第四章「仲違いと、そして――真実」―1
「さあ、皆さん。働きなさい。吾らの守護者に視られても、恥ずかしくないように!」
朝の祈祷がそういう言葉で締めくくられると、みんな一斉に席を立った。
何があるのかと言うと、だいたい二週間後の十一月十八日はこの宗教が興った記念日で、その日の一日前から三日間、この香封畏院では、封香奏祭というお祭りがあるのだ。
ちなみに、香啓畏院と言う、男子専用の修道院の方は、啓香奏祭と言うお祭りとなる。
何ともファンタジーで、夢見がちで嘘にしか聞こえないが、何でも昔、この宗教の創始者が、悪人の集団を捕まえ、こらしめたそうだ。
その悪人達は、こらしめられて改心し、二度と他人に悪さをしないと誓い、その印としてその悪人の頭の一族に代々伝わる珠、『香封珠』と『香啓珠』を、創始者に渡した。
二度と、自分のような者に悪用されないように。
それは実に不可思議な珠で、香啓珠を持った者が念じれば様々な天変地異が起こせる、不思議な、そして恐ろしい珠なのだそうだ。
……どうせ、嘘だろうけれど。
また、香封珠を持った者が念じれば、逆に様々な天変地異を抑えることもできるそうだ。
……本っ当に信じられないと言うか、絶対確実に眉唾物だろう言い伝えだ。
そして、その創始者は、この雌雄の香封珠・香啓珠を、その悪人の望み通り、再び悪用されないよう呪術を施した箱に入れ、それを十重に囲み、普段は絶対にその箱を開くことはできなくしたらしい。
たった一日を除いて。
この日、十一月十八日は、創始者がこの雌雄の珠を封じた日。
そしてこの日、創始者のような呪力を持っていない者、呪法をかけられない者でも、それなりの人数が集まり、強い祈りを捧げれば、それによって、箱は開くことになっている……らしい。
そして、香封畏院の最高巫女が、祈りが終わると前まで歩き、その箱を一つずつ開いて珠を取り出し、厳かに、一年にたった一つの願いを唱え、信者達がそれを唱和する。
そして香封珠(たった二つしかない為修道院も二つしかなく、女子の方に香封珠、男子の方に香啓珠が納められている)に祈りを捧げ、箱に戻しまた一年間の封印をする。
また、それとは別にその創始者を称える為の祭りでもある。
そしてそれが行われる間、近くに住んでいる信者でない人達も来て、祭りを楽しむ。
信者でない人が来ても、それはこの宗教、香封啓教の宣伝になるので、喜んで迎え入れている。
だからこそ一ヶ月前から掃除や準備に様々な時間を取られ、平日も休日も区別が全くない。
その為、一ヶ月前からは修道院に入っていない一般の信者達は礼拝には来ず、個人や学校などで、宗教の勉強に来る人もいない。
そして、何と睡眠時間がたった四時間である。
本当に体が保たない。
だから、休憩時間に椅子に座り込んで仮眠を取り、休憩終わりの鐘が鳴ると同時に目を覚まして掃除を再開するのだった。
勿論、それは十代から五十代の、掃除をする女性達もだった。
そしてもし鐘が鳴っても起きなかったら、夜に祈祷書を写さなければいけなくなるのだ。
それは、とても大変な作業で、何より睡眠時間がなくなる。
だから、由梨亜も千紗も必死で起きて仕事をしていた。
本当は言葉の通じぬ異邦人に祈祷書を写させる訳がないのだが、二人はそんなことは想像できなかったし、その気力もなかった。
そして、一週間前になればだいぶ楽になった。
今まで、普通の日……封香奏祭の一ヶ月以上前でも睡眠時間は五、六時間だったのに、一週間前になると何と七時間睡眠になるのだった。
それは、ここしばらく寝足りなかった由梨亜と千紗にとっては、まさに天国のようだった。
まあ、油断して寝坊し過ぎるのも罰則が待ち構えていたけれど。
そして、三日前になると、また予定が変わった。
勿論、前日は封香奏祭の準備に明け暮れるけれど。
「ねえ……由梨亜。お願いだから、教えてよ。あたし、そういう風に悲しそうな由梨亜の姿、もうこれ以上見たくない。あたし達、今まで隠し事なんかしなかったじゃん。それは、あたし達が出会った五年生の時から、ずっと、ずっとそうだったでしょ? ……ねえ、何で? 何でよ、由梨亜。お願いだから、意地張んないでさ……ねえ、由梨亜」
封香奏祭の五日ほど前、千紗は悲しげに、嘆願するように、そして、半分諦めたかのように、今夜も同じ問いを口に出した。
由梨亜の答えも、毎回同じで、
「千紗、ごめんね。今は言えないけど、封香奏祭の日に分かるから……。だから、今は……。おやすみ、千紗」
「……おやすみ、由梨亜」
そして、二人の会話は途絶えてしまった。
今、この時代で言葉が解り合えるのは、お互いしか、いないというのに……。
やはり今夜も同じ答えが返って来た千紗は、ひどく哀しく苦しい気持ちを味わっていた。
(どうして? 何で由梨亜はあんな風になってしまったの? 封香奏祭が近づいてから、落ち込んで、塞ぎ込んで、あたしとも話さなくなって……一体、何が原因なの? それが分かれば、あたしは全力でそれを阻止、排除するのに……! なのに、由梨亜は何も言わなくて……何で! 何で由梨亜はあたしに何も話してくれないの? もう……訳分かんないよ!)
