第一章「婚約式」―1
「由梨亜~!」
バン! という音と共に、千紗が部屋の中に走り込んで来た。
「ちょっと千紗っ! そんなドレス着てまで走らないのっ! いつもの服でなら走り回っても何も問題ないけど、ドレスで走られたら破けちゃうわよ。今日は婚約式だっていうのに」
由梨亜が溜息をついた先には、走って来たというのが丸分かりの様子の千紗がいた。
「え~。でも、何でドレスって弱いの?」
「天然繊維を使ってるからでしょうがっ! 化学繊維は丈夫だけどこれは弱いんだからねっ! 千紗と違って!」
すると、よろよろとしたノックと共に、扉が開いた。
「ち、千紗、様……! は、速いですよぅ。つ、疲れましたぁ」
千紗付きの召し使い、苓華が、ぜいぜいと喘ぎながら言った。
「それは苓華が遅いのよ。あたしは普通だから」
「千紗と苓華を比べたら可哀想よ。何てったって、苓華は千紗と違って生粋のお嬢様だもの」
「由梨亜、一応、あたしもお嬢様なんだけど。んでもって、由梨亜の双子の姉ですが」
「ですが、千紗様はあまり姉といった雰囲気はありませんねえ。逆に由梨亜様の方が姉らしいです。この際、由梨亜様が跡取りになってはいかがです?」
と、由梨亜付きの召し使い、鈴南が言った。
「何? 鈴南。あんたあたしに喧嘩売ってんの?」
「とんでもありません。第一、私が千紗様に喧嘩を売っても勝てる訳ないです」
「まあ、そうだけどさ……」
「とにかく千紗! その格好で暴れないこと! いいわね?」
「は~い……」
千紗はしょんぼりと項垂れた。
二人は、この冬休みが明けたらレイメーア国立大学の一年生になる。
そこは国立大学だが、将来社長や総帥、またそれに近い職に就くであろう人の為の経営学部がある。
「お願いだから、せめて経営学部に入ってくれっ!」
という必死の耀太の嘆願で、二人はレイメーア大学の経営学部に入学したのだった。
そして、二人は今日一月三日、婚約式を執り行おうとしている。
勿論千紗の相手は荘傲睦月だし、由梨亜の相手は藤咲香麻である。
その時、扉が開いた。
「二人とも、そんなに騒ぐなよ。外にいる俺らにも丸聞こえだぞ」
「あっ、睦月っ!」
「あっ、香麻っ!」
「やあ、二人とも」
「ってか、そんなにあたし騒いでないよ、睦月」
千紗は唇を尖らせて言ったが、睦月は首を横に振った。
「いいや、充分聞こえてたぞ。なっ、香麻」
「ああ、睦月。由梨亜は、そんなに聞こえてなかったけどな、俺にとっては」
「香麻……」
「ちょっとそこ! 二人だけの世界に行かないっ! さっさと現実に立ち戻る!」
「チェッ。折角いい雰囲気になったのに……」
「いい雰囲気って……由梨亜」
すると、いきなり扉が開いた。
「おやおや、もうみんな揃ってしまっていたの?」
「お母様っ!」
と、千紗が言った。
「ゴホン。私の存在も、忘れてもらっては困るな」
「あ、お父様もいたんだ」
その素っ気ない由梨亜の言葉に、耀太は脱力しかけた。
「いたんだ……いたんだって……」
「まあまあ貴方。いいじゃないですか。私の方が先に入ったんですから」
「まあ、そうだが……」
「でもお父様、一体いつ東京から戻って来たんですか?」
そう、耀太と瑠璃は、昨日天皇に呼ばれて、昼に出て行ったのだった。
勿論そう時間は掛からず、皇居と屋敷は一時間もしないで往復できる距離である。
だが、今の時間は朝の十時。
二人が起きたのは七時だが、それから今までで二人が帰ってきた様子はなかった。
しかし、耀太と瑠璃は礼装である。
一体、いつ着替えたのであろうか。
「ああ、家に着いたのはつい五分前だよ」
「はあっ?!」
「どういうこと?」
「東京を出る時に着替えて置いたんだよ。天皇陛下も我らの事情を理解して頂けたのでね。それで他の方よりも早く出られてのだよ」
「でもね、お父様」
「何だい? 千紗」
「あたし達の婚約式、十二時からでしょっ! そこまでしなくてもいいじゃない!」
「ああ、そうだが、婚約式の前にできるだけ長く娘に会って置きたい父の気持ち、分かるだろう?」
「ううん」
「全然分からないわ」
と、身も蓋もない千紗と由梨亜の言葉に、睦月と香麻が反論した。
「いいや、俺は分かるぞ」
「俺もだ」
「何? 睦月、香麻。あたし達を見捨てる気?」
「お父様についちゃうの?」
千紗と由梨亜の非難に、二人は苦笑し顔を見合わせた。
「千紗、由梨亜、こういうのは、だな」
