第七章「二人の悪戯」―1
富実樹は、眠りから目が覚めた。
窓から外を見ると、もう既に暗くなっている。
時計を見ると、既に午前零時。
この時間は、明日の為に皆が眠りに付いている時間であり、すなわち夕ご飯を食べ損ね、お風呂にも入り損ねたことを意味している。
(あ~あ。お風呂は仕方ないとしても、夕ご飯くらいは食べたかったなあ……)
そのようなことを考えていると、猛烈にお腹が空いてきた。
おまけに、盛大な音を立ててグウグウと鳴り出す。
(やっぱり、こうなったら……)
「厨房に、忍び込むしかないわよ、ねぇ……」
そう一言漏らすと、完璧に行く気になってしまった。
(よし、行くか)
富実樹は、今着ていたひらひらで豪華で裾を引きずる服を脱ぎ捨て、ちょっとした悪戯心とお忍びの為に盗んだ、料理と上級侍女のお世話を行う下級侍女の女官服を着た。
久し振りの質素な服、直接脚に風を感じる膝下丈のスカートと、髪を一つに結んで垂らした髪型を楽しみながら、こっそりと部屋を抜け出した。
富実樹は最上階の二十五階にある自分の部屋を抜け出し、昇降機で一気に王族専用の厨房のある三階まで降りた。
三階で降りた後、静かに辺りを見回したが、さすが深夜のこと、誰も見当たらない。
明かりを点けると、もしかしたら起きているかも知れない人に見られる可能性があるから、そのセンサーを切ろうとしたが、最初から切られていた。
(何なのかしら? もしかしたら、誰か厨房に忍び込んでる……?)
富実樹は不安を抱きながら、こっそりと一番近い厨房の入り口まで行った。
近づいてみると、抑えてはいるが、灯りを点けているかのように細い光が洩れている。
富実樹は一気に扉を開けると、
「そこにおられるのは誰で御座いましょうか? ここは王族専用の厨房で御座います。ここに忍び込むのは、たかが侍女風情では――」
富実樹の言葉は、途中で途切れてしまった。
そこにいる人物は、王族の話し相手などをする上級侍女の女官服を身に纏っていたが……それを着ている人物は、あまりにも見知り過ぎた顔だった。
「え……」
「あ……」
「お、おね……!」
「し、静かに! ここで声を上げてしまわれたら、見つかってしまいますわっ!」
富実樹が声を押し殺して、けれども鋭く注意をした上級侍女の女官服を着ている女性は、何と富瑠美だった。
富瑠美が何とか声を上げるのを抑え終わった時、富実樹は呆れたように言った。
「全く富瑠美、貴女と言う人は……貴女はご飯普通に食べたでしょ? どうしてこんなとこにいるのよ」
富実樹の口調が王族貴族とは懸け離れたものになってしまったのは、言うまでもない。
「そ、そう仰る御異母姉様こそ……何故、御夕食に来られなかったのですか? そこまで御仕事が御忙しいとは、聞いてはおりませんけど……」
「寝ちゃったからよっ! 私はすんごく眠くって、寝ちゃったのっ! この頃あんま寝てなかったからっ! それと今は言葉遣い注意しないでっ。私はいつも心の中ではこういう風な言葉遣いで物考えてんだからっ。他の人がいないんだから今はいいでしょっ」
「え、ええ、まあ……御異母姉様がそう仰るならば……」
富瑠美が勢いに圧されて思わず言うと、富実樹がいきなり本題に入った。
「で、富瑠美は何してた訳?」
「ええっと、その、御父様と由梨亜妾に御食事を作ろうと思ったのですが……御異母姉様、助けて下さい! わたくし、一度も料理を作ったことがなくて……どうすればよいのか、全く分からないのですっ!」
富瑠美はそう言うと、富実樹にしがみ付いた。
富実樹は途惑いながらも、何とか富瑠美を落ち着かせて話し掛けた。
「ちょ、ちょっと待って。ええっと、御父様も御母様も、ご飯を食べていないの?」
