第六章「真を知る頃に……」―1
富瑠美達は、千紗達が泊まっているという所に通された。
だが、不思議なことに、誰にも会わなかった。
富瑠美はそのことに、薄ら寒さを感じた。
些南美はしばらく黙り込んでいたが、ふと顔を上げ、真っ直ぐに由梨亜を見詰める。
「富実樹御姉様。あの……富実樹御姉様が現解鏡を御使いになられたのは、富実樹御姉様には魔力があられたから……ですか?」
その言葉に、千紗が首を捻った。
「え? 現解鏡って……魔力がないと使えないの?」
その疑問に、由梨亜は曖昧に笑う。
「う~ん。そう言われると困るんだけど……何て言うか、かつて、花鴬国の北半球にあるシューリック大陸に住んでいた先住民――つまり、魔族の血をどこかで引いている人は、使えるかも知れないの。勿論、去解鏡も」
「……もっと噛み砕いてもらっていい?」
頭を抱えた千紗に、由梨亜は笑みを洩らした。
「つまり、魔族の力を使える人は、必ずどこかで魔族の血を受け継いでいる。でも、魔族の血を受け継いでいるからと言って、必ずしも全員が魔族の力を持っている訳ではない。あまりにも、混血化が進んでしまったから。だから、魔族の力を持っている人は、基本的に先祖返りをして能力を得たと考えられている。……ここまではオッケー?」
「うん。それは分かる」
「だから、つまりはそれと同じなの。去解鏡も現解鏡も、魔力を使って作っていることには変わりはないし。それで、私みたいに魔族の力も持っていて去解鏡も使えるっていう人もいれば、魔族の力しか使えないって人もいるし、魔族の力は持っていないけど、去解鏡は使えるって人もいるわ。言うなれば、どの部分で、どれくらい先祖返りをしたかって問題ね」
「ふ~ん、そっか……」
納得した千紗を見て、由梨亜は些南美を振り向く。
「ちょっと話は逸れたけど、そうね。私は魔力を持っているわ。それで……」
由梨亜は目を逸らすと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……きっと、聞きたいわよね。どうして、私が花鴬国を離れたのか……」
「……それは、結構です」
柚希夜の言葉に、由梨亜だけでなく、千紗も驚いた顔をして柚希夜を見詰める。
「富実樹姉上の御様子を拝見していれば、何故富実樹姉上が花鴬国を御離れになったのかくらいは、想像が付きます。それに私は、富実樹姉上が、本当は花鴬国へ来られたくはなかったことも、花鴬国との考え方の相違に途惑いを覚えられていて、情けなく思われておられることも、知っておりました。……ですから、その御話は結構です」
柚希夜はそう言うと、気まずそうに目を逸らした。
「……なので、無理に花鴬国に御戻りになられるように説得する気も、誰彼構わず話して回る気もありません。花鴬国人とすれば、軍への御協力をおやめ下されば、ありがたいのですけれど……」
その歯切れの悪い言葉に、由梨亜はきっぱりと断言した。
「それは、さすがに無理ね。私は今まで、ずっと協力してきたんだし。ここでやめるって言っても、ただ疑われるだけよ。でも、安心して。花鴬国に、そんな致命的な打撃は加えていないから。この前――って言っても、もう一ヶ月近く前か。その時、ちょっと早理恵と話すことができたんだけど、元気そうだったわよ? まあ、こっちが不意打ちしたせいで動揺してたけど、立派に富瑠美の身代わりをやっていたわ」
その言葉に、三人はほっと安堵の息をつく。
「それよりも、ちょっといい?」
千紗が口を挟んできて、思わず富瑠美は顔を顰めた。
この前のあのことがあってから、少し千紗のことが苦手なのだ。
「貴方達……知ってる? 自分が、宗賽大臣、シュール・リリーシャ・ウィレットに騙された……って」
その言葉に、柚希夜はそっと目を閉じ、富瑠美と些南美は驚愕に目を瞠った。
「な、何ですってっ? そんな、宗賽大臣が、わたくし達を騙したと言うのですか?!」
