第一章「婚約式」―3
「お……お父様?」
千紗が耀太の顔を覗き込むと、耀太は呻くように言った。
「……私はてっきり、千紗が提案したものだと……変なことを仕出かすのは、いつも千紗の方だから……」
「どっちでも大した違いはないわ。さ、お父様。さっさと話して下さい」
「ああ……私は昨日、天皇陛下に呼ばれ、皇居まで行った。このことは知っておるな?」
「はい」
「その時、陛下は決して公表できないとても重要なことを口になされた」
「それは……」
「この国……地球連邦と、花鴬国についてだ」
その言葉に、皆はっと息を呑んだ。
そして、その中でも特に由梨亜は、拳を固く握り締め、唇を噛み締め俯いていた。
何を言われるのか……ついに花鴬国が行動を起こそうとしているのが分かったからだ。
「花鴬国は、地球連邦に宇宙連盟へ加盟するようにと、イギリスのオレアン四世陛下に働き掛けて来たそうだ。だが、それは即断できないと仰った。……それもそのはずだろう。何しろ地球連邦は、昔の国の単位で分けるという考え方が一般的で、一応イギリスが首都となっているが、それでも、オレアン四世陛下には、地球連邦に対しての独裁権は全くないのだからな」
耀太はそう言うと、深い溜息をついた。
「だからおよそ一年前に、それぞれの地域の議会の上級議員を呼び寄せた大会議を行ったそうだ。だがその結果は割れに割れ、結局はまだ加盟には早いという結果に落ち着き、それを花鴬国に伝えたそうだ。そして連盟に加盟するのに好意的だった地域の代表は、花鴬国単品で説得に来るのではなく、『宇宙連盟』で来てくれれば、否定的な地域も賛成してくれるだろうと言ったそうだ。そして一年。花鴬国は、こちらが予想もしていなかったことを打ち出して来た。それは、この国の存亡に関わることだ」
そういうと、耀太はグルッと見渡した。
「皆、衝撃的な内容となるが、どうか心して聞いて欲しい」
「……分かりました。お父様」
そう答えたのは、千紗だった。
千紗は由梨亜から聞いていたので、それほど驚くといったことはなかった。
これから花鴬国が行おうとしていることには、あまり想像が及ばなかったものの。
しかし、睦月と香麻にとってはそんな簡単な問題ではない。
なにしろそんな話があったことすら、彼ら庶民はもとより貴族も知らないことだったからだ。
そして地球連邦の混乱期が治まってから今までの数百年間、地球連邦はずっと平和であった。
戦争や争い事など、様々な混乱事は既に過去の遺物であったのだ。
そして情報公開制度により、『特別な事情』のない限り情報は公表されるようになっている。
だから、その争いの火種が一年も前からあったこと、そしてそんなことが公表されていなかったということに衝撃を覚えたのだった。
そして、『地球連邦の存亡に関わる問題』と言われたことで、言葉を発せないほど打ちのめされた。
由梨亜の方はと言えば、次に耀太が何を言うのかも既に予想が付いていたので、その悲しみによって、言葉を失っていた。
「それは……『花鴬国が、地球連邦を攻めて来る』、ということだ」
重々しい耀太の言葉に、全員言葉を失った。
さすがの千紗でさえも、少しは予想していたとはいえ改めて耀太の口から断言されると、やはりショックで顔色を失っていた。
そして、耀太を除いた全員が蒼ざめていた。
千紗がふと横を見ると、由梨亜が俯いていた。
その顔は思い詰めていて、まるで自分を責めているようだ。
「ちょっと由梨亜、来て」
「……うん」
由梨亜の声には、やはり力がない。
まだ誰も無気力状態なのをいいことに、自分達の部屋まで連れて行った。
「どういうこと? 由梨亜」
千紗はきつい声で由梨亜に言った。
「どういう……って?」
