第四章「再会」―2
「失礼致します。千紗様と由梨亜様をお連れ致しました」
「ありがとうございます、澪さん。貴女はどうぞ、下がっていて下さい。私達はお二人とお話がありますから、誰かに聞かれたくはないのです」
「はい。承りました。それでは千紗様、由梨亜様、どうぞお入り下さい」
「失礼します」
二人がそう言い入り、澪が部屋を出て行った。
そして、部屋の中にいる人物を見た途端、千紗と由梨亜は固まり、笑顔を顔に浮かべた。
「まあ、双葉に若葉じゃないの! お久し振り。何年振りかしら。本当に、懐かしいわ!」
「ええ。由梨亜。本当にお久し振り。千紗もお久し振り」
「うん。双葉も若葉も、ほんとに懐かしい! あたし達、途中で――小五の時に転校しちゃったからねぇ」
千紗は沁々と呟いた。
と言っても、千紗には、その時の記憶が他人事のように感じられる程度であるが。
千紗には、今までの記憶が三種類ある。
『彩音千紗』としての……つまり、自分が本当に歩んで来た記憶。
『本条由梨亜』のいない、『本条千紗』としての記憶。
『本条由梨亜』のいる、『本条千紗』としての記憶。
『本条千紗』としての二つの記憶は、どれも他人事にしか感じられない。
一方、『彩音千紗』の記憶は、自分のものだという意識が強い。
そのせいで、『本条千紗』が会ったことのある人と会っても、あまり過去のことを語りにくいのだ。
だから、ほとんど由梨亜が話すことになっていた。
「そうねぇ……まあ、お家の事情では、しょうがないのだけれど」
昔、由梨亜は私立の小学校に通っていた。
その小学校は幼稚園から大学まであり、ずっと一緒という人も珍しくはない。
由梨亜は、小さい頃はその学校に何の不満もなかった。
洗練された学校に、洗練された先生、生徒達。
何の問題もない。
だが、それは外から見た話で、中にいる人物にとってはこれが『普通』だ。
由梨亜は、小学校の中学年の時に気付いた。
『外』が異常なのではなく、『中』が異常なのだと。
そして気付いたからには、『中』にいるのが苦しくなった。
その時、ちょうど引っ越すことになったのだ。
由梨亜は、思った。
また、この息の詰まる場所に入るのはごめんだ、と。
そこで、無理矢理耀太と瑠璃を説き伏せ、公立の小学校に入った。
そこで、千紗と出会ったのだった。
咲にいじめられる、千紗に……。
「ええ。私も、まさか引っ越すとまでは思ってもみなかったわ。お父様がまた新しく力を入れる事業を展開させるとは聞いていたけど、まさか、その影響で引っ越すだなんて……」
「そうねぇ……私達も思ってなかったわ。特に、私達は双子同士だもん。他に双子はいなかったから、学年の中で双子は私達だけになっちゃって……とっても淋しかったわ」
「それにしても……だいぶ印象変わったじゃない。あの頃、ぱっと見では見分けつかなかったけど、今はぱっと見でも何でも見分けられるわ。それぐらい、違ってる」
そう、双葉と若葉は双子で、しかも一卵性双生児だが、双子の姉である双葉はお洒落にとても気を使っていて、少し派手である。
それに対して双子の妹である若葉は、お洒落はお洒落なのだが、もっとスッキリとまとめていた。
「まあね……けど、貴女達は昔からすぐ見分けがついたわね。二卵性だし、千紗はいっつも元気で、由梨亜はいっつも大人しくて……なのに、滅茶苦茶仲がいいんだもの。誰でも見分けがついたわ」
若葉は苦笑しながら言った。
千紗と由梨亜も顔を見合わせて苦笑したが、その意味は若葉とは違っていた。
そして、いきなり千紗が口を開いた。
「そう言えば……そこにいるのって、誰? 誰か……いるよね?」
柱の陰を指して言う千紗に、由梨亜は驚いて目を瞠った。
「えっ?」
「へぇ~。よく気付いたわね、千紗。やっぱり、そういう勘だけはいいのねぇ。いいわ。義彰、出て来なさい」
そう言われて物陰から出て来たのは、十四、五歳ほどの少年だった。
だがその身長は高く、この中で一番背の高かった千紗の身長は百六十四センチあったが、その千紗よりも高かった。
