第二章「誕生日パーティー」―2
庭から見て、ダンスフロアの一番左端は、幅が十メートルほどある階段がどっしりと構えている。
そして、その階段を上って曲がると、それぞれ五メートルほどの幅の通路があり、そこの使用法は先程も述べた通り、食べたり話したりする場所である。
二階の食事スペースの奥には両開きの扉があり、そこから屋敷の中に出入りができるようになっている。
三階は、大きい階段や扉がないことを除けば、二階とほぼ同じだった。
千紗が、
(由梨亜はあそこからくるのかなぁ……)
と、待っていたら、階段の横に司会者が立った。
(いよいよ始まるんだ……)
と思いながら時計を見ると、ちょうど四時になるところだ。
(上流階級ってのは……)
千紗は頭が痛くなるような思いをしたが、何とかそれを堪え司会者の言葉を聞くことにした。
『長らくお待たせ致しまして、申し訳ございませんでした』
千紗はこれを聞き、確信した。
このように待たせるのが普通なのだと。
一般的に考えれば、やっぱり時間が掛かったのかな、と思うところだが、千紗は声の響きから、ただの社交辞令に過ぎないと分かった。
『ただ今より、本条由梨亜様の誕生日パーティーを開催致します。本日は八時までと、大変短い時間ですが、皆様、どうぞお楽しみください。それでは、本日の主役、由梨亜様とそのご家族が入場されます!』
会場にいた全員は、ぱっと後ろを向いた。
そして、二人の召し使いにより、二階の両開きのドアが開けられ、そこから由梨亜と両親が入ってきた。
会場にいた者は皆、由梨亜の姿を、まるで光の妖精、海の精霊のようだと思った。
何故なら、由梨亜が身に纏っていたのは、まだ中学生という幼さにぴったりの無地のドレスだが、だからこそ放てる威厳というものがあったので、下にいた者達は固唾を呑んで見ているしかなかった。
扉から出てくると、三人は左側の通路を通り、階段で三人並んで下に下りてきた。
下に着くと、司会者は
『皆様、これからパーティーを始めますが、その前に、本日の主役、由梨亜様からご挨拶があります。それでは由梨亜様、お願い致します』
と言い、由梨亜に簡易拡声器を渡した。
『皆様、本日は私の誕生日パーティーにご出席戴きありがとうございます。本日は私の年齢のこともあり時間は短めとなりますが、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい』
由梨亜はそう言い、完璧なまでに見事に貴族の令嬢に相応しい礼儀正しいお辞儀をして、父母の所へ行った。
『えー、皆様。本日の主役は由梨亜様でございますが、由梨亜様はまだ婚約者がおられませんので、本日は由梨亜様のご両親、本条ご夫妻が最初に踊られます』
そこで、耀太と瑠璃はお辞儀をして前に進み出た。
ダンスフロアの一階部分の壁は、一面は階段に、もう一面は庭に通じるガラス扉となっていたが、更にもう一面は紅色の垂れ幕に覆われ、こちら側からでは見えなくなっていた。
千紗は今までそこには一体何があるのだろうか、と考えていたが、その時に謎は解けた。
そこには最低で五十人、最高で百人ほどの楽人が控えて、と言うよりは、いつでも楽器を弾いたり吹いたりできるような体勢で待っていた。
そして、指揮者が指揮棒をあげ、ワルツを弾き始めた。
全員が見守る中、二人は見惚れてしまうほど優雅に一曲踊り、お辞儀をした。
拍手が一斉に沸き起こって、司会者は律儀に待っていたが、一分ほど経ったところで、このままでは時間がずれまくって仕方がないと思ったのか、召し使いとしては失礼ながらも、拍手の途中で拡声器を使って大声を張り上げた。
『え~、皆様! お静かに! お静かに願います! 皆様!!』
そして、ようやく静まったところで、司会者は司会の仕事を再開した。
『皆様。ただ今、グラスをお配りしておりますので、少々お待ち下さい』
この言葉に千紗が失礼にならない程度に辺りを見回すと、カートを押している召し使い達が、大人にはシャンパンを、未成年やお酒の飲めない人にはジュースを配っていた。
『お飲み物が皆様の手に渡られたら乾杯を致します。それが終わられたら七時半まで自由でございます。楽人達は、基本的にずっと演奏を続けておりますので踊られていても構いませんし、皆様が今おられる場所の後ろや二階や三階、お庭などで飲食をなさってもかまいません。しかし、七時半までにはここに今のようにお集まり下さい』
司会者がそうして話している間に、全ての人にグラスが渡った。
『それでは、皆さんにグラスが渡ったようですね。それでは、由梨亜様、お願い致します』
由梨亜が前に出て、左手に司会者から手渡された簡易拡声器、右手にグラスを持つと乾杯の音頭をとった。
『皆様、今宵は十分に楽しんで下さい。乾杯!』
「乾杯!」
と、皆が復唱し、一斉に飲み物を飲み干した。
そこから、空気は一気に砕けたものになり、それぞれ談笑しながら、食べ物を食べたり、ダンスフロアに出て行ったりした。
楽人達は、先程とは全員入れ替わり、ワルツを演奏し始めた。
千紗は、乾杯が終わってからすぐ由梨亜の元へと向かおうとしたが、先程の少女達がそうさせなかった。
「生意気よ」
と、小声で言うと、さりげなく数人ずつ固まって散らばり、千紗が由梨亜の元に向かうのを阻止したのだった。
千紗は、それのせいだけではなかったが、由梨亜の元に向かうことを諦めざるを得なかった。
何故なら、少年達三十人のうち五人が由梨亜にダンスの申し込みをしていたからだ。
残りの二十五人は、そこら中に散らばった少女達を値踏みし、ダンスの申し込みをしていた。
ちなみに言うと、千紗にその目を向ける少年はただの一人もいなかった。
千紗は食事が並べてある所に行くと、食べ物をある程度取り、庭に行って食べ始めた。
千紗は、なるべくゆっくりと食事を摂り、一番建物から離れて座って、しかも二、三回ほどお替りまでしたが、五時半頃にはもう全て食べ終わり、お腹もいっぱいになってしまった。
そこで、仕様がないから、中に入って優雅な貴族のダンスでも眺めていようと中へ入った。
そして、ふと
(由梨亜って、まだ踊ってるのかな……?)
