【震災に見舞われた方へ…】死神おじさんと最後の審判
これは、津波で亡くなった男性が、『あの世』で審判を受けるまでの物語です。
東関東大震災に見舞われた方々に、東関東大震災という境界を乗り越えたすべての方々に、この小説を捧げたいと思います。
「むむ……」
薄ぼんやり、戻ってくる意識。
昼寝から目覚めるように気持ちよく覚醒し、まず最初にしたことと言えばは、"ぎょっ"とする事だった。
俺は、てっきり横になって寝ていたものと思っていたのだが、どういうわけか、直立したまま寝ていたようなのだ。
で、思わずたたらを踏んでしまったのだが……
今度はその地面が、まるでマシュマロのような質感で頼りなかったものだから、無様にもバランスを崩し、両手をジタバタさせてしまった。
やれやれ、しっかりしろ、俺。
自分が何者か、ハッキリ認識しているか? ああ、しているとも。俺は俺だ。名前も住所もバッチリだ。
……それなのに、自分が自分でないような、この妙な離脱感、えも言われぬフワフワ感は、なんなんだ?
「ここは……?」
辺りは、雲の上のように見えた。なるほど、ふにゃふにゃしてるのも無理はない。
360度、ぐるりと見渡してみる。どこを見ても、あんまり変わり映えはしない景色だ。
それにしても、おかしな所だ……はるか遠くまでなーんも無いなぁ、と見通せたと思えば、今度は逆に、すぐ目の前に壁があるような錯覚に襲われ、ぎくりとしたり。
解放感と、圧迫感。どちらとも言えないヘンな距離感が、俺を包みこんでいた。
ふと、近くの人影に気付いた。
いや……それは、近くなのだろうか? 遠くにいるようにも見える。さっきからどうも、距離感がよくわからん。
なんというか、こう……ぼんやりしていて、ハッキリしないのだ。
何が、って? その男(男だと思う、たぶん)の存在感とでも言おうか……なにかがあやふやで、今にも霞んで消えてしまいそうに見えるのだ。
つい、男をまじまじと凝視していると、ふいに男は背をへ向けて歩き出し、
「あ、待って! おおい!」
思わず声をかけてみたが、男はなんの反応も示さぬまま、とぼとぼと歩き続け、ついには本当に、ぼんやりと霞んで消えてしまったのだ。
「ムダですよ」
突然、耳元で声がして、愕然と振り向く。
なんと、目と鼻の先に見知らぬおじさんが立っていて、うろたえた俺は、ぐらりと後ずさり。いつの間にやってきたのだろう? まるで、急にそこに湧いたかのようだ。
プチメタボで、頭のてっぺんが禿げかかった、安っぽいスーツの中年紳士。穏やかな、人なつこい表情を浮かべてはいるが、うだつの上がらないおっさん、というのが正直なところか。
「あ……あなたは?」
「私は死神です。いや、天使、と言ってもいいかな?」
「はぁ?」
顔も口ぶりも覇気のないこのおっさんから、よもや死神などという言葉が飛び出すとは。冗談にしてもひどすぎる。まぁ、「私は天使だ!」と強弁されるよりは、いくらかマシかもしれないが。
おっさんは両手を背中で組んで、弁護士が尋問をするときのようにあたりをうろうろしながら、ゆっくりと爽やかな声で話し始めた。
「ここはね、死んだ人間が、一時的にやってくる場所なんですよ。まぁ日本流に言えば、賽の河原、ってとこでしょうかね」
「賽の河原……」
「死後の世界の入り口ですよ。この場では、死んだ人同士は、まだお互いに意思の疎通が許されていないんです」
「死後……あっ!?」
はた、と気づいた。いや、気づいてしまった。
そうだった、俺は、死んだんだった。
知っていたはずなのに、忘れていた。どうしてそんな大事なことを忘れていたのだろう? それ自体もショックだ。
そう、自分は死んだ……その事実を冷静に再確認すると、やはり、それはそれでまたショックだった。まるで脳に直接、氷水をこぼしたかのように、俺は芯からぶるっとした。
それから、ゆっくり……おそるおそる、慎重に、俺は『死んだ記憶』を呼び起こす……
そうだ、あの時、ああして……
『それ』は、あっという間にやってきて……なんでもかんでも飲みこんでいって……
俺も、それに追いつかれて……どかっと、とても水とは思えない衝撃で……
味わったことない、妙な風味の濁流が口に入ってきたときは、もう意識を失いかけていて、最後に浮かんだ事といえば、そう、自宅に残した妻と娘……
無事でいろよ、おまえら。どうか無事で……
「……思い出されたようですね?」
ハッと我に返ると、自称・死神さんが、つぶらな瞳でこちらを眺めていた。
そうだ、思い出したとも。どうやらあれが、あの祈りが、俺の最後の記憶らしい。まぁ、生前の、という意味でだが。
「ああ……やっぱり、死んだんだ、俺は……」
ゆっくり思い出し、実際に口で唱えてみると、それは意外にしっくり、腑に落ちた。
先ほどと違い、ショックや悲しみは、もうあまり感じない。ただ、なんとも言えない、やるせない気持ちだけが、胸をいっぱいにしていた。無力感、っていうのか?