だいたい、百七十センチほどだろうか。
由梨亜は彼を見て、懐かしい思いに駆られた。
顔も雰囲気も全然違うが、年頃が弟の柚希夜と似ているのだ。
癒璃亜の話に聞いていた柚希夜の身長も、ちょうど同じぐらいだ。
由梨亜は義彰を見詰め、しばらく呆けていた。
「ふ~ん。じゃ、彼って貴女達の弟?」
「ええ、そうよ。ほら、義彰。ご挨拶なさい」
「……初めまして。僕は、義彰と言います。宜しくお願いします」
彼はそう言うと、軽く会釈をした。
「初めまして、義彰。あたしは本条千紗。で、こっちは本条由梨亜。宜しくね」
千紗はニコッと義彰に笑い掛けたが、義彰は穴の開くほどジッと千紗を見詰め、それからスッと視線を逸らした。
「…………?」
千紗が首を傾げると、横から若葉が言った。
「こら義彰。無愛想にしないの! ごめんなさいね、千紗、由梨亜。この子ったら、ほんとに……」
「いっつもお父様やお母様やお祖母様達に言われてるのにねぇ……全然変わらないんだから」
「へぇ~。でもさ、彼って長男だよね?」
「ええ。私達には、義彰の他に兄弟なんていないもの」
「じゃあ、大変だねぇ。そんな無愛想じゃ……」
「そうよ! そうなのよ!!」
いきなり双葉が大声を出し、千紗と由梨亜と義彰は、思わず仰け反ってしまった。
しかし、双葉と若葉は益々身を乗り出し、力説した。
「ほらほら! 初対面の千紗までが言うのよ!? サッサと愛想良くしなさい! このままお父様の後を継いだら、日本州の恥よ!」
「そうそう! 貴方だけが恥ずかしい思いをするんじゃないわ! 私達みんなが恥ずかしいのよ?!」
その勢いに義彰はたじろいだが、またもやスッと視線を逸らした。
と、その時、由梨亜と視線が合った。
義彰は、その由梨亜の顔を見ると、怪訝な顔をした。
由梨亜が、クスクス笑っていたからだ。
「…………?」
義彰が顔と雰囲気のみで疑問を伝えると、由梨亜は口を開いた。
「貴方……義彰って、ほんとに天皇陛下のご子息? 双葉と若葉も天皇陛下のご令嬢とはちょっと思えないけど……。でも、貴方の方がらしくないわ」
そう、彼らの父親は現在の天皇。
彼らは、天皇の娘と息子、つまりは内親王と皇太子なのだ。
由梨亜のそのあからさまな厭味に、義彰は真っ赤になった。
「ふ~ん。感情の制御もできないのかぁ。ちょっとからかっただけでそこまで真っ赤になるなんて……ほんと、日本州の未来が不安だわ。でも……もしかして私、図星をついちゃったかしら?」
「あるかもねぇ。つまり、貴方が皇太子な訳でしょう? 自分でも、その引っ込み思案なその性格を気にしている……違う? 義彰」
その千紗の言葉に、義彰は軽く呻くと背を背けてしまった。
まさに、図星をつかれたようだった。
「へぇ~……そうだったの、義彰」
「全然気付かなかったわ」
「そんなに考え込む前に、この頼りがいのあるお姉様に相談すれば良かったのに!」
「ちょ、双葉! 自分で『頼りがいのある』『お姉様』って言わない! このナルシスト!」
「何、ほんとのことじゃない。あ、それとも若葉は、そこまで自信がないの? 全く、双子の姉として情けないわ。仮にも天皇陛下の娘ともあろう人が」
「それを貴女にだけは言われたくないわよ! 貴女ねぇ、派手過ぎるのよ、分かる? 派・手! 貴女がいつもの格好でお客様の前に出たら、何で庶民がここにいるんだって追い出されるわよ! お洒落なのはいいけど、せめて品格、格式があるお洒落にして欲しいわ! 貴女の妹として、恥ずかしいわよ!」
千紗と由梨亜は呆れながらもそれを眺めて、止めようともしていなかったが、義彰は違った。
この姉妹喧嘩はかなり頻繁に起こっており、千紗と由梨亜は知っていたのでのほほんと眺めていたが、義彰は他人のいる前でこんな言い争いを繰り広げられるとは思っていなかったようで、必死で止めようとしていた。
「ちょ、双葉姉上! 若葉姉上! やめろよ! 誰が前に……」
