第二章「事実と覚悟」―1
「全く、馬鹿じゃないですか?」
鈴南の言葉に、睦月はウッと呻いた。
だが、それでも鈴南は容赦しない。
「あんなに落ち着いてない千紗様を、気付いていない訳がないのに、わざと怒らせるなんて……一種の天才ですねぇ」
一見褒め言葉にも聞こえそうだが、単なる皮肉である。
それも、最大級の。
「ほんと、見た時は呆れましたよ、ええ。本気で。あれを見て私と苓華が卒倒しなかったのは、あの千紗様と由梨亜様がお産まれになった時から付き合っているからです。全くもう、好い加減にして欲しいものです。貴方様は仮にも千紗様の婚約者。将来はこの本条家を担ってもらうお方なのですから」
「まあまあ、鈴南さん。そこら辺にして置いて下さいよ。もう充分お説教してるじゃないですか。本当は関係ない俺も怒られるのは、割が合わないですよ」
香麻のその台詞に、鈴南がジロッと睨んだ。
「関係がない? ほほう、この人の暴言を止めもせず、喧嘩も止めもせず……それで、関係がないと? 確かに、見事なまでに、関係がないですねぇ、香麻さん? 本当にねぇ」
「うっ……だって鈴南さん、じゃあ逆に訊きますが、睦月の暴言を止めるだけならともかく、あの千紗を止めれますか? 俺には無理ですよ、ええ、千パーセント無理ですね、本気で」
香麻の言い分に言い返す言葉が見つからなかったのか、鈴南はフン、と顔を背けた。
「ほらほら、いい歳して拗ねないのよ、鈴南」
おっとりと、鈴南と共に睦月の手当てをしている、鈴南の先輩である召し使い、唱奈が言った。
と言っても、唱奈は四十二歳、鈴南は四十歳なのだが。
その後、しばらく静かだったが、睦月の手当てが終わる頃、苓華が入って来た。
「あの、皆さん。ちょっといいですか?」
「ええ、どうぞ。苓華。ちょうどこの千紗様の導火線となった超大迷惑男の手当ては終わったところですし。そちらも、千紗様の手当ては終わりましたか?」
「ええ。何しろ仕掛けたのは千紗様の方ですし、実力が違い過ぎますからね。特に大きな怪我はなかったです」
苓華はチラ、と睦月を意味あり気な目付きで見ると、視線を鈴南と唱奈に戻した。
睦月が、
(俺ってもしかして……いや、もしかしなくても、苓華さんに馬鹿にされてる……?)
と思ったのは、言うまでもない。
「それで、何の用なのかしら? 苓華」
「はい、唱奈さん。旦那様からですが、睦月さんと香麻さんに、明日の午後、今日と同じ部屋まで来て欲しいとのことでした。さっきのお話の続きみたいです」
苓華がそう言うと、香麻が手を挙げた。
「あ~、ちょっといいかな? 苓華さん」
「はい。何でしょうか?」
「なんで、午後からなんだ? 午前中、何か予定でも?」
「ええ。午前中は大事な商談があるそうなんです。なので、午後からと」
「ああ、なるほど。ありがとう、苓華さん」
「んっ? どうかしたのか? 香麻」
睦月がそう訊ねると、香麻は笑って言った。
「あ、教えてなかったっけ? 明日の午前中、あの新しくできたアウトレットに遊びに行かないかって、藍南と尚鈷と素香と涼斗と奏谷に今朝誘われたんだよ。これから大学入っちまうから、今の内に遊んどいた方がいいんじゃないかってさ」
「へぇ~。いいんじゃねぇか? じゃあ、あとで千紗と由梨亜に言いに行くか」
「ああ」
この時、まだ二人は知らなかった。
本当に、遊べる時は『今の内』しか、ないことを。
その入学式は……決して一週間後に、来ないことを。
そして、二人は後に後悔することとなる。
先程、耀太から聞いた話を、自らの少し離れた未来と位置づけてしまったことを。
自らの、本当に近い未来として考えることができなかったことを……。
コンコン、というノックの音と共に、睦月と香麻が入ってきた。
「おい、千紗、由梨亜。ちょっといいか?」
「うん……何の用?」
「ああ。明日の午前中、あの新しくできたアウトレットに遊びに行かないかって、藍南と尚鈷と素香と涼斗と奏谷に誘われたんだよ、今朝。どうせ、入学式までもうちょっとだからさ、今の内に遊んどいた方がいいんじゃないかなってさ。どうだ?」
「『今の内』、ねぇ……」
由梨亜がそう呟いたが、千紗はそれを無視した。
「いいんじゃないかな? 少なくとも、あたしは行きたいな。でもさあ、こういうのはもっと早く言ってよ」
千紗の珍しくも真っ当な非難に、香麻は軽く頭を下げた。
「ああ、ごめん。由梨亜はどう思う?」
「ええ。いいんじゃない? 確かに、『今の内』だもんねぇ……」
由梨亜は意味深に言ったが、それには誰も気が付かなかった。
「ああ、分かった。じゃ、俺らは涼斗と奏谷に連絡すっから、そっちは藍南と尚鈷と素香に連絡して?」
「うん。分かった。じゃあ睦月、香麻、また明日ね」
「ああ。また明日」
「じゃあな」
「またね」
四人はそう言うと、睦月と香麻は部屋を出て行った。
二人が出て行くと、千紗は由梨亜を振り返って言った。
