第二章「誕生日パーティー」―1
今回、途中でかなり差別的な発言や、敬意が全くないような発言が出て来ます。そういう物が苦手な方は、ご注意下さい。
八月十八日月曜日の午後三時、由梨亜の誕生日パーティーが、本条家本宅にて行われた。
だが、由梨亜はまだ子供なので午後三時から午後八時までの五時間だけだった。
由梨亜の家の門の前に行くと、本条家に仕えている、黒い、揃いのスーツを着た男性達と、薄手の白の長袖、踝丈の清楚な感じのするドレスを着て、髪をこれまた白いレースのリボンで高めの位置に一つ結びに結んだ女性達が、それぞれの招待状を一枚一枚確認していた。
千紗は、緊張しながら、招待状を渡した。
それは、千紗が今まで見たことがない立派な模様と本条家の印章が綺麗に印刷してあり、門にいた召し使い達は、実に丁寧な態度で、招待状と、目の前に置いてある端末機で招待状を出した人の名前が載っているリストを確認し(これは偽の招待状を使って潜り込まれないようにする為と、誰が来てくれたのかを確認する為である)、中の大広間まで案内してくれた。
千紗は、由梨亜の家には何度も行ったことはあったが、そのほとんどが由梨亜の部屋がある棟にしか入ったことがなく、おまけにこの大広間がある棟は由梨亜の部屋があるのとは別の離れている棟にあったのでこの大広間に入ったのは初めてだった。
そして、この大広間はとても広く、千紗の家が二つ入ってもまだまだ余裕がありそうだ。
天井はとても高く、三階までの吹き抜けになっており、大きな、本物のシャンデリアがいくつも輝いている。
庭から見て一階部分の左半分はダンスフロアに、右半分は立食ができたり座って食べたりできるようになっている。
そして一階から三階に掛けて、吹き抜けになっている。
庭と二階、三階はテーブルやベンチがあり、食べたり話したりができるようになっていた。
千紗は感嘆すると同時に、周りの様子を観察した。
やはり、千紗の年頃と同じような子供はいるが、少女達は千紗の何倍も立派で真新しいドレスを着て、しかも全員一箇所に集まり、談笑をしながら千紗や少年達を……特に、自分達よりもみすぼらしい格好をした千紗の方を、無遠慮にジロジロと眺めていた。
少年達は何人かずつ固まり、談笑しながら少女達の集団をチラチラ見ていて、千紗のことは虫けらほどにも気を留めていなかった。
まあ、その反応は、千紗にとっては気楽なことだったが。
大人達は男同士、女同士で固まり、談笑していたり、その固まりから抜け、ダンスの申し込みをしていたりしていた。
しかし、千紗がいくら見渡しても、人混みの中に目を凝らしても、由梨亜の姿はない。
時間は、もう三時三十分になろうとしている。
(こういう風に時間が過ぎてから主役登場なのが、上流階級風なのかな……)
と、千紗は思いながら、到って大人しく、静かに待っていた。
「由梨亜お嬢様、準備はお済みですか?」
鈴南の声が、由梨亜の部屋の前で聞こえる。
由梨亜は、ドレスの着付けを
「たまにはいいじゃないのよ。ほっといて。それに、こういうことも今のうちに経験しておいた方が将来困らないと思うし。だから、ねっ、自分でやるから」
と、理屈になっているのかなっていないのかよく分からない理屈(我儘とも言う)をこね、言い張り、その勢いに反論できずに固まってしまった召し使い達を尻目に、部屋にドレスと靴を持ち込んでしまった挙句、内側から施錠してしまったのだった。
「由梨亜様、髪を結わなくてはなりませんから、お早く……」
「うるさいわねぇ、鈴南。まだ三時じゃないの。終わったから、扉の前を退いて頂戴」
「はい」
鈴南はそう言って下がり、それを部屋の中から確認した由梨亜は、扉を開け放した。
そこには、この前本条紳士淑女高級店で買った、裾が南国の海の海底が一段と深くなった所のような深い藍色で、上に向かって少しずつ淡くなっているグラデーションの長袖・膝下丈の絹地のドレス、少しだけ灰色がかった白いエナメルの靴を身にまとい、そこに千紗のプレゼントした青系のビーズで作ったネックレス・ブレスレットを付けた由梨亜の姿があった。
ネックレス・ブレスレットは、グラデーションだけの無地のドレスを邪魔せず、すっきりと収まって、由梨亜の若さ、まだ幼いからの独特の美しさ、大人びた気品を矛盾せず、それどころか強調して放っていた。
鈴南は、その勢いに呑まれたかのように見えたが、由梨亜のつけているネックレス、ブレスレットに目を留めると