と思い、踊っている人の合間を縫って視線を巡らすと由梨亜がまだ踊っているのが見えた。
だが、相手の少年は先程の五人ではない。
一曲踊る分と、パートナーを変えたり、楽人が変わったりする為に曲の間に空く時間が、合計でおよそ十分は掛かることを考えると、時間的に見て今はだいたい九曲目なのだから、九人目となる。
千紗には由梨亜のニコニコとした笑顔が見えたが、その笑顔は他の人が見れば普通にニコニコ笑っているなぁと思うかもしれないが、千紗には由梨亜が疲れているのが見て取れた。
(由梨亜、よくそんなにできるなぁ……)
と、思いながら、由梨亜が踊るのを眺めていた。
曲が終わると、由梨亜は相手と別れたが、また次の相手が来て踊った。
(由梨亜の相手をするぐらいの人が、このパーティーに最低十人……)
千紗はそう思うと目眩がしてきた。
本条家は上流階級の中ではトップクラス。
本条家とほぼ同等の上流階級の家はそれなりにあるが、敵対する家を除くとその半分くらいになる。
その中でも、由梨亜と釣り合う年齢の子息がいるのは、更に半分……。
それに、いくら初めてとは言え、一人娘とは言え、このパーティーは『本条家の一人娘、本条由梨亜の誕生日パーティー』である。
なので、そんなに招いた、由梨亜の父、本条グループの再頂点に立つ本条耀太に対する思いが、感心を通り越して、呆れたものに変わってしまった。
由梨亜が踊るのは見ていて飽きず、飲み物を飲みながら一時間ほど見続けてしまった。
そして十五人目と踊り終わった後、ようやく由梨亜はダンスの相手から解放された。
そして、千紗は今度こそ由梨亜の所へと行った。
今回は、邪魔する少女達はみんな踊ってしまっていて、邪魔ができなかった。
ちなみに、その少女達は自分に申し込んで来た少年達と踊っていて、
「しまった!」
と、思い、すぐに駆け寄って間に割って入れないことを悔やんだのだ。
「由梨亜!」
千紗は、由梨亜が解放されるとすぐに呼びかけた。
由梨亜もすぐに気付いて、
「千紗!」
と、返した。
「由梨亜……大丈夫?」
と、千紗は思わず声をかけてしまった。
何故なら由梨亜はとても疲れ切っていて、見ているほうが疲れるような様子だったからだ。
「もう駄目、絶対に踊れないわ。十五人と踊ったんだもの。これ以上踊れって言われたって脚が疲れていて無理だし、お腹もペコペコよ。絶対に踊らなきゃいけない義理や縁のある人とはもう踊り終わったし、これ以上申し込まれても断れるし私自身断る気でいるから、もう大丈夫! 後はゆっくり休めるのよ!」
「じゃあ、お庭で夕ご飯食べなよ! あたしはもう食べ終わっちゃったから飲み物でも飲んでさ! ちょうどいい穴場があるんだ。あんまり周りから見えないから、内緒話とかするのにすっごいちょうどいいの!」
「そうなんだ。じゃあ、そこで食べたり飲んだりしよっか」
そして、由梨亜は一人で食べ切れるのかと思うほど沢山食べ物を盛った二皿のお皿が乗ったカート、千紗は大きめのコップを二つに、更に大きな入れ物に入った飲み物が二本乗ったカートを押して、千紗の言った穴場――つまり、千紗が食事をした所に向かった。
そして、食事をしながら、他愛のない話をしていた。
つまり、こんなに大きなパーティーを開くと一体どれぐらいお金が掛かるのだろうとか。
こんなに人が来ていたら、顔も名前も覚えていられないとか。
夏休みの宿題が、どれぐらい終わったとか。
部活のこととか。
この前やった、百怪談で見つけた、何の変哲もない日記帳のこととか。
そして、由梨亜が食べ終わると、千紗は本題に入った。
「由梨亜、あのね、ここに招待された女の子達いるでしょう? その子達に言われたの。あたしと由梨亜を近付けさせないって」
そして、千紗はさっきの少女達との言い争いの内容をほとんど正確に、しっかりと伝えた。
もしその少女達が千紗の言うことを聞いたら、真っ蒼になって逃げ出すこと間違いなしだろう。
何故なら、第一に由梨亜にそんなことを聞かれたら、今後社交界での彼女達に対する由梨亜の心証が悪くなるだろうし、第二に彼女達は、千紗のようにそこまで正確に会話の内容を復唱することは全くもって必要のないことであるし、実践する機会すらないので、そのこと自体に恐怖を覚えるだろうからである。
