第五章「そして、戦いの時」―3
富瑠美は、ふとニュースを見てスプーンを取り落とした。
他の誰でもなく、富瑠美がそれをやったということは……考えられないほどの衝撃があったということを意味する。
「お姉様? 一体、何が――」
些南美は富瑠美の見ているニュースを見て、口を噤む。
その目は、驚愕に見開かれていた。
「どう、して……」
「もう、花鴬国が……?」
その時、柚希夜が部屋に入って来た。
そして、強張った二人の表情を見て、首を傾げる。
「姉上? 一体、どうかなされたのですか?」
柚希夜は二人が見詰めている画面に目を移し、顔を引き攣らせた。
そして、二人に声を掛ける。
「……姉上。部屋に戻りませんか?」
「え、ええ……」
「そう、ですわね……」
二人は席を立つと、富瑠美の部屋に集まる。
「富瑠美異母姉上。一体、どういうことですか? これは」
まず、柚希夜が富瑠美に詰め寄った。
「そ、そんな……わたくしは、何も聞いてはおりません……」
「何故です。富瑠美異母姉上は王でしょう。王なのに、それは何です?」
柚希夜の声は、今まで聞いたことがないほどに険しかった。
「早理恵異母姉上が、今富瑠美異母姉上の身代わりをやっておられるのですよね? 富瑠美異母姉上、早理恵異母姉上にすぐさま連絡を御取り下さい」
その言葉に、思わず富瑠美は目を泳がせる。
柚希夜は、すっと目を細めた。
「……まさか、連絡を取る手段がない、などと仰せになるのではありませんよね?」
「…………」
「本当ですか? 何故、確認しなかったのです。このようなことになるかも知れないと、一度も御思いにはならなかったのですか?」
柚希夜の言葉に、富瑠美は返事ができなかった。
確かに……これは、自分の不手際でしかない。
その時、些南美が柚希夜と富瑠美の間に割って入った。
「そこまでになさい、柚希夜。確かに、確認しなかった富瑠美御異母姉様が御悪いのかも知れませんが、それはもう過ぎたことですわ。反省しないのは問題でしょうが、それでも、今はそんなことをしている場合では御座いませんわ。反省するよりもまず何より、今はどのようにして早理恵御異母姉様と連絡を取るのか、そして地球連邦を出るのかを決めなければなりませんわ」
咄嗟に不満そうな顔をする柚希夜に、些南美は真剣な顔で言い聞かせた。
「御忘れですの? ここは異邦の地。わたくし達は、ここの方々にとっては敵ですわ。それも、王族。早くここを出なければ、わたくし達の命が危ないですわ。……それに、わたくし達はともかく、富瑠美御異母姉様は王なのですから。ですから――」
その時、荒々しい足音が聞こえ、三人は顔を強張らせる。
突然部屋の扉が開け放たれたかと思うと、険しい顔をした大人が入って来た。
彼らが連れているのは……『本物』のルーレ・ウォンレット、ルーリ・ウォンレット、ルーマ・ウォンレットで、その後ろには、彼らの両親であるウェンリス・ウォンレットとオリガ・ウォンレットがいる。
三人は、固まったまま動けなかった。
本当の彼らがいるという、そういうことは、つまり――
「ばれた、そういうことだ。偽者の貴族ども」
まるで、三人の思考を読んだかのように、先頭に立った男性が口を開く。
「全く、リャウラン国の王子と王女などと、嘘までついて、よくぞここまで乗り込んで来たものだ。ウェンリス・ウォンレットもオリガ・ウォンレットも、本当に馬鹿だな。みすみす懐に害虫を招き入れるなど」
「この時期にこのような者が来ることは、分かり切ったことではないか」
その言葉に、三人は肩を竦める。
いくら何でも、十八と十六と十五の子供には、やれることがなかった。
「全く、この為だけに整形するとは。狡猾なことだ」
「しかも、こんな子供が。地球連邦も、舐められたものだな」
「しかし、残念だったな。こちらの勝算は高い」
「それに今日、初めて全国民に、花鴬国とは交戦中だということが発表された訳ではない。半月前に発表は済んでいる。だが、其方らのような人間がここにいることを警戒して、イギリス州では発表していなかっただけだ」
「其方らは、さぞ驚いたことだろうな」
その言葉に、三人は度肝を抜かれる。