「とぼけないでよ。何で花鴬国が攻めてくるの。まだ一回しか言ってきてないのに。それも話し合いと言えるかどうかも微妙みたいな話し方だったし。ねえ、由梨亜が言ってたことと違うよね? 由梨亜の異母妹の富瑠美は、由梨亜が感じてた通りの人じゃないんじゃないの?」
「違うわ! 富瑠美は……そんな人なんかじゃないっ! それに、王というのは国の統括者ではなく、象徴的な存在……まずは大臣が主導権を握ってるのよ。それを考えると戦祝大臣か政財大臣のどちらか……でも、その二人もやっぱりそんな人じゃないと思う」
「何故?」
「……貴女には教えられないわ。きっと、理解できないでしょうから……」
「だから、あたしには、話せないって言うの?」
千紗の強い口調に、由梨亜は目を逸らして小さく頷いた。
その途端、由梨亜の左頬がピシャリと鳴った。
由梨亜が顔を上げると、千紗は悲しみとも怒りとも言えるような表情を顔に浮かべていた。
「千、紗……?」
「あたしは……もう嫌。前に由梨亜があたしに隠し事した時……覚えてるよね? 由梨亜」
「忘れる訳……ないわ。あの時のことは……」
由梨亜は、千紗から目を逸らしながら言った。
「だったら、覚えてるよね。あたしは別に、由梨亜があたしに隠したことは恨んでない。あたしも、あんな状況だったらそうするから。だけど、それが原因で口聞かなくなって……結局仲直りしたけど、すぐに由梨亜は花鴬国に行っちゃって……こっちに戻ってきてから、すっごい後悔した。何でさっさと仲直りしなかったんだろって。最初っから、無理にでも訊き出しておけば良かったって。……人に知られたくない傷は、みんな持ってると思う。あたしはそんなこと話して欲しくないし、無理に訊こうとも思わない。けど、そうじゃないのは隠して欲しくないの。由梨亜が今あたしに言えないって言ったのがそういうものだったら、訊こうとは思わない。だけど……そうじゃないのなら、もう隠さないで……お願い、由梨亜」
「千紗……」
由梨亜は、少し考え込むと、驚くほど真剣な眼差しで言った。
「私が今から言うこと、笑わない? 疑ったりしない? 私が言わないのは、千紗が信じてくれるかどうか自信がないから。千紗にとっては嘘にしか感じられないかも知れないけど、私にとっては、それが真実。それを疑われたら、何も話せなくなるわ。……勿論、私は人間だから嘘をつくし、誤魔化しもする。冗談も言う。だけど、そうじゃないのに、そういうことにとられたら……私は、千紗を信じることが難しくなるわ。……ねえ、千紗。誓える? 今から言うことを、最初は信じられなくて、呆然としてもいい。だけど、絶対に信じるって」
由梨亜の問いに、千紗は即答した。
「誓うよ。絶対に。さすがに全部信じるのは、あたしは無理。そんな人もいるかも知れないけど、あたしはそこまで真っ白じゃないからね。だけど、もし由梨亜が最初にそう言ってくれるなら……あたしは、なるべく信じる――ううん、絶対に、由梨亜が言うこと、信じる。だから由梨亜も、悪用しないでね。そしたら絶対、由梨亜のこと信じらんなくなるから」
「ええ。分かったわ。あの……ね、馬鹿にしないで聞いて欲しいんだけど……まず、戦祝大臣の方からね。あの人は、富実樹と血の繋がりがあるの。今の戦祝大臣は、母方の伯父様なのよ。だから、裏切る可能性が、とっても低い。そして政財大臣の方なんだけど……あのね、彼は、富実樹と何の繋がりもないし、逆に先代の政財大臣は、富実樹のことをほとんど信用してなかったわ。だけど、今の政財大臣は絶対に裏切らないって、言い切れる。あのね……ごめん、千紗。こんなこと言うと、変に思うと思うけど……今の花鴬国の王様は誰か、分かるよね?」
「そりゃぁ勿論。花雲恭富瑠美、でしょ? 富実樹の異母妹。王女時代は鴬大臣。そして第二王女。花雲恭峯慶と花雲恭深沙祇の娘。花雲恭峯慶の第二子で、妃の娘」
