第六章「四年後……」―1
それから、四年近くの月日が流れた。
現代に戻って来ておよそ二年半後、千紗は高校も公立校へと、両親の反対を無理矢理押し切って入学した。
そこは、大学への――特に有名大学への進学率がとても高い学校で、しかも偏差値も平均が七十近くあるというとても頭のよい学校であり、いくらお嬢様でも簡単には入学できない、実力で伸し上がって来た学校なのだ。
なので、耀太も
「公立校……進学校……う~ん……」
と唸るしかなかった。
進学校と言うことは跡取り娘が優秀であるということを証明できるが、私立ではなく公立、しかも男女共学というところが躊躇わせるのだった。
だが、結局は千紗が勝利したのである。
しかし、三人の婚約者候補の問題があった。
千紗はこの婚約者候補達と会いたくないから、高校も部活に入ろうと決めていた。
そしてどうせなら一番忙しい部活に入ろうと思い、体験入部した文化部(運動部だけは何があっても絶対に駄目だと言われたので)の中で、レベルが高く忙しそうだった吹奏楽部に入部し、ホルンを担当した。
そして、意外と千紗には才能があったらしく、中学から続けている人には及ばずとも、そうでない一年生の中では一番上手くなった。
三年生が引退した頃には、中学校から続けている人と並ぶぐらいまで上手くなった。
そして二年生になり、全地球コンクールのユーラシア大陸大会で好成績を修め、しかしながら連邦大会には出場できずに先輩達は引退して行った。
先輩が引退した後、千紗が部長となり部活を引き継いだ。
それでも耀太と瑠璃は婚約者候補を諦めず、しつこく誰が一番いいかを訊いて来た。
千紗は本条家の令嬢として相応しい身のこなし方を身に付けていったが、それと同時に由梨亜のことを少しずつ忘れていき、一年経った頃には完全に忘れた。
たまに釈然としないことや、寂しく感じることがあったが、小さなことだった為、そのことすら忘れてしまった。
富実樹は、一年間富瑠美達富実樹に好意的な弟妹達から時に厳しく、優しく、厳しく、厳しく、厳しく色々なことを教えてもらい、他の弟妹達に追い付くぐらいまでになった。
そして、富実樹が戻って来て一年後の年、峯慶は体の調子を崩してしまった。
長い間ベッドから降りられない体になってしまったのだ。
なので、峯慶は譲位して病気の治療に専念することになり、多数の反対があったものの、第一王位継承権を持っている、この国に来てまだ一年と少しの富実樹が女王として王位に即くことになった。
富実樹はただ純粋に父を心配し、王位に即いたからには、他の弟妹達と力を合わせて国を護って行こうと考えていた。
そして、富実樹が王位を継いで二年間が過ぎ、三年目が始まって半年が経った頃、この花鴬国では何かが起ころうとしていた。
そこでは、官封貴族と呼ばれている、官位を封じられている貴族、官吏、成人した王族が大会議室で討論会を開いていた。
「陛下、地球連邦は陛下が御育ちになられた地でおられることは存じておりますが、そのような些事に心を傾けるのではなく、寛大な御心を御持ちになられて下さいませ」
「だから、そういう意味ではありません。貴方方は地球連邦を、武力を持って従わせ宇宙連盟に加盟させ、宇宙連盟の長である花鴬国の言うことを聞かせようと仰いますが、わたくしはその方法が間違いだと言っているのです。武力ではなく話し合いを持って連盟に加盟させないといけません。武力を使ったら、必ず死者が出ます。それは、誰かの親であり、兄弟であり、子供であるのです。誰かが死んだら、誰かが悲しみます。そして、悲しみは恨みを呼び、そして、復讐へと発展する可能性が高くなります。そして、復讐はまた新たな悲しみと恨み、復讐を呼び、グルグルと回り続けます」
富実樹は、唇を引き結んでぐるりと辺りを見渡した。
「ですが、その原因となることを起こさなければそのようなことは起こらず、復讐自体なくなります。そして、そのようなことがあるのならば、どこかで断ち切らなくては国と国との関係が成り立ちませんわ。そして、一度亀裂が入ってしまった関係は戻りがたいものです。だから、そのようなことを、他の方法があるにも拘らず行使することはなりませんわ。絶対に。それに、宇宙連盟の存在意義は、全宇宙の平和と共存を維持すること。武力などを使ってしまえば、その理念に真っ向から相反することになりますわ。何か反論は御座いますの?」
富実樹の呼び掛けに、富瑠美派の貴族は黙り込んだ。
反論しようにも、富実樹のあまりにも上手い弁舌に、上手く反論する術が見つからないのだ。
だがそんな状況の中で、富瑠美は何と富実樹の言葉遣いを注意した。