交戦状態に入っているということだけでも驚いたのに、それが最低でも半月は前から。
つまり、早理恵の所に行こうとしても、最早不可能だったのだ。
三人はただ大人達の怒号に身を縮めていたが、そこに、場違いなほどに明るい声が響いた。
「あ~、はい、はい。そろそろ気が済んだかしら?」
その声に、三人は顔を見合わせる。
もし、自分達の聞き間違いではなかったら、この声は――
「ほら、いくら敵国のスパイかも知れないって言っても、まだ十代の女の子男の子相手に、そんなことしないでよ? ほんっと感じ悪いけど? こっちが悪者に見えてくるし」
……この声も、やはり聞き覚えがある。
三人の目の前に、本条由梨亜と本条千紗が現れた。
……しかも、何とも暢気な笑顔を浮かべて。
三人は自らの状況を忘れ、思わず二人の顔を見詰めたまま放心する。
「じゃあ、そういうことで……任意同行、って言ってもいいのかな? 来てもらってもいいかしら?」
その口調は強制をしている物ではなく、ただ単に訊ねているだけの物で、三人は顔を見合わせる。
だが、その言葉に最も反応したのは、大人達の方だった。
「なっ……!」
「ば、馬鹿なことを言うな!」
「あんた達、さぁ……」
千紗が、頭を掻きながら言う。
「一体、誰のお蔭で、ここまで来れたと思ってんの?」
「そうよ。もし私が何にも言わなかったら、自分達だけで捜さなきゃならなかったでしょう? どこの誰が、っていうところから含めて。あ、そっか。最初っから言わなきゃ良かったのよね。そうすれば、三人とも何にもなかったでしょうに」
「なっ……! お、お前は、それでも地球人かっ!」
「そうよ。それに、主義主張は人それぞれでしょう? 偶々、私が、協力してくれたから良かったものの、もし私がいなかったら……どうなってたと思う? 花鴬国に全っ然敵わなくって、すぐに降参してたに決まってるわよ。私がいるから、そして私が協力しているから、地球連邦は、辛うじて、花鴬国と引き分けでいれるのよ? もし三人に酷いことをするって言うなら、私は軍に協力するのをやめるわ。勿論その場合……」
由梨亜は、懐から黒いケースを出す。
三人は、それを見て目を瞠った。
それは、二人と最後に会ったあのパーティーで、二人が双葉達に渡していたあのケースだったのだ。
「これは差し上げるから、どうぞご自由にお使いなさって構いませんけれど?」
その言葉に大人達は顔を歪める。
「そんなことを言っても、所詮それはお前しか使えないだろう!」
「ええ。でも、私には、あんまり必要のない物ですから、どうぞご自由に。これを使いたいなら、使える人を捜して下さいね? あ、勿論、私以外で」
……何故か、手を引くことを前提とした話し方になっている。
「それは、一体……何なのですか?」
柚希夜が、由梨亜達に向かって慎重に問い掛ける。
「これ? う~ん。知っているかどうかは、ちょっと微妙だなぁ……あ、でも、これに似た物だったら、知ってると思うわ。花鴬国の人間なら、ね」
由梨亜は含み笑いをすると、ケースの中から鏡を取り出した。
富瑠美達はそれを見た途端、サッと顔色を蒼くする。
今の、由梨亜の含み笑いが分かった気がした。
そう、花鴬国の人間ならば、絶対に分かるだろう。
「もしや……去解鏡、ですか?」
「う~ん、それと近い物ね。去解鏡プラスアルファ、ってことかしら?」
その言葉に、些南美と柚希夜は首を傾げる。
去解鏡の能力に、上乗せされていることとは……一体、何なのだろうか。
いや、それよりも、問題は――
「あ、あり得ませんわ! 去解鏡は、もっと大きくなければ、その効力を発揮致しませんもの! そんな手鏡ほどに小さければ、精々が、半径数十キロも視ることができれば優秀なくらいでっ……!」
「さすがねぇ。でも、不思議なことにこれは、そういった距離は条件の中に入ってないのよ。つまり、ここからでも、花鴬国のことは探れるの」
由梨亜は悪戯っぽく笑い、三人は思わず呆然とする。
どんなに優秀な去解鏡だとしても、たった一光年離れているだけで、その場所のことは探れないのだ。
それなのに……一光年どころではなく離れている場所のことを、ここからでも探れる?
