第29話 大迷走 ~一億五千万円なんて、どうすりゃ稼げるんだ?~
爆音のようなギターが耳の中を駆け巡る。
画面にはヴォーカルの佐野千隼と背中合わせで真っ白のストラトキャスターを早弾きする津川鹿芽が躍動している。
カーテンを閉め切ってエアコンを全開にし、濃霧のような紫煙が漂う部屋の中、ビーツのヘッドホンで耳を隠した俺は大画面TVの前で膝を抱えて座る。座り続けている。もうかれこれ六時間くらい。
結局、午後のダンジョンには潜らなかった。
芝浦を出たのはお昼前。まるで自動人形のように駅まで歩き、乗り換えをし、歌舞伎町のゲート前までは到着した。のだが、そこで踵を返した。頭の中がぐしゃぐしゃで、とてもじゃないが仕事になるとは思えなかったのだ。
駅まで戻るのも億劫だったので、そのまま街道を一時間ほど歩いて笹塚の自宅に戻ってきた。道中で胸ポケットの封筒に気づいたが、もはやなんの意味もないので、途中のコンビニで一年ぶりの煙草を買った際にパッケージのセロハンと一緒に捨ててしまった。
一億五千万円。
手持ちすべての資産を吐き出したとしても、まだ一億四千五百万は足りない。
「十五か月。来年度末くらいまでは無利子で待てるみたいっスよ。来年一月から再来年の三月まで、月一千万ずつって計算っスかね」
面談の最後に荏原が言った言葉が耳に反響している。
毎月一千万円を十五か月……。一介の作業員に、そんな金をどうしろってんだよ。
DASを一日四個、月に新規の簡易基地局を百基建てるインセンティブで、ようやく一千万円。計算上ではそうなる。例えば東京ドームのグラウンドでそれをやれと言われれば、一日四個どころかその五倍、下手すりゃ十倍だってやってみせることはできる。でも、そういうもんじゃないのだ。
無理だ。
仮に、迷宮全体にDASが必要とされるエリアが千五百か所あるとして、それをどうやって探すのか。そこまでどうやって行くのか。機材や資材の補給線は。
無理だ。
仮にロジのバックアップが保証されるとして、それでもこの前のオークの巣みたいな障害が、とんでもない未知生物が立ちはだかってきたら……。たしかに蓄電石の威力は絶大だった。アレならたいがいのモンスターは撃退できるだろう。でも使うことはできない。なぜならば、一個使うごとに借金が一億五千万円ずつ増えていくのだから。
完全に手詰まりだ。
二十五年間現場作業だけをやってきた人間にとって、日々の積み重ねを遥かに超えた収入を得る方法なんて存在しない。もはや非合法的ななにかにでも手を染めるしか……。
そこではじめて、俺は思い当たった。
そうか。蓄電石か。
――ダンジョンに潜るたびに持ってってる三個の蓄電石にしたって、そのまま俺たちが中国あたりに高飛びでもしたら、それこそ重篤な国際問題にまで発展するはず
以前、水面たちに話した俺の妄想。だが、米国政府が二千万ドルの値をつけた事実は、妄想が現実だというのの裏返しだ。
「持ち逃げするか」
考えてみれば、俺一人が跳んだところで困る人など誰もいない。妻子もなければ係累もない。地縁だってないに等しい。そう。俺はいわば「無敵の人」だ。
蓄電石三個を手土産にすれば、一生仕事せずに暮らせるくらいの報酬はもらえるだろう。もちろん、くびり殺されて南シナ海あたりのサメのえさになるかもしれない。それでも、いまの行き止まりに比べれば百倍希望があるというものだ。
俺はスマホを掴み、時間を見た。
19:38
0号倉庫はもう無人になってるはず。
⌚
ピンクの帯が入った通勤に使う電車に乗り込んだところで、ようやく俺は落ち着いた。芝浦を出てからこっち、はじめて呼吸ができてる気さえする。のどがやけにいがらっぽいのがひさしぶりのチェーンスモークの所為だということも。
空いてる電車の座席に座り、スマホのチェックをする。考えてみれば、これも朝以来だ。
大量のメッセージと着信が届いていた。
11:32 鏡華
――おなかへった。なんか肉たっぷりの弁当よろ。
11:33 鏡華
――あとお茶も。できればジャワティー。
13:15 鶴田恒輝
――ランボさん、いまはどちらですか? こちらはもう準備を整えて0号で待機しています。
13:28 鏡華
――遅い! なにやってんの。こちとらあんたの件でコメント返すのに振り回されてるつーのに。早よもってこい、メシー!
13:31 水面
――すごいですよランボさん。こないだの広間攻略でランボさんが洞窟に入る前のおねえちゃんとのやりとり。あれが海外のクリエイターさんに切り取られて音楽付きのショート動画にされてるんですけど、信じられないくらいバズってます。「T2シュワちゃんのリアル版」みたいに言われてますよ、ランボさん。
14:05 鏡華
――あんたがあんまり遅いから、弁当とお茶はダンディに頼んだ。この役立たずがっ!
14:15 鶴田恒輝
――鏡華さんから補給要請があったので、ひとまず先に入ります。連絡をください。
15:01 鶴田恒輝
――ベースキャンプに到着しました。泉澤姉妹の食事の件はクリヤです。なにかあったのですか?
15:45 鏡華
――ダンディに聞いたんだけど、あんた今日クソネットに行ったんだって? まさかあんた、ケツまくろうってんじゃないでしょうね?
15:48 水面
――ランボさん、大丈夫ですか? 事故とか遭ってませんか? 心配です。体調が悪いのなら、ご一報ください。
17:31 鶴田恒輝
――音声着信
17:32 鶴田恒輝
――音声着信
17:34 鶴田恒輝
――さきほど荏原氏からチェックが入り、やむなく不在を報告しました。「体調不良のため」とは言っておきましたが、そちらにもなにか連絡が入るかもしれません。
17:48 荏原
――警備の方から聞きました。本日は無断欠勤されているようですね。念のため、金庫の個人認証は18時付けで停止させてもらいます。明日以降現場復帰されるのであれば、こちらにご一報ください。
「まさか」
揺れる車両の中で、思わず声が出た。まさかそんな一手を打ってくるとは思いもしなかったのだ。俺はこぶしを握り締める。
くっそー。なにからなにまでクソネットの掌の上かよ。
こうまで見事に考えを読まれている以上、肩を落とすしかない。俺はふたたび、残っている通信履歴に目を落とした。
18:15 鏡華
――さっきダンディは帰った。ねえランボ、明日は来るよね?
18:18 水面
――おねえちゃんも私も待ってます。ご無事なら連絡ください。スタンプだけでもいいから。
19:20 鶴田恒輝
――0号です。ひとまず本日は帰ります。が、自分はいつでも動けますので、何時でも構いませんから連絡をください。お願いします。
19:49 鏡華
――バカー!
京王線は終点の新宿駅に着いた。すべての乗客が側溝に流れ落ちる雨水のように降りていく中で、スマホを握り締めたまま立ち上がれずにいた。
俺は……独りではなかったのか。




