第一章「婚約式」―2
「あ~……疲れたぁ」
「千紗、情けないわよ。たかがあれだけの長さの式とパーティーで、ばてるなんて」
「パーティーの長さはいいんだよ、長さは……ハァ」
千紗が情けない溜息をつきまくる理由は簡単である。
千紗は毎年最低でも六回はパーティーに出ていて、今更それで疲れるということはない。
そして、親戚達も今まで婚約者候補だった三人から結婚相手を選ぶものとしていて、特に相手の身分にも文句がなかったので、パーティーでも微妙な厭味や軽い妬みとしか取れないような言葉しか口にしてこなかった。
その中以外から選ぶということは、その人達の考え付かないことだったのだ。
睦月と香麻を耀太が認めたということもあり、今更
「認める訳にはいきませんっ! 即刻別れなさいっ!」
と言う訳にもいかず……というので、もうパーティーでは厭味が物凄かったのだ。
例えば、このようなことがあった。
「まあまあ、千紗さんがあんなに男っぽい人とご婚約するとは思いませんでしたねぇ」
「あら、男っぽいというより……まあ、あれですわね? つまり、野生的、というか?」
「ええ。それに千紗さん、ちょっとだけ、思慮不足ではありません?」
「お家を継がれる方ですのにねぇ」
「長女という自覚が、跡取り娘だという自覚はありますか?」
「せめてねぇ……どちらかだけで、良かったんだけど」
「まあ、いわゆる――ではありませんか?」
彼女は、声を出さずに唇で『我儘』と言った。
「まあ、言い得て妙、ですわね」
「それにしても……あの由梨亜さんが家出したのにも驚きましたね」
「ええ。行方を完璧に眩ましてこの本条家にも足跡が掴めなかっただなんて、凄いですねぇ」
「戻ってきたのは良かったですけど……」
「でも、あれでしょう? 他星にまで行って、おまけに働いてただなんて」
「しかも……実の父親を騙して引っ掛けて、婚約者候補達を退けたって」
「まあぁ……どこまでも、貴女達姉妹は、貴族とはちょっと違うようですねぇ」
とまあ、婚約式に言うべきことではない厭味を次々に連発したのだ。
しかも、その言い相手は全部千紗であった。
(由梨亜……睦月……香麻……誰でもいいから、助けて……)
と思いながら、適当な相槌を打ちそのパーティーを過ごしていたのだった。
式自体は一時頃に終わり、その後から七時までパーティーだったのだが、その内の半分以上を厭味で潰されてしまい、由梨亜と話す時間が全くなかった。
おまけに厭味を言われていた時間帯はちょうどお昼とかぶってもいたので、正直食べた気はしなかったし、食べる量もいつもと比べたら驚異的に少なかった。
もし由梨亜か睦月か香麻がいたら直ぐにその場から連れて行ってくれただろうが、由梨亜は耀太や瑠璃と共に、あまり親しいとは言えないような客の接待に当たっていたし、睦月と香麻は貴族との交流が全くなかったので、本条家に親しい人達の接待に当たっていた。
だから、千紗を救うのは到底無理な話だったのだ。
そしてパーティーが終わり、着替え終わった千紗は心置きなく伸びていたのだった。
「これからもあんな調子でパーティーやるんだったら逃げよっかな……それにしてもさ、由梨亜。何であんなきっついドレス着て平気でいられんの? しかもあんな長時間。あたし、あんなに長くドレス着たことないよ」
「だって花鴬国では、王族とか貴族だったら、いっつもあんな感じよ? 下手したら、あれよりももっと豪華だったかも」
「へ~。つまりは、慣れ?」
「ええ。そんな感じよ」
「凄いなぁ……あたしなんて、ドレスはこういうパーティー以外着たくないもん」
千紗はそう言うと、ぱっと立ち上がった。
「そう言えばさ、何かお父様に呼ばれてなかったっけ?」
「あっ、そういえばそうだね。じゃあ、行こっか」
と、二人が部屋を出ようとした瞬間、扉が叩かれた。
「……? どうぞ」
すると、そこには睦月と香麻がいた。
「おお、そっちももう着替え終わってたか。早いな」
「だって、あ~んなきっついの着てらんないよ。いいよねぇ、男子は。そう思わない? 睦月」
「いやあ、分かんないや」
「……そっか」
「そういえば、どうして二人ともこっちに来たの?」
「ああ、二人を誘ってこうって、睦月がさ。俺はどっちでも良かったんだけどねぇ~」
「ばっ……! お前も賛成したじゃないか!」
「だけど提案したのはそっちだよ」
ここでもまた言い争いが始まろうとしていたので、千紗が慌ててストップを掛けた。
「ここで言い争わないでっ。さっさとお父様のとこ行かなきゃなんないから出て!」
千紗はそう二人を急き立てて部屋を出た。
すると、由梨亜が何かを思い付いたかのように手を叩いた。
