第三章「花鴬国の現在(いま)」―2
「戦祝大臣殿……戦祝大臣殿? どうかなされましたか?」
「あ、いえ……少し気を抜いていただけですから、御気になさらず、政財大臣殿」
「まあ、確かにあの人出は今まで以上でしたからね……それに、あの少女達の悲鳴は……」
ウォルトは苦笑した。
あそこには沢山の人がいたが、その中でも凄まじい悲鳴を上げていた四人の女性のことは、よく覚えていた。
「私達のことを見ようとして沢山の人が集まるのはよく分かりますが……それにしても、あそこまで悲鳴を上げられるとは、思いもしませんでしたね」
「ええ。そう言えば戦祝大臣殿、覚えておいでですか? あの少女達の後ろに、我らと同年代であろう女性が御立ちになられていたのを」
「ええ、勿論です。恐らくあの女性は、あの少女達の誰かの母親ではないでしょうか? それか、近所の顔見知りの女性だとか」
誤魔化そうと、敢えて曖昧なことを言ったシャーウィンだったが、ウォルトはそれに乗せられなかった。
「ああ……なるほど。戦祝大臣殿はそう御考えになられたのですね」
「……? ということは、政財大臣殿は、違うことを御思いになられたのでしょうか?」
シャーウィンが警戒しながら言うと、
「ええ。あの女性には、些南美王女殿下の面影が窺えました。先王陛下とも、僅かでしたが似ておいででしたね」
そのウォルトの鋭い観察眼に、シャーウィンはすぐには声が出なかった。
「……さすが政財大臣殿ですね。鋭い観察眼です。ほんの僅かしか御覧になられていない御婦人の御顔を憶えておいでで、おまけにあまり見知ってはいらっしゃらない人物との類似点まで見出すとは。貴殿の五人の奥方達が、揃いも揃って美女揃いで、おまけに顔立ちも似通っていることもあるのですかな」
その鋭い反撃に、ウォルトはサラリと言い返した。
「何の。第五妻まで持てるというのに、第二妻までしか持たない貴方の方が、素晴らしい観察眼を御持ちでいらっしゃいますよ。審美眼と言い換えてもよいかも知れませんね。私の妻は確かに美しいですが、それだけに争いが絶えなくて。いつの世も、女の争いほど大変なものはありませんよ。貴方の家は、平和そうで羨ましい」
またもや、シャーウィンは詰まった。
確かに、シャーウィンには妻がたったの二人だけだ。
第一妻の方が貴族の娘で、第二妻が、何と普通の庶民の娘だった。
勿論、庶民の娘を娶る貴族がいない訳ではない。
だが、それは身分の低い貴族がほとんどで、その中でも第四妻や第五妻が大抵である。
しかも、大貴族なのに第二妻までしか娶らないというのも、大変珍しかったりする。
つまり、シャーウィンは貴族の中では珍獣中の珍獣だったりするのだ。
「ええ。無駄に大勢の妻を娶るよりも、数は少ないながらも、真実愛している女性を娶る方が私の主義に沿っていますからね」
「ほほう、それでは話を戻しますが、貴方はあの女性が似ていたと、御思いですかな?」
「いえ、私はそこまでじっくりと御顔を拝見してはおりませんでしたからね。そこまではよく分かりませんな」
と、和やかに、あまり和やかとは言えないような話をしていた二人の元に、闖入者が入り込んで来た。
「おやおや、御若い人はよいですね。あれほどの人混みを潜り抜けてもまだ、話をする余裕があるのですから。私のように七十代にもなってくると、そこまでの余裕は失われてきておりましてな」
「何を仰られるのでしょうか。貴方は今現役で働いていらっしゃる大臣の中では最高齢でいらっしゃるではありませんか。まだまだ現役で御働きになられますよ、宗賽大臣殿」
その言葉に、シュールは皺の浮いた顔に笑みを浮かべる。
「ふふ、やはり御若い人に励まされると元気が出ますね。ありがとう御座います」
「おや、それをいうのなら、私達もやはり若くはありませんよ。私はもう四十代の後半ですし、戦祝大臣殿も既に五十代に入っておりますから」
ウォルトの言葉に、シュールは苦笑した。
「そうですか……つまりは、私達は皆年寄り、という訳ですな」
「……ですが、宗賽大臣殿、何かあったのですか? 無駄に御喋りをする為に、貴方が来るとは思えませんし」