そして、また、今夜も同じことを思い、器用なことに、怒りを感じながら眠りについた。
千紗は布団に入ってから眠りにつくのが速く、今日も僅か一分ほどで眠った。
その数分後、由梨亜は二段ベッドの上の段にある自分のベッドから降り、すぐ下の段で寝ている、千紗の顔を覗き込んだ。
そして、呟いた。
「千紗……ごめんなさい。私は貴女のこんな顔が見たくて、ここに来た訳でも、留まってる訳でもないのに……でも、もうそろそろしたら、貴女は戻れるから……だから、その時までは……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい、千紗。あと、もう少しだから……」
そう言うと、由梨亜は目尻に垂れてきた涙を拭い自分のベッドに上って行った。
一体、ここで何が起こるというのだろうか?
そして、二人は元の世の中に戻れるのだろうか?
今の時点では、まだ誰にも分からないが、ただ、一つだけ言えることがある。
それは、この時代に、時を超えて来たその理由、そしてそこで何が起こるのかが、封香奏祭で、もしくはその後で分かるということだ。
そして……二人はどうなるのかと、いうことも。
早朝の空気の中に、香封畏院の鐘が鳴った。
今日は、封香奏祭第一日目。
当日になったら、少しはゆっくりできるかなぁ……などと千紗は考えていたのだが、それは大間違いだった。
何故なら、今日までみんなで作ったタオルやぬいぐるみ、クッション、枕カバーなどの手芸品を大聖堂で売るのだが、またその量が半端でなく多い。
それと比例するように、売り子の人数も多い。
そして、簡単な手作りお菓子や、搾りたてのジュースを有料で出すのでキッチン担当もいて、更に給仕係もいるので、それぞれ交代してやっていた。
勿論、由梨亜と千紗は常にキッチンでお菓子及びジュース作り担当か、休憩だったが。
けれども、それでも由梨亜は何も喋ろうとはせず、黙々と手を動かし、休憩時間も千紗のことを意図的に避けているようだった。
そして午前中が過ぎ、夕方になり、日が暮れると、封香奏祭に来た人々は、それぞれ客室に戻ったり、家に帰ったりして行った。
そして、その後小聖堂で祈祷を行った。
いつもは鐘と同時に祈りを捧げ始め、鐘と同時に終え、香封畏院の最高巫女――未婚で最年長の女性から一言二言戴いてから部屋に戻って行くのだが、今日は祈祷の最後に、最高巫女が長々と話し始めた。
この香封畏院の最高巫女は、御歳八十七歳となるが、肌には艶があり、背筋も伸び、どんなに高齢でも精々七十代ぐらいだろうと思われるほど若々しい方だ。
「皆の者、今日のお勤め、ご苦労であった。明日は、中聖堂にて、祈祷を、街の信者達と、合同で行う。明日の、八時から九時頃に。全て、善きように。皆の者」
その声は、外見の若々しさから見るととても深く、落ち着いた声で、そこに立って、話しているだけで、威厳が辺りに満ち溢れていた。
「全て、善きように。最高巫女様」
皆で唱和した後、この香封畏院で、未婚で二番目に年長の御歳七十九歳の副巫女が言った。
「皆の者、今年の願い事は、決まった。今年は、昨年出た意見、皆でアンケートを採った結果、一番多かった意見、『地球の森林保護、二酸化炭素削減が、これまで以上進むよう』というものに決まった。休みなさい。全て、善きように。皆の者」
「お休みなさいませ。全て、善きように。最高巫女様、副巫女様」
そして、みんなで席を立ち、部屋へと戻って行った。
(森林保護? 二酸化炭素削減? この頃、まだそんなこと言ってたの? 一番酷かったのって、確か地球暦二千年代初め頃だったはず……あっ、思い出した。確か、この頃ってそれまで使われてた化石燃料っていうのが、もうほとんど使われなくなってきて、この時で言う、新エネルギー、エコなエネルギーって奴が一般的になってきた頃だっけ……だから、まだ地球温暖化問題があって……その時には、今あたし達がいる時代には、人間は生きているかどうかよく分からないって考え方が一般的だったんだよな……そう言えば、あともうしばらくしたら、地球は初めて他星の存在を知って、しかもこっちの方がだいぶ技術が後れていることを思い知らされて、大パニックに陥るんだよなぁ……)
そう思い、布団に入りながら考え事をしていた千紗は苛立ったように寝返りを打った。
(ああ、駄目。今まで布団に入ってまで考え事なんてしてなかったから、分かんなかったや。寝る直前に難しいこと考えると、眠れなくなるんだ……やばい。本気で寝れないかも……)
そう思っていた千紗は、上で起き上がるような気配がして、不思議に思った。
