第十章「再会」―2
「お父様? 来たけど」
千紗がそう言って中に入ると、そこには既に耀太と聡、護、早宮が来ていた。
千紗は、内心ゲッと思うのを抑えられなかった。
(何でこの三人がここにいる訳?! 確か週に一度だよね? 昨日来たばっかじゃ!)
「千紗、お前が何と言おうと、この三人がお前の婚約者候補だ。期限もあと一年半。今のうちに決めておいたほうが楽だぞ」
耀太のその勝手な言い分に、千紗は頭に来たが黙っていた。
すると、益々図に乗ってまくし立てた。
「お前は何かと言うと逃げようとするからな。時間がある内に捕まえておかねばならん」
千紗は小さく溜息をつくと、耀太を真正面から見据えて言った。
「お父様。あたしはこの人達とは婚約者にならない。第一、人には結婚する人を選ぶ自由があるのよ。この三人の中から選べなんて、地球連邦の憲法に違反することになる」
「それは大丈夫だ。候補が一人だけなら問題だが、三人いるからな。違憲ではない」
いわゆるグレーゾーンの理論を胸を張って言う耀太に、千紗は怒りを堪えて、努めて冷静な口調で言った。
「だけど、あたしに他に好きな人がいるとしたら?」
「はっ?」
「千紗さん、今、何と言ったのです」
「そ……そんな暴言、見逃せませんよ?」
「虚偽偽りを言うのにも、ほどがあるというものです」
「嘘じゃないけど。あたしにはちゃ~んと好きで、付き合ってる人がいるんだから」
「ち……千紗っ! お、お前という娘は……まだ選ばないのは許す。だが、この三人以外と付き合うのは断じて許さんっ! 即刻別れろっ! さもないと、その彼に不利なことが起こるぞ!」
「不利なことって?」
「うう、つまりその……例えば、彼の親が勤めている会社を経営難にするとかだなっ」
「公務員だったら? 強大な力を持つ敵対会社だったら? 何も考えてないね。このままじゃ埒が明かないから彼呼んで来るわ。ちょっと待ってて」
と千紗は言うと、耀太にねだっても「絶対買わんっ!」と言われたので部活と両立という涙ぐましい努力の元、バイトをして溜めたお金で買った携帯端末で、ある一人の人物を呼び出した。
するとその十分後、その彼がやってきた。
「いらっしゃい。ごめんね、こんなことに巻き込んじゃって……」
「いいって。俺は千紗のことが好きだし、千紗の気の強さのことも分かってるしな」
「やっぱあんたの方が、お父様よりあたしのことをよく分かってる気がする」
と千紗は言うと、応接室に彼を連れて行った。
「お父様、聡さん、護さん、早宮さん。戻ったよ」
千紗はそう言うと、彼を中に入れた。
「じゃあ、中に入って」
「失礼します」
そして、二人が椅子に落ち着くと、耀太はこちらを睨むようにして言った。
「お前は……誰だ」
「俺は睦月と言います。荘傲睦月です」
「それで? お前は千紗と付き合っているのか」
「当たり前でしょう? でなかったら、一体何の為にここまで来たって言うんですか」
睦月と耀太の間で、密かに火花が散った。
「ああっ。ちょっと二人とも落ち着いて……ってかそこっ! お父様に味方しようとしてんだか混ざりたいんだか分かんないけどとにかく混ざんないっ! そこ、こっそり逃げないっ! そっちはサッサと退くっ! 邪魔っ!!」
と千紗に怒鳴られた、味方しようとした護と逃げ出そうとした早宮と固まって動かなかった聡は、並んで壁際に立たされた。
まるで悪戯を見つかり、罰として廊下に立たされている小学生のようだった。
そんなてんてこ舞いの中でも、睦月と耀太の舌戦は繰り広げられている。
千紗は軽く呻いて額を押さえると、部屋を出て行った。
