第五章「富瑠美の企み」―3
三十分後、その部屋に二人の人物が入って来た。
「失礼致しますわ、富瑠美御異母姉様」
「いらっしゃい、早理恵、麻箕華」
「……それで、富瑠美御異母姉様……本当に、宜しいのですね?」
麻箕華の言葉に、富瑠美は頷く。
「ええ。早理恵、御願い致しますわ。本当は、このようなことを貴女に御頼みするのは、心苦しいのですけれど……」
「いいえ、富瑠美御異母姉様。わたくしも望んでやることです。大丈夫です、富瑠美御異母姉様。わたくし、きちんと身代わりを務めますわ。杜歩埜御兄様と羅緯拿には、わたくしがこの戦いに興味を持ち、強引に御連れ頂くと御話し致します」
「そう……本当に、宜しく御頼み致します」
この王族の兄弟達は、似ていることが多い。
特に、富実樹と富瑠美は、髪と目の色を除けば双子のように瓜二つだった。
だが、それは他の兄弟にしても言えることで、例えば些南美と羅緯拿もよく似ている。
麻箕華と、妃の次女で第八王女、峯慶の第十四子である苓奈も似ている。
鳳蓮と涼聯もそっくりである。
全員、髪の色や目の色や身長が違ってきたりはするが、顔――骨格が、似ているのだ。
だから、身代わりが必要な時、似ている兄弟がいると便利なのである。
そして、富瑠美が似ている姉妹は、富実樹の他にも早理恵がいるのだ。
つまり、珍しいことに、早理恵は富実樹や富瑠美とは二歳違うが、三人は揃いも揃って似ていた訳である。
勿論、三人とも身長や髪、目の色は違ってきていたが。
「それにしても……富瑠美御異母姉様と些南美御異母姉様と柚希夜が、こんな大それた計画を御持ちでしたとは……本当に、凄いですわね。わたくしには……そこまでの勇気がありませんもの。いくら鴬大臣の地位を頂いているとはいえ……わたくしでは、富実樹御異母姉様や富瑠美御異母姉様と同等の頭も、勇気も……。何一つ、敵いませんわ」
麻箕華は、溜息をつきながら言った。
確かに、富実樹と富瑠美に勝るほどの能力を有した異母弟妹は数少ない。
だから、麻箕華が劣等感を抱くのも当然のことだった。
勿論、早理恵も。
「そんなことは御座いませんわ。わたくしは……わたくしには、深く物事を考えるのが苦手だという欠点が御座いますもの。ですから、道を誤る可能性が、御異母姉様よりもずっと高いですわ。御父様にも、御母様にも、御異母姉様にも……幾度となく注意を頂いて来たのですが、結局、未だに直っておりませんわ。ですから、今……この国は宗賽大臣に、全て掌握されているのです」
富瑠美は俯き、自らの握り締めた拳を見詰めた。
その話に、早理恵と麻箕華が聞き入る。
富瑠美のこの想いは……些南美以外、誰も知らないことだったから。
「わたくしは……できれば、御異母姉様の御望み通り……戦いたくは御座いませんでした。もっと、何度も、何度も……話し合いに話し合いを重ねられれば……もしかしたら、御互いに譲歩し合えば、加盟に漕ぎ着けられたかも知れません。ですが、わたくしはあの時、あれほど訊ねてみれば充分だと思ってしまいました。そして、丸一年、何の行動も起こしませんでした。あの頃、そこまですることはないと宗賽大臣に御止めされたのですが……それが、宗賽大臣の計略だとは気が付かずに、まんまとそれに乗せられて……今のこの国の状況は、わたくしがあの宗賽大臣を信じたことで招いたものです。御父様と御母様と、前戦祝大臣殿と、前政財大臣殿の仇。宗賽大臣を。言い訳に聞こえるかも知れませんが……」
「かた、き……? それは、どういうことで御座いますか、富瑠美御異母姉様。それに……マリミアン様を、『御母様』と? 貴女の御母様は、深沙祇妃のはずでは御座いませんでしたか?」