そして降りてきた由梨亜に、千紗は驚きながら声を掛けた。
「由梨亜。何やってるの? 今はもう十一時過ぎたんだよ? それに、早く寝ないと、明日体が保たないよ」
千紗の不思議そうな言葉に由梨亜はギクッとして固まり、ギクシャクと千紗を振り返った。
「ち、千紗……び、びっくりさせないでよ。っていうか、それが久しぶりに言葉を交わす相手に対する言葉?」
「そりゃあ、由梨亜とはこの頃何も喋ってないけどさ……。でも、あたしが声を掛けられないような雰囲気を出してたのは、由梨亜じゃん。おまけにあたしのこと意図的に避けまくってさ……あたしは、ずっと、由梨亜と普通の会話がしたかったよ。だって、ここに入って、封香奏祭が近づいてから、まともな会話なんて、誰とも、一度もしなかったじゃん。あたしは……ずっと、淋しかったんだよ。周りの人とは、古代語じゃないと喋れないし……あたしは古代語、まだ習いたてだから詳しい会話なんてできないし、元々そんな重要な科目でもなかったし……。由梨亜としか、普通の会話はできないんだよ? なのに……なのに、ずっと避け続けられて……あたし、本当に淋しかったんだからね。由梨亜は、本当に、何とも思わなかったの?」
「私は……」
と、由梨亜は目を泳がせ、言葉を濁らせた。
「だから、そう誤魔化さないで。分かってる? 由梨亜。そうやって全部曖昧にするのは、貴族階級がいつもやってることかも知れないけどさ。あたしとの間ではやめて。そう誤魔化すぐらいなら、最初から何にも言わない方がマシだよ、由梨亜」
千紗にピシャリと言い放たれ、由梨亜は
「……ごめん。本当に、ごめんね。千紗」
と謝った。
「それにさ、由梨亜、封香奏祭の日にわかるって言ったよね? 今日、封香奏祭一日目だけど、何もなかったよね?」
「三日目に分かるわ。お願いだから……待って。そうすれば全部教えるから。まあ、私もこの前知ったばかりだからちゃんと伝えられるかどうかはいまいち不安だけど……でも待って。全部分かるから。私達が、この千年前の世界に時を越えてまで来た理由。何でこうなったのかも、全部。その後、千紗は元の時代に帰れると思うから、心配しないで」
由梨亜は、自覚症状もなしにうっかり失言をしてしまったが、それを大人しく見過ごす可愛い千紗ではなかった。
そういうことは、厳しく問い詰めるのが千紗流である。
「……『は』?」
「えっ?」
「今由梨亜、『千紗は』って言ったよね。由梨亜は元の時代に、帰れないって言うの?」
由梨亜は、思わず手で口を覆ってしまった。
失言してしまったと思っているのは、まず間違いなく確かだ。
千紗は、幼い頃から本条家の跡継ぎとして鍛えられてきた由梨亜が、思わずたじろぐぐらいの据わった目をして、はっきりと言い切った。
「あたしは嫌。あたしだけ帰って由梨亜がこの時代に残るって言うのなら、あたしも残る。あたし、由梨亜の居ない時代に帰ったって全然意味ないもん。あいつが……並樹咲(中流の貴族)が、前の学校で騒ぎ起こしたからうちの学校に……私立小学校から普通の公立小学校に来て、あたしが咲に意見したからってあいつにいじめられて……友達いなくなっちゃったあたしにとって、由梨亜しか友達がいないんだから。だから……お願い、由梨亜」
「……大丈夫よ。千紗。私は、この時代に何か、残らないから」
「……本当?」
「ええ。私は絶対に、必ず現代に戻るから。この時代で、一生を終わらせなんかしない」
「そっか……。そう言えば由梨亜。何しようとしてたの?」
「ああ。あのね、千紗の寝顔、見ようと思って」
「はぁ?」
千紗はあまりにも予想外の言葉に拍子抜けして、間抜けな声が思わず口を付いていた。
「毎晩見てるんだぁ、実は。それから寝てるの。千紗って、眠りにつくの光速並みに速いしね。今日は寝てなくて驚いたよ」
「へ、へえ~」
かなり久し振りに和やかな雰囲気になった二人に、突然鋭い声が掛けられた。
「ちょっとあんた達。何やってんの? 煩くて煩くて眠れやしない。せっかくの睡眠時間なのにそれをさらに短くされたら堪んないわよ……ってあんた達か。全く、言葉が通じないってほんと不便ねぇ。えっと……エイゴで言うのメンドイからジェスチャーでいっか」
そう言ったのは、同室の十代の少女だった。
「あんた達」
と言って、由梨亜と千紗を指し、
「ベッドに戻って」
と言って二段ベッドを指した。
二人は頷き、大人しく布団に入った。
(一体……何なのかな。でも、由梨亜は封香奏祭最終日に教えてくれるって言ってたし。だったら、色々考えないで、さっさと寝ちゃおう)
そして、すぐに眠りに落ちたのだった。
何とも暢気なことだが、これが、千紗が千紗たる所以である。