そして玄関ホールに辿り着くと、大きな大きな溜息をついた。
「は~あ、何か疲れた……」
そして玄関を出て庭に行き、深呼吸を繰り返した。
「ほんっと、生き返る……しばらくここにいていいよね……」
「全く千紗ったら、何でそんな死んでるの? 千紗でもそんな顔するんだぁ」
「…………えっ?」
「千紗ったら、もう私のことを忘れたの? たったの四年足らずで?」
「…………まさかね。空耳だよ、空耳。昨日由梨亜のことを思い出したからそれで由梨亜の声が聴こえるんだよね。きっとそれだよ。あたしちょっと疲れてるし」
「空耳だと思うんなら、後ろ見てみたら? 千紗」
確かに人の気配を感じ、千紗は意を決して後ろを振り返った。
すると、由梨亜の姿が見えた。
「夢、じゃ……ないの?」
「勿論よ。私は還って来たの。私は花鴬国には不要な人間だってこと分かったし、千紗に逢いたかったし。だから……ね」
「で、でも……由梨亜、髪の毛が……」
「ええ、そうよ。私、髪が長かったじゃない? それで、富実樹の時もずっと髪が長かったの。だからね、ちょっと短くしてみたかったんだ」
「ちょっと短くって……短くし過ぎ……由梨亜」
千紗のその呟きに構わず、由梨亜は千紗に宣言した。
「さっ。じゃあ乗り込むわよ。千紗」
「の……乗り込むって、どこに?」
「鈍いわねえ、千紗。今この状況で言ったら、お父様の所しかないじゃないの」
由梨亜は悪戯を思いついた子供のようにニンマリと笑った。
「だから、私が言っているのはそのようなことではない!」
「ではどんなことだと? 第一本人の気持ちを無視するこのやり方、大昔ならともかく今のこの世の中でやったら時代錯誤としか言いようがないですよ。それに、恥ずかしくないんですか?」
「……何だと」
「可哀想ですねぇ、千紗みたいな気の強い娘を持って。娘の言いなりになる父親だなんて、恥ずかしくて外に出られませんねえ」
「き、貴様! 言いたいことを言わせておけば!」
「これはどうも。貴様と呼ぶということは、俺を親しい間柄の対等な者、もしくは少し目下の者、それか目上の相手として認めているということでしょう? 本来『貴様』とはそういう意味です。極端に相手を貶める意味合いは、本来含んでおりませんが?」
……さすがは、進学校に通っていることはある――のか?
睦月は頭脳をフル回転し、素晴らしい舌戦を繰り広げていた。
「~~っの、こう言えばああ言う揚げ足取りめっ!」
「何だって? 俺は単なる事実を述べただけに過ぎませんが。反論できないのはそちらの責任でしょう?」
またもや壮絶な火花が散る。
この繰り返しが、既に十分以上続いていた。
まあ、やっている本人達は時間を気にしていないからいい。
可哀想なのはこの婚約者候補達三人で……永遠とも思えるような時間を感じていた。
(も、もう……お願いですから、誰か止めて下さい……)
というのが、三人の共通した思いだった。
「だ……旦那様っ! 大変ですっ!」
その時、召し使い達が駆け込んで来た。
「何だ? 何事だ」
と腰を浮かせた耀太に、混乱した召し使い達は必死の説明を試みるが、パニックに陥っている為、何を言っているのか分からない。
「みんな邪魔! あっち行ってて! あっ、でも鈴南、苓華、陵多、章平は残ってっ!」
と千紗が大声で指示を出すと、ようやく辺りは静まってきた。
だがそのお蔭で、皆ここにいるはずのない姿を目にすることになった。
(ま、まさか……)
(嘘……あり得ないだろ、これっ!)
(ど……どうして、どうしてあの人がここにっ?!)