「煩い!」
「お黙り! ちょっと双葉! こういうところで襤褸が出るのよ、貴女は!!」
「ふん、何よ! そっちこそ『お黙り』ってカッコつけて! 恥ずかしいとは思わないのかしらね!」
「は、品格がないよりマシよ! それに貴女は全然私の『お姉様』とは思えないわ!」
「何言ってるのよ若葉。私達双子なのよ? 貴女の方が先に産まれてたかも知れない可能性も半分あったんだからね!」
……この二人の口喧嘩は、いつも妙なところで食い違い、矛盾することが多い。
おまけに、放って置くといつまでも繰り広げられる。
由梨亜は、二人の言い争いを聞き飽きてから、ようやく止めに掛かった。
「ねぇ、もうそろそろいいんじゃないの? 折角久し振りに会ったのに、つまらない喧嘩で終わらせたくはないわ。貴女達だって、来客あるんじゃないの?」
由梨亜のそのおっとりとした言葉に、双葉と若葉は気まずそうに顔を逸らした。
その様子を見ていた義彰は、思わず吹き出して由梨亜に言った。
「慣れてますね……僕が止めようとすると、必ず火に油を注いだような結果になってしまって、どうも駄目なんです。貴女のように適確に水を注すことなんて、僕にはできません」
「どうも。でも、それは貴方の前だからじゃないかしら?」
「…………?」
全く分からない、という顔をした義彰に、由梨亜は悪戯っぽく言った。
「つまりね、この二人は貴方のお姉さんでしょ? だから、弟の前だとどうしても甘えてしまうのよ。だから、益々ヒートアップしちゃうって訳。分かった?」
「……は、はい」
義彰が何となく押し切られてしまうと、今度は千紗が双葉と若葉に問い掛けた。
「そういえばさ、何で三人はここに来たの? どっちにしろ、明々後日には会うじゃない」
その千紗の当然の疑問に、双葉はあっさりと答えた。
「えっ? だって、明々後日は他の州の貴族とかも来るでしょう? そしたら友達じゃなくって、皇族とその州の貴族としてじゃなくちゃ会えないじゃない。それは、結構淋しいから。何て言ったって、八年振りですもん」
「だからお父様と相談して、そしたらここの時間は空いてるって言われたから、義彰も連れて来たの」
「……でもさ、どうして義彰まで? 貴女達だけでも良かったじゃない」
由梨亜は更に質問を重ねた。
「うん。それがねぇ、義彰この頃悩んでることがあるらしいのよ」
「ふ……双葉姉上! な……何言ってんだよっ?!」
「何惚けたことを言ってるのよ、義彰。何年、貴方の姉をやっていると思うの? この頃、様子が違うなぁって思ってたし、鎌掛けても何にも言わないし……だったら、他の人が訊き出した方がいいでしょ? でもそうすると、ここに来ている人達の中で、私達が信用している人なんて、ほとんどいなくってねぇ……」
「しかも、この子今思春期真っ盛りだし、どうせ訊くなら同年代かそれに近い方がいいでしょ? 貴方もその方が話しやすいでしょうし」
「それで私と双葉と相談したら、貴女達がいいんじゃないかって結論に達してね」
「だから義彰、私達はちょっと途中退場させてもらうわ。心行くまで二人に相談してね」
「私達、貴女達の部屋で待ってるから、相談が終わったら来て? 久し振りに会うから、話したいことが山積みなのよ」
若葉はそう言うと、本当に双葉と共に部屋を出て行ってしまった。
千紗はただぽかんと目を丸くして見送り、由梨亜は小さく溜息をついた。
「はぁ~。ほんっと、変わってないわねぇ、あの二人……。それで? 何? 悩みって」
「な……。しょ、初対面の方に、話せる訳ないじゃないですか……」
「ま、それもそうよね」
由梨亜はそう言うと、さっさと部屋を出て行こうとした。
だが、それを千紗が止めた。
「待って、由梨亜。……ねえ、義彰。ちょっと、当ててみてもいい?」
「…………?」
「だから、貴方の悩み」
「…………」
義彰が無言で促すと、千紗は悪戯っぽく微笑みながら言った。
「ずばり、恋でしょ?」