「あ……あり得ませんわ。だってあいつは、わたくしに脅されていますもの。御父様や前戦祝大臣殿、前政財大臣殿のことを公にされたくないでしょうし……」
「だったら、むしろ今の状況に納得するけど?」
千紗にあっさりと言われ、富瑠美は絶句する。
「そういう風に脅されているのなら、益々貴女のことが邪魔になるはずだよ? それで、これを機に貴方達を一網打尽にしようと企んだ。そう考えると、辻褄が合うでしょ? 現に貴方達は、花鴬国と連絡が取れない。違う?」
富瑠美は、思わず目を逸らした。
だが、まさか、という思いもある。
あんなに、小娘一人に脅されたくらいで動揺するような男が、国王を殺そうとするだろうか。
しかし、もう一方では、千紗の言う通りだと囁く声もある。
彼は、自らの父で当時の先王である、花雲恭峯慶を暗殺し掛けた過去があるのだ。
「それと。貴方達は知らないだろうけど……ここからは、由梨亜が話す方がいいよね」
千紗に視線を向けられ、由梨亜は苦笑いをすると、話し手を代わった。
「宗賽大臣は、貴方達を殺そうとしている。しかも、直接自らが手を下すのではなく、間接的に。でも……それで、充分だとは思っていないの。間接的だからこそ、確実に貴方達が死ぬという保証もない。だから、貴方達の身動きができないように、急所を押さえようとしたのよ。……まあ、結局は失敗したけど」
その言葉に、富瑠美がはっと息を呑む。
「まさか……御母様――マリミアン様を、どうにかしようと……?」
それに、些南美と柚希夜が大きく目を瞠り、驚愕を露わにする。
そう、富瑠美、些南美、柚希夜を抑えようと思うと、マリミアンを狙うのが、最も効果的な方法なのだ。
富瑠美にとっては義母であり養母、些南美と柚希夜にとっては実母。
そして、現戦祝大臣のシャーウィン・リシェル・スウェールの異母妹である。
女性だということもあり、実に的確な急所だ。
富瑠美は、男達がマリミアンを襲った時にはもう国を出ていたので知らなかったが、それでも、『急所』と言われたら分かる。
「御母様は……御母様は、御無事にいらっしゃるのですよね、富実樹御姉様!」
些南美に詰め寄られ、由梨亜は思わず一歩後退る。
「あ、当たり前よ些南美! 御母様、今はルーシャック大陸のスージュクンでお店を開いているんだけど、富瑠美やシャーウィン伯父様が魔族の力を持つ人を配置して下さったから、今も無事でいるわ」
その言葉に、些南美と柚希夜はほっと安堵の息をつく。
富瑠美も、安堵の表情で由梨亜を見詰めた。
「御異母姉様、ユリアは役に立っておるのですか?」
「ええ。御母様をちゃんと護っているわ。それに、え~っと、シャーリン叔父様の第三妻の妹の旦那さんの従兄の友人……だっけ? その人も二軒隣に住んでるし、そのユリアがいない時も、ちゃんと護ってるみたいよ」
由梨亜が笑ってそう言うと、富瑠美も溜息をつく。
「そうですか……本当に、良かったですわ……御母様が御無事で……」
「何か、自分のお母様の安全には気を配るのに、自分の安全はいまいち手抜きが、って……何か、違くない?」
千紗が呆れたように呟き、それに富瑠美がギッと千紗を睨み付け、その様子を見た三姉弟も笑い出した。
実に和やかな時間だ。
今が戦時中だということを忘れるようなくらいに和やかな時間だ。
「千紗、由梨亜……お前達、一体……今の、話は……」
その声が、聞こえるまでは。
その言葉を耳にした途端、五人は凍り付く。
五人は、ゆっくりと扉を振り返る。
富瑠美は、内心歯噛みしていた。
会話に集中し過ぎていて、ここに来る間、誰とも擦れ違わなかったせいで、油断していた。
あまりにも、激しい衝撃と……そして、楽しい一時に、誰かが来るかも知れないと、誰かに聞かれてしまわれるかも知れないと、思い付かなかった。
「お父、様……」
由梨亜の、呆然とした言葉が響く。
いつの間にか開け放たれていた扉の向こうには、呆然と立ち尽くす耀太と瑠璃と、睦月と香麻の姿があった――。