「ええ、そうです。ですけど、さすがにそれでは、御体が保ちませんわ。今日は、朝からほとんど何も御口にしていないのです」
「確かに、それじゃあね……そうだ、私が作るわ。で、富瑠美はその補佐をお願い」
「ええ。ところで、何を御作りになるおつもりなのですか?」
「そうねえ……ちょっと待ってね」
そう言うと、台所を歩き回った。
「……そうね、雑炊とお握りとゼリーを作りましょう。私が雑炊とお握りを作るから、富瑠美はゼリーを作って。ちょっと待ってね」
と言うと、富実樹は厨房を駆け回り、カートに道具と材料を量って持ってきた。
「それじゃあ、この端末に調理方法全部書いてあるから。この通りにゼリー作ってね。分かった?」
「わ、分かりましたわ……多分」
「じゃあ、分からなくなったら訊いて。それじゃあ、活動開始!」
「は、はいっ!」
そして、二人はゼリーと雑炊とお握りを作り始めた。
最初は二人とも無言で作業をしていたが、富瑠美は沈黙に耐え切れずに口を開いた。
富瑠美は、深沙祇妃達が富瑠美が産まれた時にボイコットした為、峯慶の命令で、十歳までは深沙祇妃と比べて質素な由梨亜妾の元で育った。
だが、それから今までの約六年間は、派手好きな深沙祇妃の元で育った。
つまり、最初の人格・性格構成は由梨亜妾の元で、第二の人格・性格構成は深沙祇妃の元で行われたことになる。
その為、優しい性格と気性の持ち主で質素を厭わない性格でありながら、派手な物や豪華な物を見ても普通に見ている、もしくは好むということが矛盾せずに存在するようになった。
富瑠美は朝起きる時には静かな音楽と優しい侍女の声で目が覚め、食事の時にはずっと楽団の生演奏が演奏され、鴬大臣としての仕事中は高位の貴族官吏の声と侍従や侍女の声が聞こえ、また精神を集中させ、リラックスした気持ちで仕事に臨めるように音楽が鳴り、仕事がない時は侍女と喋ったりゲームをしたり、眠る時は穏やかな眠りに誘われるように音楽が鳴り、またお風呂でも音楽が鳴り、富瑠美の身の周りでは音が絶えることはほとんどない。
だから富実樹と違い、このような沈黙には長時間耐えられないのだった。
「あの、御異母姉様」
「何? 富瑠美。何か分からないことでもあった?」
「いいえ。けれど、ただ、少し気になることがあって……」
富瑠美は、今まで言えなかったことを口にした。
「貴女は、時々悲しそうな目をするでしょう? 哀しく、懐かしそうな目をして……あれは何を、誰を思い出しているのですか? わたくしはそれが気になるのです」
「ああ……あれは、ね。……千紗のことを思い出しているの」
「『千紗』? それは、誰ですの?」
「私の……たった一人だけの、何にも換えられない、とても大事な親友よ。大切な……大切な友達。そして、私の為に運命を狂わされてしまった、可哀想な人」
「まさか、その方とは……」
富瑠美が富実樹の方を振り返ると、富実樹は料理をする手を止め、遠い目をしていた。
「彼女の名前は、本条千紗。私が本条由梨亜だった時は彩音千紗だった人よ。私が本当は花雲恭富実樹で、千紗が本条千紗だということは、こちらに来るおよそ一週間前に知ったんだけど、それからは、千紗の顔がまともに見れなかったわ。申し訳なさ過ぎて……」
富実樹は、そこまで言うと作業を再開し、富瑠美にも
「早くしないと終わらないわよ」
と注意した。
富瑠美が慌てて作業に入ると、富実樹の溜息が聞こえ、話が再開した。