「あっ、そうだ」
「何? 由梨亜」
「ねえ、三人とも。競走しない?」
「えっ?」
「はっ?」
「はいっ?」
三人は、固まってしまった。
「だ~か~ら、競走よ、競走。誰がお父様の所まで速く行けるかを競うのっ!」
「いいねぇ、面白そうっ! さっすが由梨亜っ!」
「ああ、俺も賛成だ。楽しそうだしな」
「ありがと、千紗、睦月」
三人がそう喜んでいる中で、香麻だけが少し慌てている様子だった。
「あ、あの……ちょっとま――」
精一杯、というような、喉から絞り出した声で香麻が言ったが、誰も気付かなかった。
いや、故意に無視した。
「じゃあさ、罰ゲームとかもつけようよ! そっちの方が断然面白いよっ!」
「いいわねぇ。じゃあ、二位の人は一位の人の言うことを聞いて、三位の人は二位の人の言うことを聞いて、四位の人は三位の人の言うことを聞くのは? 言うことを聞くのは一回限定で」
「面白そうっ! でもさ、それじゃあ一位の人以外はみんな同じじゃないのかなぁ」
「う~ん……そう言われればそうよねぇ……」
千紗と由梨亜と睦月が真剣に考え込んでいると、香麻がまたもや言った。
「あっ……あのさっ、俺、これやるの――」
「ちょっと黙れよ、香麻。なぁ、お前だけ仲間外れってのは……承知しねぇぞ?」
睦月が小声で言い、香麻は口を噤む羽目になったが千紗と由梨亜は何も言わない。
婚約者にさえ無視されるとは、何とも可哀想な香麻であった。
「あっ、そうだ。こんなのはどうだ?」
と、不意に睦月が言った。
「何? 睦月」
「由梨亜が言ったのに付け加えるみたいな感じなんだけど、二位の奴は一位の奴の言うことを聞く、三位の奴は一位と二位の奴の言うことを聞く、四位の奴は一位と二位と三位の奴の言うことを聞くってのは? 勿論、一回だけ。そうすれば、下の順位になるほどリスクはでかくなるぞ」
「うっわ、睦月すごいっ! 頭いいねぇ」
「まあな」
睦月は、少し自慢げに胸を反らした。
「それじゃあ、これでいい人は手を上げてっ!」
と由梨亜が言うと、香麻を除く三人が手を上げた。
「よっし、決まりね! それじゃあ、全員一列に並んで! ……行くよ。スタート!」
千紗の元気な声が響き、全員が一度に走り出した……かのように見えた。
事実、千紗と由梨亜と睦月はほとんど横に並んでいる。
だが、香麻はそれよりも三歩ほど遅れていた。
どうやら、香麻はこの三人より足が遅いようだ。
けれど、だからと言って香麻が遅いと言う訳ではない。
香麻はこの年代の百メートルの記録の平均より、一秒速いのだ。
だが、この三人はその標準よりも二、三秒速い。
結果、香麻が遅く見えるのだった。
ダダダダダダダダ、という、凄まじい音がした。
「んっ……? 何事だ?」
耀太は、思わず目を見開いた。
その音は、しばらく経ってもやまない。
「むっ……?」
さすがに、耀太は狼狽えてきた。
「何が起こっている? ……おい、沙羅? いるか? 零斗? ……誰か? 誰か、いないのか?」
耀太が狼狽えて問う言葉に誰も答えなかったが、そのダダダダという音は更に大きくなり、しかもこちらに近づいてきているようだ。
「一体……」
耀太が立ち上がり扉を凝視していると、いきなりガッと開いた。
そのことに、耀太は目を丸くした。
家の扉は基本的に自動で開くが、万が一の為に常日頃から手動でも開くようになっている。
……しかも、今の動きは紛れもなく手動で開けられたものだった。
あまりにも勢い良く扉が開けられたものだから、扉の開く限界まで開き、壁にゴン、という音を立ててぶつかり跳ね返った。
そのせいで壁には小さなへこみができ、二人の人物が部屋に駆け込んだ後、三番目に入ろうとしていた人物に扉が激突した。
「フグッ」
奇妙な音と共に床に沈没したのは、睦月であった。
「よっしゃぁ! ち、千紗に、勝ったぁ~!!」
「由……由梨、亜……は、速い、よぉ……チェッ、あたし……二位、か……ま、前は……あたしの方、速かったのに……」
「ふ~んだ。たまには私が勝ってもいいでしょ?」
「お、俺を……無視しないでくれ……っ!」
悲痛な悲鳴を上げた睦月は、どうやらぶつけたらしい額を押さえ、座って呻いていた。
「全くもう、大丈夫? 睦月」
由梨亜が呆れ返ったように言うと、睦月が怨めしそうに睨んで来た。
「……これが大丈夫に見えるか……っ!」
「見えない」
身も蓋もなくズバリと言い切ったのは千紗である。
「千紗……ちょっとは遠慮しようよ」
「だって、由梨亜が勢い良くドアを開けたのが原因でしょ? あたしには何の罪もないよ」
「千紗……ちょっとは気にして、くれ……」