「男でないと分からないもんなんだよな」
「え~っ。でも、そういうので男女を分けるのって可笑しいよ。ねぇ? 由梨亜」
「そうよ。第一、私達に対する感想ってものはないの?」
と、まあ、ドレスを着た少女が言いそうな台詞を言った途端、
「「「「「「………………………………」」」」」」
全員、沈黙した。
「な、何でお父様もお母様も香麻も睦月も鈴南も苓華も黙るの!」
「あたし達、そんなに変かなぁ」
千紗は自分の着ているドレスを見下ろすと、溜息をついた。
ちなみに、千紗は濃い藤紫という色のイヴニングドレスを着ていて、由梨亜は同じデザインの、少し薄めの群青色のドレスを着ていた。
「いや……可愛いと、思うぞ?」
「ああ。特に千紗の方が可愛い」
「何言ってんだ、睦月。由梨亜のほうが可愛いぞ」
「そうですよ。絶対由梨亜様の方が可愛いです」
「何言ってんですか鈴南さん。千紗様の方が可愛いですよ」
「いいや、違うね。絶対由梨亜だ。よく言ったな、鈴南さん」
「ありがとうございます、香麻さん」
「何言ってんだよ、香麻に鈴南さんっ! 絶対に千紗の方が可愛いっ! な、苓華さん」
「はい。その通りです」
「ああっ、もうそんな言い争いやめてってばっ!」
由梨亜のその一言で、ようやく静かになった。
「もう、私達はただ感想を聞いただけなんだよ? なのにそんな言い争いしなくていいじゃんっ! 全くもう。これじゃあ落ち着けないよ」
「……ねえ、由梨亜」
「何? 千紗」
「由梨亜は緊張してないの?」
「へっ?」
由梨亜のその間が抜けたような返事に、千紗だけではなく周りの皆も溜息をついた。
「みんなが色々言ってんのは、緊張してるから。だって、あと二時間もないんだよ? 婚約式まで」
「あ~……そういえば」
「全くもう、一体何の為にあたし達がこ~んなドレス着てると思ってんのよ」
千紗は近くの椅子に座り込んでしまった。
「あっ、そうだ。忘れてたわ」
と、急に瑠璃が言った。
「えっ? 何? お母様」
「ほら、貴方」
「し、しかしだな……お前が言ってくれ」
「嫌よ。それに、貴方が言ったんじゃない。『私が言うから、安心しろ』って」
「うっ……分かった。千紗、由梨亜、睦月君、香麻君、婚約式が終わったら……そうだな、私の部屋の近くにある、私的な時に使う応接室に来てくれないか」
「ええ」
「……? うん」
「はい」
「……何でですか?」
千紗と由梨亜と香麻が比較的あっさりと頷いたのにも拘らず、睦月は訊ねた。
「それは、ここでは言えぬ。分かったな」
「……はい」
その様子を眺めていた千紗は、ふと笑った。
二年ほど前、由梨亜が地球連邦に戻ってきてからは、ずっと平和だった。
由梨亜からは、宇宙連盟加盟の働き掛けが絶対に花鴬国からあるという話は聞いていたが、今のところ、そのような話はニュースで流れていない。
まだ、大丈夫であろう。
千紗は、何故婚約式の後に耀太に呼ばれたのかは分からない。
だが、天皇から何か重要なことが言われたのだろうということは想像がつく。
(由梨亜は……何か分かるかな?)
と思い由梨亜の方を見ると、俯いていた。
(何か考えてんのかな?)
そっと由梨亜の顔を覗き込むと、千紗ははっと息を呑んだ。
由梨亜の顔は蒼白で、思い詰めているようだったからだ。
(一体、どうしたんだろ……何かあったのかな? 聞きたいけど……でも、そろそろ婚約式の方の準備に行かなくちゃなんないし……大丈夫かな? 由梨亜)
「由梨亜……ちょっと、大丈夫?」
小声で千紗が訊くと、由梨亜ははっと顔を上げた。
「大丈夫よ。ただ、二年前までいた国に関係あるんじゃないかって……心当たりが、ね」
「由梨亜……?」
千紗が眉を顰めると、由梨亜はちょっと笑って言った。
「大丈夫。本当に、大丈夫だから」
その時、耀太が言った。
「さて、そろそろ行くか。睦月君、香麻君、それでは、また」
「はい」
耀太と瑠璃は、来客の対応をする為、部屋を出て行った。
部屋には、千紗、由梨亜、睦月、香麻、苓華、鈴南が残された。
「それでは、私達も向かった方がいいですね。千紗様、由梨亜様は私に付いて来て下さい。睦月さん、香麻さんは苓華さんに付いて行って下さい」
「はい」
「ええ」
「うん」
「分かった」
六人は、それぞれ動き出した。
「じゃあまたね、睦月、香麻」
「ああ、そっちこそ」
そう言い交わすと、六人は部屋を出て行った。