「でもね、千紗はそれを知っても全然怒らなかったし、取り乱しもしなかったし、それどころか信頼してくれたのよ。自分の人生が大きく変わってしまったのに。千紗は、性格が大胆っていうか……その、大雑把なんだけど、正義感の強い子で、いじめられたりもしてた。でも、千紗はそんなことは気にしなくて……私に上流階級の貴族という身分がなければ、今でもいじめは続いてたわ。とにかくそんな性格の子で、私のせいで彩音千紗になったことを知っても、『あたしは由梨亜と会えたし、悲しいことも起こったけど、楽しいこともいっぱいあったから全然気にしないよ!』って、本気で言えるような子だった。それが分かってたから、申し訳なくて……夢の中でも、地球連邦のお父様とお母様より、千紗が出てくる回数の方が多いのよ。それで、益々懐かしくなって、申し訳なくて……ごめんなさい。つまらない話だったでしょう?」
富実樹が申し訳なさそうに言うと、富瑠美は強く反発してきた。
「そんなことは御座いませんわ! 普通の方でしたら、そのように思うのは当然に御座います。御異母姉様が地球連邦の方々を懐かしく思われるのは、花鴬国側としては王としての心構えが成っていない、王として相応しくない、すぐにその御気持ちを御捨てになって下さいませ、と思いますが、強い思い入れのある所なら無理は御座いません。王といえども、人で御座いますからっ!」
富瑠美はそう言うと、鍋にふやかしていたゼラチンを勢い良く入れ、掻き混ぜ始めた。
ところがあまりにも強く掻き混ぜた為、手が鍋に触れ、軽い火傷を負ってしまった。
「…………っ!」
「どうしたの? 富瑠美」
富実樹は鍋の中に小魚を入れようとしていたが、それをやめて富瑠美の方に行った。
「お、御異母姉様、手が御鍋に触れてしまったら、熱くて痛くて……」
「あ、当たり前じゃない! ほら、よく見せて……やっぱり火傷してる」
「『火傷』……? これが、火傷なのですか? わたくし、初めてなります」
何だか嬉しそうな富瑠美の様子に、富実樹は頭を抑えて溜息をつき、さっさと水道まで連れて行って手を水で流し始めた。
「このまま、ちょっと待ってて」
と言うと、辺りを捜し始めた。
「あったわ。薬箱。富瑠美、もうそろそろいいから水を止めてこっち来て」
と言うと、ガーゼを取り出し、火傷の痕を覆った。
「とりあえずこれでいいわ。後でちゃんとやってもらいなさい。これは応急処置だから」
「ええ。ありがとう御座いますわ、御異母姉様」
そう言い、作業を再開し始めた。
そして、その間、富実樹は話をした。
地球連邦で育ってきた、今までのことを。
富実樹が学校で出会った上流階級及び富豪の傲慢さ、強引さ、身勝手さ。
それらの人達と、富実樹の違うこととか。
千紗と会ってから、富実樹の人生がどれほど変わったこととか。
それから、今までのこととか。
今現在の、宇宙連盟が提唱している自由、権利と遠く懸け離れた地球連邦のあり方。
そして……過去に行ったこと。
富瑠美は息を呑み、それらの話を聞いていた。
なんて、悲しい話なのか。
なんて、地球連邦は荒れているのか。
『全宇宙共通連盟憲章』の権利の章の自由の項の一つに、恋愛と結婚の自由がある。
それは、互いに納得していなければ、絶対に結婚はできないという決まりだ。
だが、地球連邦では王族以外でも(王族では慣習となっていることが多いので、王族はその枠から外れている)、互いの意思を無視して無理矢理結婚させるようなことが、今でも平然と行われているという。
確かに、それならば地球連邦が宇宙連盟に加盟するのを渋るだろうし、富実樹が宇宙連盟に地球連邦を加盟させるのに躍起になっているはずだ。
たとえ、それが富瑠美とやり方が違っていても。
そして、富実樹も話し合いでは解決できないかも知れない、と思っているに違いない。
何故なら、富実樹は戦祝大臣に軍備を密かに整えさせている、と言う噂があるからだ。