その時、睦月は半分ほど開いた扉の前に座り込んでいた。
それが、更なる災難を招くとも思わずに。
コンコン、とノックの音がした。
「失礼致しま……すっ?!」
どうやらお茶の用意を持ってきた、耀太付きの召し使い、沙羅が開けた扉が睦月にぶつかった。
しかも、頭に直撃した。
「ちょっ……睦月、大丈夫なの? そんなにぶつけて」
「……痛い……ウウッ」
「す、すみませんっ! 睦月さん」
沙羅は慌てて中に入ると扉を軽く押し戻し、無意識にだろうが、またもや少し開いた状態にすると、睦月の前にしゃがみ込んだ。
しかし、悪いことは重なると言うべきか、二度あることは三度あるというべきか――またもや扉が、由梨亜が最初に開けたのに優るとも劣らない素晴らしい勢いで開き――睦月の背中に扉が直撃して睦月が倒れ、その前にいた沙羅も引っ繰り返り、更に沙羅にぶつかられた千紗が後ろによろめいて、それを踏みとどまろうとして横に動いた結果由梨亜にぶつかり、その由梨亜は綺麗に真後ろに倒れ、そこには耀太がいて――その耀太はテーブルの角に体を打ち付け、ソファーに倒れ込み、そこで視線を扉に戻すと、扉は何事もなかったかのように限界まで開き、更に睦月の上に香麻が倒れ込んでいた。
全員、苦痛と疲労で一言も発していない。
その中でも気の毒なのが耀太で、変な所を打ち付けたらしく顔を苦痛で歪ませている。
そして、最初に言葉を発したのは睦月だった。
「お、前、ら、な……俺を……どれだけ、痛めつけてると、思ってんだよ……!」
由梨亜、沙羅、香麻への非難になったことは、言うまでもない。
「いたたっ……でも、睦月、全員何かしらされたってのは、一緒だよ。あたしと由梨亜と沙羅は倒れるだけで済んだけどさ……香麻は疲れて倒れてるし、睦月は見ての通りだし、お父様なんか……変なとこぶつけてるし……」
その千紗の言葉に全員が見てみると、耀太はフラフラしながらも何とか立ち上がり、息を大きく吸い込んだ。
「ゲッ」
「ウッ」
千紗と由梨亜がそう奇妙な音を残し逃げ出そうとしたが、耀太はそれを許さなかった。
「……私は、確かに来いと言った。だが……しかしっ。走って来いとは一言も言ってない! 何故走って来るっ! そして、何故ぶつかりにぶつかりぶつかりまくって全員将棋倒しとなるのだっ! これから大事な話をしようとする時に、そんなにふざけたいか~!!」
「別に、ふざけてた訳じゃ……」
「何だと? 千紗。では、訊く。何故ここまで走って来た?」
「……競走」
長い、沈黙が降りた。
「…………はっ?」
耀太が搾り出すように声を出すと、由梨亜は唇を尖らせて言った。
「だから、競走よ、お父様。私達は罰ゲームありの競争をしてきたの。それで私は一位だから何もなしで、千紗は二位だから私の言うことを聞いて、睦月は三位だから私と千紗の言うことを聞いて、香麻は四位だから私と千紗と睦月の言うことを聞くの。そういうルールで競走したのよ。で、そうしたらこうなった訳」
「お、お前ら……二度と、この屋敷で走るなぁ~!!」
その耀太の怒号に、千紗と由梨亜は平然と言い返した。
「無理よ、そんなの」
「そうそう。絶対に無理」
「何だとぅ?」
「だって、約束に遅れそうな時とかどうしても急がなきゃいけないって時、どうしても走るでしょ? だからね、あたし達に走るなってのが無理なのよ」
「だが……無意味に走るなぁ!」
「だ、か、ら! そんなの約束できないよ! それよりもお父様、何か話すことあったんじゃない?」
「それを邪魔したのは……お前達じゃないかぁ! さっさと私に話させろ!!」
「はいはい。ってことだから沙羅、ちょっとあっち行っててもらっていい?」
「は……はい、由梨亜お嬢様」
沙羅はそう言うと、よろよろとお茶を机に並べて出て行った。
「ふぅ……さ、睦月、香麻、さっさと起きて」
千紗はそう言うと、二人を引き上げた。
「……ったく、重いねぇ」
「……ったりめえだろ……チェッ、まだ、頭がフラフラしてやがる……」
「全くもう、情けないんだからぁ。さ、立って立って!」
「ほらほら、さっさと座る!」
由梨亜がそう急き立て、ようやく全員ソファーに座った。
「……さて、時間がないからな、さっさと本題に入るぞ」
「時間がない?」
「お前ら……今何時だと思っている? 八時だぞ、八時。近所迷惑だとは思わんのか。一応防音はされてはいるが、お前達のその大声では……」
「……すみません」
「別に香麻は謝らなくてもいいんじゃない? どうせ提案したのは由梨亜だし、それに賛成したのはあたしと睦月だし」
「……そうなのかっ! 千紗」
「うん……そうだけど?」
「なっ……」
耀太は、頭を抱えてソファーに沈み込んだ。