常識的に考えてもあり得ないが、由梨亜の表情は真剣だった。
「聞いたことがない? これ……現解鏡、って言うの。花鴬国でも、相当珍しいと思うけど、貴方達なら、知ってるんじゃない?」
千紗が横から挟んだ言葉に、三人は戦慄した。
「ま、さか……」
「そ、んな、嘘……嘘ですわ!」
「ま、まだ現解鏡は、試作段階なはずっ……!」
「え、そうなの? それは知らなかったわ」
千紗は目を瞬くと、にっこりと笑う。
「で、やっぱり知ってたのね? これ、相当機密情報のはずだけど?」
その言葉に、三人は思わず息を呑んだ。
確かに……思い掛けないことを言われて、油断してしまった。
「じゃあ、これくらいの情報でいいでしょ? あとはそっちで勝手に探って」
千紗はそう言うと手を振り、大人達を追い払ってしまった。
富瑠美と些南美と柚希夜は、唖然としてそれを見守る。
「じゃあ、そういう訳だから……貴方達をここにいさせる訳にはいかないの。だから、しばらくあたし達の泊まってる所で我慢してもらってもいい?」
「何故……何故、そのようなことを……」
富瑠美が呆然と呟くと、千紗は慎重に辺りを見回し、誰もいないことを確認してから、小声で言う。
「それは……貴方達が、由梨亜の弟と妹だから、かな? それに、これは貴方達の責任じゃないし」
その言葉に、三人は息を呑んだ。
富瑠美と柚希夜は、自分達のことに気が付いていたのだ、ということと、千紗は双子の妹となっている由梨亜が、本当は富実樹だったと知っていたのだということで。
そして些南美は、本条由梨亜が花雲恭富実樹だと知って。
「まさ、か……富実樹御姉様? 富実樹御姉様なのですかっ?」
些南美は、思わず由梨亜に詰め寄った。
「ええ。ごめんなさいね、些南美、富瑠美、柚希夜。今まで、ずっと黙ってて……」
由梨亜は、あの頃の富実樹の笑みを浮かべる。
「さあ、こっちに来て? 事情はおいおい説明するから。あ、あと一つだけ言っておくけど、この現解鏡は本物だから。そして、私が軍に協力していることも」
その言葉に、思わず三人は戦慄した。
「ごめんなさいね? でも、今の私は花鴬国の王でも王女でもなく、地球連邦の貴族だから。まあ……だから、貴方達に酷い目を見させなくても大丈夫なんだけど」
由梨亜はそう言うと、三人に手をかざす。
そして、一分経つか経たないかのうちにまた手を下げ、満足そうに頷いた。
「どう? これで、貴方達だとはばれないわ」
その言葉に、富瑠美と些南美と柚希夜が顔を見合わせると、三人の顔は、ウォンレット家の子供の顔でも、勿論本当の顔でもなくなっていた。
「ふ……ふふ、富実樹御姉様……ま、まままさか、こ、これはっ……!」
些南美が盛大にどもりながら由梨亜を見上げると、悪戯っぽくウインクを返される。
「実は、魔力を持っているの。私」
「貴女達の曾お祖母さん、すっごい魔族の力を持った女王様だったんでしょ? だったら由梨亜にその力が、断片的にでも受け継がれていても可笑しくないって思わない?」
千紗に言われ、思わず些南美と柚希夜は唾を飲み込む。
富瑠美にとっては初耳ではないが、この二人は違うのだ。
ただ呆然と突っ立っていたが、千紗はそれを気にした様子はなく、パンと手を打った。
「ほら、あたし達が泊まってる所に行こう? ここじゃ落ち着いて話せないよ」
千紗はそう言い、三人を促した。
由梨亜もそれに乗り、五人は部屋を出て行ったのだった。