標本掌編
ジャンルの分類がよく分からない作者です。
製作時間二時間ほど。息抜き程度に、時間も量もなるべく少なくしたかったので短め。
ちょっとグロい。R指定しなくてよさそうな程度ですけど。残酷な描写だけタグ付けときます。
標本って保存です。
「ねぇねぇ、サチ。カノポス容器って知ってる?」
「知らない」
「ヒントはエジプト」
「知らないってば」
理科準備室のメダカに餌をやりながら、早村の言葉を聞き流す。
早村は私の中学の時からの友人で、早村と私は生物部だ。メダカとトカゲとモルモットを飼育している。
「古代エジプトでミイラを作る時に内臓を入れた壺が、カノポス容器」
「内臓なんて入れてどうするのよ」
「保存するのよ。ミイラって死者を保存するものだし。カノポス容器にはエジプト神話の神様が書かれていてね。内臓を保護してくれるとされていたの」
早村はそんな話を楽しそうに語った。
早村は生きているメダカにもモルモットにもあまり興味を示さない。彼女の部での活動は主に死骸に向いている。
理科準備室を見渡す。元々は名前のとおり薬品や教材を保管したり用意する場所だったわけだが、今は生物部に一角を貸し出している。そしてこの一年で光景もいくらか変わっていた。
標本が増えたのだ。
アルコール標本が特に多く、カエルなどの死骸が液体の中に浮いている。かつては生物部で飼っていたモルモットの標本もあった。寿命で死んだ子だ。そんな瓶が戸棚一つを占領して、さらに机の上などにまで置かれている。
昆虫の乾燥標本や樹脂標本もあるが、虫が苦手な私が頼みこんで、戸棚の見えないところに隠してある。
この標本を作ったのが早村だ。彼女は生物の死骸が特に好きだった。
今も早村は、外で捕まえてきたらしいトカゲを標本にしている。早村が尻尾の青いトカゲをアルコールに入れた。
「このトカゲは標本にしないでよ」
「サチは私のことなんだと思ってるのよ。しないしない。死んだらするけど」
私が生物部で飼っているトカゲを指差して言うと、早村は笑いながら答えた。
早村は暗い性格というわけではない。性格は明るく、ジャンクフードとシューティングゲームが好きだ。そして生物の死骸も好きなのである。
「サチもなんか作れば?」
「そうねぇ」
我が生物部は建前上は「生物の飼育と観察、及び課外での生物研究」を活動内容としているはずなのだが、実際には「標本の作製と観賞、及び課外での材料採集」が主活動だ。
机の上に置かれた乾燥標本を何気なく手に取る。私が作った植物の乾燥標本、要は押し花だ。早村は植物標本は作りたがらないから、私が標本を作る時は植物が多い。
葉脈標本を作ろうと思って、理科の先生に苛性ソーダを使う許可を貰っていたのを思い出した。材料として校庭のツバキの葉も拾ってきてある。
「鳥の標本も欲しいなぁ。どっかにカラスの死骸落ちてないかな」
苛性ソーダを水に溶かしていると、早村が夢見るように呟いた。
「死んでるカラスなら、昨日公園で見たよ」
「え? どこどこ? 拾ってくる」
「近所の優しい小学生たちが埋めてたわ」
「うあー。優しすぎるわよ、その子たち」
そして早村はむー、と唸った。
「いいもん。私にはピーちゃんがいるもん」
「それピーちゃんって呼ぶのやめようよ」
早村が机の上のトンビの剥製を撫で始める。早村製ではない理科室の備品だが、早村はこの剥製を気に入っていた。羽を広げたかっこいい標本なのだが、だからこそ「ピーちゃん」な雰囲気ではない。
「そういえばこの前、サチの弟君に頼まれていたものがあるのよ」
「正志が? あの子、なに頼んだの?」
早村は時々私の家にも遊びに来る。弟の正志ともよくゲームしたりしていた。
「ちょっとしたものをね」
早村が自分のかばんに手を入れる。
私は加熱した苛性ソーダにツバキの葉を入れた。こうなるとしばらくは待つ時間である。
「はいこれ」
早村が手を突き出してくる。
なんだろうと思って覗き込むと、カブトムシの樹脂標本だった。思わず一歩足を引いた。
「私、虫苦手だっていつも言ってるでしょう?」
「カブトムシだよ?」
「それなんの理由にもならない」
「樹脂に入ってるじゃん。直に触るわけじゃないんだし」
