第3話 出向先(しゅっこうさき) ~ペイさえ良けりゃ多少の難儀もかまわねえ?~
窓から射し込む光と部屋の蒸し暑さで目が覚めた。本来なら朝まで点けっぱなしで過ごしたいところだが、二世代前のエアコンなので電気代が半端ない。で、やむなく就寝一時間後には止めるタイマーをかけている。おかげで今朝みたいな朝は地獄だ。夏はまだ始まったばかりだし、マジでそろそろ買い替えないと。
枕もとのリモコンでエアコンをON。
ぶおぉと吹き下ろす不快な風に我慢しながら、手探りしてスマホを掴む。画面の表示は朝七時。二時間後には芝浦のクソネット本社で会議だ。議題はわかってる。昨日の報告と、今後の進捗計画の再確認だ。
まったく頭の痛い話だぜ。そもそも俺は、会議って奴が大嫌いなのだ。事件は会議室なんかじゃなくて現場で起こる。俺は刑事じゃないけど、その意見にはまったくもって同意する。せっかく昨夜の動画見てやる気スイッチが入ったってのに、また逆戻りしちまいそうだ。
それに、体制の見直しだってやってもらわんと。昨日みたいに、はじめ六人あと三人、なんてのじゃ、この先命がいくつあっても足んなくなる。
壁に貼ってあるビースティのポスターに元気を分けてもらい、俺はのっそりと起き上がった。
袋から取り出したままの食パンを齧りながら今日の資料を揃える。昨夜の帰り際に出力しておいた報告書と、諸悪の根源でもある二枚の書類「辞令」と「雇用契約書」。最悪の苦虫を噛み潰す感触で、俺は発端の場面を思い出した。
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「というわけで尾仁川くん、きみには来週からクラスタソリッドネットワークに出向してもらうことになったから」
先週末、日にちで言えば、ほんの四日ほど前の話だ。
普段ならひとのことを「ランボ」か、そうでなきゃ「オニガワラ!」と呼び捨てにしてくる社長が、そのときはめずらしく神妙な顔をしてそう言った。同時に突き出すA4のペラをひったくるように受け取った俺は、そこに書かれている辞令を目で追った。
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辞令
通信作業課 課長代理 尾仁川蘭戊
貴殿を本年度七月付けで総務部付課長代理とし、以下の勤務先/役職への出向を命じる
[出向先/肩書]
株式会社クラスタソリッドネットワーク
エリア戦略部 特定区域拡大推進課 設営作業主任
伝導通信工務店株式会社
社長 戸来徳三
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「なあ、徳さんよ。あらためて聞くけど、ホントに海外の戦場とかじゃねえんだよな」
「それはないよランボ。パスポートの携帯とかは条件に入ってないから。作業地はあくまでも国内」
肩をすくめる社長に、俺は渋顔を向けた。
どうにも話がうますぎるのだ。固定給こそ現状のままだが、それ以外に現場の基地局となる分散アンテナシステムを一つ開設するごとに十万、ノード(簡易ルータ)五基以上のメッシュWiFiなら一セットごとに五万のインセンティブとか、破格過ぎるだろう。しかも今のところ期間のケツだって決められていない。仮にDASとメッシュWiFiを週にひとつずつこなしたら月間六十万の増収だ。一年やれば、給料の他に七百二十万。オマケにうちじゃ付いてない残業手当も、月間三十時間の天井はあるものの、ちゃんと規定で払ってくれるらしい。全部合わせりゃ年収が三倍近くになる。まったくもって天国過ぎる。
すべての限定グッズを身にまとって推しのライブ会場に参戦する自らの姿を、俺は思い描いた。
「本社の社員からの志願はなかったって言うから多少は危険な現場なんだろうけど、この道二十五年のランボさんからすりゃ濡れ手に粟ってとこじゃないかな」
たしかに。