それは、いざとなったら武力を使うということで、それだけ、地球連邦の状態が異常だということだ。
富実樹が語り終える頃には、富実樹はお握りを握り終え、雑炊の下準備もだいたい終わり、富瑠美もゼリーを型に流し終えた物を冷蔵庫に入れていた。
時刻は、だいたい午前一時頃。
固まるのは、その一時間後ぐらいだ。
富実樹は、富瑠美の方を振り返って言った。
「後は固まるのを待つだけだから、お握り食べようと思ってるんだけど、富瑠美は?」
「ええ、わたくしも頂きますわ。やはり、慣れないことをいきなり行うと、疲れてしまうものなのですわね。御腹が空いてしまいましたわ」
富瑠美はそう言うと、富実樹の元へと歩み寄った。
富実樹は、床の上に作ったお握り六個を乗せた皿を置き、手早くお茶まで淹れた。
その手際の良さに、富瑠美は感心しながら、
「では、御異母姉様、頂きますわ」
と言って、お握りを食べ始めた。
それは、中に鮭の身をほぐした物が入っていて、塩味もちょうど良く、海苔もぱりぱりとしていて本当に美味しい物だった。
すると、富実樹は言った。
「ねえ、富瑠美。さっき私の方が話したんだから、次は富瑠美の番よ」
と言って話を促した。
そして、富瑠美は話し始めた。
物心付いた頃には、由梨亜妾の元で楽しく暮らしていたこと。
けれど、富瑠美の母が由梨亜妾ではなく深沙祇妃だという事を言い聞かされていたこと。
そして、何故由梨亜妾に育てられていたのかということ。
深沙祇妃に還されてからの生活、そして富実樹と初めて会った時のこと……。
それらを話し終える頃には、一時間近くが経っていた。
そして、冷蔵庫からゼリーの型を取り出して切り、それらを飾り付けカートに乗せた。
その時、富瑠美は不思議そうに言った。
「あの、御異母姉様。何故この王宮には厨房があり、ほとんどが手作りなのでしょう? 全て機械任せの方が、人件費削減の面から見ても宜しいのではなくて?」
「まあ、確かにそうなんだけど……でも、機械と人の手で作られた物じゃあ全然味が違うのよ。大量生産を目指すスーパーやコンビニならそれでいいけど、こだわりを持ったお店は、そりゃあ機械に任せる部分もあるけど、大抵の部分は手作りよ。勿論、普通の家もね。だってそっちの方が美味しいんだもの。わざわざお金の掛かる機械を買わなくてもいい訳だし、いざとなったら機械を買うより安いスーパーやコンビニで買えばいいのよ。そういう面でみればこれはかなり理に適ってるわよ。侍女や侍従が余ることもないし、私達は手作りの美味しいご飯が食べれるんだもの。これ以上のことはないわよ。だからね、富瑠美。貴女の悪い癖は、物事を一面からしか見ないところにあるの。物事はその裏も考えなくっちゃ」
「え、ええ……納得致しましたわ」
富瑠美が圧倒されながらも、そう言うと、今度は富実樹が質問してきた。
「でも、私にはこのカートの方が不思議よ。どんなに揺れても物が落ちないし、中身もこぼれないもの。どうも、不思議でならないのよ。ねえ、富瑠美。これって、花鴬国で開発された技術よね」
「え、ええ……。それが何か?」
「これって、どっちの力でできてるの? 科学の力? それとも、魔族の力――つまり、魔法?」
「これは、科学の力ですわ」
「そうなの?」
「ええ。これは花鴬国が発明元ですけれど、特許を取っている訳では御座いませんし、花鴬国と同じくらい技術が進んでいる国でも作られておりますわ。魔族の力を利用して作られた物は、花鴬国が特許を取り、しかも首都のシャンクランにしか、工場がありません。それが見極めるコツですわ」
「へ~」
二人は、そう会話を交わしながら、薄暗い廊下を歩いて行った。