第五章「そして、戦いの時」―1
「それでは、陛下」
「ええ。宜しく頼みます、ウェッサム元帥」
早理恵は、手の震えを押し殺して言う。
結局ここまで、富瑠美達からの連絡は来なかった。
だが、まさか、
「実は、富瑠美御異母姉様と些南美と柚希夜があの国に……」
とは、口が裂けても言えない。
だから、軍議にかなり時間を掛けたのに……それでも、連絡は来なかった。
(どうして――何故ですか、富瑠美御異母姉様……! 何ゆえ、こちらへ連絡が来ないのですかっ?!)
何度も何度も考えたが、答えは出ない。
もしや、地球連邦側に見付かったのではないかとも思ったが、もしそうなら、地球連邦は大々的に発表をするか、密かに花鴬国に連絡を入れ、今は大騒ぎになっているだろう。
だから、違う。
でもそうではないとしたら、一体どんな理由で、三人は地球連邦に留まっているのか――?
どんなに考えても答えは出ず、そして、今やもう戦いが始まろうとしていた。
ウェッサムはキッと居住まいを正すと、大声で号令を出す。
まあ、ほとんどの耳に届く彼の声は肉声ではなく機械を通すので、その場にいた者が、思わず耳を塞いだり顔を顰めたりするほどの大声である意味は、全くないのだが。
「全軍、戦闘準備っ――!!」
その言葉に、兵や将はそれぞれ、主に攻撃機や爆撃機に乗り込み、いざという時の用心に一部が戦闘機に乗り込む。
また、人が乗り込むだけではなく、機械仕掛けの物も作動を開始する。
その動きは一糸乱れず統制が取れていて、それを司令室のモニターで眺めていたウェッサムは、満足そうに頷く。
司令室の中の、一段高い所に座っている早理恵を振り返ると、ウェッサムは厳つい顔を綻ばせて言う。
「御覧下さい、陛下。我が軍のこの統制の取れた動きを。これを見るだけで、地球連邦と花鴬国の実力の差が知れるというものです」
「ええ。そのようですわね、ウェッサム元帥。軍の頂点にいる元帥の、日頃の指導の賜物ですわ。誇りに思われても宜しいですよ」
その言葉に、ウェッサムは低頭する。
「は。御褒めに預かり光栄に御座います、陛下。それに、御覧下さいませ。これこそ、我が軍の新たに開発致しました砲弾に御座います。今までとは比ぶべくもないほど、飛躍的に距離が伸びておるだけのみならず、その威力、そして的に当たる精確性などは、地球連邦程度には太刀打ちできますまい。まあ、大きさが大きさの為、必要とするエネルギーがエネルギーの為、この母艦にしか設置できなかったのが、唯一の欠点と言えば欠点ですな」
豪快に笑うウェッサムに、早理恵は笑みを作って煽てた。
「それはそれは、真に素晴らしいですわ、元帥。こうなれば、是非ともその新兵器を活用した戦を見てみたいものです」
「はっ。陛下の御期待に添うよう、誠心誠意努力致します」
早理恵はウェッサムに向かって頷くと、再びモニターに視線を移す。
確かにその動きは、地球連邦などとは比べ物にならないほどの物で、たとえその新兵器がなくとも、もしもまともに戦ったら、地球連邦の勝ち目は全くないようにも思える。
そして……だからこそ、早理恵は不安なのだった。
(もし……もし、地球連邦に直接攻撃をするようなことにでもなれば……下手をすれば、富瑠美御異母姉様達もっ……! 嗚呼、どうか、どうかっ……そんなことに、なりませんようにっ……!)
