、出来る限り走ってあの子のもとへ行こう。そう決めていた。私の命が磨り減ったとしても、あの子にだけは、あの子にだけは、会っておきたかったから。死ぬ前にあの子の顔をじいっと見つめて、あの子の性格とかも全部じいっと見つめて、試してやろうではないか、と。
でも、あの子は来なかった。入院患者が外出できる時刻まで、ギリギリまで待っても。あの子は、来なかった。だけど、あの子の元クラスメートの子から聞いた。あの子は昼間、忙しいって。なんでも習い事に毎日通っているのだとか。だから、私はもしものためにと病院からこっそり抜け出すルートを考えた。それで、今、そのルートを通って病院から墓地までに続く小道を歩いている。
小道を進むと、小さな門がある。それが墓地の入り口だった。ここの墓地は他の墓地とは、色々と違う感じ、というかデザインというか、そういうものらしい。少しずつ墓地の奥の方へ進んでいくと、かすれた歌声が聞こえてきた。この墓地の奥の方は少し丘みたいな感じで盛り上がっていて、その丘の上にお墓がある。そのお墓の前に同じ年とは思えないほど背の高い女の子が立ち尽くしていた。私は女の子の五メートルくらい後ろの知らない人のお墓に身を隠した。
きっと、あの子だ。
私は、気付いたら歌っていた。
これ、何の曲だろう。わかんないな。あら、もしかしてこれは自作のオリジナル曲かもしれない。無意識のうちにオリジナル曲作って歌えるなんて。そんな才能、私にあったのね。でも、さすがオリジナル曲。歌っていてとても気持ちがいい。悪くないな、こういうのも。自分で歌って一番歌いやすい感じだ。
私はしばらく、歌い続けた。誰も知らない、私だけの歌を。そして、そろそろ歌い終えるかなと思った頃、私は気付いた。
私、泣いてるかも。
何で、泣いてるんだろう。もしかして、自分で歌っている曲に自分で感動しているんだろうか。私、そんなに痛い子だったかしら。いや、違う。そうじゃない。私、悲しくて泣いてるんだ。蒼井君のこと、思い出しちゃたんだ。思い出したくなかったのに。蒼井君のこと、本当は忘れちゃいけないことも。蒼井君が、もう、二度と帰ってこないことも。
嫌だなあ、もう。
思い出しちゃったら、辛くなるのに。蒼井君ともっと話したかったのに。もっと会いたかったのに。あーあ、もう、馬鹿みたい。
そうこう考えている間に、私は歌い終えていた。なんて、他人事見たい。歌い終わっても、まだ、涙は止まらない。私の口からは先程までの歌声ではなく、小さな嗚咽が漏れている。
「へっぷしんっ」
えっ。嘘、後ろからくしゃみが聞こえたってことはさ。後ろに人がいるってこと、よね。
「誰ですか」
私は恐る恐る後ろを振り返る。五メートルくらい後ろのお墓の後ろに隠れている、私よりも背の低い女の子が鼻を押さえていた。
「あ、え、その。すみません。綺麗な歌声、だったので」
女の子はこちらに気付いてはっと顔を上げて謝ってきた。
でも、私の歌を聞いてたってことはさ、つまり。
「人が泣いているのに、それをこっそり見てたなんて。誰か知らないけど、あなた、趣味悪いのね」
私は女の子に向かって冷たく言い放った。女の子は驚きのあまり顔色を失った。
あの子はただひたすら歌っていた。私の知らない歌を、ただひたすら。あの子はとても気持ちよさそうに、のびのびと歌っていた。聞いている私もとても気持ちがよかった。ただ、聞いていて気持ちがいいはずなのに、何故か、悲しみを帯びているような気がした。やっぱり、なんだかんだであの子も蒼井君のこと、忘れたくないんじゃないかな。そうだったら、いいのにな。
私はじいっとあの子を見た。そろそろ歌の終盤かなと思った時、あの子の足元に何か光るものが落ちて行った。何かしらと思って少しあの子の顔を少しでも見ようと動こうとしようとした。
あ、やばいかも。くしゃみでそ、
「へっぷしんっ」
う、っていうか出ちゃった。
あ、どうしよう。あの子に隠れてるのばれちゃう。この隠れてる体勢、明らかに怪しいよね。どうしよう、本当に。
「誰ですか」
あの子の声が聞こえた。私はさっきのくしゃみのせいで耳の中の気圧がおかしくなったのか、周りの音が聞き取りにくくなっていまった。だから、あの子が何を言ったのかまではわからなかった。私は鼻を押さえてそれを治そうとした。そしてやっと理解した。
