第三章「特別な物」―2
「……遅いな、千紗達」
「ああ……大丈夫かな?」
天皇達が訪ねて来てから、もう三十分は過ぎる。
けれど、扉は閉ざされたままで、睦月と香麻は、付いて行けば良かったと後悔していた。
「落ち着きなさい、睦月君、香麻君。あの人……はともかく、千紗と由梨亜なら大丈夫よ」
「はあ……そう、でしょうか?」
「そうよ。当たり前じゃない。だって千紗と由梨亜は、この私の娘なのよ?」
「「…………」」
思わず、二人は沈黙した。
その言葉に根拠はない。
ないが……妙な説得力があった。
その時、ようやく扉が開いた。
ぱっと三人が振り返ると、妙にげっそりと憔悴した顔の天皇と耀太と双葉と若葉と義彰がいて、何やらすっきりしたような、悪戯を企んでいるような、あるいは悪戯が成功したような妙な笑顔の千紗と由梨亜が出て来た。
その両者のあまりの表情の違いに、睦月達は顔を見合わせる。
そして、瑠璃が恐る恐る訊ねた。
「貴方。……一体、どうしたの? みんな、私の予想以上の凄い顔をしているけど……」
その言葉に、千紗と由梨亜を除く五人は益々げっそりとした顔になったが、千紗と由梨亜だけは顔を顰めた。
「ちょ、ちょっとお母様っ!」
「私達、そんなに凄い顔をしているかしら? この中じゃ、一番まともな顔だと思うけど」
ねえ、と顔を合わせる千紗と由梨亜に、瑠璃は笑って答える。
「ええ。貴女達は、もう悪戯大成功! って感じの凄い顔よ?」
その言葉に、皆の体がぴたっと止まる。
そして、千紗と由梨亜は顔を見合わせ、吹き出した。
「悪戯?」
「悪戯、ねぇ……」
「まあ、悪戯って言えば、悪戯なのかな? 千紗」
「うん。そうなんじゃない? あたし達がしたことって。ねえ? 双葉、若葉、義彰?」
その言葉に、三人は虚ろな目をして顔を見合わせる。
やがて、義彰が口を開いた。
「悪戯っていう……レベルで済む問題じゃ……ないでしょう」
最早精も根も尽き果てたという様子に、睦月と香麻は顔を見合わせる。
「なあ……悪戯ってレベルじゃ済まないって……お前ら、一体何をやらかしたんだ?」
その言葉に、千紗と由梨亜は意地が悪そうな笑みを浮かべる。
「ふふ。……知りたいの? 二人とも」
「え、ああ、まあ……」
「気にならないって言ったら、嘘になるな」
千紗がすっと天皇に視線を投げ掛けると、天皇はげっそりした顔のまま頷いた。
「其方達の婚約者だったら……よいだろう」
「ありがとうございます、天皇陛下」
そうして、千紗と由梨亜から受けた説明に、睦月と香麻と瑠璃は顎を落とした。
げっそりと憔悴し切っている他の者の様子に、嫌でも納得せざるを得なかった。
これは、卒倒しないだけでもいい方だろう。
「……マジ、かよ……」
香麻がようやく絞り出した声に、由梨亜は真面目な顔になって頷く。
「ええ。……こんなスケールの大きいこと、冗談や嘘なんかじゃ言えないわ」
その言葉に、呻き声が部屋に響いた。
「……貴女達、私の予想以上の凄いことをしでかしたようね……」
さすがの瑠璃も、顔を盛大に引き攣らせている。
「それで……どうするんですか? その……『現解鏡』とかいうの」
睦月の言葉に、天皇は静かに答える。
「現解鏡のことは、議会に伝える。……ただ、現解鏡を扱うことができるのは……」
天皇は、妙に言いよどんで視線を彷徨わせると、諦めたように溜息をついて言った。
「どうやらそれには癖があるようで……今の段階で、それを扱えると断言できるのは、由梨亜殿だけのようだ。だから……使う時は、由梨亜殿にもご協力を願うようになるだろう」
