第一章「智覚」―2
「お帰りなさいませ、千紗様、由梨亜様、睦月様、香麻様」
「うん、ただいま、澪」
「お留守番ご苦労様」
千紗達はそう声を掛け、耀太と瑠璃の待っている部屋に入った。
「お帰りなさい、四人とも」
「今日は、どうだったかな?」
二人がそう言って迎えると、四人は笑って答えた。
「うん。だいぶ良かったよ~。あんまり来たくなかったって人も二人ぐらいいたけど、後は普通だったし、結構面白かったんだぁ」
千紗が笑って言うと、耀太は少し不安げな表情をして、睦月と香麻を窺った。
「と、千紗は言っているが……。正直なところを言ってくれ。……二人は、どうだったか?」
この耀太の言う二人とは、勿論千紗と由梨亜の二人である。
睦月と香麻は顔を見合わせ、曖昧な表情で微笑んだ。
「うん……」
「それは……」
「やっぱり、なぁ……?」
「うん、やっぱり……」
その二人の様子に、耀太は深い溜息をついた。
「……やはり、問題を起こした、か……」
「も、問題じゃないもんっ!」
その言葉に、慌てて千紗が反論し、由梨亜も言った。
「そうよ。それにお父様、私も含めるのはやめて。今回のは千紗の独断で暴走で、私にも口を挿む隙がなかったんだから」
「ちょっ! 何よ由梨亜っ! あたしを見捨てるのっ?!」
「見捨ててなんかないわよっ! ただ、私は事実を言っただけっ」
「そりゃそうだけどさ! 言い方には気を付けてよっ! あたしばっか悪いように聞こえるじゃん! 一応双子の姉妹でしょっ? あたし達ってっ!」
「それとこれとは話が別っ!」
「別じゃないっ!」
二人が口喧嘩しているのを横に、残りの四人はのほほんと会話を交わす。
「まあ、問題っていうほどの問題でもなかったんですけどねぇ……」
「ま、ちょっと千紗が切れちゃって、啖呵切りまくったって感じですね」
「…………そうか。迷惑を掛けたな」
「まあ。千紗ったら……相変わらずねぇ」
陽太は遠い目をしたが、瑠璃だけは、おっとりと微笑んでいる。
瑠璃は大人しく耀太と結婚をし、しかも互いに婚約者ではあったが、若い頃は相当気が強かったらしい。
由梨亜は五年ほど前、初めて千紗がこの二人――自分の養父母の娘だと知った時、なるほどと思った。
自分の性格はあまり母とは似ていず、どちらかと言えば父に似ているとはよく言われたが、それでも、どこか違うのだ。
だから、千紗が本当はこの二人の子供だと知って――千紗は、間違いなくこの母の娘だと思わず納得してしまったのだ。
幼い頃から、よく瑠璃は言っていたのだ。
「どうして私の娘なのに、由梨亜はこんなに大人しいのかしら?」
と。
その時はよく意味が分からなかったが、今では分かる。
千紗は、間違いなくこの母の――本条瑠璃の娘だ。
たとえ一緒に暮らし始めたのが十三になってからでも、この千紗の性格は、間違いなく瑠璃から受け継がれた物だ。
千紗は、瑠璃の娘なのだ。
だから、あの破茶滅茶で無茶苦茶で破天荒で、一度決めたことは決して覆さずに貫き通す頑固で一途な性格も、仕方がないと言えば、仕方がないのかも知れない。
「それで? どうして千紗は怒っちゃったのかしら?」
「えっとですね……その、いわゆる『貴族社会の常識』を主張した子が――と言っても、俺達と同い年なんですけど、いて……その、千紗がそれに切れて……」
「まあ、俺はしょうがなかったと思いますけど。何しろ、その時の話題、婚約者候補のことでしたし。多分ですけど、千紗が切れなかったら由梨亜が切れてたと思いますよ?」
その睦月と香麻の言葉に、耀太は黙り込んだ。
二人の言うことは、確かに最もだったからだ。
「まあ、でも、あの場にいた奴の性格考えれば……その二人が切れなくっても、その千紗を切れさせたルーレっていうのの妹のルーリが切れるか、双葉か若葉か義彰の誰かもぶち切れたと思います」
「こ、皇太子殿下と、内親王殿下が……」
耀太は絶句して深く考え込み、瑠璃は面白そうに手を打った。
「あら、じゃあ千紗が切れても仕方ないじゃないの。ただでさえも短気だからねぇ、私の娘は」
その面白そうな言葉に、言い争いをしていたはずの千紗が口を出した。
「ちょっと、お母様っ! あたし、そこまで短気じゃないよ! そりゃあ切れる時はとことん切れるけどさ、いつもはそんなにぶち切れないもん! 今回みたいにプッツンっていっちゃうのは例外よっ!」
由梨亜と言い争いをしていたせいで、軽く息が乱れている。
まあ、言い争いだからこれで済むが――以前、千紗と由梨亜が双子になってから、とてつもない大喧嘩をした時など、本当に凄まじかったのだ。
その時は、もう思い出すのも嫌になるくらいの凄さで、事実耀太は卒倒し、瑠璃は卒倒までは何とかいかなかったが、すっかり血の気が引いて蒼褪めてしまった顔で呟いたのだ。
「さすが、私の娘達ね……」
と。
確かに、千紗とはほんの数年しか一緒に過ごしてはいないが、自らの血を分けた実の娘で、由梨亜は十三年間も育てて来た養い子だ。