「それは……?」
と、問いかけてきた。
「千紗がプレゼントしてくれたの」
と、由梨亜は茶目っ気たっぷりに、悪戯っぽく答え、その答えに思わず絶句し、彫像のように固まってしまった鈴南を、その場に措いて立ち去り、本来ならそこで着付けをするはずの部屋へと向かった。
そして、魂がどこかに飛んでいったような鈴南は、二、三秒後慌ててその後を追った。
由梨亜がその部屋へ着いたのが三時五分だったが、髪をセットし、メイクを終えたのが三時四十五分だった。
鏡に映った由梨亜は、普段は少しフワフワと波打っている髪を真っ直ぐにし、毛先をクルクルと巻いて、それを首の少し上辺りで留め、その先を右肩の方へ垂らしていた。
その髪留めは、この前の買い物で買ってきた物だった。
顔は、睫毛にはマスカラを塗り、唇はほんのりと紅く染まり、目の上は薄い水色で彩られ、美しい美少女に……しかも、余所行きの格好をした大金持ちの家の令嬢となっていた。
いや、普通なら、この格好が普通なのだ。
由梨亜がお嬢様離れしていて、いつも庶民のような格好をしているだけなのだから。
「さあ、お嬢様」
と、促され、由梨亜は部屋を出て耀太、瑠璃と合流し、大広間へと向かった。
千紗は、大広間で由梨亜がくるのを待っていた。
そこへ、
「そこの貴女。ちょっといいかしら?」
と、いかにも上品な声が掛かった。
「何ですか?」
と、千紗が振り返って言うと、そこにはさっきこちらをジロジロと眺めていた少女達の集団があった。
「ちょっと、伺いたいことがありまして……お時間、宜しくて?」
「ええ、いいです」
「それでは、少し庭で……」
そう言うと、少女達は千紗をあまり目立たない庭の片隅へと連れて行った。
そして、千紗を片隅に押しやり、少女達は腕を組んで一列の半円形になり、千紗が逃げられないように閉じ込めた。
「お前、私達のような上流階級ではないでしょう?」
と、先程大広間で千紗に声を掛けてきた、一番年上の、少女達のリーダー格だと思われる少女が、氷のように冷ややかな声で千紗に話しかけた。
その言葉には、先程のような、美しい、丁寧な響きはなく、侮蔑や軽蔑するような響きが含まれていた。
「ええ、そうよ」
千紗は多勢に無勢な状況を、聞く人に全く思わせないような言い方で、身分の高い人にとっては不遜に、そして挑発するかのように、相手の顔を、顎を上げ、胸を張って答えた。
「あたしは、確かに貴女達に言わせればただの一般庶民、中流階級よ。親戚がそういうのになったっていう人も、一人もいないわ。でも……それでも、あたしと由梨亜は親友よ。だから何だって言うの? 何が悪いって言うの? 身分の違いが、何よ。一体何になるって言うの? この日本州を治めておられる天皇陛下だって、貧しく、それ故に泥棒をしたりして、地に這いつくばり、その日を生き永らえている人だって、みんな同じ人間よ! 同じようにお母さんのお腹で育ち、母子共に痛い思いをして産まれて来た、人の子よ! 気が合えば、友達にだって……いいえ、親友にだってなれる! だって、同じ人間よ。そんなの当たり前過ぎるほど当たり前なことじゃない! だからあたしと由梨亜が親友になって、なにが悪いと言うのよ! 悪いと思うなら、その理由をあたしが納得するまで述べなさいっ!」
千紗は色々と溜まっていたので、つい途中から声を荒げてしまった。
だから、すさまじい気迫で少女達に啖呵を切った千紗は、その気迫に少女達が飲まれたことを感じ、形成が逆転したことを確信した。
しかし、それは早計に過ぎなかったようだ。
先程の少女達のリーダー格だと思われる少女が自分を取り戻して、睨みつけながら言い返してきたのだから。
「んまあ、なんて汚らわしいことを! あんな野獣以下の下等生物と神にも等しい天皇陛下を同列に並べるだなんて! 天皇陛下とそのご家族ご一族は神よ。神の子よ! そして降嫁なされた天皇陛下の姫君とそのご家族、そして私達何代も続く貴族……そう、大商人や上流階級と呼ばれる一族が人間。そういう者だけが人間と呼ばれるのに値するのよ。残念ながら地球連邦の総人口の半分にも満たないのだけれどね。そしてお前達、一般庶民、中流階級と呼ばれる、この地球上に最も多くいる生き物達は半人よ。私達人間と下等生物達との中間。ありがたく思いなさいな。下等生物とも、野獣とも言われても仕方のない生き物を、『半人』と呼んであげているんだから。そして、お前がさっき言った最下層……あの下等生物達は野獣や溝鼠、そして泥よ。生き物ですらないわ。人間がそういった『物』と親しむのは、言語道断。今からでも遅くはないわ。お前と由梨亜様を今後一切近づけやしないんだから! さあ、地に這いつくばり額を擦りつけて、許しを、私達の慈悲を請いなさい! そうすれば、私達は人間ですから、考えてあげなくもないわ。あら、それとも……」