「ええ。その通りよ。その前の王は?」
「花雲恭富実樹。第一王女。花雲恭峯慶と花雲恭由梨亜の娘。花雲恭峯慶の第一子で、妾の娘」
「その前の王は?」
「花雲恭峯慶。第一王子。花雲恭籐聯と花雲恭沙羅狭の息子。花雲恭籐聯の第一子で、后の息子」
「その前は?」
「花雲恭籐聯。えっと、第一王子で……花雲恭、斑都? と、花雲恭癒璃亜の、第一子」
千紗は、内心いつまで続くのだろうと思いながら答えた。
「その前は?」
「……えっと、その前は花雲恭癒璃亜。由梨亜とか由梨亜妾の名前と同じ読みをするけど、違う字を書く女王様で、その統治していた時代から、既に賢帝と呼ばれていた名君……」
「ええ。詳しく言うと、花雲恭癒璃亜は第一王女で、王女時代は第二王位継承者だったが、異母兄が病気で亡くなった為、すぐ下の異母弟である花雲恭斑都と結婚し、王位を継ぐ。花雲恭襖祥と花雲恭早莉阿の娘。花雲恭襖祥の第二子で、最女の娘。今でも賢帝、名君の名を欲しい儘にし、おまけに当時からも名高かった女王。そして魔族の力を全て得ていた、前代未聞の人」
「でも、それが何の関係があるの? あたしには、全然……」
由梨亜は軽く目を瞑ると、千紗を見詰めて言った。
「その癒璃亜女王……富実樹の曾祖母が、今冥界にいるのではなく、この現世にいると言ったら? もう、何十年も前に死んだ女王が。そして、その人が私に花鴬国の情報を渡しているって言ったら?」
千紗は、後半の台詞が耳に入らなかったかのように呆然と呟いた。
「……えっ? つ、つまり……幽霊って、やつ?」
「まあ、幽霊って言うか……何て言うか……まあ、視た方が早いわね」
「み、……視えるの?!」
「ええ。ただ……明日の夜を待って頂戴。私には、そこまでの力がないから……」
「由梨、亜……?」
千紗は全く訳が分からずに呆然としていたが、そこに睦月と香麻が入って来た。
「お前ら、さっさと部屋出てくなよ。まだ話は終わってなかったんだぞ」
「香麻……」
いつもよりぶっきらぼうに言った香麻を、睦月がたしなめた。
「少し遠慮しろよ。千紗の心臓にはぶっとい鉄パイプが生えてるから心配ないけどな、由梨亜のことを考えろよ。あんな状態なの、ほっとける訳ないだろうが」
「睦月…………」
千紗の地を這うような低い声に、睦月は何とも場違いに朗らかで明るい声で返事をした。
「何だぁ? 千紗」
「ほんっきであたしを怒らせたいのね、荘傲睦月。喜んで乗って差し上げるわ。真剣勝負よ」
「なっ……!」
睦月が慌てて逃げようとしたが、香麻によって扉が塞がれてしまった。
「お、おい、香麻っ!」
「自業自得だ、睦月。諦めてお縄に付け」
「ちょっ……それ意味違うって! 正しい言葉使えよっ! っていうかそこ退け、退けっ!」
「もう遅いわよ、睦月。心臓に毛が生えてるっていうだけでも腹立たしく思うのに……それをよりにもよって鉄パイプだなんて……。ねぇ、睦月。こ~れ~は~。殴られても仕方ないって、思わないかな? あたしだったら、そう思うんだけどなぁ? それにその台詞は、仮にも婚約者に対する適切な言葉って言えるのかどうか、よく分からないんだけど? さぁ、睦月。覚悟は、決めたよ、ねぇ?」
千紗の優しい、けれど恐ろしい声に、睦月は生唾を飲み込んだ。
その後起こった出来事は……言うまでもない。
しかし、そのあまりの酷さに、それを見た召し使い達は極一部の胆力のある者を除き皆卒倒し、生き残った召し使い達はその世話に明け暮れ、主人夫婦もあまりのことに倒れてしまったという。
この日の婚約パーティーに参加した人達はあまりに大人数だった為、誰もこの屋敷に泊まらず、そして誰も残っていなかったことが、唯一幸いだったと言えるであろう……。