「じゃあさ、由梨亜。あたしが藍南と尚鈷に電話するから、由梨亜は素香に電話してもらってもいい?」
「ええ。分かったわ」
二人はそれぞれ三人に電話をすると、三人とも即答で
「やった! 滅茶苦茶久しぶりだもん! すっごく嬉しい! じゃあ、明日ね!」
とはしゃいだ楽しげな声で言ったのだった。
ちなみに、涼斗と奏谷も似たような反応だったという。
「うっわ~! ちょっと見てよ素香! これ可愛くない? 素香に絶対似合うって~!」
「ほんとだぁ~! ちょ~可愛い! あっじゃあさ、これは尚鈷に似合うんじゃない? 尚鈷、こういうの好きでしょ?」
「うんうん! ありがと、素香!」
「ちょっと来て! 由梨亜、千紗! こっちのどうかなぁ?」
「あっ、いいんじゃない? 藍南」
「うん、すっごい似合ってるわ」
「それじゃあさ、千紗はあれどう? 由梨亜はそっちの!」
「うっわぁ~! すっごい! 藍南ってやっぱりコーディネーターとしての才能あるわねぇ! ほんっと感心するわ」
「ふふ、ありがと、由梨亜。それにしても、どうしよっかなぁ……ここ結構可愛いの沢山あるから、すっごい迷っちゃう!」
「うんうん! だからって全部買ってるとお金なくなっちゃうんだけどねぇ……」
「な~に言ってんの? 千紗。あんた達はお嬢様でしょ? お小遣いぐらい沢山貰ってるでしょうが! それに、買って欲しい物はいくらでも買ってくれるでしょ? いいよねぇ……あたしなんか、バリッバリの庶民だから!」
「ねぇちょっと! そういう『お金持ち』の偏見、やめてもらえる? そりゃあ私達のお父様はお金持ちだけど、お小遣いのこととかお金の無駄遣いとか、めっちゃ厳しいんだから!」
「そうそう。この前なんて、『お前達にはもう沢山服があるんだから、これ以上買わなくてもいいだろう』って言って、すっごい気に入った服だったのに買ってくれなかったんだよ!」
「え~! 信じらんない! 交渉とか何もしなかったの? 例えば、お小遣いを来月分減らすとか、前借りだとか……」
「したけど、『駄目なものは駄目だ!』だってさ」
「だったら、あたしの方がよっぽど恵まれてるよ」
「アハハ!」
「あっ、ねぇ、藍南、由梨亜、千紗! もうそろそろ時間になるよぉ! さっさと決めないと!」
「あ、ほんとだぁ! ありがと、尚鈷!」
「どういたしまして!」
……実に、賑やかで楽しそうである。
九人は、少し遠出をして買い物をしていた。
今は、女子五人組の方はアクセサリーや服などが売っているコーナーで思いっ切りはしゃいでいて、男子四人組の方は早々に付いていけなくなり、一足先にゲームセンターで遊んでいた。
「ったく、女のあの勢いには、付いて行けねぇよ……」
「全くだな」
「だけど、今は男四人で平和に遊べてるから、いいんじゃないのか?」
「ああ、同感だな。だけど、あいつらが合流してきたら、絶対こっちは付き合わせられるぞ」
その時、睦月の携帯端末が鳴った。
掛けて来た相手は千紗のようだ。
そして二十秒ほど話すと、睦月は難しそうな、変な顔をしてこちらを見た。
「あと十分ぐらいしたら、五人ともこっちに来るみたいだぞ」
「ゲッ……」
「んじゃ、今の内に休んどくか」
「賛成だな」
「俺もだ」
四人の予想通り、千紗と由梨亜と藍南と尚鈷と素香が合流すると、思いっ切りはしゃいで遊び回り、四人はヘトヘトにさせられた。
「なぁ、千紗。俺らもう、限界なんだけど……」
「お願いだから、ちょっと休ませてもらえねえか……?」
その男達の嘆願に、千紗は思いっ切り馬鹿にしたような目で見て、言った。
「あんた達って、ほんとに男? 全然体力ないじゃん」
「うっ……」
「すみません……」
「でも、女の方がこういうでは力があるっていうか……」
「男はそういうのに付いていけるようになってないっていうか……」
「あっきれたぁ。あんた達、男なのにそんな泣き言言ってていいの? 名が廃るよ」
「そうそう。あたし達は普通よ、普通。それに付いて行けてないあんた達は、ほんっと情けないわ」
「まあまあ、千紗、尚鈷、藍南。ちょっと落ち着いてよ」
「そうよ。それにいつの時代も、女の方が力ないけど、こういう時のパワフルさはいっつも女の方が勝ってるんだから。まぁ、ものにもよるけどね」
「ひっど~い! 素香、由梨亜! あたし達を見捨てる気ぃ~!」
「う~ん……でもさ、時計見てよ」
「ハッ?」
由梨亜の声で皆が時計を見ると、時刻は十一時三十分だった。
「そろそろお昼にしない? 十二時過ぎると沢山人来ちゃって席なくなっちゃうもん」
「まあ、そうだけど……」
それでも渋る藍南と尚鈷に、千紗が元気良く言った。
「それじゃあ、多数決採ろ! 今からお昼食べに行くのに賛成の人、手ぇ挙げて!」
結果、七対二で、お昼を食べに行くことになった。
そして昼食を終えると、九人はそれぞれ帰ることになった。
千紗、由梨亜、睦月、香麻の四人は、急いで本条家の屋敷に行った。
耀太から、昨日の話の続きを聞く為に。