あ、この子、きっと私に誰か聞いたんだ。この状況で知らない怪しい人に話しかけるとしたらそれしかない。
「あ、え、その。すみません。綺麗な歌声、だったので」
私は咄嗟に嘘をついた。ばれてしまう気もしたけど、仕方ない。どちらにしろ、怪しい奴に変わりはないわけだし。
「人が泣いているのに、それをこっそり見てたなんて。誰か知らないけど、あなた、趣味悪いのね」
あの子は私に冷たく言い放った。私は自分でもわかった。驚きのあまり私の顔色が失われたことに。
そして、あの子は物凄い勢いで私の方へ歩いてきた。いや、私の方ではなくてこの墓地の出口へ、だろう。あの子はまるで私の存在に気付いていなかったかのような態度で、さっと立ち尽くす私とすれ違った。すれ違いざまにあの子の顔を窺うと、あの子は私の視線に気が付き、私をきっと睨んだ。
まあ、仕方ないわ。こんな不審者見たいな人、関わると危なそうだものね。
いやいや、待って。それじゃ駄目。何のために、私、ここまでしたと思っているの。せっかくあの子に会えたのに、何も話さず帰るなんて。
「待ってください。お願いします。私、あなたとお話がしたいの」
私をこっそり物陰からみていた不審者は、私が何もなかったかのようにすれ違った後、突然、話しかけてきた。
「待ってください。お願いします。私、あなたとお話がしたいの」
女の子は今にも泣きそうな顔でうったえてきた。
お願いされても、ねえ。こんな不審者、私全然知らないし。それに、平気で人の泣き顔を見てられる奴となんて、話したくない。
「だから、あなた誰なの。私のことを知ってるみたいだけれど、どこで私を知ったの」
「私は蒼井唯です。蒼井幸助の、いとこです」
女の子は私の質問に即座に答えた。
それにしても、蒼井唯。そんな子、聞いたことないわ。そもそも蒼井君にいとこがいたなんて、初耳だし。しかもそのいとこさんがこの私に一体何の用があるわけよ。あの言い方だと、私に用があってこの墓地に来たみたいだし。
「高宮小百合さん、ですよね。あの、幸助お兄さんの墓参り、ありがとうございます」
私の名前も知っているらしい。誰から聞いたのだろう。もしや、蒼井君からか。多分、そうだろう。蒼井君の口から私の名前が出ていたなんて、少し嬉しいような気がする。
「幸助お兄さんって。本当にいとこだったんだ。それで蒼井さん、私に何の用があるの」
「あ、えっと。唯でいいです」
おや、初対面なのに、人見知りっぽいイメージだったのだが意外だな。
「じゃあ、唯ちゃんは私に何の用があるわけ。あ、私のことも小百合でいい」
自分から唯って呼んで、と言っておきながら、本人が少し照れているのは見ていないことにしよう。
「小百合さん、小百合さんは幸助お兄さんをどう思っていましたか」
「ストレートだねえ、唯ちゃんって。もっと静かでおどおどしてる感じかとおもったんだけど」
小百合さんこそとてもはっきりと物をいう方だと私は思ったのだけれど。
「あの、私、知りたいんです。だから、教えてください」
私の心無い一言に小百合さんは苦虫を噛みつぶしたような顔つきになり、最初に話した時の様な冷たい目をして言いました。
「ごめん。今日もう帰る。唯ちゃん、また会えるといいわね」
私はその時、はっとしました。自分がどれだけ人の心を踏み滲んだ言葉を発したのか、その時やっと気がついたのです。
そうです。私は初めから知っていたではないか。小百合さんの幸助お兄さんに対する気持ちを。卑怯だ。私はなんて卑怯なのだろう。こんな卑劣な方法で小百合さんの気持ちを確かめるなんて、人としてどうかしている。嗚呼、どうしよう。どうしよう。小百合さんに申し訳ないことをしてしまった。でも。
「待ってください。行かないでください。すみません。今のは私が悪かったです。申し訳ございません。ですが、小百合さん。小百合さんは逃げるつもりですか。私から。いえ、幸助お兄さんから」
立ち去ろうとしていた小百合さんに私は呼び掛けます。ですが、小百合さんはもう足は止めまいとすたすたと早歩きで出口へ向かっていく。
「では、待たなくてもいいです。明日、明日もう一度会ってくださいませんか。私とはもう話したくないかもしれません。ですが、どうしても小百合さんに伝えたい事があります。お願いします」
実はこの話、私の亡き友人の為に書いたものです。
この小説が友人に届くといいなあ…。