第37話 朝会議 ~通勤が無いってこんなに楽チンだったんだ~
目を覚まして見上げるのは群青色の岩天井。
BCセカンドに泊まり込んでもう三日めか。いつもならこの時間は……と気がついて、枕もとのスマホを手繰る。
07:18
ああ、よかった。ちゃんと朝だ。体内時計はまだ生きてる。といっても、曜日の感覚はすでにあやふやだけど。
隣のベッドのツルタ氏はまだ寝ているようだ。カーテンの向こうも動いてる気配はない。頭を起こすと、ケージの中の茶色の耳が動いた。丸まっていた毛玉も顔を上げた。
よう。おはよう。
俺は声を出さずに朝の挨拶をする。その間じっとこっちを見つめていた龍昇丸は、期待外れだったのか、また毛玉に戻った。
音を立てずにベッドから降りて、ジャージのまま表に出る。
王塚が商店会を通じて提供したインバータのおかげで、トヴォトリエは薄暮並みの明るさを保っている。池の向こう側に張ってある工事関係者のテントでも起きてきた人はいるようだ。
迷宮の空間は着々と人のための広場に様相を変えてきていた。ゲートのある斜面はすっかり階段スタンドになり、池の周回まで繋がる遊歩道には白石が敷かれている。あの惨劇の空洞も、入口に看板を立てるフレームが組まれていた。
できたばかりの遊歩道を一周する。さざ波すらない水面は真っ黒だが、覗き込むと案外深くまで見える。透明度はかなり高いのだろう。なにかが泳いでる気配はない。あのときの電撃で池の水生生物が死に絶えてしまったのだろうか。ケルピーも、あれ以降目撃された話は聞いていない。
水面に指を伸ばすと、触れる寸前に波紋が起きた。
⌚
部屋に戻るとコーヒーの匂いがした。ツルタ氏が起きて、朝の支度をしている。ケージのリュウがうらめしげな顔でこっちを見た。なんで俺を連れてかなかった、と訴えかけてるようだ。
だってお前、寝直してたじゃん。
「おはようございます。ランボさん、早いですね。朝の散歩ですか」
「おはようございます。つか、二人は?」
「まだ寝てるみたいですね。そろそろ起こしましょうか?」
「どうせ、朝飯の匂いで起きるでしょ」
電子レンジがチンと音を立てた。どうやら今朝はグラタンとトーストらしい。
⌚
「四人になると、ゴミの量が一気に増えるね」
グラタンの乗っていたプラスチック皿を片付けながら鏡華かぼやいた。
「おねえちゃんと二人だと、パンとヨーグルトでおしまいだもんね」
「文明はゴミとともにある、だね」
姉妹のどうでもいい会話を聴きながら、俺はタブレットでここ数日の配信のログを見直している。スパチャの総額が半端ない。たった数日で、俺の機器設置インセンティブのひと月分を軽く超えてやがる。こいつら、いままでこんなに儲けてたのか。
「んふん。すごいっしょ」
いつの間にか、鏡華が肩越しに回って来ていた。水面も重ねてくる。
「昨日のランボさんの黒玉の直後がピークでしたよ。あのミノタウロスが一撃ですもん」
「そろそろうちらも、フードコートの肉屋と契約した方がいいかもね」
剣呑な提案だが、鏡華の話は一理ある。迷宮のエコシステムは、俺たちの世界のそれとは少しスピードが違う。なんていうか、代謝が早いのだ。死体の分解なんかまさに顕著で、その日倒したモンスターが三日後には骨すら残っていなかったりする。食欲旺盛な屍肉食動物が潜んでいるのか、はたまた微生物の仕事なのか。
だから、新鮮な肉の供給は、たぶん需要があるのだ。
「あたしらも死んじゃったら、あんなふうにすぐに跡形も無くなっちゃうのかな」
新宿にダンジョンが現れてそろそろ一年、その間に中に潜り込んで行方不明になった人の数は、少なく見積もっても百人は超えている。初期のころはなにも言わずに入った連中も相当いたはずだから、もしかしたら千人を超えているかもしれない。にもかかわらず、死体があがったという話は皆無なのだ。
「一度、定点での微速度撮影をやってみるといいかもしれませんね」
相変わらず先読みするツルタ氏が、俺の考えを引き取った。
タブレットの画面を新宿ダンジョンWikiに切り替える。『環境』の項に書いてあるのは事実の列挙と考察のみで、検証された事象の記述はまだなかった。
階層図を開く。第二層マップには、今いる場所が輝点で示されている。クソネット出張所予定地。WiFi測地だから、階層の平面ごとに表示できるのだ。
「下の方の地図って、まだぜんぜんなんだよね」
横から手を伸ばした鏡華が、第三層以下のマップを次々と開いていった。
第三層は入り口から次への接続口までの蛇行した道とそこから繋がったいくつかの部屋、第四層はメインの道と部屋に繋がる入口の位置のみ。第五層に至っては、エントランスのだいたいの形状とそこから伸びる隧道の入口配置だけだ。
「これをあと十か月で全部完成させてWiFi化するなんて、できんのかよ」
「第五層が最後と決まってるわけでもありませんし」
ツルタ氏の言う通りだ。ここで打ち止めだなんて保証はどこにもない。
「でも、ランボはその方がいいんでしょ」
肩越しの台詞に俺は振り向く。鏡華の顔が近すぎて思わず息を飲んだ。が、当の鏡華はそんなことはおかまいなしに言葉を続けた。
「来年の夏じゃ、まだ返済は終わってないもんね」
たしかに。
「返済」の単語で、俺は少し冷静になる。
ここの現場以上に稼げる当てなんてない。別に配信者で食ってつもりもないし。
そこまで黙っていた水面が口を開いた。
「先に潜ってる人の話を聞いてみるのもいいかもしれませんね。冒険仙人の話も聞けるかもしれないし」
その名前を理解しているのか、リュウもケージに手をかけて立ち上がった。
⌚
「そうそう。スポンサーから催促がきちゃった。送ったウェアを早く試してみてください、って。悪いんだけどランボ、明日にでも取ってきてくんないかな。もう0号には届いてるはずだから」
相変わらず鏡華は人使いが荒い。が、タイミング的には悪くない。こんな状況とは言え若い娘たちと同居してるのだ。いつまでも着の身着のままってわけにもいかんだろう。
それに、そろそろビースティ成分も切れてきた。
「OK。そんじゃ、今日は早めに上がろう」




