第四章「仲違いと、そして――真実」―2
そして、封香奏祭一日目が終わり、二日目が過ぎた。
二日目にやった内容は、一日目とほとんど同じだ。
千紗は、由梨亜と約束した通り、由梨亜が落ち込んでいた理由や、隠していることなどについては触れず、笑顔で、今まで通りに由梨亜と接していた。
千紗は後からこのことを振り返った時、もっと早くに由梨亜と言い合って仲直りしておけば良かったと思ったが、この時は、ただ、単純に、由梨亜と仲直りできて嬉しいと思っていた。
三日目は、それまでやっていた、普通のお祭りのようなことは一切やらず……と言うより、信者以外立ち入り禁止とし、一日中祈祷となった。
朝早く、それまでバザーで使われていた大聖堂の片付けをし、片付け終わった頃、客室から信者達も集まって来た。
そして、みんなで大聖堂の長椅子に腰掛けた。
六百人収容できる大きな聖堂であるにも拘らず、その実に半分以上もの席が埋まっている。
そして、周りの人達は、呪言を唱え始めた。
それは、こちらの言葉を理解できるようになっていた由梨亜と千紗にも、全く解らない異国の言葉、もしくは呪文だった。
だが、声の響きは、親が子を慈しむような、慈愛の想いに満ち溢れていて、聴いているだけで心も体も温かくなった。
そして、その呪言がしばらく続いた後、神器と呼ばれる、未婚で三番目に年長の女性が就くもので、その名の通り、神託のようなものを得る時の祈祷を行った時、降臨して来た創始者の寄坐となる、御歳七十三歳となる女性が、最高巫女と副巫女と共に入ってきた。
最高巫女の両手には、二十センチ四方の箱が捧げ持たれている。
その中に入っている物は、あの『香封珠』だ。
「皆の者、祈りをやめ給えよ」
最高巫女の、八十七歳とは思えない豊かで深みのある、大きな声が大聖堂に響き渡った。
「これは、初めて視る者もいよう。これは、この宗教、香封啓教創始者、長手深芳様から賜った神聖なる珠、他院に納められている、『香啓珠』と雌雄の珠である、『香封珠』である。今年もまた、様々なことがあった。そして、今年は昨年出た意見、『香封珠に願い得る神聖なること、皆の想いを取り入れ給えよ』、というものを受け入れ、この香封畏院にいる者達から、何を願えばよいかを訊き、そして、最も多かったものにした。皆の者、心して、聞け」
そう言うと、最高巫女は一息つき、その『願い』を口にした。
「昨年のものと似ておるが、違うものである。その願いを、皆の前で発表しよう。
『この美しき星……〈地球〉。吾等はこの星以外に棲む所はあらず。しかしこの地球、吾らが棲むには適さぬ環境になりつつある。もし棲むのに適さなくなったのであらば、吾々は死に絶え、この星には〈死〉のみが立ち込めるであろう。今は改善に向かって来ておるが、それでも、まだ良くなってはおらず。それどころか、また、悪くならないとも限らぬ。吾らはそうならぬ為に、願う。森林がこれ以上減らず、それどころか増えるように。それに伴い二酸化炭素急増を抑え、減るように。この願いが叶えられれば、長手深芳様、貴女様は敬われ続けることと成るであろう。そして、深芳様を守護された神々、精霊達も敬われ続けることと成るであろう。故に、吾らは願う。吾らの未来を願う想いを、どうか、叶え給えよ』」
「吾等の未来を願う想いを、どうか、叶え給えよ」
「香封啓教創始者、貴き力をお持ちになる長手深芳様よ、吾らの願いを叶え得る力を持つ香封珠よ」
最高巫女が願いを口にし終えると、今度は副巫女が祈りを捧げる役目に就き、それを信者達が何度も何度も復唱した。
「香封啓教創始者、貴き力をお持ちになる長手深芳様よ、吾らの願いを叶え得る力を持つ香封珠よ」
「香封啓教創始者、貴き力をお持ちになる長手深芳様よ、吾らの願いを叶えうる力を持つ香封珠よ」
みんなが、長手深芳と香封珠に対して祈りを捧げている間、最高巫女は香封珠の入っている箱に手をかざし、口を僅かに動かし、無心に祈っていた。
すると、普段は(実際にやったことはないが)叩いても落としてもうんともすんとも言わないはずの箱の鍵がカチリと開き、蓋が開いた。