「まぁ、そんなに気を落とさないでください」
死神さんが俺の背中を、馴れ馴れしい調子でぽんぽんと叩く。
なんともトボけてるというか、無神経というか……でも、悪い気はしなかった。この人にはなんとなく、善い人だと思わせる"何か"があった。
まぁ、善人の死神というのもナンセンスではあるが。いや、それを言うなら、この貫禄の無さにツッコむべきか。この風体で死神だの天使だのが務まるなら、アフターファイブの新橋なんぞ、週末のたびに神々の戦争が勃発してしまう。
「あのー、死後の世界ってことですが……すると、俺はこれからどうなるんです?」
こんな頼りない死神(頼りないほうが好ましいのだろうが)でも、目下、唯一の情報源だ。
しばらくは、お付き合いするしかあるまい。
「ええとですね、まずは私と一緒に、『エンマさま』のところへ行ってもらいます。
ああ、閻魔って言っても、本当は違うんですよ。
生前の行いを測って、今後の処遇を決める係がいましてね。そういうの、日本の方には、エンマさまって言うほうが、一番通じるんもんで」
雲の床をよたよた歩きながら、滑稽な手ぶりまで交えて、おっさんはよく喋ってくれた。
どうも、喋れば喋るほど、笑顔が深くなるようである。で、その笑顔がまた、案外さわやかなもんだから、つられて俺のほうも、少し気分が高揚してきた。
「私もね、死神だなんて言ったけど、これも便宜上、そのほうが通じちゃうだけでしてね……実際には、ただのしがないテンジョウビトですよ」
「天井……?」思わず天を仰ぐ。
「ああいや、そっちのテンジョウじゃありません。天上です、天の上。
で、私は、死んだばかりの方を、お出迎えする係なんですよ」
死神氏は、禿げかかった頭をぽりぽりと掻いた。
「只今、順次案内をしてるんですが、なにせ日本からの方が今日は多くて……
上のほうも、てんてこ舞いですよ。申し訳ない、もうしばらく待っていただけますか?」
彼はまた、ぽりぽりと頭を掻いた。それから一度揉み手をしたかと思うと、また、ハゲをぽりぽり。
どうも気にかかる動作だが、卑屈さやイヤらしさは感じられず、ひょうきんさだけが目立った。
『死にたて』の人間を出迎えてばかりいると、こんなふうな人間(?)になってしまうのかもしれない。
この腰の低さにつられてか、なんだか俺まで恐縮してしまいそうだ。
「まぁまぁ、お気になさらず……こうして死んだのも、自業自得ですから」
これは本当だった。今さら後悔しても仕方ないが……あの、天地がひっくり返ったような揺れのあと、もっと死に物狂いで逃げていれば、助かったかもしれないのだ。
……しかしまぁ、自分の死因をこんなふうに語るのも、なんだか……いと、をかし。
「いえいえ、本当に災難なことで……お気の毒です」
そう言ってまた、ぽりぽり。さっきから頭を掻いてばかりいるな、この人は。
あのハゲは、きっと頭の掻きすぎが原因なんだろうなぁ、あーあ。
「ところで、『日本からの方が多い』と、さっき言ってましたけど……」
「ああ、はいはい?」
「あの地震、津波で、いったいどれくらい、死んだんです?」
「それは、そのぅ……まだ、はっきりとはよくわからんのですよ。
普段なら、事前に、誰それが、どうやって亡くなる、ってキッチリわかってるんですが……
今回は、津波で大勢が亡くなる、と聞かされただけでして。おかげでこちらも大わらわ、全体数の把握も出来ておりません」
今頃、日本の自治体も政府も大わらわだろうが……よもやあの世まで混乱してるとは、誰が想像できるやら。
「ええと……誰が、いつ死ぬ、とか、だいたい決められているんですか?」
興味につられ、何気なくその疑問を口にしたのだが……
よくよく考えてみれば、これって……かつて多くの人間が追求し、そして到達できなかった『人の生き死に』の、神の御心の、運命の、核心部分に当たるのでは?
そう考えると、宗教だのスピリチュアルだのに無頓着な俺でも、さすがに身震いがきた。
「いやぁ、決められている、のではなく、決められる、のですな」
で、そんな重大な話でも、このおっさんは朗らかに話してしまうらしい。
「決められる、って……いったい誰が?」
「はぁ、その、なんと申しますか……我々は『大いなる意思』などと呼んでいますが」
大いなる意思、だってよ。やっぱりオカルトじみてきたじゃないか。
まぁ、オカルトと言っても、なんせ死神を自称する存在がこの体たらくだもんなぁ……まったく、どうしろってんだ。とりあえず俺も、頭でも掻くか。ぽりぽり。
「大いなる意思、ねぇ……それはつまり、その、神様みたいなもの?」
「はぁ、たしかに、そういう言い方のほうがしっくりくるかもしれませんな。
我々はそんなふうには考えていませんが……」
なぜか死神某は、もごもごと口ごもり始めた。
いぶかしげに見やると、彼はしぶしぶ、
「すいませんね、『死にたての人間』には、こういう話はあまり奨励されておらんのですよ。
ですが、その、向こうの準備が整いませんで。
いつもなら、挨拶だけして、送り届けてハイおしまい、なんですが……
こう、間が空いちゃうと、ついつい口が滑ってしまうといいますか」
なるほど、憎めないおっさんだ。ナイショ話はしちゃいけないタイプだけど。
「神じゃない、ってんなら、一体、誰なんです? どんな存在なんです?」
「ええと、困ったなあ、弱ったなあ……」
もじもじしながら、死神氏はそうつぶやくと、
「もう、しょうがない、ここだけの話ですけどね……」
結局、つらつらと語り始めてしまった。やれやれ。
さも、『仕方がない』というふうに、しかめツラを見せようと努力はしているが、口元のニヤけは抑えられないようだ。
赤ちょうちんのサラリーマンかアンタは、もう。勘弁してくれよ、こっちまでヘラヘラしちゃうじゃないか。
「……我々の誰も、顔も名前も知らんのです。
ただ、指示だけが下りてくる。上の、上の、ずっと上から。
そういう決まりなんです。そういうシステムなんです。
誰がいるのかもわからないけど、何かが決定はされる。だから、『大いなる意思』なんです」
うーん、どっかのお役所みたいな話だな。
「ひょっとしたら、誰もいないのかもしれませんね。そう考える天上人も少なくないんですよ。
ただただ、決まりがあり、仕事があり、指示があり、それらがぐるぐる回っているだけ。
それが、私の知る、死後の世界の大部分なんです。おかしいでしょう?