と、その少女は含み笑いをし、軽蔑しきった口調で言い放った。
「『半人』ですから……言葉も通じませんの? 私達人間の上品な言葉は。ねえ、皆さん」
少女はそう言うと上品に笑い、周りの少女達もそれに同調し千紗のことをなじりまくった。
「ほ~らほら。早く謝らないの?」
「さあ、早く頭を下げなさい」
「いえいえ、土下座にすべきよ」
「そうそう。それでは、そのドレスを土で汚しなさい」
「そうね。それにそんな時代遅れのドレスなんて、もう既に汚れまみれになっていますわ」
「それならば、もう少し汚れても、文句はいえませんわよねぇ?」
「いいえ、それだけでは何か物足りませんわ」
「そうね。それだけでは足りませんから、額と顔を泥で汚すことにしましょう。ねえ、皆さん?」
「そうよ。異存はありませんよね、この『半人』っ」
「いいえ、半人とは、ちょっと……いいえ、だいぶ美化し過ぎではないかしら?」
「ええ、そうですわ。これは奴隷よ」
「それに、奴隷は人間ではないわね」
「私達に使役される為に生まれてきた『物』よ」
「人権もないわ」
「口答えも許されなかったわよね?」
「侮辱も、許されなかったはずよ」
「直接手を触れることも許されないわ」
「私達『人間』の顔をまともに見詰めるなんて、生き恥もいいところね」
「お前の本当に従順な先祖と比べたら、その先祖が泣くわ」
「それに、天皇陛下とそのご一族のことを口にする時は、地に跪き、額を擦り付け一言『自分のような「物」が貴方様方の御名を口にすることをお許し下さいませ。どうかご慈悲を』と言わなければいけないのでは?」
「ああ、それと最上級の敬語を使わなければならなかったのではないかしら」
「それどころか、奴隷なんかは、滅多に声を出してはいけないはずよ」
「なら、この奴隷は、奴隷に認められている生存権違反を次々に犯しているわ」
「それなら、すぐさまこの奴隷を躾けなければね」
「感謝しなさい。公共機関に言い付けないで、私達の手でやるんだから」
「ええ。それと、後で本条家の方々や私達のお父様やお母様にも言い付けなければね」
「それでは話が纏まったところで、そこの『物』、さっさとおやりなさいな」
「お前には、拒否権などと言う権利は……それどころか、生存権に定められている、『生きる』という権利以外は何の権利も持たないのよ」
「さあ、さっさとやりなさい。私達、そんなに長時間待てませんわよ」
「あら、ひょっとして、もしかすると……」
「本当の本当に、上品な人間の言葉が、お前みたいな奴隷には、通じないのかしら?」
以上、ほとんどの少女達の、千紗に対する侮辱であった。
そのことに気分を良くしたのか、少女達は勝ち誇り、驕り高ぶったように笑う。
そんな中、少女達の満足そうな、こちらを蔑む顔に囲まれた千紗の頭のどこかがプツッと音を立てて切れた。
「はぁ? あんた達、何言ってんの? 気は確かですか?」
千紗は到って穏やかに、それでいてどこかふざけているように聞こえる声で、言い放った。
千紗は、激情したり興奮したりした時は、先程のようにはっきりきっぱり言い放ち、見事に啖呵を切りまくるが、完全に切れてしまうと、ふざけたように、静かに、穏やかに、それでいて言葉の一言一句にすら、実に丹念に丹念に猛毒を仕込んだ毒針を地肌が見えなくなるぐらいにまでまぶし、それを伝えたいと思う人のみに、真冬の北極と南極を足して二で割らないぐらい冷たく、心を凍らせるように響く。
それでいて、関係ない人には全くそのようには聞こえない。
凄いの一言しか……出てこない。
「全く何を言ってるのかしらねぇこの人達は。ほんっとうに全く意味が解らないわ~。あたしと由梨亜が、由梨亜の両親召し使い共々二年前に完全公認の親友だとも知らないでねぇ。あんたらって、そんな頭もない産まれたての小鳥かしら? それともミジンコ? ミカヅキモ? アメーバ? アオミドロ? ゾウリムシ? ヤコウチュウ?」
千紗は、小学校の理科で習った微生物の名前を次々に挙げていったが、少女達は眉を顰めた。