そして、それを聞いた由梨亜は、思わず笑ってしまった。
「千紗……い、いくら何でも、て、天皇陛下と、物乞いや奴隷を……同列に、並べるなんてっ……! スケール大きい! そんなの誰も思いつきやしないよ! さっすが千紗!」
由梨亜は時間を掛けてようやくそこまで言うと、体をくの字に曲げ、声を殺して大爆笑した。
「由梨亜……笑うか話すかどっちかにして……」
千紗のそう呆れ返った意見は、千紗にしては珍しくしっかりしたもので、周りからの賛成も得られそうだった。
「まあ、でも彼女達も言い過ぎね。半人やら野獣やら下等生物やら。それに、奴隷だなんて……一体何千年前の話よ。今のこの世の中に、奴隷なんている訳ないのにね」
「ん~。でもあたし、あいつらが『奴隷に生存権がある』って言ったことに驚いたな。だって生存権って、『健康で文化的な最低限の生活を営む権利』でしょ? あの人達の、その前後の発言とは矛盾してると思うんだけどなあ。それに、人権はないのに生存権はあるって……矛盾の塊じゃない」
「まあ、知らなかったんじゃないかしら。あの人達は無知な貴族の典型例だからねえ。知らなくっても不思議じゃないわ。あの人達、生存権をただの『生きる権利』とでも勘違いしてたんじゃないかしら。でも……」
そういうと、由梨亜はクスッと笑った。
「千紗が切れるなんて……よっぽど頭が悪い上に口も悪いのね。それに、『貴族』という身分でガチガチに固まっている、『偏屈婆ぁ』の予備軍よ」
そう断言すると、由梨亜はヒソヒソ声で千紗に話した。
「ねえ、千紗。相談したいことがあるの」
由梨亜のさっきとは打って変わって真剣な顔と口調に、千紗も半分笑っていた顔を引き締め、千紗も真剣に問い返した。
「何、由梨亜?」
「あのね……夏休みに入る一ヶ月くらい前、席替えがあったでしょ? その時、私の隣の席、藤咲香麻君になったの、覚えてる? それでね、話しかけられた時、笑いかけられた時……。胸が苦しくなって、ドキドキしたの。ねえ、千紗。これって、一体何? すっごく、辛くて……」
「由梨亜……」
千紗は、思わず呆れ返ってしまった。
由梨亜が『お嬢様』だということは、千紗も重々承知していたが、ここまでの箱入りだったとは――。
「ねえ、千紗、教えて」
「由梨亜……それはねぇ……貴女は香麻君のことが好きなのよ」
「そ、う……なの?」
「由梨亜、初恋ってしたことないの? って言うか、たとえ初恋がまだだったとしても、よ? そういうの、小説とかドラマとかアニメとか漫画とか……そういうので、知らなかったの?」
千紗は、呆れてしまった。
そして、
(まさか……そんな分かりきったことを訊くなんて……)
と思い、思わず溜息が出てしまった。
「ええ。まだなの。と、言うよりは、恋ってもの――好きっていうことが、よく分からないのよ」
「そうなんだ……。ところで、由梨亜」
千紗は、先程の重い溜息とは打って変わって、明るい口調で言った。
「その、あたしがあげたアクセサリー、全部付けててくれたんだぁ」
千紗は、感激したように、続けた。
「由梨亜、やっぱりお嬢様だからさ、アクセサリーとかもいっぱいあるでしょう? それに、いくらでも気に入った物はバンバン買うことができるし……だから、新しいドレスを買ったとしても、それに合わせてアクセサリーも買ったりすると思ったから、あたしの作ったのなんて、付けないかと思ってたよ。精々が、持って来るくらいで。それに、たとえ付けることがあっても、こういう大きいのでは、絶対に付けないと思ってた。なのに……」
「もうっ! 千紗ったら、馬鹿じゃないの? 折角千紗が私の誕生日の為に、手作りで作ってくれたんだよ? そんな大事な一生の宝物、私が付けない訳ないじゃない! それに……」
と言うと、千紗の方を見た。
そして、にっこり笑って言った。
「千紗だって、私が作ったの、付けてくれてるじゃない!」
「それこそ、その言葉そっくり返すよ!」
二人でひとしきり笑った後、七時三十分が近づいてきたので、会場に戻って行ったのだった……。