あなたがた、死んだ地上人にとっては、当然ここは未知の世界でしょうけど……定住する我々にとってすら、ほとんど未知の世界なのですわ」
たしかに、おかしな話だ。何が何やら、さっぱりわからない話だ。
神は、いるのか、いないのか、それもよくわからないまま、世界が回っている。
生前はよく、「神様がいるかどうかなんて、あの世に行ってみればわかる」などと考えたりしたものだが……どうやら認識が甘かったようだ。あの世もこの世も、不思議はいっぱいらしい。
「う〜ん……それはその、『運命』っていう言い方もできますかね?」
浮かんだ単語がそれだけだったので、それをぶつけてみると、
「あるいは、そうかもしれませんな」
死神氏はうんうんとうなずいた。
「ひょっとして……あなたも、死神(仮)をやる前は、この世、というか、地上というか……そっちにいらっしゃったのでは?」
「そうですね、あるいは、そうかもしれませんな。
我々天上人が、出産によって生まれ落ちて、育ち、老い、死ぬ、という、地上のサイクルからは外れているのは確かなんですよ。
わかっているのは、我々も永遠の存在ではない、ということ。どこかからやってきて、どこかへ行く存在。
私には生前の記憶などありませんが、あるいはひょっとして、ずーっと昔、地上で葬式屋さんでもやっていたのかもしれませんな、ははは」
なんとも興味深い話である、と思ったそのとき……
ふと見渡せば、周囲に多くの『ひと』がいる事に気付いた。
さっき見かけて、そして消えていった、あの男性のような人影が、あたりにどんどん増えてきているようだ。
みな、一様に、どこか暗い、はっきりしない存在に見えたが、それらは確かに人だった。
(この人たちはみな、津波に飲まれて……?)
そう訊ねようかと思って、やめた。なんか、正解を聞きたくなかった。
どこかからやってきては、誰もが、同じ一方を目指して歩んでいた。
……いや、中にはごく一部、うずくまっている者、あさっての方向を目指す者もいるようだ。
「どんどん増えてきてますね……これからまだまだ、やってくるようですよ」死神氏はのんびりと言った。
そのとき俺は、皆から外れて、一人違う方向を目指す人影を観察していた。
その視線に気付いたのだろう、死神氏は、俺が聞くよりも早く、解説を始めてくれた。
「あの人は……かわいそうに、あのままでは、ここをいつまでも彷徨うことになるでしょうな。
心に芯のあるもの、信仰の篤いものは、誰に案内されずとも、自然と自分の行き先がわかるものなのですが。
しかし、誰もがそうとは限らない……そういう人に、我々が付き添ってやるのですよ。
でも、彼には付き添い人がいませんね。よっぽどドタバタしてるのか……そうでなければ、それもまた、『大いなる意思』によるものなのかもしれませんな」
それはつまり、成仏できない、ということだろうか。
……はて、このおっさん、俺に付き添っている、ということは……
俺の心が弱くて、さまよっちゃうのを防ぐためなのか? 確かに、俺は宗教とは無縁だったが。
「……あのう、俺、そんなに心が弱かったですかね?」
それとなく訊ねてみると、死神氏は大仰に首を振り、それから満面の笑みでこう答えた。
「いえいえ、申し遅れましたが、あなたは特別なケースなんですよ。
あなたは通常の審判とは違う、特別な審判を受けてもらうんです」
「はぁっ?」
特別な審判!?
そう聞いてつい、『軍事法廷』や『秘密法廷』をイメージしてしまった。
むむむ、生前、自分はなにか大それた事をしただろうか?
犯罪、記憶なし……いや、スピード違反とかはしてるけど、ドロボウとかはしてないぞ。万引きだって経験ないしな……
なんか善い事とか、したかな? まるで覚えがないぞ……募金とかもそんなにしてきてないしな……
「あのー……俺、なにか、やらかしちゃいましたかね?」
おそるおそるそう訊ねてみると、死神氏は予想外の晴れやかな笑みを返してくれた。
手をかざしたくなるほどまぶしい笑顔。冴えないおっさんにはもったいないほどの愛嬌と無邪気さだ。
「あなたはですね……あー、ええと、これ、言っちゃっていいのかな……
審判までとっとかなきゃマズイかな……」
「そこまで言いかけたら、もったいぶらずに、教えてくださいよ!」
「うーん、まぁ、そうですよねぇ、はは」
死神氏は、もったいぶった咳を1つすると、信じがたい事を口にした。
「あなたは……大勢の人間を、救いました」
「はあっ? 俺が!?」
なんだそりゃ!? ちょっとドッキリな方向だぞ。
「何かの間違いでしょう、それは……だって、俺、ただのしがないシステム屋だし……」
得意のパソコンを活かし、なんとか今の、ちっぽけな会社に潜りこんだ俺に、そんな人助けをした記憶はない。
だが死神氏は、100万ドルの笑顔でそのワケを、カラクリを説明してくれた。
「いえいえ、そのシステムが、大切だったんですよ……
あなたの設計したシステムで、とてもとても精密なネジが作れるようになりました」
ネジ?