早理恵の鋭い糾弾に、富瑠美は曖昧な笑みを浮かべた。
「そうですわね……早理恵は、御存知ありませんものね……。まあ、確かに沙樹奈后も、杜歩埜も、羅緯拿も御存知ありませんがね……」
そんな富瑠美に、早理恵が詰め寄った。
「富瑠美御異母姉様! どういうことですかっ? それに……麻箕華? 何を知っているのです? わたくしに御教え下さいませ! 一体……御父様、マリミアン様、前戦祝大臣殿、前政財大臣殿、宗賽大臣殿に、何があったというのですか! それに……この国が、花鴬国が……宗賽大臣殿の、傀儡? どういうことですか? マリミアン様、富瑠美御異母姉様、些南美、麻箕華、柚希夜だけが知っていて、他の方が誰も知らないこととは……一体何なのですかっ?」
「早理恵御異母姉様……一つだけ、違いますわ。あと、もう一人……現戦祝大臣殿も、御存知のことですわ……」
「えっ……麻箕華? それは一体どういうことですか? 戦祝大臣殿も、御存知とは?」
驚いて目を瞬く富瑠美に、麻箕華も驚いて目を丸くした。
「えっ……? まさか富瑠美御異母姉様、御存知ありませんでしたの? ……わたくし、もう富瑠美御異母姉様は御存知だと思いまして、今まで御話しせずに来たのですが……」
「……はぁ、全く……」
富瑠美は、大きな溜息をついた。
「やはり、御異母姉様がいらっしゃらないと、駄目ですわ。もし御異母姉様がここにいらっしゃっていたなら、このように、情報を全員が握れないといった状況はないでしょうに……」
「ええ、そうですわね……でも、戦祝大臣殿が富瑠美御異母姉様に御話しにならなかったことは、僅かながらも納得がいきますわ。富瑠美御異母姉様御自身の後ろ楯は、政財大臣殿が御務めになられておりますが、深沙祇妃の後見人はレイシャート家が御務めになられておりますもの。そして、そのレイシャート家は、宗賽大臣の属しているウィレット家と遠戚の関係上にありますわ。それに、富瑠美御異母姉様は今、宗賽大臣の言い成りですもの。戦祝大臣殿が、富瑠美御異母姉様を御信用なさらなくても不思議では御座いませんわ」
麻箕華の言葉に、富瑠美も頷いた。
そして、大きな大きな溜息をついた。
だが、そこにはその話についていけていない人物がいた。
「ですから! 富瑠美御異母姉様! 麻箕華! 一体全体、何の御話しをなされているのですかっ? わたくしにも分かるように御話し下さいっ!」
「早理恵……これは、貴女には御話しできませんわ。貴女には、それほど深く立ち入る権利が御座いませんもの。こればかりは、御容赦下さいませ」
「……どうしてですか? 何故……何故、わたくし達他の兄弟を、寄せ付けないのです。わたくし達は、そこまで信用がなりませんか? 頼りないですか? ……確かに、わたくしは王でも、鴬大臣でも御座いません。御母様が、王宮を追放なされたという訳でも御座いません。ですが……貴女達の御父様は、わたくし達の御父様でもあるのです。わたくし達が……何故御父様があのようになってしまわれたのかと、胸を痛めていないとでも御考えですか? 何故……何故、全てを御隠しになられるのです?」
早理恵の言葉には、切なく哀しい想いが秘められていた。
それに、富瑠美はとても悲しい気持ちが込み上げて来るのを感じた。
だが……いくら何でも、早理恵にまでは話せない。
それが、富実樹とは違う、富瑠美の限界だった。
「早理恵……違いますわ。わたくしはもう、これ以上の人を巻き込みたくはないのです。もう、沢山です。こんな秘密を抱えるのは……わたくし達だけで充分です。もし、このことが国民に知られてしまわれたら……その時、王族全てが加担していたと思われたなら、一体どうするおつもりなのですか? 花鴬国の王族が……そこまで情けないと知らしめるのと同じですわ。ですが、知らない人がいれば、それだけで救われるのです。ですから、早理恵……どうか、御訊きにならないで下さいませ……」