千紗と由梨亜は血が繋がっていない――つまり、本当の姉妹ではないし、知り合ってからまだ八年しか経っていないが、互いを親友とし、血が繋がっているかどうか、ずっと一緒にいたか否かは横に置いておくとして、二人とも本条瑠璃の娘なのだ。
その性格やら何やらを受け継いでいれば、自然と喧嘩の規模も大きくなる。
この時の原因が何なのかはもう忘れてしまったが、ほんの些細なことが原因だったはずだ。
だが、もう屋敷が半壊するのではないかというほどの凄まじい喧嘩で、この姉妹には慣れているはずの召し使いはほとんど使い物にならなくなり、この時はまだ婚約者ではなかった高校生の睦月と香麻は、『触らぬ神に祟りなし』のごとく、慎重に慎重にこの二人を避け、刺激しないようにしていた。
まあ、それでもこの二人が爆発することは避けられなかったが。
「あ~、はいはい。それにしても、そのルーレさんとルーリさんって……一体、どこのおうちの方なの?」
「えっと、確かウォンレット家……だったよね? 由梨亜」
「ええ。確か」
先程まで、凄まじい口喧嘩をしていたとは到底思えない。
そして……この話題の主が、今とても緊張関係にある――そして、いつ開戦しても可笑しくはなく、実はもう艦隊は敵国を出発しているような状態の国の国主とその異母弟妹だとは、全く感じられないやり取りである。
おまけにもう一つ付け加えるとすれば、由梨亜――いや、富実樹にとっては、ルーレは富瑠美であり異母妹で、ルーリは些南美であり妹で、ルーマは柚希夜であり弟だ。
だが、そんなことを覚らせないような口調で、態度であった。
普通なら、多少はその態度に違和感を覚えてしまうものだが、耀太も瑠璃も、睦月も香麻も、誰も気が付かなかったし、何も感じなかった。
「ウォンレット家? あの、ロシア州の、か?」
耀太が、目を瞠って言った。
「うん。その、ロシア州のウォンレット家だよ。ついでに、その二人には弟さんがいて、その子の名前はルーマって言う」
千紗が補足説明を入れると、耀太が目を瞠ったまま言った。
「そう、か……。全くお前達、よりによってウォンレット家の令嬢に、喧嘩を売るとは……相手は、うちよりも格上のご令嬢だぞ……」
耀太はすっかり頭を抱えているが、由梨亜がのんびりと言った。
こののんびり具合は、瑠璃の物だ。
「ん~? そこは大丈夫だとは思うわ。だって、千紗が喧嘩を売ったのはルーレだけだもの。それに、ルーリやルーマとは私達、結構意気投合してたと思うし。ルーリには好きな人がいるみたいだし、しかも将来は社会に出て働きたいみたいなことも言ってたからね。ルーマもそれを応援してるみたいだし。いくらウォンレット家が本条家より家格が高くっても、それで何かを言ってくることはないと思うわよ? だから、そんな心配しなくって大丈夫よ、お父様。それにルーリ、千紗の言葉に結構衝撃受けてたみたいだし。何て言うの? 目から鱗が落ちるって言うか、未知の考えに遭遇したって感じ」
その言葉に、耀太は納得したように頷いた。
「なるほど、そうか……なら、心配はいらないのかな?」
「さっきから何度もそう言っているでしょう?」
と、睦月が呆れたように口を出した。
「そうですよ。お義父さんって、ほんとに心配性ですねぇ。俺も睦月も千紗も由梨亜もお義母さんも、誰もそんな心配してないですよ?」
その言葉に、耀太が頭を抱えながら言った。
「あのな……香麻君。みんなが心配せずに、全く気にせずにどんどん進んで行ってしまうのだから、こうして心配性な人間が必要なんだよ……」
その言葉に、千紗が呆れたように言った。
「でも、お父様のは心配し過ぎなのよ」
「千紗っ! お前が心配しなさ過ぎなんだっ! 少しは後ろを振り返って反省しろっ!」
その怒声に、思わず由梨亜と睦月と香麻はビクッとしたが、千紗と瑠璃だけはけろりとしている。
……さすがは、血の繋がった母娘である。
「失礼ねぇ。あたしだって反省はしてるわよ。ここ、こうすれば良かったなぁとか、どうしてこんなことしちゃったんだろう、とか……」
千紗は、俯いて唇を尖らせた。
(うん……特に、由梨亜とのこと……五年前、千年前に飛ばされた時の――あの時と、あの時のことを思い出した時……ほんとに、後悔ばっかりしてた。どうして、何で、って……)
千紗の心境に全く構わずに……というよりも気付かずに、瑠璃がのほほんと言った。
「それに貴方、それを千紗に言うだけ無駄なのよ。千紗は私によく似ているからねぇ。貴方みたいに心配性だったら、それこそ大変だわ。ある程度の反省はするけど、基本的にその場のノリで、猪突猛進するのが普通よ。やっぱり、血かしらね? 私もそんな感じだし……あ、お姉様――貴女達の伯母様もそんな感じよ? 子供の頃から、色んな悪戯をお姉様と一緒に仕掛けて……面白かったわねぇ、あの時は」
昔を思い出して、(物騒で)柔らかい微笑みを浮かべる瑠璃に、思わず睦月と香麻は溜息を吐いた。
まさに、この母にして娘あり、である。