ああ……あそこの案件か。ネジ工場。あそこもウチと同じ、チンケな会社だったっけ。
あそこの主任はガンコだったし、要求ハードルは高かったし、ずいぶん苦労させられた覚えがある。
「その複雑なネジは、一部の業界で、新製品を生み出すのに役立ちました。
例えば、とある手術用具。面白いところでは、地雷除去装置など」
「そ、そうだったのか……」そいつは初耳だ。
「さらには、防災用の、最新の特殊な装置にも用いられました。
これは、今回の災害でも活躍する事でしょう。おかげで、『ある大惨事』が回避されるはずです」
……意外だった。いや、衝撃だ。びっくり仰天、とはこのことだ。
「おかげで、多くの命が救われる予定になると思われます。
やがてこのネジは、さらに世界にも広まり、もっともっと多くの人の役にも立つでしょう。
……ですが、まだ本格普及していないので、あくまで予定と言いますか、『見積もり』の段階なんですよ」
そこで死神氏はウ〜ンと唸り、胸の前で腕を組んだが、1秒と待たずにそれをほどいて頭をぽりぽりした。
そしてそのまま、こう続けた。
「ですからね、けっこう特殊なケースなんです、あなたは。
審判は、生前、どれだけ人を助けたか、あるいは人を傷つけたか、という事で決まります。
とりわけ、命を救ったり、奪ったり……そういう事は、重く受け取られますから」
「ま、待ってください! 俺はそんなつもりでは……なかったし……そんなに大した事をしたとは、どうも思えんのですが……?」
死神氏は一瞬、真面目な顔で俺を覗きこんだ。
だが、ふたたび穏やかな笑みを見せると、人差し指をキザったらしく、チッチッと振ってみせた。
「いいですか、逆に考えてください……
手術が成功した。子供が地雷を踏まずにすんだ。大災害を防げた。
それは、医者の技量のせいかもしれないし、作業者の勇気のせいかもしれません。
しかし、道具が多大な貢献をしたせいかもしれません。
その道具は、くだんのネジがなければ、完成しなかったかもしれません。
そしてそのネジは、あなたがシステムを組まなければ、完成できなかったかも、しれません」
なんなんだそれは。
『わらしべ長者』じゃあるまいし。『風が吹けば桶屋が儲かる』じゃあるまいし。
「そ、そんな事言い出したら……誰もが、けっこう、大それた事をやっちゃってるんじゃないですか?」
「ええ、その通り……誰もが、けっこう、貢献してるんですよ。
因果、って言うんでしょうかね? 業、という概念にも当たりますかな。世の中ってのは案外、そういうふうに回ったりしてるんですなぁ」
……ぽりぽりするおっさんを見ながら、俺は震えた。なぜだか震えが止まらなかった。
「まだ、どの程度のものになるかはわかりませんが……
でもね、これも、『事実』なんですよ。
私の見立てですけどね、審判ではたぶんあなた、いいセン行くと思いますよ?」
そうしてまた背中をぽんぽんされ、あまつさえウィンクまでされてしまった。
世の中のこと。自分自身のこと。
死んで、始めて学ぶ事もあるのか……なんとも複雑な気分だ。
できれば、生きてるうちに知っておきたかったかもしれない。いや、それは贅沢な望みというやつかもしれないな。
「という事は、あの……俺は、天国行き、ってことですかね?」
「ええ、そうですね。実際には、天国と地獄、二つしかないってわけではなくて、事細かにランクが分かれているのですが……
あなたなら、かなり高ランクのとこに行くでしょうな。ああっと、あんまり私が憶測で言うべきじゃないのでしょうが」
天国か……どんなところだろうか?
光り輝く、あたたかな楽園。
親子三人、安心して、仲良く遊んで、はしゃいで……
……あれ……? あれれ???
「あの! 死神さん!?」つい、強い調子で詰め寄る俺。
「な、なんでしょう?」死神氏はたじたじした。それでも、気を遣ってやる余裕はない。どうしても聞かねばならないことがあるのだ。
「俺の妻と娘は、どうなってるんです!?」
そう、俺は死んで、ここは死後の世界なのだ。
だが、家族は……妻は、娘は……?
今の今まで、家族の存在が、頭の中からぽっかりの抜け落ちていた事に、我ながら愕然とさせられた。これも、死んだ人間ゆえの事か。
「あのーいや、そのですね、大丈夫です。
家族それぞれが、『徳』の最低ラインを満たしていれば、原則、一緒のエリアで過ごす事になりますよ。
その場合、その家族の中で、一番善行を積んだ人が基準になりますから」
「いや、その……そうじゃなくて……安否を聞いてるんです! 無事なのかどうかって話です!」
「あ、安否? ああ、『現世』のほうの話ですか……ええとですね、どうだったかな……こっちもドタバタしてるとこでして……ちょっとだけお待ちを」
そう言うと死神氏は、両の人差し指をひたいに当てて、じっと目を閉じた。そうして顔を伏せたまま、
「ああ、どうやら、お二人とも無事みたいですね……」
そう伝えられて、ホッとした……のも、束の間のこと。
「あれ、いや、待てよ、ありゃ、これは……ああ、なんてこった……」
おっさんの声に、これまで聞いた事のない、不穏な震えが混ざった。それはイヤな、ものすごくイヤな予感をさせる響き。
「な……なんですか一体!?」
「そのですね……いや、ほんとはコレ、言っちゃまずいんだけど、まいったな……」
「いいから! はっきり!」
死神氏の両肩を掴んで、怒鳴るように問いただした。考えるより早く、そうしていた。
「あのですね、奥さんと娘さんなんですけども……」
「けども……?」
「あのですね、非常に申し上げにくいんですけども……
たしかにその、ご存命でいらっしゃる、んですけれども……」
「けれども!?」
「ああっ、そんなに揺すらないでください!」
無意識に肩をがたがた揺すっていた自分に気付き、思わずパっと手を放した。
「はふぅ……そのですね、つまりお二人は……流されているんです。漂流しているんです、家ごと」
「家ごとぉ!?」なんじゃそりゃ。
「家ごとなんです、ハイ。
なんともすごい津波だったもので……なんでもかんでも流されてしまっていまして……
お二人は屋根まで登って、水の直撃はまぬがれたんですが、家が引き潮に持っていかれてまして……現在、沖の彼方で、救助を待っている状況にあります」
「沖の……かなた?」
二階建ての住居ごと、波に流された?