「そんな……そんな説明で、納得などできやしませんわ!」
早理恵はそう叫ぶと、部屋を出て行こうとした。
「御待ちなさい! 早理恵!」
「御安心下さいませ、陛下。御役目は果たします。それでは失礼致しますわ」
早理恵は感情を抑えた声で吐き捨て、部屋を出て行ってしまった。
その様子を、富瑠美は悲しく思いながら呆然と見ていた。
「富瑠美御異母姉様……」
「致し方ありませんわ。わたくしには、あの子までもを巻き込むことができませんもの。わたくしは……御異母姉様とは違います。御異母姉様ほど、他人を信用できません。それがたとえ、血を分けた兄弟であっても。人は誰でも、裏切れるものですから……」
そんな富瑠美を、麻箕華はただ悲しそうな目で見詰めていた。
確かに……教えられないのは、しょうがないかも知れない。
だが、それだけではないと……早理恵の、やり切れない気持ちを、麻箕華は感じ取っていた。
麻箕華は、他人の気持ちを感じ取るのがとても得意である。
そんな麻箕華だからこそ、その早理恵の深く隠した感情を感じ取ることができたが、富瑠美はその表面上の早理恵の感情しか読み取ることができず、結局擦れ違ってしまった。
麻箕華は、自分の気持ちが塞ぎ込むのを、抑えることができなかった。
(何故……何故、こうなってしまうのでしょう。嗚呼……わたくしにもっと力があれば……! でも、わたくしはまだ十五歳の子供。鴬大臣となってもう一年が過ぎますが……それでもまだ、子供であることに違いありませんわ……ですから、富瑠美御異母姉様と、深沙祇妃、柚菟羅御異母兄様、苓奈の仲違いを御止め致すことができなかったのですわよね……あの時、わたくしは鴬大臣でしたが、それでも富瑠美御異母姉様から鴬大臣の御仕事を引き継いだばかりで……わたくしの初めての御仕事が、あのようになるなんて、思ってもみませんでしたわ……)
麻箕華は、二年前の自分が鴬大臣になったばかりの頃のことを思い出した。
麻箕華は、まさか自分が鴬大臣になるなどとは思ってもみなかった挙句、深沙祇妃達の親子喧嘩に巻き込まれたのだ。
その時の親子喧嘩は凄まじく、言い争いがもう聞いていられないようなものに達しただけではなく、物を投げ、取っ組み合いをし、窓を割り、調度品を全て台無しにして、冗談ではなく卒倒する人が出てしまったのだった。
特に沙樹奈后は圧巻で、
「嗚呼! それは……国宝っ! ……そちらは重要文化財っ! 嗚呼……嗚呼! 先祖代々伝わって参りましたのに……それを! 何てことを! 深沙祇妃、富瑠美、柚菟羅、苓奈! 嗚呼! 駄目です駄目です! それは……それは御父様の遺品でっ……嗚呼!!」
と、まさに騒ぎに騒ぎまくり、一年半ほど前にあった総票会の、およそ二ヵ月後に崩御した籐聯が最も好み、亡くなる前にこの絵を見たいと言い、部屋の中まで持ってこさせた大事な大事な遺品である絵画が、苓奈の手により吹っ飛んで、巻き添えを食らった娘の羅緯拿に激突するのを目の当たりにした途端、沙樹奈后は悲痛な叫び声を上げてぶっ倒れてしまった。
ちなみにその絵は無事だったが、重要文化財や国宝と指定されていた美術工芸品など、約六点が破損してしまった。
これは国民には秘密にされたが、後の調査の結果、最初に手を出したのは深沙祇妃だったということが判明し、結局富瑠美は深沙祇妃と縁を切った。
そして麻箕華の初めての仕事は、この後始末という何とも情けなく悲惨なものになったのであった……。