「な、何よそれ。この世に存在しない、ありもしない想像上の名前を挙げて欲しくないわ」
勇気を取り戻した少女のうちの、千紗と同い年の少女がそう言ったが、千紗は皮肉たっぷりにニコニコ笑いながら言った。
「あ~ら。何言ってるの? この微生物の名前を知らない訳? おっかしいわねぇ。あ~あ……あんた達は受験しなくてもいいし、そのまま黙ってても将来は保証されそうなんだけどねぇ……最低限、義務教育の中で習った内容は覚えていて欲しいわねぇ。それに、この微生物の種類を学ぶことは必修科目だったし……。ミカヅキモ、ゾウリムシ、ヤコウチュウ、アオミドロの名前を知らないのは、まぁ、馬鹿過ぎだからしょうがないとしても、よ? ミジンコとアメーバの名前ぐらいなら、ちょっと賢い幼稚園児でも知っていそうだけどなぁ? ああ、それとも今あたしが言ったように微生物程度の頭脳しか持ち合わせていない訳? それとも、右から聞いたことが左へ抜けて行く竹輪耳? 三歩歩けば忘れる鶏?」
「この……!」
と、少女達が気色ばんで大声をあげようとした時、絶妙のタイミングで、その気を挫くように、後ろから声が掛かった。
「お嬢様方、どうかなされましたか?」
皆が振り返ると、そこには本条家の、それなりに高い地位で仕えているらしい、召し使いの中でも立派な服装をした男性が立っていた。
少女達は、千紗の、皇族と貴族を卑下する、あまりにも傍若無人な態度を告げ口しようと思ったが、生憎相手の名前が分からない。
もし自分の家や、自分と同じ階級、または自分より格下の家で使えている召し使いで名前が分からなくても、
「そこの貴方」
などと、呼びかければいい。
だが、本条家は地球連邦の上流階級のなかではトップクラスである。
様々な分野で活躍し、辺境に当たる地球連邦なのにも拘らず、地球連邦初の他星に支店を出店したほどで、だからといってお金儲けにしか目がない悪徳商売人ではなく、そうやって稼いだお金を地震などの天変地異や自然災害があった所に全く惜しげもなく送り、世界中にいる貧しい人達の為に医療物資や食料、学業用品を送り、様々なことに寄付をしている。
極め付けが、何十代も続く大貴族である。
なので召し使いとはいえ、本条家に仕えている以上、ただ『貴方』と、軽々しく呼べないのだ。
そういう理由があり躊躇っていた少女の間をすり抜け、千紗はその人の下へと歩み寄った。
そして、千紗は何と、半ベソをかきながら、その人に訴えたのだった。
「坂本さん。あの人たちが、何だか分からないんですけど、何かあたしに身に覚えのないことを責められているんです……」
それを聞いた少女達は呆れ返ってしまった。
(あんなに私達を侮辱しておいて、その白々しさは一体何!)
と、全員が思った。
本気で呆れ返った。
しかし、そんなことは知らない坂本は、こう慰めた。
「千紗さん、大丈夫ですよ。貴女は分からないと思いますが、彼女達には、彼女達なりの誇りというものがあるのですよ」
「そうなんでしょうか?」
それで少女達はようやく千紗の名前を知ったが、それどころではなかった。
何故かと言えば、千紗はうっすらと涙ぐんでいるだけではなく、声まで涙声になってしまっているのだ。
少女達は、あまりのことに、今度は膝がヘナヘナと崩れ、土にのめり込みそうになるのを堪えなくてはならなかった。
さすがにそれだけは、貴族の誇りに賭けてもできない。
そしてこんな腹芸は、今の自分にはできそうにない、と本気で思った。
また、何故一般庶民がこんな技を持っているのか、真剣に考え込んでしまった。
身分の上下に拘らず、商売をやっていたり政界に身を置いていたりする人間は、思ってもいないことや、物事を有利に運ぶ為の駆け引きを口にする……つまり、腹芸が重要となる。
なので、ある程度は子供のうちからできるし、やらなければならないことだが、今の千紗のように堂々と口論し、啖呵を切り、相手を窮地に追い込みながらもその仕上げとして、召し使いとはいえ、見知っているとはいえ、事情を知らない相手に涙ながらに縋りつき、それを覚られずに丸ごと信じさせるなんてことは、まだ幼い彼女らには到底無理な話である。
それどころか、そんなことができる大人もあまりいない。
しかし、二度目になるが、本当に何も知らない坂本は、少女達を追い立てた。
「そうです。さあ皆さん。由梨亜様が来られますよ」
「はい。分かりましたわ」
そういうと、何とか持ち直した少女達はツンとすまして、千紗を睨みつけながら、部屋に戻っていった。