その屋根で、大海原で、救けを待っている?
おいおい、冗談はよしてくれ。ほとんどマンガの世界じゃないか。そんなシチュエーションは、ハリウッド映画でも観た事ないぞ。
だが、おっさんの声音と表情は、それがジョークではないことを物語っていた。くそっ。
「それで……その、二人は、どうなるんだ? 救助はいつ来るんだ?」
「どうなるって聞かれましても、ワタクシにもわかりかねますが……
ああいや、そんな拳を振り上げないで、落ちついて、弱ったな……
しょうがないですな、なんとか調べてみます、ちょっと待っててください……」
そう言うと死神氏は、再び両手をひたいにあてて、なにやらぶつぶつと唱え始めた。
それはいつになく真剣な表情だった。ああやって、どこかと通信しているのだろうか。
そのまま、数時間とも思えるような数十秒が流れ、やがておっさんは顔をあげた。
……その表情を見た瞬間、俺は答えを悟ってしまった。
彼は、今までのひょうきんさが嘘みたいなほど、ひどく悲しそうな顔をして、こう告げた。
「……大変、残念なお知らせになります。
お二人は、リストにあがっています。つまり……助かりません。
家は間もなくバラバラになり……」
予想通りの答えだったのに、それでも実際に耳から入った途端、ごっそりと血の気が引いた。
死神氏は、さも残念だ、お悔やみ申し上げる、といった風情で首を振ったが、そんなのはどうでもよかった。同情なんか、されてもされなくても、くそくらえだ。
「……誰が? 誰が決めたんだ?」
自分の声が、ひどく遠くから届いた。
「……」
死神氏は無言だった。言葉を失っているのだろうか。
「大いなる意思、とか言ったっけか」
「……ええ、そうです」
ゆっくりとそう答えた。いつしか、頭を掻くのをやめていた。
「運命、とも言ったな」
「そういう見方もできます」
「でも……運命ってのは、自分の意思で変えられるものじゃないのか?」
「まぁ、一般論としては、そう言われることもありますね……」
「……」
「すべてのものが繋がり、影響しあい、それらが大きなうねりとなって、物事を、事象を決定する。
それが『運命』だと呼ぶものならば、そうですね、個人の力が、その流れを大きく変えることもできるのかもしれません。
いや、この言い方はヘンかな……
大いなる意思、なる存在が……それもまた、運命の一部であるならば……『さだめ』が変わることだってあるかもしれない」
「……?」唐突に始まった死神氏の講釈に、俺は激情も一瞬忘れ、きょとんとした。
「よくわからない、って顔してますね。そうでしょうね、私も、よくわかって発言してるわけじゃないので……
では、こう考えてください。神さまが運命をお決めになっていたとしても、あるいは気まぐれを起こすことだってあるかもしれない。悪あがきをしてみたら、たわむれにお目こぼしをしてくれる事もあるかもしれない」
「……つまり、どういう事だ?」
「つまりですね、あなたの奥さんと娘さんは、確かに『死亡予定者リスト』に載っている。
しかし、二人が必死に……生きようとすれば、結果的に『我々のシステム』に、落ち度が発生する可能性は否定できません。
なんたって、今回の津波自体、我々天上人にも想定外の突発事象でしてね……」
「……」
「だから、あのお二方が、絶対に死ぬさだめにある、とまでは申しません。
死亡者リストそのものが、なにか間違えている可能性も、ゼロではないからです。
ですが、結果的にお二人が亡くなられたとしたら……それが、運命というものです。受け入れてください」
「受け入れる……」
「そうです、あなたはすでに、ご自身の死を受け入れていらっしゃる。なかなかできないことです。
仮にあのお二方がこちらへやって来られたら、あなたが諭してあげればいい。温かく迎えてあげればいい。
それから、天国でまた、ご一緒に……」
それは、素晴らしい提案のように聞こえなくもなかった。
天国でまた、家族三人、末永く……悪くない響きだ。
だが、どういうわけだか俺の胸中は、それに激しくノーを唱えていた。
「……いやだ」
「は?」
「娘は生まれたばかりなんだ」
「ええ、そのようですね……」
いつしか死神氏はハンカチを取り出し、顔の脂汗をぬぐっていた。
「生まれたばかりの子が、すぐに死ぬなんて、そんなのは、おかしい」
「…………」死神氏は口を開きかけたが、結局また閉ざした。
「二人を助けなきゃいけない。助けにいく」決然と俺はそう宣言した。
「む、無理です、困ります……あなたはもう死んでるんですから、どうぞ穏便に……」
おっさんは慌てて俺の手を押さえようとしたが、遠慮なしに振りほどいた。
「どうすれば戻れる? 助けにいかなければ。
誰も助けてくれないのなら、俺が行かないと」
二人を助けたい。どんな事をしても助けなければ。
その考えだけが俺の中を駆け巡り、それ以外の事は何も念頭になかった。
理屈とか、感情とか、そういう次元の話ではなくて、ただただ、俺の全存在が、家族を助けるんだ、と叫んでいたのだ。
