第三章「特別な物」―1
次の日、珍しく千紗達は揃って朝食を摂ることができた。
「やっぱり久し振りねぇ、こうしてみんなで揃って朝食を摂るのは。……ねえ、そうでしょう? 貴方?」
おっとりと瑠璃が言うと、耀太も微かに微笑む。
「……ああ、そうだな」
本条家にしては、珍しくほのぼのとした朝食を摂っていたところ、思わぬ所から横槍が入った。
「失礼致します、旦那様、お食事中のところ申し訳ありません」
突然、澪が慌てた様子で入って来たのだ。
「どうしたの? 澪。慌てるなんて、貴女らしくもないわ」
瑠璃がおっとりと訊くと、澪はすぐに頭を下げる。
「申し訳ありません、奥様。ですが、その……天皇陛下御自ら、皇太子殿下と内親王殿下をお連れしてお越しになっておりまして……」
不気味な沈黙が、辺りを覆う。
「……今、何と言った?」
耀太が声を振り絞るようにして訊く。
「ですから、その……天皇陛下御自らが、義彰皇太子殿下と双葉内親王殿下と若葉内親王殿下をお連れして、ここまでいらっしゃっております」
「な……何故だっ?!」
耀太はあまりのことに驚き、思わず椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
「まあまあお父様、ちょっとは落ち着いて下さい」
「そうよ。そんなに慌てちゃみっともないわ。仮にも本条家の当主なの? それで」
その言葉に、思わず耀太は沈黙する。
その間に、千紗と由梨亜は話を進めてしまった。
「今、四人の相手は風斗が?」
「あ……はい、千紗お嬢様」
「じゃあ、早く行かないと失礼よね。いつまでも執事に相手をさせるのは」
そう言って立ち上がると、由梨亜は耀太を促す。
「ほら、お父様も早く行きましょう? あ、ついでに私達も一緒に行くから。お母様と香麻と睦月はどうする?」
その言葉に、三人はどこか呆然とした表情で首を横に振る。
「そっかぁ……ちょっと残念だなぁ。じゃ、行こっか、由梨亜、お父様」
千紗はそう言うと、さっさと歩き出してしまう。
その後ろを、由梨亜と耀太が付いて行く。
唖然として三人を見送っていた睦月が、三人が出て行ってからしばらく経った後、ようやく言葉を発した。
「なあ、何で千紗と由梨亜、天皇陛下が来てるっていうのに、あんな平然としてんだ……?」
「ああ……双葉達だけなら、まだ分かるけど……仮にも、天皇陛下……だぞ?」
「あの破天荒な双葉達の父親ってのは気になるけど、天皇なんて画面の中の人だよな、俺らにとっちゃ、もう……」
「……あんなに泰然とするなんて……最早、さすがは私の娘、とも言えないわ……」
どこか外れた発言をする瑠璃に、思わず澪は呟いていた。
「問題はそこではございませんでしょう、奥様……」
だが、瑠璃はそんなことは全く気にしない。
瑠璃は、どこまで行っても瑠璃なのだった。
「な、なあ……俺ら、別に行かなくても……いいんだよな?」
「あ、ああ……。つうか、行く勇気もねぇよ……」
睦月と香麻は、まだ顔色を蒼くしていたのだった……。
「失礼致します、天皇陛下」
千紗達が部屋に入ると、双葉と若葉がぱっと顔を輝かせて手を振ってきた。
その様子を見た風斗は、一礼して部屋を出て行く。
「あ、千紗、由梨亜!」
「昨日振りぃ~」
「うん、おはよ~」
「それにしても、早くからどうしたの? こんなに早く会えると思ってなかったけど……」
由梨亜がそう言って首を傾げると、義彰が苦笑して言った。
「今回、僕達は付き添いって言うか、まあ、千紗さん達に会いに来ただけです。用があるのは父上の方で……」
義彰は、天皇の方をちらりと見た。
天皇は、もう五十代になる年齢なのにも拘らず、かなり若々しく見える。
「それじゃあ、お父様? お話、宜しくお願いしますね」
双葉はそう言うと、義彰や千紗達を引っ張って隅の方に控えた。
耀太は冷や汗を掻きながら、一人だけで天皇の前に座った。
「え、あ、そ、その……本日は、どのようなご用件で……」
「ああ。昨日のことだが……」
「き、ききき昨日ですかっ?!」
思わず、耀太の声が裏返る。
そして、四人が話していないことで何か重大なことがあるのではないのかと、瞬時に身構えた。
「ああ。……何、そこまで硬くなる必要はない」
「は……はあ……」
「昨日、其方が娘御を通じて渡した……これのことだ」
天皇は、スッと黒いケースを差し出す。
だが、耀太は怪訝な顔をする。
「はい?」
「え?」
「あの……それは、一体どういう……」
「何、とは……私がたった今言った通りのことだが……」
「はあ?」
耀太は、いかにも混乱した様子で目を見開き、顔を強張らせている。
千紗と由梨亜は面白そうにその様子を眺めていたが、やがて可哀想になり、声を掛けた。
「あの、天皇陛下」
「何かな?」
「それ、父は何も関係していないのです。……申し訳ありません、嘘を言って。でも、私達からだと言っても、受け取って下さらないと思って……」
