第28話 積乱雲 ~辞表を胸に、俺は意気揚々と芝浦に向かった~
通された会議室の窓からは東京湾が見えた。晴れ上がった夏の空、霞んだ対岸の千葉上空に積乱雲の予感がした。
詰めれば二十人くらい座れる囲みテーブルの会議室。キックオフのときのよりはだいぶ狭いその部屋の片隅で、俺は所在を失っていた。慣れないのだ、こんな白くて清潔な場所は。
扉の開く音で振り返ると、二人の男が入ってきた。荏原と課長。
「おはよーございまっス」
モニター越しのいつもの調子よりはだいぶまともな荏原の挨拶のうしろで、課長が軽く会釈をした。俺も無言で軽く頭を下げる。
「あれ、尾仁川さん、スーツなんて持ってるんスね。いっつもTシャツか作業着だから、見違えちゃったスよ」
こめかみに熱がこもったが、左胸の内ポケットに忍ばせた封筒を意識してスルーした。
大丈夫。今日で全部終わりにするから。
「とりあえず、掛けてください」
窓際の席に回り込んだ課長が発する合図のようなひとことで、月曜朝の面談が始まった。
⌚
「先日の第二層最奥部攻略は報告書と記録動画で見せてもらいました。現場対応の突貫でよくここまでやった、という感想が正直なところです。準備期間三日と聞きましたが、こちら主導でやっていたらひと月以上は掛かっていたはずですから、見事というほかないでしょう。報告に伺った際にはCEOも満足げでしたよ」
如才のない課長の前フリだが、褒められて悪い気はしない。でもあの現場は、そんな表層的なもんじゃないんだ。
「尾仁川さんからなにかこちらに伝えたいことがある、と聞いているんですが、どうします? そちらから先にしますか?」
「あ、いや。そっちの話からでいい」
どうせ、ここまでの進捗評価と今後のロードマップについて、あたりだろう。全部聞いてから、最後にぶち壊せばいい。
「わかりました。それではこちらの要件から先にお話しします」
課長はそう言って、テーブルに置いた書類封筒から数枚の紙を取り出した。分厚いファイルを目の前に置く荏原は、ひとつ席をおく課長の隣でなにも言わずにこっちを見てる。逆光で、二人の表情がよく見えない。
課長から紙を受け取った荏原は立ち上がり、そのうちの一枚を持って俺の方に回ってきた。真面目腐った顔が、かえって笑いをかみ殺しているように思える。普段の言動から来る被害妄想なんだろうが、意味もなく腹立たしい。
置かれた紙には物品の名称が箇条書きで書かれていた。
「先々週の第二層最奥部拠点をエリア化する際に尾仁川さんが破損または遺失された弊社機材および素材のリストです」
〇機器固定用セラミックフレーム ……1台(遺失)
・テーザーガン ……2台(破損、遺失)
・装着用簡易照明 ……1台(破損)
・ブルートゥースイヤホンマイク ……1台(破損)
・貸与スマートフォン ……1台(破損)
▲電源インバータ ……1台(改造)
〇蓄電石 ……1個(遺失)
うわ。そっちで来たか。
ていうか、テーザーガンも俺の範囲なの?
「間違いないですよね」
うなずくしかない。すべて、身に覚えはある。テーザーガン以外は。
「このうちテーザーガン以下の四項目、あたまに『・』が打ってある品物ですね、こちらに関しては消耗備品扱いなので遺失対象からは外します。また、『▲』マークの改造インバータも、弊社研究部門が買い取りたいというので相殺とさせていただきます。ですので、今回の尾仁川さんの弁済対象遺失物は『〇』印のついた二項目、セラミックフレームと蓄電石の各一個、ということになります」
テーザーガンは不問なんだ。そりゃそうだ。つかやっぱあっちは対象に入るのかよ、蓄電石。
背中の真ん中を伝って、冷たい汗が流れ落ちるのがわかった。
正直、あの日金庫を開けて新しい三個の封を切ったときから気にはなっていたのだ。例の契約があるから、俺個人になにがしかの弁済責任がおっかぶされる可能性は十分にあると思ってはいた。とはいえ、蓄電石はフレームと違って市場での取引がされてないから、当然定価もない。値段という根拠がないのだから、そこに何パー掛けようが、無しは無しだ。そんなふうに解釈して安心してたんだが……。
「弊社監査部主導で遺失状況の精査をして出してきた弁済割合が、先週の取締役会で承認されて確定したので、尾仁川さんにお伝えしなければいけなかったのです」
俺の喉がごくりと音を立てた。
「セラミックフレームはすぐに結論が出ましたが、蓄電石の方は監査部でも多少揉めたそうです」
いや、あれは完全に業務の上ででしょ。あそこで石投げてなかったら、俺死んでたよ。やり過ぎだって言われりゃその通りだけど、スペックが不明なのは俺の所為じゃない。あれで半分負担とか言われたら、泣くに泣けないよ。
とはいえ、相手はクソネットである。どんな手使って言いがかりつけてくるのかわかったもんではない。俺は緊張して課長の次の言葉を待った。
「結果は、両例ともに業務上の過失が全面的に認められ、弁済範囲は最低限度の五パーセントと判定されました。おめでとうございます」
俺は、はぁ、と胸を撫でおろした。
まあ、当然と言えばそのとおりなんだが。
課長の無表情の隣で、荏原のやつがにこやかに笑ってやがる。まあ、いいけど。
「つきましては、尾仁川さん個人に対する弊社からのご請求金額ですが」
よどみない課長の台詞が手元の資料を読み上げる。
「機器固定用セラミックフレームについては弊社買い入れ原価が三千円ですので、うち五パーセントの百五十円。もう一方の蓄電石は、元々が弊社の資産で対外的な取引実績もありません。当然ながら市価の設定もなし。ですので……」
ですので?
「日本国政府の要請で、アメリカ合衆国相手に研究目的の名目で蓄電石一個をお譲りした際の数字を基準、といたしました」
ちょっと待て。
なんだそりゃ。どういうことだよ。
国同士のやりとりで動いた金が基準だと? それを一個人の弁済に適用するってか?!
「譲渡にあたって合衆国から弊社に支払われた金額は二千万」
二千万!?
俺のアタマは高速回転をはじめた。
二千万の五パーセントは百万。百万つったら、このひと月で俺が稼いだ機器設置ボーナスの七割近くじゃねえか。つーことは、なにか? オレサマがやってきた仕事の三分の二はタダ働きってことかよ?! ふざけやがって。
だが、まあいい。どうせあぶく銭。マイナスになったわけでもねえ。社長への奢りが焼肉から牛丼に変わっただけだ。手切れ金天引きしたと思えばなんてこたぁねえ。
「ドルでした」
どる? いまこいつ、ドルって言った?