「いやぁ、弱りましたなぁ……そのような執着は、あの、好ましくないんです、ここでは……
生前の事に縛られすぎると、その魂は、あの世で行き場を失ってしまいやすいんです。
それに、審判のときに、いい顔をされません」
「俺があの世でどうなろうと、かまやしないさ。
執着するな、なんて、それこそ無理な相談だよ。
死神さん、あんたも死神だか天使だか知らないが、あの二人を助けることはできないのか?」
「いやぁ、それはちょっと……」
「お願いだ。この通りだ」
俺は頭を下げた。深く深く下げた。
手で拝みもした。そして土下座もした。深く深く。
地面に手と額をつけてみたら、あらためてそこの柔らかさに気付かされた。ふわふわとしていながら、しっかりもした、不思議な質感だ。
これが雲で、ここが天上世界なら、こいつを突き破れば、地上に戻れるのだろうか。よし。
両手をスコップ代わりに、一心に地面を掘ろうとした、そのとき、
「ダメです、それだけは! ダメ、ダメ!」
死神氏が背中に覆いかぶさってきて、俺を必死に止めようとした。今までにない剣幕だった。
だが、こちらも必死だ。おっさんを背負ったまま、地面に指を食いこませる。
「ああ! そんな事をすれば、あなたは本当に……ああもう! 聞いて!」
だが、俺は聞かなかった。本当に一心不乱だった。無我夢中だった。
結局は、それが功を奏したのだろう……死神氏はついにギブアップして、こう言ってくれた。
「わかりました! やってみます! だから、ストップ!」
手を止めたのは、ストップ、と言われたからではない。
「やってみます」。その言葉が、俺を振り向かせた。
「いいですか、あなたは非常に『徳』がある。評価が高いんです。
そんなあなたに『漂流』なんかされたら、私の立つ瀬がありませんよ。
ふう……もう、仕方ないですね、私も男です」
「た……助けてくれるのか!?」
「ええとですね、あなたの家族は、私の担当ではありません……別の天上人が出迎える事になっています。
ですが、その担当者とは、知らない仲じゃありません。なんとか頼みこんでみましょう」
「た、頼むって……?」
「ええ、ですから、まだこっちへ来させないように、説得してみます」
「説得? 説得って、そんなもんで、なんとかなる話なのか!?」
「いやぁ、我々、出迎え担当はいちおう、一定の権限がありましてね……
諸般の事情を鑑みて、とでも言いますか、ときには、現場の裁量で『死の訪れ』を停止する事もできるんです」
これには、さすがの俺の唖然とした。
諸般の事情ってったって……そんな単純な、それだけの話なのか……?
運命だとか、さだめだとか、さっきまでの大仰な話は、なんだったんだ?
「私たちが、誰を迎えるか決める事はありません。
もちろん、直接、手を下すこともない。
ただただ、やってきた人を出迎える。それだけの役目です。
……ですが、本当に稀なことですが、『決定された死』を停止させる事もある。いやぁ、そういう意味では、やはり私は死神なのでしょうか?」
「し、しかし……そういうのは、頼んで、ハイOKと受け入れてくれるものなのか?」俺は半信半疑だった。
「いやぁ、平時だったらまずいですよ、そりゃあ……
平時じゃなくたって、これがバレたら、わたしゃどうなることか……
でも、これだけてんやわんやの状況なら、どうとでも出来るんじゃないですか?」
「な……なんか、軽いなぁ……」軽すぎて、逆に不安だ。
「まー、私ができるのは、頼み込む事だけです。
なぁに、彼には大きな貸しがある。きっとなんとかしてくれるでしょう、ちょっと待っててください……」
そして、例によってひたいに指をあてると、すぐに、
「ふう、ぶつぶつ文句は言われましたが……」そこから先は、わざとらしいヒソヒソ声で、「やってくれるそうですよ」。
「え? え? つまり、その……どうなったんです?」
「ん? ですから、彼はやってくれますよ、たぶん。いえ、きっと」
こんな時まで、このおっさんときたら……
「つまり、ええと……二人は……?」
「助かるんじゃないですかね? ええ、ええ」
(ですかね? じゃねぇだろ!! だぁあ!!!)
もどかしさに怒声を上げたくなったが、なんとかぐっと飲みこんで、
「頼みますから、もう少し詳しく教えてください」
「うーん、こういうケースでは……つまり、死の停止がなされた場合ですが。
あちらでは、つまり『現世』では、『奇跡の生還』みたいに扱われるような事が起こる場合が多いですね。
あなたの奥さんと娘さんも、なんらかの理由で、九死に一生を得るはずです。
たぶん、間一髪で誰かに救われるとか、そういうんじゃないかな?」
そう、二人がどうなったかは……
大海原に浮かぶ分解寸前の我が家から、間一髪で自衛隊のヘリに引き上げられたという事実を俺が知るのは、この物語より、もう少し後の話になる。
「さて、これだけタブーを犯しちゃったんだ……その代わり、あなたにはキッチリ、成仏してもらいますよ?