人里離れた山の中からはじまって、これまでの俺がメインで関わってきた現場の履歴はかなりのものだ。海底トンネルの避難者用人道、忍者屋敷全館の見えないところに設置したローカル無線LAN、離島の博物館、街ひとつほどの巨大遊興施設全域の通信システム入れ替え、建設途中で冬場なのに暖房も入ってない迷路みたいな地下駐車場、絶対無菌が求められた日本酒の醸造所などなど。その中でも極めつけなのは、嵐の中の鉄塔作業だ。あれに関してはまともな足場すらなくて、鉄塔に直接溶接されたU字の梯子に命綱のカラビナを引っかけただけ。あんときゃマジで命懸けだった。
どれもこれも、俺が守るべき家族を持たない「無敵の人」だってことが配置理由だ。要するに、仮におっ死んだとしても誰も困らないってこった。
「まあ気楽にやって小金稼いどいで。でもって、帰ってきたら一杯奢れ」
「なんで管理職でもない一課長代理が社長を奢んなきゃいけねえんだよ」
そんな軽口でへらへらと受諾した四日前の俺を心底恨む。なんなら板の間に二時間正座させて懇々と説教したいくらいだ。
だがもはやそんな後戻りをすることなどできはしない。
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俺の住んでる笹塚は、新宿の現場までドアツードアで二十分そこそこだし、元の会社までだって四十分でおつりがくる。だがクソネットの本社だと優に一時間。こうして満員電車に揺られていると、気の滅入りに拍車がかかる。スマホでも見て紛らわせようにも、腕を持ち上げる隙間さえない。しょうがないので、俺は思考に没入する。
クラスタソリッドネットワークは創業から十年も経ってない新興の通信会社だ。三十代前半の社長兼CEO、王塚綺羅星が大学院生だった頃に立ち上げたベンチャー企業で、国内全土を席巻している三大通信企業の牙城を崩して「四つめの駆動輪となる」を目標に掲げた、実に志の高い会社である。
だがその大目標もいささか眉唾物だ。というのも創業者の王塚という男が、そもそも若いころ(といっても今でも十分に若いが)から大言壮語で有名だったりするのだ。曰く、大統一理論は自分の手で証明するだの、四十歳前に自分が宇宙エレベーターを着工するだの、国力を十倍にするための秘策を持っているだの。とにかく大ぼら吹きなので、むしろクラスタソリッドの目標なぞ彼が放つキャッチフレーズの中では可愛い方とさえ評されている。
資産の根拠がどこにあるのかは知らないが、クラスタソリッドは創業以来二十を越えるM&Aを成立させ、雪だるまのように組織を拡大してきた。それまで三大通信企業のそれぞれにつかず離れずでやってきた俺たちの会社、伝導通信工務店も昨年末に買収されてグループ傘下となったクチだ。
しかし、だ。今更なんで、うちみたいな小さな工務店をわざわざ買収したりしたのだろうか。ここ数年でクソネットが飲み込んだ十数社の中でも、うちの会社の規模は群を抜いて小さい。買収額にしたって、たぶん三桁以上小さいはず。それなのに最初の半年間、クソネットはうちの体制に指一本触れてこなかった。今回の電撃的出向の辞令と言い、奴らはいったい何を考えているのか。
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特定区域拡大推進課の面々に俺を加えたメンバー全員が揃っている会議室に開始直前のタイミングで入ってきたのは、会社のウェブサイトやメディアの記事で見覚えのある顔だった。
王塚綺羅星そのひと。しかもたった一人で、まるで最初から決まっていた参加メンバーだったようなあたりまえの様子で。
スマートでさりげない歩みとともに色合いが変わって見える上質なスーツと艶やかな光沢を放つ襟高の白シャツ。
俺だけじゃない。他の顔ぶれも同じように動揺してる。開会の挨拶をしようと立ち上がっていた課長さんなんか、口を開けたまま固まってる。あらかじめ聞いていた風では、断じてない。
全員の視線が無言で動きを追っている。上座に向かってなめらかにターン。首元を飾っているのはネクタイではなく、まるでCAさんみたいに優雅にまかれた碧い柄のスカーフだった。立ち居振る舞い自体に特別なものはなにひとつない。だが、彼が纏う空気だけでカリスマの威光は駄々洩れだ。
なんなんだこの登場は。なんでこんな末端の集まりに降臨すんだよ、殿上人が。