そうこうしているうちに、全ての準備が整う。
早理恵は、知らず知らずのうちに手を固く握り締めていた。
「第一軍、出陣せよっ!」
ウェッサムの勇ましい言葉と同時に、攻撃機や爆撃機の一部が船を離れる。
そして、目標である星を取り囲むようにする。
早理恵は、それを元帥であるウェッサム達や幕僚達と司令室で見守る。
あとは……攻撃開始の命令を、出すだけだ。
それで、何か変事がない限り、この司令室から指令を出す必要はなくなる。
これから主な指示を出すのは、将官や佐官達だけだ。
やがて、部隊の動きが整う。
ここからは、迅速な行動が重要だ。
地球連邦からここまでは、そこまで離れた場所ではない。
この時点で動きを嗅ぎ付けられては、こちらの作戦行動が終わる前に攻撃されてしまう。
早理恵はスッと立ち上がると、拡声器の前に立つ。
これは……国王の、仕事だ。
早理恵は、本来は王ではない。
だが、『花雲恭』という姓を持つ人間として――そして、異母姉の軽率な行動を止めることができなかった異母妹として、これは仕方のないことなのだ。
このことによって……早理恵の号令によって、一体どれほどの人間が死ぬのだろう。
早理恵は内心の怯えを隠したまま、静かに息を吸う。
そして、強く威厳のある言葉を発する。
「さあ、皆。攻撃、開――っ!」
早理恵の言葉は、突然の衝撃によって途切れる。
「きゃあっ!」
早理恵は、近くにあった椅子に縋り付く。
それは床に固定されているので、辛うじてその衝撃をやり過ごすことはできたが、他の席を立っていた幕僚の何人かが床を転がって、頭をぶつける鈍い音がする。
「い、一体、何がっ……!」
早理恵は、何とか顔を上げてモニターを見詰める。
それまではどこか呆然とした表情だった早理恵だが、それを見た途端、表情は愕然とした物に取って代わられる。
「ど、どうしてっ……?!」
他の、何とか立ち上がった幕僚達や元帥達も、それぞれ愕然とした表情になる。
「何故……!」
「どうして、地球連邦がっ……!」
早理恵達の目に映っていたのは、地球連邦の戦闘機と、それを収容していたのだろう巡洋艦や駆逐艦だった。
外装に描かれている連邦旗を見ても、それは明らかだ。
そして、今の攻撃は――
「まさか、撃って来たというの……? でも、どうして気付かなっ――!」
早理恵の見詰めていたモニターの映像が、突如としてぶれる。
まさか、カメラまでもが壊れたと言うのか……?
だが、違った。
ザザ、と砂嵐が起こったかと思うと、数名の姿が映し出されたのだ。
つまり、これは――
「まさか、電波ジャック……?!」
幕僚が呟いた途端、そこに映っていた中でも中心に立っていた人物は、重々しく頷く。
「当たりだ、花鴬国の人間よ」
その人物は、今までの報道でよく見掛けた人物だった。
「こうして話すのは初めてだろうかな。改めて名乗るとしよう。私はジャック・エンダーレンス。地球連邦の議会で、議長を務めている」
その言葉に、早理恵は僅かに目を瞠った。
たかが連邦議長が、こんな戦いの場所に通信を送って来るなど、信じられなかった。
普通は、こういうことは軍務の人間――それこそ、花鴬国で言う戦祝大臣のような人間か、軍の統帥権を握っている人間が、代表として出て来るはずだ。
彼の背後や横に目を滑らせると、確かに、地球連邦の国防大臣や、宙軍の最高指揮官の大将がいる。
だが、早理恵の記憶が確かであれば、この大将も国防大臣も、現場で叩き上げられた実戦型の人間のはずだ。
そういった人間は、得てして口が下手なことが多い。
だから、わざわざ連邦議長を引っ張り出して来たのだろうか。
だとすれば、その選択は正しいと認めざるを得ない。
この泰然とした、物慣れた様子は、生半な人間に醸し出せるものではない。
地球連邦の大統領が有能だという話も聞かないし、むしろこの議長は、次の大統領候補にすら挙がっているほどの人物だ。
大統領でも、国防大臣でも軍人でもなく、この議長が直接出て来る、ということは――地球連邦は、本気だ。
事前情報では、地球連邦は花鴬国を侮り切っているとあったが、それは誤りだったのだろう。
早理恵は、ゆらりと立ち上がった。
もう、船の揺れはだいぶ治まっていた。
早理恵は、静かな目でジャックを見詰める。
「……わたくしが、花雲恭富瑠美です。エンダーレンス議長。……初めまして、で宜しいでしょうか?」
「ええ。そうですね」
