第九章「総票会」―1
総票会の開場はとても広く、また総票会のみに使われる所だった。
席は、擂り鉢を半分に割ったような階段状で、目の前にある壇上を取り囲んでいた。
席は、下から言うと学者、普通の宗教家、修道院長クラスの宗教家、王族の宗教家、官吏、地封貴族、官封貴族、王族だった。
だが、司会として前に立っている宗賽大臣と峯慶、由梨亜妾の席が空いていた。
何故宗賽大臣が司会かというと、戦祝大臣は富実樹を、政財大臣は富瑠美を擁護するので、他に空いている高位の者は彼だからだ。
「ただ今より『地球連邦の宇宙連盟加盟要求』についての総票会を開催致します。この案件について二つの御発案が御座いました。陛下の御発案である『いきなり武力行使をするのではなく、まず話し合いの場を設け言葉により説得する』と、鴬大臣殿下の御発案である『地球連邦がいつまで経っても連盟に加盟しようとしないのは、元々加盟する意思がないということであるので、武力をもって征する』に御座います。これからこの御発案を御擁護する最終論説を始めます。それでは政財大臣殿、鴬大臣殿下の御発案を御擁護致して下さい」
そう宗賽大臣が言うと、フォリュシェアは最終論説を始めた。
「承りました。鴬大臣殿下の御意見を擁護致します。殿下は地球連邦を、武力を持って征すると仰られましたが、これには理由が御座います。地球連邦が我らに発見されたことを告げられたのは、今からおよそ五百年前。当時地球連邦は百何十国にも分かれ、言語も様々な種類があり、技術も後れておりました。その当初の状態では、加盟できないのは分かります。ですが、五百年で御座います。地球連邦の技術はそれなりの力をつけて参りましたのに、連盟に加盟しようとしない。連盟に加盟した方が技術発展や貿易には有利であるのに」
政財大臣はそこで一息つき、決然と顔を上げ、強い語調で告げた。
「ということは、全宇宙共通連盟憲章に違反したことが地球連邦では行われているのではないでしょうか。それならば陛下の御発案である話し合いには応じないでしょうし、応じたとしても加盟は拒否するはずです。ということは、さすがに警告は致しますが、武力を持って征圧し地球連邦の間違いを糺した方が、地球連邦の民にとってもよいことではないのでしょうか。それらの理由により、我らは地球連邦を連盟に加盟させた方がよいと存じます。繰り返しますが、これは我らの為でもあり、地球連邦の民の為でも御座います。どうか我らの意見を御理解頂き、我らに御投票を御願い致します」
フォリュシェアがそう弁論すると、司会である宗賽大臣が
「ありがとう御座いました。それでは戦祝大臣殿、陛下の御発案を御擁護して下さい」
と言い、ノワールの番になった。
「承りました。陛下の御意見を擁護致します。陛下は話し合いの場を設け、言葉により説得すると仰られました。無論、武力で攻め入った方が、簡単に征圧でき、あっと言う間に連盟へ加盟させられることでしょう。花鴬国の民も、それがよいと、考えるかも知れませぬ。ですが、地球連邦の民は、どう思うでしょうか」
一言一言に重みを乗せたノワールの言葉に、大部分の人が、はっとした。
「大抵は、自らの国のことだけを考えることで、上手くいきます。ですが戦は違います。どんなに気を配っても、必ず死者は出ます。勝った国の方は、『名誉の戦死である』『国の為に戦った立派な英雄である』と褒め称えられます。ですが、それでもその遺族は悲しみます。自分の孫が、息子が、夫が、父が亡くなった。悲しまないはずがありません。ですが戦勝国の方は、まだ『勝った』という事実に慰められることでしょう。ですが、戦敗国はそのようなことに慰められることもなく、逆に、何故自分の孫が、息子が、夫が、父が逝ってしまったのだろう。何故、自分の知り合いだったのだろうと悲しみに身を浸すこととなります。すると、その悲しみは同じだけの強さの憎しみへと変貌します」
ノワールは小さく溜息をついて悲しそうに言うと、不意に顔を上げ、訴えるように言った。