「無理。絶対無理」
昔から虫はどうしてもダメなのだ。触るのも見るのも嫌である。
「弟君にはこれを頼まれたんだよ。カブトムシ拾ったから標本にしてほしいって」
「なんで正志があんたの標本趣味を知ってるのよ」
「えー、生物部ってなにしてるのって聞かれたから、標本作ってるって言ってさ。ミヤマクワガタの樹脂標本見せてあげたけど、それだけだよ」
正志は私とは逆に、虫が好きだった。私が交渉して、自室で飼育することと絶対に虫籠から出さないことを約束させたが、カブトムシは繁殖まで手掛けていると言っていた。
「弟君、今年の自由研究は昆虫標本にするって言ってたよ。見どころあるよね」
「私の目に入らないところでやるように強く言っておかないと……」
「樹脂標本もやりたいって言ってたし、今度材料持って遊びに行くね。自由研究するならちゃんと教えてあげたいし」
「『材料』に虫は含まれているのかしら」
荷物チェックが必要かもしれない。いや、でも虫が入っているかもしれない荷物をチェックしたくない。
「まぁとりあえず。この標本、弟君に渡してよ」
早村がカブトムシの樹脂標本を差し出してくる。
早村が伸ばした腕の長さの分だけ、私は後ろに下がった。
「逃げないでよ、サチ」
「無理。私無理」
「えー、でも」
「今度自分で渡しなさい」
「納期が今日まで」
「なんで納期なんて決めてるのよ」
「弟君が喜ぶ顔を見る権利を譲ろうと言ってるんだよ」
「要らんわそんな権利」
中々早村は引き下がらない。これは嫌がらせなのか。
「サチってばー」
「……せめて見えないようになにかに包んでよ」
折れたのは私の方だった。早村がルーズリーフで樹脂標本を包む。二重で、と私が要求すると、渋々早村はもう一枚ルーズリーフを取り出した。
それを見ながら、私はなんとなく呟いた。
「そういえば早村って、解剖標本は作らないわね」
なんとなく気になっていたことだった。
早村コレクションはどれも綺麗な死骸で、内臓が飛び出たカエルとかは置かれていない。早村はいつも、死骸をそのまま保存するだけだ。骨格標本も作らない。
「んー、切ったりバラしたりは嫌いだったり」
「真っ当な感性だけれど、早村がいうと悪いものでも食べたんじゃないかって思うわ」
早村はトンビの剥製を撫でながら、少し考え込んでいた。
「昔、猫を飼ってたのよね」
急に話題が変わった。しかしこれは意味のある話なんだろうと思った。
「私の家にもいたわ。私が生まれる前から親が飼ってた猫で、私が六歳のときに死んじゃったけど」
「私が飼ってたのは捨て猫ね。十歳のときに、私が拾ったのよ。綺麗な白猫。親も動物好きだったし、拾った時もすぐに飼っていいよって言ってもらった」
「よかったじゃない」
「今は割と後悔してるわ」
早村は首を横に振った。
「飼い始めて二ヶ月くらい、つまりまだ溺愛してた頃よね。そのとき車に轢かれたの」
「…………」
「一日いなくなってから探し始めたんだけどね。見つけた時にはぐしゃぐしゃ。血だらけで蛆とか湧いててさ。しかもどこかの子がいたずらとかもしててね。綺麗なあの子じゃなかったの」
「……嫌なら思い出さなくていいわよ」
早村の顔がちょっとつらそうに見えた。しかし早村はもう一度首を横に振った。
「私が標本好きなのはね。生きてたときの姿を残しておきたいから。保存だよね。実は私、写真も趣味なんだよ」
中学の修学旅行のとき、カメラ片手にはしゃいでいた早村を思い出す。生物部の活動で外に出た時も、カメラを持っていることがあった。
「だから解剖は嫌。死骸を切り裂くなんて嫌」
「じゃあ、嫌な話しちゃったのね。ごめんなさい」
「別にいいよ」
思ったより早村の声は明るい。
早村の表情が笑顔に戻っていた。
「なんか猫の剥製欲しくなったなぁ」
拙作をお読みいただきありがとうございました。お疲れ様です。
標本趣味って一見変に見えるかもしれませんが、作者は割と標本好きです。作ったことはないですけどね。アルコールとかホルマリン漬けはそれほどでもないのですが、樹脂標本とかかっこいい。でもサチと同じで虫は苦手。
そして女の子二人って書きやすい。