その中で平然としているのは、千紗と由梨亜だけだった。
「お父様。お久しぶりです」
由梨亜のその声に、耀太は目を丸くして答えた。
「ゆ……由梨亜、か?」
「ええ。そうよ?」
「本当に……由梨亜なのか」
「見れば分かるでしょう? まさか、四年も経ってないのに忘れたんじゃないでしょうね?」
「で、でも……由梨亜の髪は、そんな短くは……」
そう、耀太が絶句したのには、由梨亜が現れたのと他に、もう一つ理由があった。
それは由梨亜の髪が、肩に付くか付かないかまでバッサリと切られてしまっていたからだ。
いわゆる、ショートカットである。
「ええ。家出した時はそうだったわ。だけど、邪魔だったから切ったのよ」
(家、出……? 由梨亜が富実樹になったのを、家出……)
記憶を探ってみると、確かにその記憶はある。
それに、自分は家出に協力していたようだ。
微妙な寒気が背筋を這ったが、不気味な感じよりも呆れや脱力感の方が勝った。
千紗は変なところで考え込んでしまったが、由梨亜と耀太の言い争い(?)は続いている。
「邪魔とは……邪魔って……何故、邪魔に……邪魔……私は……」
既に耀太の言動は支離滅裂だった。
「あら、だって長いと働きにくいでしょう?」
「は……働、く?」
「ええ。生きていく為にはお金が必要不可欠だもの。幸い、地球連邦に近いレイリア国の義務教育は四歳から十二歳だからね。全体の十分の一の人がその初等教育だけで働くから、そこに行けば働けたわよ。勿論偽名を使って、だけどね。ああ、だけどその後の中等教育から通信制とか定時制の学校があるから、勉強は続けてたわよ」
耀太は、由梨亜の言葉の後半を聞き取れなかったらしい。
前半の言葉を繰り返し呟いていた。
「……そんな……本条家の娘が……貴族の娘が……家出をしただけならともかく、生計を立てる為に働く……? それも、他星に行って……偽名まで使って……?」
「だって、偽名を使わなくちゃ、お父様達に見つかっちゃうかも知れないじゃない」
「そ、それも、そうか……って、違う! 私はそんな話をしたいんじゃないっ! ええい、忌々しいっ!」
「ところで、言いたいことがあるんだけど。いい?」
「ああ、言ってみろ」
「私は地球連邦には戻ってきたけど、ただじゃあ家には戻らないわよ」
「どういうこと? 由梨亜。今家にいるじゃん」
「いや、あの……千紗、そういう意味じゃなくて、ここでは暮らさないわよってことよ」
「ああ、なるほど。そういうことか」
千紗はすんなりと納得したが、耀太はそうはいかない。
警戒しながら言った。
「では、その条件とは何だ。言ってみろ」
「それでは遠慮なく」
と由梨亜は楽しげに言うと、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「千紗とこの荘傲睦月君が付き合うのを、認めること」
「そ、それならば、お前は家に戻るんだな?」
「ええ。勿論」
「それでは、千紗と睦月とやらが付き合うのを認める」
「ええっ! そんなあ」
とは、皆から忘れ去られていた婚約者候補達三人の中の一人、聡である。
「何か、文句でもあるのか? 私の決めたことに」
と、凄味を持たせて耀太は言った。
「い、いえ……何も」
「そうか」
さすがに、まだ年若く未熟な聡は、耀太に逆らえなかった。
「それじゃあ、絶対に認めてくれるのね? お父様」
「ああ。それに今まではお前だけが私の子供だったが、次女の由梨亜が戻って来た。由梨亜、お前はこの中の誰かを今すぐ婚約者と決めろ。お前に拒否権はない。そうだろう?」
(次女……ってことは、あたし長女なの? つまり、あたしが家を継ぐっ?!)