「武力をもって征圧致しても、何度もテロに遭遇する可能性があります。表面上は取り繕っていても、一気にその溜め込んだものが爆発する惧れがあります。最終的には無理かも知れませんが、何度も加盟するよう働き掛けてからではないと、地球連邦の民からの信用が得られないでしょう。それに、周辺諸国からも、『いきなり攻めるのはどうだろうか』と言われかねませぬ。我が国の体面を保つ為にも、そして加盟後の信用を得る為にも、まずは話し合いの場を設けた方がよいと存じます。どうか、御投票宜しく御願い致します」
ノワールの言葉に、辺りはしんとなった。
政財大臣の言ったことは考えたことがあるが、戦祝大臣の言ったことは考えたこともなかった――という思いが満ち溢れ、静まり返っていた。
富実樹は、予想外の展開に、複雑な思いで見下ろしていた。
何故なら、さすがにこれくらいのことなら誰かは考えているだろう、と思っていたのだ。
しかし、皆の反応は違った。
この沈黙が、富実樹の期待と大幅にずれていたことを雄弁に物語っていた。
宗賽大臣すらも、自らの役目を忘れ、呆然としていたのだ。
さすがに一分以上も沈黙が続くと時間の無駄なので、富実樹は軽く咳払いをした。
それにまた皆ははっとなり、それから少しざわめき立った。
「え、えー、皆様、御静かに願います」
宗賽大臣がそう言うと、また辺りは静まり返った。
「ただ今より、投票の決まり事を御説明致します」
その言葉に、列席していた若い貴族、官吏、宗教家、学者と、初めての富実樹、富瑠美、杜歩埜、璃枝菜、最貴の長男で第二王子、峯慶の第五子である風絃が耳を澄ます。
「まず、どちらに投票するのかを御決め致しましたら、陛下の御意見を御支持なさるならば『花』を、鴬大臣殿下の御意見を御支持なさるならば『鴬』の字を目の前のパネルに御書き下さいませ。書き終わりましても、集計する為しばらく御待ち下さい」
宗賽大臣がそう言うと、宗賽大臣も自らに与えられている席に付き書き始めた。
しばらくすると、辺りが少しざわめき出した。
そして、その中の多くの視線が、峯慶と由梨亜妾が座るはずだった席に向けられた。
一部の人はいない理由を知っているが、他の人には体調を崩したと伝えてある為、二人がいないことに心配はしているものの、不安には思っていないようだった。
だが、知っている者は気が狂いそうになるほど心配していて、富実樹もその一人だった。
それを表に出したら気付く者もいるだろうから、知っている者は表には出せなかった。
特にそれだけではなく、富実樹や富瑠美の周りの高官達はピリピリしっぱなしだ。
だが、学者や官吏、宗教家など、下の方は特に砕けた雰囲気になっている。
の、だが……何と、その元凶のはずの、富実樹と富瑠美が……喋って、いた。
普通なら厭味の報酬でもしているのだろうと思うが、微かだが笑い声すら聞こえる。
絶対に、厭味など言うはずがない。
そんな視線に曝されている富実樹と富瑠美だが、そのことには気を配っていなかった。
そして始まってから五分後、恐るべき僅差の結果が表れた。
その数、何と五十三票差。
負けた方の陣営だった人は、その結果に顎を落としたのだった。
ドッと、拍手と歓声が富実樹の周りで上げられた。
ここは、カサミアン宮の本宮にある、大広間の一つだ。
「陛下、おめでとう御座います! 私は……この歳にして……初めて感動と言うものを知ったような気が致しますっ!」
と言ったのは、どんなことにでもすぐに感動する、『感動癖』があるノワール戦祝大臣だ。
聞いた話によると、彼は少年の頃から感動すると、すぐ死ぬだの自殺するだの殺してくれだのと言い、ことによってはその手段を持ち出して来ることがあるそうだ。
彼を収めるのは、彼の長男である、マリミアンより六つ年上のシャーウィン・リシェル・スウェールと、次男でありマリミアンより二つ年上のシャーキヌ・カナージェ・スウェール、三男であるマリミアンの異母弟のシャーリン・ミシェル・スウェールである。
戦祝大臣であるノワールには、妻が五人いる。