「陛下、『だから』ではなく『ですから』と御言いになられなければなりませんわ。また、『ずっとグルグル回り続けます』も、できれば『半永久的に悲しみ、恨み、復讐と連鎖するのです』に直した方が宜しいかと。一年間の特訓が足りなかったのかしら……?」
「いいえ、充分足りておりますわ! ただ、熱心になるとつい……」
「なるほど。では、熱心になって言葉遣いをきちんとするよう常に御心掛け下さいませ。それではもう意見は出ないようなので、本日はこれでお開きということで宜しいですか?」
富瑠美が立ち上がってそう言うと、皆が頷いた。
「それでは、明日の総票会で、この議題の結果を」
総票会とは、一定年齢に達した王族、官封貴族、地封貴族、官吏、宗教家、学者が投票するものである。
富実樹がそう言い、討論会は終了となった。
富実樹は早々と書類を自分の親族の貴族に預け、大会議室を立ち去って行った。
富実樹は自らの部屋へと戻り、長椅子の上に、バフンと倒れ込んだ。
「もう、嫌になってきちゃうよ……」
「何が嫌になるのですか? 富実樹御姉様。それと、言葉遣いを直して頂かなければ」
「分かっておりますわ。ただの独り言です。それよりも些南美。どうかなさいましたの?」
富実樹を、十四歳の富実樹の妹で第五王女、峯慶の第九子である些南美が覗き込んだ。
些南美はくすくすと笑うと、富実樹に言った。
「富実樹御姉様、そのように寝転がるのはとても御行儀の悪いことで御座いますわよ。即刻やめて頂かなければ富瑠美御異母姉様の御所に参りますが、どう致しますか?」
「はいっ。起きますわっ!」
富実樹は跳ね起き、長椅子に座り直した。
「それで富実樹御姉様、今日で、あのことについては最後の御前会議でしたが、何か御座いましたの?」
「ええ。わたくしは地球連邦を宇宙連盟に加盟させるのは大賛成です。地球連邦の方々はわたくし達よりも器用ですし、科学の発展にも繋がると思いますのよ。ですが、武力でそんなことをしてしまったら、地球連邦から好意的な協力は得られにくいと思うのです。わたくしも、同じ立場でしたらそう考えると思います。ですから、できれば最初から武力を使うのではなく、まずは話し合いで加盟させた方がよいと何度も言っているのですが、富瑠美派の貴族達の反対が激しくて。総票会でどうなるかは、最後の御前会議で大体分かると御父様は以前仰っておりましたが、わたくしには全く分かりませんでしたわ。それは、他の方も同じようです」
「そうなのですか。ですが、いつの世にも、国民全員から支持される完全無欠の王なんておりませんわ。もし反対意見が出たら可笑しいというもの以外で反対意見が絶対に出ないのなら、そこは王の言うことが絶対で、王に反対することは諸悪の根源だと決め付ける国だけです。真に喜ばしいことながら、この国はそうでは御座いませんもの。反対に合うのは仕方のないことですわ」
些南美は少し苦笑気味に言った。
「それよりもわたくしは、富瑠美御異母姉様が鴬大臣に御着任なされたことに、とても驚きましたわ」
ちなみに、鴬大臣とは花鴬国の大臣の一種で、その大臣には代々王の弟妹がなる。
そして、王が退位すれば鴬大臣も政から身を引き、鴬大臣が位を退けば王も退位するという慣習がある。
つまり、花鴬国の国王と鴬大臣は、いわゆる一蓮托生の間柄なのだ。
一年も前の話を言われ、今度は富実樹が苦笑気味に言った。
「ええ。大抵の方はそう思われるでしょうね。富瑠美は、あまり物事を深く考えずに表面を見て判断することは多いのですけれど、政治力と様々な方面に通ずる知識は、賞賛に値しますわ。まだこの国に来て四年のわたくしとは、まるで比べ物になりませんもの」
「それは、わたくしも認めますけれど……」
些南美は少し唇を尖らせて言いました。
「わたくし、やはり富瑠美御異母姉様を鴬大臣に据えたのは、間違いだと思いますわ。幼い頃はわたくしと一緒に育ち、御母様のことを慕っていらっしゃるとはいえ、何しろあの深沙祇妃の娘ですから。他にも、富瑠美御異母姉様に準ずる方はいらっしゃるでしょう」
富実樹は小さな溜息をつくと苦笑し、何も知らない子供に教えるように言った。
「いいかしら? 些南美。物事は……特に政治は、こちらの信じるものだけを推し進めては成り立ちませんわ。これは、わたくしと富瑠美のことでも言えることです。わたくしが十三でこの国に戻ったことで、自らが後見する深沙祇妃の子である、富瑠美が王位に即けなくなってしまわれたのですもの。深沙祇妃の後見人達は、皆大損をしたと思われますわ」
富実樹はそう言うと、苦笑した。