いやぁ、こんなに頼みごとを聞いちゃうのも、本当にこんな非常時だけですよ、はは……」
頼みごとらしい頼みごとは、家族の救命だけで、あとは本人が勝手に漏らしてただけなのだが、そのツッコミは脇にポイしておいた。
「な、なんか軽いですね……いいんですか? そんなんで……」
「軽いのは、大目に見てください。性格なものでして」
そう言って再び、ぽりぽりを再開した。
だが、こんな成りで、こんな調子で……それでも、妻と娘を救ってくれたのは、確かだ。
軽くぺちゃくちゃしているが、彼なりにリスクもあったはずだ。そう思うと初めて、感謝の念が素直に湧いてきた。
「いや、ほんとに……ありがとうございます、どうお礼を申し上げていいか……」
そう述べると、死神氏はおおげさに手を振って謙遜した。
「いやいや、お気になさらずに。私が好きでやったことですから。
私もね、これでよかったと思っとるんですよ。こうあるべきだった、と」
「は……? しかし、大いなる意思、とか、なんとか……」
「ああ、確かに、我々は大いなる意思の下におりますが……なんと言いましょうか……」
彼はあごを撫でながら、しばし遠くを眺めたのちに、こんな話を始めた。
「そうですな……我々天上人は、大いなる意思のもと、運命のシステムを動かしている。
でも、その意思や運命を、そのまま受け入れているわけではない。我々にも、我々の意思がある。
私もね、あんな小さなお子さんは、おいそれと死んじゃいかんと思っとるだけです」
「…………」予想外の、感動的な言葉だ。
「さて……もう少しで、審判が始まりそうですね。
出廷まで立ち会ったら、そこで私はお別れです。いやはや、なんだか名残惜しいですな。
あなたを送り届けたら、私もてんてこ舞いでしょうな、しばらくは」
このおっさんと別れ、よくわからないが俺は審判なるものをされ、そしてたぶん天国へ行くわけか。
何もかもが突拍子もない、夢みたいな話に思えた。
なのに、なぜだか俺は、それらを次第に受け入れつつあった。
そうさ、もう死んじまってるんだ。夢もあの世もないもんだ。
「それにしても、大勢の人間を救った、か……
俺がそんな、立派な人間だったとはね。いまだに信じられませんよ、そこだけは」
なにげなくそうつぶやくと、死神氏は、少し思案してから、こう語りだした。
「さきほど、運命の話をしたでしょう……? 我々が運命のシステムを動かしている、と。
でも、私にも意思がある。下される命令、システムの一部としての職務、でもそれを私は、結局は『自分の意思の下』に行っているわけですよね。私が、最後は私自身の意思で、そうと決めてやっている。
そう考えると、果たして私は、運命を動かしている者なのでしょうか? 逆に考えれば、運命に動かされている者とも言えるのでは?」
「え……えと……」
「そもそも、『運命』というのは、なんなのでしょうか。大いなる意思そのもの?
いや、どうも私は、そうとは思えんのです。
あなたは、しがないシステム屋、と言いましたよね。
でも、しがないシステム屋さんだって、私と同じで、運命の一部なんです」
「運命……」
「ライフライン、って言葉をご存じですよね?
水、電気、ガス……そうしたものが、あなたがたの世界を支えている、と。
生活が便利になるだけでなく、それがなければ命だって失いかねない。病院なんかいい例でしょう。
ライフラインって言葉は、もともとは登山などの命綱のことなんだそうです。
でもね、私はこれを『生命の紐』って考えることもできると思うんですよ。
人間は、生きている限り、一人ではいられない。完全に一人で生きている人間なんていませんよね?
それぞれが、誰かと関わり合い、助け合い。まぁ、お互い、腰ひもを結びあって生きているようなものです。
人と人の繋がり。目には見えないけれど、そう、『関係』です。それそのものを、ライフラインと考えることもできないでしょうか」
溌溂とした、でも重みのある演説に、俺は聞き入った。
死神氏はもう、俺に向けて話してなどいなかった。まるで自分自身に言い聞かせているように見えた。
そうなのか。『大いなる意思』なる得体の知れないものとは無関係に、この人にも、この人なりの、この人だけの意思があるのだ。それも、強い強い意思が。
「あるいは、別の例えで言えばですな……
石油は、経済活動の血液、などと申しますね。
ですが、これを少し、置き換えて考えるのです。
石油、によってもたらされる輸送……運輸がしっかりしていないと、単純に生活が目詰まりを起こします。経済活動、などという高尚な言葉を出すまでもありません。
モノを運べないと、人々に物資を届けられません。これは大変なことです。
あるいは、モノを作る人がいないと、そもそも運びようがありません。
そして、運べてもお店が、販売する人がいてくれないと、手に入れようがありません」
死神氏は、こちらをじっと見つめた。俺も、じっと見返した。つぶらな瞳には、先ほどまでは無かった何かが宿っていた。
「こうした流れは、どこか1つが止まっても、大きな支障が生じます。
学者さんによっては、『経済活動が滞る』などと言うでしょう。ですが、それ以前に、本当に単純に、『みんなが困る』、それだけの話なんです。
こうした事は、うまく流れないといけないのです。うまく流れるために、いろんな人が関わり、頑張っているのです。
なにも、石油とか運輸だけの話ではない。すべての活動、つまり『人間の営み』とは、それぞれが繋がり合い、うまく循環することによって満たされているのです」
そういう事か。
しがないシステム屋も、運命で、腰ひもで、繋がって、循環していたのだ。
「まさしく血液みたいでしょう? いわば『社会』という全身を駆け巡る血液。
地球を1つの生命とする考え方がありますが、そう仮定すれば、人間一人一人は、一個の細胞みたいなものかもしれません。
細胞には役割があり、それぞれが自分の役目を営んでいる。
栄養素を摂取したり……これは第一次産業でしょうか……
栄養分を加工したり……これは工場でしょうね。
外敵を追い払ったり。警察みたいなものかな?