唖然とする千紗を尻目に、話はどんどん進んで行く。
「いいえ。そんな、とんでもない。私、家出する時に置き手紙にこう書いたわよ? 『藤咲香麻と付き合うのを認めてくれなければ、この家には二度と戻ってきません』って。だから、私が付き合うのを認めてくれなければ、もう一度家出するわ」
「なっ……! そんなこと、聞いてないぞ……!」
「でも、確かに書いたわよ。多分、まだそれ取ってあるでしょう? 出してみれば分かることだわ。それに、もしそれを認めてもらえなかったら、最初の約束を破ったということで二番目の約束は無効となり、私は千紗と睦月君を連れて家出するわ。お父様、貴方が選べる道は二つよ。私が香麻と付き合うのと千紗が睦月君と付き合うのを認めるか、それを認めず私達を家出させるのか。あっ、そうそう、次の家出場所は花鴬国にしようかしら。遠いとこだけど、確かあそこはそういう人権に対しては、すっごい厳しい国だったわよねえ?」
「うっ……うぐ……」
耀太は何も言い返せなかった。
もしこの三人を抑えようとすれば必ずコテンパンにやられてしまうだろうし、由梨亜がここまで自信たっぷりに言うからには、既に花鴬国に飛ぶ準備はできているはずだ。
「世間体を気にしてこの三人と結婚させようとしても、逆に私達がいなくなったら、もっと世間体は悪くなるわよ? 目先のことだけ考えてやるのか、後々のことまで考えてやるのか……」
由梨亜の問い掛けに、耀太は深い溜息をついた。
そんなほとんど選択権のない二者択一など、答えは決まっている。
耀太は聡、護、早宮の方を向くと、
「すまないっ!」
と大声で言い、頭を下げた。
「そ、そんな……では、我らは一体何の為に、今までここに来ていたというのですかっ? この中の誰か一人が選ばれるのはまだいい。それは三分の一の確率ですからね、諦めるとしましょう。ですが、こんな粗野な庶民と付きあわせるだなんてっ! 娘は親の言うことを聞かなければならないのですから、命令すれば済むことでしょうっ! 何故、命令しないのです?」
護が激昂して言うと、
「そ……そうですよ。我々は……父に、本条家とのよいパイプ役になるよう、命じられて、来ているんですよ? なのに、そんなことを言われても……困ります。迷惑、ですよ」
震える声で、早宮までもが抗議した。
そして、とうとう聡が地雷を踏んだ。
「ええ。それに、そんな野蛮人のどこがいいのです? そんなのより、僕の方が相応しい。貴女は野蛮人ではないのだから。半人でも獣でもない、純潔で純血のお嬢様なのですから。そんな人ではない『物』の血が貴族の家系に――それも大貴族の、百何十代と続く本条家の中に入るなど、同じ貴族として到底許せることではありませんよ、千紗さん、それに由梨亜さん」
プツッという音と共に、千紗の頭の血管が切れた。
「上っ等じゃないの眞湖聡。よくもここまであたしを切れさせてくれたわね。野蛮人? 純潔で純血? あたしが貴族なのは否定しないけど、あたしを流れている血の中にあんたの言う野蛮人の血が入っていることも否定しないわ。それにあたしは小学校の途中から高校までその野蛮人が沢山通ってる公立学校に通ってる。そのあたしが純潔? 穢れてないって? だったらそこに通ってる人や教えてる人は野蛮人でも半人でも獣でもないってことになるでしょ? だからあたしは、貴族の身分を鼻に掛けた貴族の連中が嫌いなのよ。あたしが好きになるとしたらそういうことを鼻に掛けない貴族か、貴族じゃない人達。そして、あたしは睦月が好きになった。何か文句でも?」
誰も、何も言い返せなかった。
もしも『全宇宙図太さ大会』という物があったとして、そこで一位を取るような人でないと言い返せない気迫が、その言葉には満ちていた。
そして、更にそこに追い討ちを掛けるように由梨亜がのんびりと言った。
「逆らわない方がいいわよ。そんなことしたら、千紗本気で切れちゃうから」
(今ので本気じゃなかったのか?!)
と、婚約者候補達三人は胸中で呟き――いや、喚き散らした。
それでも何も喋らない三人に対し、千紗は冷酷に言い放った。
「分かったんなら、帰って。そして、二度とここに来ないで」
その言葉に逆らえる人が、この宇宙にいるのかどうか。
三人は、すごすごと引き返す他がなかった。
そしてその三人がいなくなると、千紗は満面の笑みで由梨亜を振り返り、言った。
「お帰り……お帰りなさいっ、由梨亜っ!」
「ええ……ただいま、千紗!」