その言葉に、香麻が顔色を変える。
「なっ……由梨、亜っ?」
「うん、そう……みたい、なのよねぇ。さっき試してみたら、他のみんなは無理だったけど、私なら、何とか動かすことができたの」
由梨亜は困ったように微笑み、瑠璃は頭痛がするとぼやいて頭を抱えた。
「だから、使う時は私が協力するのがいいと思うの」
香麻は必死の目付きで千紗を見詰めたが、千紗は残念そうな顔付きで首を振った。
「あたしじゃ、現解鏡は上手く動かせなかったの」
その言葉に、香麻はがっくりとして言う。
「……千紗も使えたら、由梨亜の負担も半分に減ったのに……」
「あ~、もう! 男がたらったら文句言って落ち込むんじゃないわよ! 私は大丈夫だから! 全く、私が十三の頃から十六歳までのだいたい四年間、ずぅっとレイリア国で働いていたこと忘れたの? これぐらい、あの頃に比べたら何でもないわよ!」
由梨亜の怒鳴り声に、天皇は目を瞠った。
「働いていた? 君は、国外で働いていたことがあるのかい?」
双葉と若葉も仰天している。
「えっ! ちょっと由梨亜! 貴女、外国で働いてたの?」
「ええ。言ってなかったかしら? お父様が婚約者候補達紹介してきて……それでその頃、私は香麻のことを好きになったから、もう我慢できないって思って……千紗にはちょっと申し訳なかったけど、家出したのよ。千紗にも手伝ってもらって。ま、結局戻って来たけどね」
その言葉に、千紗が苦笑して言う。
「そうじゃなかったら、由梨亜はここにいないでしょ? それに、全然迷惑じゃなかったよ? そりゃあ由梨亜がいない間はお父様が本っ当にうざかったけど、由梨亜のおかげで睦月と婚約できたし。もし由梨亜がいなかったら、今頃あいつらと婚約しなきゃなんなかったところだよ」
千紗は、いかにも嫌そうに眉を顰めて身震いする。
「とにかく、私は大丈夫だから、香麻。心配しなくていいわ。それに、何かを任されて暴走するのは千紗の十八番であって、私じゃないわよ?」
由梨亜の言葉に、千紗が噛み付く。
「ちょ! 何、十八番って! あたし、そんな暴走してないから!」
「はぁ? 一体どこのどの口がそんなことを言ってるの? 暴走って言ったら千紗でしょう? ねえ、香麻、睦月、お父様、お母様?」
その言葉に、四人は微妙に顔を引き攣らせて目を逸らす。
そして、耀太はぼそりと言う。
「……お前もその中に入っているぞ」
「え? 私も暴走しているですって?」
由梨亜が眉を吊り上げると、耀太は深い溜息をついて言う。
「全くお前達は、幼い頃から暴走して暴走して暴走しまくって……。それぞれ一人で暴走するのだけでも頭が痛いというのに、二人揃って、しかも協力して暴走して……。自覚がないのか? お前達は。それに、お前が今言ったばかりのあの家出とその関連事項だって、お前ら二人が協力して暴走しまくった結果の最たる物だろう」
そのどこか力の抜けた言葉に、思わず二人は顔を合わせ、目を彷徨わせた。
「あ、あはははは……」
千紗と由梨亜にとって、婚約者候補達を追いやったことはともかくとして、由梨亜が家出したということは事実ではないのだ。
一応記憶としてはあるものの、実感としてはない。
だから、思わず二人の顔は引き攣っていた。
けれど他の者は、とうとう自覚したのか、としか思わなかった。
こればかりは、日頃の行いのお蔭(?)だろう。
「それじゃあ、そういうことだから、宜しくね?」
何とか気を取り直して由梨亜が言うと、部屋からは溜息が溢れた。