傷の修復をしたり。お医者さんですね。いや、社会がボディだとすれば、道路整備だってお医者さんみたいなものだ。いや、エコな観点で言えば、植林こそそれにふさわしいのかな? まぁなんであれ、どちらも必要な役割でしょう。
で、それぞれの細胞に必要なものは、繋がり合い、循環する事によってもたらされるのです。
無数の細胞が1つになって、1つの地球を維持している。
地球が維持され、回り続けることによって、細胞の1つ1つが生かされる」
「地球は、あるいは社会は、人々の集合体であり、集大成なんです。
大抵の場合、誰もが何かを担っている。それはきっと、みなさんがご自分で思っている以上に、大切なことなんですよ。
お笑い芸人だって、笑わせる事で、あるいは自分が笑われる事で、人々のストレスを発散させ、心身の健康を保っている。
歌が世界を救う、っていうのも、これはちょっと表現がオーバーかもしれませんが……けれど、歌を聴いて、音楽に浸って、心が救済された人は無数にいます。歌で自殺を取りやめた、という人も実際にいます。音楽が、芸術が命を救うことは、あるのです。
経済活動の話をしましたが……お金が血液って見方もできますね。お金を稼ぐということは、通常、誰かの需要を満たしている事になる。需要を満たせば、それがさらなる波及効果を生み、一般には前向きな効果をもたらします。
あなたならわかるでしょう? しがないシステム屋さん? 職業に貴賎なし、ですよ。目に見えて感謝されることもあれば、気付かれないまま貢献していることもあるんです」
おっしゃる通りだ。
俺はただ、生活のために、金を稼ぐために働いた。
でも、それがどういうわけか、たくさん誰かを救ったのだ。
「もっともっと身近な例で言えば……家族でしょうか。
家族はもっとも強い結びつきですが、それだけじゃない。
家族にとって、身内とは、『ただそこに居てくれるだけ』で、『生きていてくれるだけ』で、大きな支えになるのです。
親によっては、不幸にも子供を失ったことで、体調を崩したり、中には自殺してしまう人もいる。これは逆に言えば、子供は、ただ生きている限り、親の生命の支えになっているのです。守られているようで、守ってもいるのです。
そう、ただ生きているだけで、誰かを支えてる事すらあるんです。これも生命の紐、言うなれば、絆とか……」
「愛、とか」俺は口をはさんだ。
「そう、愛です」死神氏は微笑んだ。
「愛も、重要で、強力な結びつきで、循環物です。回って、広がって、前向きになっていく。
お金だって、そう。仕事だって、そう。細かく見ていけば、『人が生きている事そのもの』が、絆であり、循環である、と言えるかもしれない。
それが、『運命』ってやつなんじゃないか。あるいは『業』とか、『因果』とか。そんなふうに私は思っとるわけです。
誰もが、真面目に生きているだけで、何かに貢献し、誰かを救っている。
実は、あなただけじゃないんです。意外に多いんですよ? 天国に招待される方は、ね」
両手を拡げて、死神氏はニヤリとした。けっこうサマになる仕草だった。
「いい話です……とても」思わず、そんな言葉が口をついた。
お世辞ではなく、率直にそう思った。すると、予想通りおっさんは頭を掻いた。
「いやはや、お恥ずかしい……
そうそう、あなたはもうおわかりでしょうが、あの世とこの世も、同じ運命の一部です。
お互い、なるべく干渉しあわないように出来ていますが、それでも、どこかで結びついてるんです」
それを聞き、はた、と気付いた。
「俺は……俺は、妻や子に、語りかけることができるのでしょうか?
死んでしまった者は……?」
この質問に、彼はう〜んと腕組みをしてみせたが、すぐに顔をほころばせ、
「そうですねぇ……それも、本当はね、私が言っちゃいけないんですけどね、はは。
でも、大丈夫。大した事はできないでしょうが、不可能というわけでもないんですよ」ぽりぽりと頭を掻いた。
もう逢う事はないだろう。この手で抱く事もできないだろう。
それは仕方ない。死んでしまった以上、ぜいたくは言えない。
でも、できれば……見守りたかった。
あるいは、それくらいは出来るかもしれない。今はこの中年紳士を信じよう。
「あなたはきっと、安らかな場所で、長い長い、満ち足りた時を過ごす事になるでしょう。
そしてやがては、家族の方々もやってきます。
ですが、そこは永遠ではありません。変化の時がきます」
「それは……生まれ変わり、ってやつですか?」
「いやぁ、まぁ、なんでもかんでもしゃべるのも、アレですからね……
こればっかりは、ご想像におまかせしますよ」
そう言うと死神氏は、ちらりと天を仰ぎ、笑顔でこう知らせてきた。
「いよいよ、審判の時間のようです。いやはや、ちょっとしゃべりすぎましたかな。
では、そろそろまいりましょうか」
俺の返事を待たずに、死神氏は歩き出した。
彼に続いて、不思議な空間を歩くうちに、『そこ』に辿りついた。
「さぁさぁ、前へ前へ」
立ち止まった死神氏に促され、彼の前方へ歩み出た。すでに誰かが待ち受けているのがわかった。
「私の役目は、ここまでです」
そう言って彼は、俺の背中を後ろからぽんぽんと叩いた。
「いやぁ、名残惜しいですなぁ、実に名残惜しい……ぶつぶつ」
(俺だって名残惜しいですよ、死神さん)
そう伝えたくて振り向いたが、彼は、もういなくなっていた。
※この物語は、岡崎二郎氏の漫画「アフター0」に収録されている『あなたのナンバーはいくつ??』から、非常に多くのアイデア(舞台設定、天上の概念等)をいただいています。
アフター0は読み切りSF漫画短編集で、現在は小学館より「著者再編集版」と「文庫版」が購入可能であり、電子書籍にもなっております。
※その他、影響を受けた作品。
・『銃夢 Last Order』木城ゆきと氏の漫画。単行本が集英社より15巻まで刊行されています。
・『怒りの葡萄』スタインベック氏のノーベル文学賞受賞作品。
この作品に登場する元説教師、ケーシー氏の信仰哲学からもインスパイアを受けました。
筆者:北野旅人は、この小説と同時に、ポッドキャスト(DJ MixのMP3音源)も配布をしております。
詳しくは、筆者のブログ『エクスカリパーで日本を斬る!!』(ふだんは政治ブログ)の、以下のページをご覧ください。
http://ameblo.jp/kitanotabito/entry-10836970737.html