「ええ。確かに、私はそのような性格ではありませんね。それでは、戦祝大臣殿、政財大臣殿。明日の八時三十分に、ここを出発するようです。そして、ここの地封貴族との対談を致します」
「そうですか。宗賽大臣殿、わざわざありがとう御座います」
「ありがとう御座います。宗賽大臣殿、ゆっくりと御休み下さい。それこそ、私達は年寄りなのですから」
「ええ。そちらこそ」
そう言うと、シュールは部屋を出て行った。
この三人では、シャーウィンとウォルトで、仕切られているとはいえ、結局は続いている一つの部屋を、シュールで一つの部屋を使っていた。
その理由は、シュールの方が二人とは歳が離れているので会話もしにくいだろうし、雰囲気も気まずくなるだろうということと、シャーウィンとウォルトが続き部屋の方が気楽だし、お金も掛からないから、ということになっている。
だが本当の理由は、戦費に使う分の費用を捻り出す為と、シュールが今王宮と政治を牛耳っているので、それに配慮をした結果である。
シャーウィンが、ほんの少し溜息をつくと、ウォルトがくすりと笑って言った。
「それで、戦祝大臣殿? 先程の女性について、私の考えを述べても宜しいでしょうか?」
「おや、まだ終わっていなかったのですか……ええ、どうぞ」
軽く辟易して言うと、
「それでは申しますが、戦祝大臣殿。あの女性は……貴方の異母妹である花雲恭由梨亜様、マリミアン・カナージェ・スウェール様では御座いませんか? そうすれば、富実樹先王陛下や些南美王女殿下の面影が微かにあるのも、納得がいきます。生憎、私は何年も前に、遠目ながらも御顔を拝見致しただけに過ぎませんからね」
「……まさか。我が異母妹、マリミアンはシャンクランの屋敷におります。もし異母妹が屋敷を出てこんな国の外れにいるとなれば、現在当主である私の耳に入っていない方が可笑しい」
(……政財大臣……! どこまで鋭いのだろうか、この男はっ! だが……まさか、マリミアンがこれを見に来るとは思わなかったな。いいや、大方、あの同居人の少女達に引き摺り込まれたのだろう。昔から、御転婆かと思えば妙に自己主張が少なかったりして……特に、当時王子であらせられた峯慶王と初めて御会い致した時から、本当に大人しくなってしまって……)
シャーウィンは内心穏やかではなかったが、それを何とか誤魔化して見せた。
今はただの官封貴族という地位にあるマリミアンだが、元はと言えば先々代国王の妻、妾。
今は除籍されているものの、かつては花雲恭由梨亜、由梨亜妾の名を得ていた人物である。
そんなマリミアンが、いくら強く希望しそれを渋々ながらも強引に認めさせたとはいえ、庶民として働いていると知られれば、国内では貴族全体が呆れられ、軽蔑されかねない。
貴族の中でも、スウェール家もこんなものか、零落れた家に成り下がったものだ、と言われかねない。
国外では、花鴬国王家は、何故かつての王の妻を(国内外共に、マリミアンが王籍から除籍されていると発表していない為)、離婚もしていないのに庶民と同等に扱うのか、と言われかねない。
つまり、どの面から見ても、何もいいことはないのである。
「ほほう……そこまで貴方が仰るのであれば、そうなのでしょうな」
ウォルトはうっすらと笑い、呟くように言った。
「ええ。そうですとも。私の異母妹は四人おりますが、マリミアン以外は全て貴族の家に嫁いでおります。そして、いずれも決して御金に困らないだけの身代を持つ家柄です。マリミアンは今現在スウェール家におりますが、勿論困ることなどありません。なので、わざわざこんな僻地にまで赴き、働く意味がありません。恐らく、他人の空似か……可能性としては低いと思いますが、政財大臣殿の見間違いかと思います」
シャーウィンは声に力を込め、確信を持って言った。
その次の日の夜、シャーウィンは眠らずにしきりと寝返りを打っていた。
(あいつめ……あいつめっ! あんな顔をして……よくも抜け抜けと!)
普段はそんな言葉遣いをしないのに、その頭はシャーウィンの知り得る最上級の汚い言葉でいっぱいだった。
そうでもしないと気が休まらないし、それでもまだまだ不充分なくらいだったからだ。
本当は、大声で喚きたい気分だった。
(あいつめ……あいつめ!!)