「…………。…………? …………! …………?! …………!?」
義彰の顔色が、面白いようにクルクルと変わった。
千紗はそれを楽しみながら眺めていた。
「千紗……あんた、こういうとこだけは、鋭いんだから……」
由梨亜の呆れた声に、千紗は自信たっぷりげに言った。
「え? だって、分かんなかった? 双葉と若葉の様子から。あと、言い方がね。何か含んでるような感じがしたから、ああ、この二人絶対知ってるなって。で、思春期の悩みって言ったら限られてくるし……それで、双葉と若葉がいたら話しにくい内容って言ったら、恋かなぁって」
……まさに、図星をついたらしく、義彰は脱力して床にへたり込んだ。
「ちょっと義彰、大丈夫? ああもう、ほんっとにあの二人ったら……」
千紗はそうぼやくと、義彰を引っ張り上げた。
「ほら、とっとと白状なさい」
その言葉に義彰は益々脱力したようだが、大きな溜息をつくと話し始めた。
「ええ……あの、お訊きしたいんですが、貴女達には、婚約者がいますよね?」
「ええ、そうよ」
「まあ、それが慣習だからね」
「そう、ですか……」
義彰は、千紗の『慣習』という言葉を聞いて、ガックリしたようだ。
だが、千紗はそんな義彰の様子を見て確信したらしく、諭すように言った。
「でもね、義彰。あたし達の婚約者は、貴族じゃないわ」
その言葉に余程驚いたらしく、義彰は勢い良く項垂れていた顔を上げた。
「貴族じゃ……ない? それでは……富豪か、何かで?」
義彰の声には、微かな希望と諦めが入り混じっていた。
「いいえ。そんなことないわ。バリッバリの庶民よ。あたし達には、前に三人の婚約者候補がいたの。眞湖聡さん、蔡条護さん、紺城早宮さん。三人とも、本条家と身分の吊り合う立派な家柄の貴族の直系か、かなり近い傍系だった。だけど、あたし達はその三人が嫌いだったわ。まさに貴族そのものっ! って感じで」
千紗は、面白そうにくすくすと笑った。
事実、千紗にとってそれは、既に思い出だった。
「その時、あたしには好きな人がいなかったけど、由梨亜にはいた。同じ中学校の男子で、しかも初恋だった。で、由梨亜は諦めるのは無理だったし、あたしも絶対諦めて欲しくなんかなかった。だって……そんなの、悲しいじゃない? 好きな人がいるのに、それを諦めるだなんて? だから……由梨亜は家出したの。レイリア国に、十三歳の時に。それからだいたい四年間音信不通だったんだけど、二年前に戻って来て、あたしとあたしの婚約者を救ってくれたのよ。それで……ちょっと騙し討ちに近かったんだけど、何とかお父様を黙らせて、あたしと由梨亜は、婚約者候補とではなく本当に好きな人と婚約者になれたの」
千紗が嬉しそうに言うと、今度は由梨亜も笑い、身を乗り出して言った。
「だから、貴方も諦めることはないわ。好きな人がそれほどでもなくなるのはともかくとして、無理矢理諦めるのは可笑しい。人じゃないし、生き物でもない。ただの、利用されている機械に等しいわ。ただの物よ。一人一人が上げる声は、確かに小さいかも知れない。でも、声を上げる人が増えれば、それはとても大きなものになっていく。それを……忘れないでね。これは、身分が高いほとんどの人に忘れ去られてしまう、一番大切なものだから」
その言葉に義彰は目を瞠り、寂しげに微笑んだ。
「僕も……そこまで強くなれると、いいんですけどね……」
義彰はそう言うと、軽く頭を下げた。
「……ありがとうございます。僕も、少しは頑張りたいと思います。本当に、ありがとうございました」
由梨亜は軽く息をつくと言った。
「それじゃあ、部屋に戻りましょ。義彰も一緒にどうぞ」
「……いいんですか?」
「ええ、勿論」
その言葉に、義彰は初めて笑った。
それはまるで、凍った氷が暖かい太陽によって融け出し、周りの地面に染み込んでいくような、そんな暖かい微笑みだった。
見ているこちらが、ポッと心の奥が暖まるような――心に陽溜まりを見つけたような、そんな暖かい気持ちにさせる笑顔だった……。