由梨亜の言葉に、耀太が凄まじい勢いで振り返る。
「おい! 由梨亜、それは一体、どういうことだっ?」
「う~ん……何て言うか……」
「それ、あたしが前に、うちにあるのを見付けたのよ。で、それからずっと持ってたって訳」
その言葉に、天皇が驚いた顔をする。
「何? 家に……あったと?」
「はい。あたしはそれを、だいたい半年ぐらい前に、客室で見付けたんです。それからずっと持っていて……そして、ここまで持ってきました」
その言葉に、耀太は怪訝な顔をした。
「千紗? 一体それは……何だと言うのだ?」
その言葉に、千紗は軽く溜息をついた。
そして、双葉達を振り返る。
「ねえ、双葉、若葉、義彰。……貴方達は、これが何なのか、知ってる?」
「ううん。お父様は、何も……」
その言葉に、由梨亜が笑って三人を手招いた。
「じゃあ、貴方達もこっちに来て。貴方達も……多分、知っておいて損はないから」
その言葉に、三人は不思議そうな、それでいて好奇心を抑えきれない様子で寄って来る。
千紗は天皇から黒いケースを受け取ると、それを開く。
中に入っていたのは……手鏡と言うには少し大きい、掌サイズの鏡と、白い紙だった。
一見、何の変哲もない。
それを見た四人は、怪訝そうな表情でこちらを見上げてくる。
「ねえ、千紗、由梨亜、お父様……これって、一体なんなの?」
「私には、ただの鏡にしか見えないけど……」
「僕にもです。こういうのって、よく店とかで売られてそうですけど……?」
「ま、確かに……『鏡』と言えば、『鏡』なんだよね」
「ただの鏡じゃないけどね」
「あたしには多分上手く説明できないと思うから、由梨亜、説明宜しく」
「ちょっ! 丸投げしないでよ!」
「だってさあ……絶対、由梨亜の方が『これ』のこと、よく知ってんじゃん。それに、あたしよりも由梨亜の方が、こういう説明って上手でしょ?」
「一体どこをどうしたらそんな台詞が出て来るの? 私とほとんど同じ頭のくせに……」
「でも、頭の良さと説明が上手いかどうかは別問題でしょ? ま、あたしも全然説明しないっては言わないからさ。由梨亜がもしうっかり忘れちゃったら、そういうところの補充はするよ」
「はあ……ま、しょうがないかしらね。……じゃあ四人とも、この紙、見てくれる? あ、これ、破かないように慎重に扱ってね」
由梨亜に手渡された紙を覗き込んだ四人の顔は、次第に蒼褪め、そしてぶるぶると手が震えてくる。
このままでは紙を破いてしまうのではないだろうかと心配し始めた頃、耀太が口を開いた。
「……由梨亜、これ、は……」
「ええ。……恐らく、花鴬国にすら、一つあるか二つあるか、ってぐらいの、貴重な『鏡』。……去解鏡なんか、目じゃないわ。去解鏡の制限は、知っているかしら?」
その言葉に首を振る双葉と若葉と義彰を見て、千紗が呟くように言う。
「去解鏡っていうのは、一見便利なようだけど、実は違う。『去解鏡』という字を分解すると、『去』は、時が過ぎる――過去を表す。『解』は解く、つまり、解る。『鏡』は鏡。つまり、過ぎ去った時を映し出す鏡、それが去解鏡」
「それは知ってるけど……」
双葉が不満そうに言うと、千紗は微笑して言った。
「うん。でも、ここからが大事なの。去解鏡っていうのは、実は二十四時間以上前のことじゃないと映し出せないの。当たり前よね、だって、『過去』を映すんだもの」
その言葉に、三人は愕然とした表情になる。
「え、だって、過去って……一秒前のことでも、過去って言うんじゃないの?」
「うん。でも、どうもそう上手くはいかないみたい。それに、もう一つ問題があってね、直線距離にして半径四万キロメートル内で起こったことしか映し出してくれない。それに、その映し出す過去が、その当時の去解鏡の半径四万キロメートルに入ってないと映し出してくれないという、二重の制約がある。……去解鏡には、そういう制限があるの」
その言葉に、三人は最早言葉も出ないようだ。
「去解鏡って、そう考えると結構不便なのよねぇ」
由梨亜はにっこり笑って言うと、持っていた『鏡』を指した。
「それを改善したのがこれ。――現解鏡は、『今』と十二時間以内の『過去』を映し出すの。それに、これは距離も改善してて、存在する場所だったら、どこでも映し出すことができる。それに、現解鏡ってだけでも凄いのに……これは更に、去解鏡の効果も相乗してるわ。……つまり、十二時間以上前の過去も映し出せる。……これはそういう物。おまけに、普通の去解鏡や現解鏡って直径二、三メートルくらい大きくないと、さっき言った制限にすら満たない。でも、これはこんなに小さいのに、そういった制限はないわ」
千紗と由梨亜は至って平然としているが、前もって知っていたはずの天皇ですら顔が強張っていて、耀太達四人は言わずもがなである。
「それで……天皇陛下」
千紗は、にっこりと笑って言う。
「これ、使ったら――花鴬国に勝てるかもって、思いませんか?」