「ならば……」
早理恵は、震える声で言う。
「単刀直入に訊きますが、貴方方は……一体いつからわたくし達の接近に気が付いていたのです? そして、どのような術をもってして、わたくし達に接近を気付かせなかったのです」
さすが王族ということもあり、早理恵は内心の動揺を押し殺し、静かな声で訊ねる。
ジャックはスッと目を眇めると、わざとらしい微笑を浮かべてみせる。
「ほほう? さすがは王族の姫君。幼いことだ」
「なっ……!」
早理恵は、頬に朱を昇らせる。
確かに、早理恵自身は大人ではない。
ついこの前、この軍艦の中で誕生日を迎えたとはいえ、まだ十七歳だ。
花鴬国の法律ではまだ未成年に当たり、親の保護下に置かれるべき子供でもある。
だが、『花雲恭富瑠美』は違う。
彼女はもう十八歳であり、今年で十九歳になる。
花鴬国の法律では十八歳からが成人に当たるので、彼女は法的にも成人だ。
おまけに、富瑠美は王である。
富実樹がそうであったように、王になればその瞬間から、たとえまだ未成年でも『大人』として扱われるのだ。
富瑠美は十六歳の頃から『大人』として扱われ、富実樹に到っては、王位に即いたのは十四歳の頃だ。
だから早理恵は、図星を指されたというのもあるが、異母姉達に対する侮辱でもあるこの言葉に、過剰に反応してしまった。
「わ、わたくしは、もう十八となりました。たとえわたくしが一般人であっても、もう正式に成人ですわ。侮辱しないで頂きたく存じます」
その言葉に、ジャックは微笑んだまま言う。
「私は、貴女が成人か未成年かを問題にしている訳ではありません。成人か未成年かということと、大人か子供かということは違うのですよ?」
その言葉は、まるで聞き分けのない子供を諭すようで、早理恵はカチンと来た。
ジャックの後ろの方に映っている、富瑠美とそう変わらない歳であろう少女までもが頷いているのが、更に癪に障る。
「さて、貴女の質問ですが……」
早理恵が反駁しようとした途端、絶妙のタイミングで挟まれた言葉に、早理恵は黙らざるを得なくなる。
「最初の質問。私達が、いつから貴方達の接近に気が付いていたか。……これは、二週間ほど前でしょうか」
その言葉に、何とか立ち直った幕僚が食って掛かる。
「まさか! 嘘偽りを申すな!」
「そうだ! 二週間も前だとっ?! あり得ない!」
「我々がここの周辺に着いてから、まだ一週間も経たぬのだぞっ?!」
あっさりと重要な情報を洩らす幕僚に、早理恵と元帥達は頭を抱えた。
それを分かってか、ジャックは重々しい笑い声を洩らす。
「こちらの諜報能力をなめてもらっては困るな、花鴬国の御仁ども」
その言葉に、ジャックの後方にいた少女が、今度は体を二つ折りにせんばかりの勢いで、猛烈に込み上げて来る笑いを必死に堪えている。
何がそこまで面白いのか分からず、猛烈に込み上げて来る不快感を抑え、早理恵はその少女を睨んだ。
すると、何故かその少女にじっくりと眺められ、ウインクをされる。
(はっ……?)
……ウインクというのは、親愛の情を示す時に用いられる物ではなかっただろうか。
しかもこの少女と早理恵は、正真正銘初対面以外の何物でもない。
だから、この少女の行動の意味がさっぱり分からず、早理恵は思わず硬直した。
すると、何故か映っている範囲の外から手が伸び、その少女を引っ張る。
ジャック達もその方向を見ているが、どうも苦笑を噛み殺しているような顔だ。
本当に、さっぱり意味が分からない。
しかも、微かに漏れ聞こえてくる声は、
「ちょっと、いきなり何すんのよ!」
「何すんの、ってのはこっちの台詞だって! あんなにふざけちゃ迷惑掛かるでしょうが!」
「ちょっとくらいのおふざけならいいじゃない! それにあんだけ協力したのに、ちょっとぐらいの迷惑がどうだって言うのよ?」
「ちょ、それ向こうから言われるのはともかく、こっちが言っちゃ駄目な台詞でしょ?! はあ、全く、これだからお嬢様育ちは……」
「ちょっと、何言ってるの? 千紗だって一応お嬢様育ちじゃない!」
「ちょ、由梨亜! 『一応』って何、『一応』って!」
「何ってそのままの意味じゃない!」
……何故だか、口喧嘩が勃発している。
ジャックの背後に控えている人物は皆、笑いを噛み殺しているような変な顔になり、それがまた早理恵の癇に障る。
ジャックがわざとらしい咳払いをして、ようやくその二人の口喧嘩は治まった。