すると最高巫女はその中から出て来た箱を取り出し、同じことを繰り返していった。
その間ずっと神器は床に跪き、最高巫女同様、口を僅かに動かし、無心に祈り続けていた。
そして、最終的に香封珠が最高巫女の手によって取り出され、皆の視界に入るぐらい、高く高く掲げられた。
まるでそれが合図だったかのように、皆の祈りがふっとやんだ。
その途端に、神器の口から、女性の神々しい声が大聖堂に響き渡り出した。
千紗は、千紗と同じ時代に生きる大多数の人間と同じように無神論者であり、科学的な根拠が何もないものを全然信じず宗教なんかとんでもないと思う人間だったが、この声を聞いた途端、神を信じなくても、少しは超常現象を信じてもいいかと思ってしまった。
それほどまでに、神器の声は普段の声とは全然違う、神々しい声に変わっていたのだった。
『その願い、叶えよう。皆の言うこと、この妾が承知した。近いうちに、その願い叶うであろう。しかし、努力を怠ってはならぬ。妾が願いを叶えるのではなく、妾が其方らを手伝うのである。このこと、しかと申し付けたぞよ』
神器は言葉を紡ぎ終えると、首がガクッと垂れ、意識が戻った。
すると、最高巫女が話し始めた。
「皆の者、これにて今年の祈りの儀を終える。長手深芳様の仰せらるること、しかと心に留めよ。夕刻、香封珠の封印の儀を行う。それまで休むように。全て、善きように。皆の者」
「はい、今年も長手深芳様の御加護を。全て、善きように。最高巫女様、副巫女様、神器様」
そして、人々は大聖堂を後にした。
今日は、封香奏祭最後の日で、また、長手深芳が香封珠・香啓珠を封印した日でもある。
つまり、普通の人にとっては一日目、二日目がお祭りで、三日目は『なにやら得体の知れない、信者しか参加できないお祭り』と認識している。
しかし、信者達にとっては一日目、二日目が前夜祭であって、三日目こそが本祭りなのだ。
そして、この日は最も清い日である為断食をする。
しかし……千紗のようによく動き回り、まさに『子供はよく食べよく眠る』の見本のような成長期の少女達には、かなり辛いのだった。
千紗は、グウグウ鳴るお腹を抱え、ベッドに横たわっていた。
理由は勿論、『動くとお腹が空く』からだ。
その時には、部屋には千紗以外誰も居なかった。
他の八人の少女達のうち、真面目で将来ここに残りそうな五人が小聖堂にお祈りに、他の一人が食堂に忍び込みに行き、そこに巫女や規則に厳しい老女達が行かないようにあとの二人が見張りをしていた。
そして由梨亜は、千紗が気付いたら既に居なかった。
最初はトイレにでも行っているのだろうと思っていたが、さすがに一時間もトイレに入っている訳がなく、どこにいるのか全く分からない状態だった。
そこに、コンコンと扉が叩かれた。
千紗は起き上がることさえ億劫だったので、寝たまま
「誰……? 鍵は開いてるわよ」
と、扉の外の相手に、意味が通じないことを承知で問い掛けた。
すると、驚いたことに扉が開き、そこには由梨亜が立っていた。
「由梨亜……? どうしたの?」
「千紗、ちょっと来てくれる?」
由梨亜の顔は強張り、少し蒼褪めているようだった。
「由梨亜、どうしたの? 顔色悪いよ。少し寝たら?」
「いいえ。それどころじゃないの。私は、やらなくちゃいけないの。千紗、私達がこの世界に来た理由を話すわ。だから……来て」
「えっ? でも、ここで話してもいいんじゃあ……」
「いいえ。ここで話すと、迷惑が掛かるもの。それに、誰がいつ来るか分からないし……」
「そう……。じゃあ行くよ。本当は、お腹空いて、あんまり動きたくないんだけどね」
千紗がそう答えると、由梨亜はちょっと笑い、
「そういうところが、千紗らしいわ。私……そういう千紗が、好きよ」
「由梨亜……?」
千紗は、訝しげに答えた。
今まで、『千紗らしい』と言われたことはあっても、『そういう千紗が好き』とは、一度も言われたことがなかったからだ。
そして、由梨亜は理由を話すだけではなく、何かを起こすとも……直感的に分かった。
そして、由梨亜は
「こっちよ」
と言い、千紗の手を取り、小走りで進み始めた。