そのうち貴族は第一妻と第二妻で、元総下は第三妻と第四妻、元侍女は第五妻である。
ただし、その元侍女は子供ができなかった為、実質上は四人の妻である。
ちなみに官封貴族は第五妻、地封貴族は第三妻、官吏や学者は第二妻まで妻が持てる。
大抵の場合、その人数ギリギリまで持つことが多い。
おまけに、正式な妻にしなくても、愛人として王宮の元侍女を入れることがある。
由梨亜妾の兄弟で例えると、第一妻の子供がシャーウィンとシュメリアン、第二妻の子供がシャーキヌと由梨亜妾、第三妻の子供がシュリエルとアミエル、第四妻の子供がシャーリンである。
この場に集った皆は、富実樹に向かって拍手喝采をした。
それは照れ笑いでかわしながら、ノワールに声を掛けた。
「戦祝大臣殿、感激し過ぎです。わたくし達は勝ちましたが、これからが正念場ですわ」
大部分の人々が予想し得なかったことだが、僅か五十三票差で勝ったのは富実樹だった。
その結果を聞いたフォリュシェアは唖然呆然、全く使い物にならない置物になった。
しかし、一部の他の人の反応に比べれば、まだ害がないと言えるであろう。
何故なら、高位の富瑠美派の貴族達は、ほとんど失神状態だったのだ。
その中で、異彩を放ったのが富瑠美だった。
彼女は堂々と富実樹に近付き、
「おめでとう御座います、陛下。わたくしは敗れてしまいましたが、これからのことに全力を尽くしたいと愚考致します」
と言い、にっこりと微笑んだのだ。
そのことによって、まだ立てていたフォリュシェアの体は左斜め方向に向かってゆっくりと傾ぎ、ドシン、と言う音と共に姿が掻き消された。
また、富瑠美派の貴族達のほとんどが、そのことによって失神し、前代未聞のかなりの大騒動をもってこの総票会は終了した。
そして、富実樹の勝利を祝う為、と言う名目を持って、富実樹派の貴族と全ての王族、そして富瑠美派の主だった貴族がこの大広間に集められたのだった。
だが、取り敢えず揃っていたのはここまで、各自食事をしたり議論をしたりしていた。
そして、その中に富実樹と富瑠美の姿もあった。
「本当に参りましたわ、御異母姉様。わたくし達の完敗に御座います」
富瑠美がそう言ったのは、大広間から出られるようになっている露台の一つである。
そこは今、富実樹と富瑠美で貸し切り状態になっていた。
「いいえ。そう大したことはやっておりませんわ」
と、富実樹はいけしゃあしゃあと白々しくも言った。
「わたくしは、皆様が御考えになられていなかった事実を示しただけに過ぎませんわ。もし勝因があるとすれば、それだけですわね」
富実樹がそう言うと、今度は瞳に強い光を燈し、富瑠美に向き直った。
「富瑠美、わたくしに何があったとしても、この案を御進めしてもらえないでしょうか?」
「御異母姉様……?」
富瑠美の訝しげな声には答えず、富実樹はなおも迫った。
「御約束を、願えませんか? 勿論、この案を御進めしても拒否された場合、貴女方の案に移られても構いません。ですが、最初は……御願い致します」
「お、御異母姉様、少し御待ち下さいませ。勿論、貴女に何かあった場合でも、総票会で可決されたことは絶対に御座いますわ。総票会での決定を覆すことができる方法は少なく、この後に議会に掛けられて覆されるか、国民の署名活動だけに御座います。そうでない限り、喜んで守らせて頂きますとも」
富瑠美のその返答に、富実樹は肩の力を抜き、ほっとしたように呟いた。
「良かったですわ……それでは、中に戻りませんこと? もう五月とはいえ、ここは北方の土地。まだまだ夕方は寒う御座いますから」
富実樹はそう言うと、富瑠美と共に中に戻った。
(何を御考えなさっておられるのでしょう……)
富瑠美はそう思ったが、富実樹が本当に考えていることまでには、想像が及ばなかった。
それに、そのことは、峯慶と由梨亜妾以外には、分からないに違いなかった。
この祝賀会は大規模なものではなかったのに、終わったのは翌日の午前二時だった。
それも最後は、富実樹達兄姉弟妹が力を合わせて説得して終わらせたのだった。