シャーウィンの脳裏に、シュールの顔と、今日の午前中に行っていた演説が蘇って来た。
(畜生……畜生! 何で、あいつがあんなことを言うのだ?! 自分が……自分がやったくせに!!)
今日の午前中、三人は地封貴族に会った後、公会堂に向かった。
そして、そこで一人ずつの演説を行ったのだ。
順番は、シャーウィン、ウォルト、シュールだった。
自分の演説が終わり、ウォルトの演説も、シャーウィンにとって問題なく終わった。
問題だったのは、シュールの演説だった。
シャーウィンが絶句した場面が、彼の脳裏に焼き付いていた。
「つまり、昨年ですね。その年、峯慶王が暗殺者の毒に御倒れになられ、先王陛下も行方不明にならせられました。この国にとって、凶事が重なった悪夢の年と言えましょう。そして、そんな先王陛下が御提案なされ、峯慶王が後押しなされた案件が、『地球連邦の宇宙連盟への加盟』であったのです。先王陛下は戦をできるだけ回避したいと御考えであらせられたので、今回の結果をもしも御知りになったとしたら、御悲しみになられるでしょう。ですが、これはその御二人の願いなのです。それに御協力下されば、きっとまだ御眠りになられている峯慶王も、御喜びになるでしょう。皆様、峯慶王が御無事に御目覚めになられるよう、先王陛下が御無事に見付かられるよう、御祈り下さい。そして、この度の戦に、どうぞ御協力を、御願い致します」
そう、シュールは言ったのだ!
自分が、峯慶に毒を盛る手配を整えたのに!
そして、その当時戦祝大臣だったノワールと政財大臣だったフォリュシェアに濡れ衣を被せ、終身刑を負わせたくせに!
去解鏡の結果を捻じ曲げるという、人として信じがたい悪事をやったくせに!
(よくもそこまで……! 確かに、私の義弟と姪の悲願は『地球連邦の宇宙連盟への加盟』だった。だが、それを利用し自らの野心を叶えようとしている御前に、そんなことを言う資格など、ない! だが……私には、そんなことを言う権利さえ、ない……。私がそんなことを言えば、戦祝大臣の地位剥奪、戦祝大臣の地位は私の息子、レイウォン・ミシュー・スウェールに譲ることになる。今でさえも、宗賽大臣とは親子ほどに歳が離れていて逆らうことも難しいというのに……これが更に離れてしまったら、逆らうことなど事実上不可能に近い。宗賽大臣ではなくても、あまりにも若過ぎる大臣にすんなりと従う貴族や官吏などいる訳がない。それに……政財大臣殿は、宗賽大臣に、気付いていらっしゃらない!)
そう、確かに前戦祝大臣のノワールと前政財大臣のフォリュシェアは、真実を知ったが為に濡れ衣を着せられた。
だが、シャーウィンは投獄される前のノワールと少しだけ言葉を交わす時間があった。
そこで、シャーウィンは『去解鏡を視ろ』と言われた。
家のどこに去解鏡が隠してあるか、どのような質問をすれば、正しい答えが引き出されるかも言われた。
そして……投獄された次の日の、まだ日も昇っていない早朝に視ること、そして視終わったらただちに去解鏡を壊し、処分することも。
シャーウィンは、たった独りでそれを行い、そして涙を流しながら去解鏡を壊した。
(父上と政財大臣殿は、無実だったのだ。だから、あの投獄は、冤罪……!)
だが、シャーウィンはそれを公表しなかった――いいや、公表できなかった。
真実を明らかにするのは簡単だ。
生放送の記者会見でも開き、そこで言えばいい。
だが、それを聞いた国民は、宗賽大臣の圧政に苦しむことになる。
去解鏡でシャーウィンは、その為の根回しまでとっくの昔に済んでいることを、知っていた。
だから、公表できなかったし、誰にも話すことができなかった。
そして、去解鏡を処分していたので、家宅捜索で新たな罪を認めるようなことにはならなかった。
その一方、ウォルトは何も知らない。
本当に、ノワールとフォリュシェアが罪を犯したと、信じ切っていた。
そして、国の為に自分の一切を捧げることによって、父の贖罪をしようとしていた。
(本当は……貴方の父は、何も罪を犯していないのに!)
だから、シャーウィンはそんなウォルトの姿を見る度に、腹立たしいような、苛々するような、真実を語りたいような気分に襲われる。
本当は、ノワールもフォリュシェアも、悪くはないのだから。
悪いのは、宗賽大臣、シュールなのだから……。