「沙樹奈后は、息子がわたくしの夫となることに決まりましたし、何よりもこの国で生まれ育った王族で御座いますし、御母様とも仲が宜しい方でいらっしゃいますから、このことは深く理解しておいでです。ですが、深沙祇妃はそう簡単にはいきませんわ。元々は他国の王族でいらっしゃいますし、ことは外交問題にまでも発展する惧れが御座います。そして、その不満を解消するには、深沙祇妃の子供のいずれかにそれなりの役職を与えるのが一番ですわ。ちょうど、富瑠美は政治面でも知識面でも才能に溢れておりますから、鴬大臣に就けただけのことです。それに、富瑠美がいなくても、他の誰かが富瑠美と同じことを言い出すでしょう。つまり、結果としてあまり変わりはありませんわ」
「ですが、富実樹御姉様……」
些南美が反論しようとした時、扉が叩かれた。
「失礼致します、富実樹異母姉上」
そう言って、たった今話題にしていた沙樹奈后の長男で、第一王子であり峯慶の第三子、そして富実樹の婚約者である杜歩埜が入って来た。
「あら、杜歩埜。どうなされましたの?」
「またもや富瑠美異母姉上達を論破なされたと小耳に挟み、やって来たのですが……」
そう言って苦笑すると、
「どうやら、先客がいたようですね。さすが些南美、情報が速い」
「そんなことは御座いませんわ。わたくしは結果しか存じ上げませんでしたもの」
そう言って、二人は互いの目を見つめ合い、くすくすと笑った。
富実樹はそれを苦笑して見ていたが、長椅子から立ち上がると、
「どうやら、わたくしは御邪魔なようですわね。それでは失礼致しますわ。久しぶりに、御母様に会って参ります。どうぞ、わたくしの部屋での逢引きを御楽しみ下さいませ」
と言い、本当に部屋を出て行ってしまった。
見る人が見れば、杜歩埜と些南美は相思相愛だということがはっきりしている。
だが、現実的に見て、二人が結婚できる確立はとても低い。
この国の王家は、近親婚で成り立っている部分がある。
男王の場合、二人が嫌がらなければ――まあ、滅多に嫌がることはないのだが――后は一番高い王位継承権を持つ妹がなり、女王の場合は一番高い王位継承権を持つ弟と結婚する。
男王の場合、確実に妹の子供が王籍に残るとは限らないが、女王の場合は血が色濃く保たれる。
しかし、それは王位に即くことができたら、の話。
それを叶える為には、富実樹と富瑠美がどうにかなって王位を継ぐことができなくなり、更に阿実亜女の長女で第三王女、峯慶の第四子の璃枝菜と、沙樹奈后の長女で第四王女、峯慶の第七子の早理恵がどうにかならなければならない。
そして、それはとても可能性が低い。
また、他の臣下達はそのことに気が付いていない。
二人は、互いに視線だけで満足するしかないのだった。
だが、杜歩埜が富実樹と結婚すれば、正式に認められなくても可能性がある。
それは、『総下』と言う制度だ。
この国では、男王の場合、后、妃、妾の子供が三人、最貴、最侍、最女の子供が二人産まれれば、もうその妻達は妻としての役目は終わる。
総下とは、昔それに不満を持った王がいて、それを解消させる為に作られた制度だ。
だが、今はそのような意味合いとは違う。
今は、まず貴賎を問わず総下になることを嫌がらなかった二十一歳の娘達が年に一度集められ、王に目通りを許される。
そして、それは一生に一度の大チャンスだ。
王に目通りし、その娘達の中から王の気に入った娘を年に二人から五人ほど選ぶ。
そして、選ばれた娘達は二十四歳の誕生日を迎えるまで王の総下として過ごすのだ。
二十四歳の誕生日を迎えた後は、大半はどこかの貴族の二番目や三番目の妻になる。
つまり、女性としての箔が付き、玉の輿に乗れるということになる。
そして、王位に即いたのが女王だとしても、その夫が総下達の相手をする。
それを利用すれば、富実樹が杜歩埜と結婚した後に、些南美は総下になれるのだ。
また、王や女王の夫が気に入った総下がいたら、もしくはその子を産んだら、その総下は一生後宮にいてもよいということになる。
それまでのおよそ九年間、富実樹は些南美達の恋愛を見守るつもりだった。
たとえ自らの子供が王位に即けなくても、総下の子供は後宮の侍女や侍従となる慣例だから、血縁者の為に働かされるとしても、それでも愛する人の隣にいられるのなら満足だろうから。
自分なら、そうだ。
今でも、夢の中で目覚めたら香麻が目の前にいた、と言う夢を度々見ている。
あの日、最後に逢った香麻は、少し照れ臭そうに笑っていた――その笑顔が、夢の中で蘇る。
そして、いつもその時の自分は、中学生の由梨亜なのだ。
諦めてはいる――だが、心の何処かで諦められない自分がいる……。
そのことで、富実樹の胸は張り裂けそうに痛んだ。
そのようなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか母親の部屋の前まで来ていた。